29日、池上彰がベトナム戦争(1965年から75年4月)について解説した番組があり、録画して僕も見ました。開始された時は僕は小学4年生。その時から中学と、学校で先生たちが詳しく教えてくれた事もあり、池上氏の解説された事は大体僕は知っています。
但し、池上氏は「南ベトナムは資本主義国、北ベトナムは社会主義国」と色分けしていました。確かに、1965年当時は「アメリカに従う国は資本主義国、ソ連や中国に従う国は社会主義国」と色分けされていましたね。でも、資本主義の定義にもよりますが、フランスからの独立後の南ベトナムはずっと農業国で、工業も、サービス業も発達せず、会社経営も資本家は難しい例が多く、また、政治家も、国家役人も税金や外国からの援助金を教育や福祉に使う術も知らず、家族・親族に回して私腹を肥やす例が当たり前になっていました。つまり、「植民地上がり」の状態だったわけです。
植民地では色々と搾取は行われますが、本国の指令にただ従えば良いわけで、政治や役人なる人がいても、頭を使わなくて良いわけです。それ故、その姿を見れば、多くの人たちは勉強や教育の大切さも判らなくなってしまうわけです。その延長で南ベトナム時代もあった。恐らくは大家族制度で、身内だけを大切にして、人々の連帯も薄かったわけです。ならば、お金のある人は高官に取り入り、便宜を図ってもらい、賄賂を贈るという事が当たり前みたいに行われていたと。
例えば、第二次大戦中、アメリカ同様に資本主義と民主主義だったフランスやオランダなどのナチス・ドイツからの侵略に反対して軍事介入したように、1965年当時のアメリカも北ベトナムを叩いたのかもしれませんが、「植民地上がり」という南ベトナムの社会状況はアメリカ政府の人たちは理解していなかったようです。そこも不幸の源の一つでしょう。そして、何百万人もの死者を双方に出した。戦死者だけでなく、爆撃でも...。枯葉剤で多くの死産や障碍児も出し、今もその影響は続いている。ある意味では、ベトナム戦争は終わっていないわけだし、南ベトナム政府を腐敗させた「私腹肥やし・大家族制エゴ・植民地の恐ろしさ」も歴史として残さないといけません。また、当時の国連がその戦争を止められなかった問題、日本政府も南ベトナムの社会の性質を見抜けなかった点とかも問われます。
ベトナム戦争中の日本はどうだったでしょうか。まず、その戦争の特需で関連企業は儲かり、池田首相以来の高度経済成長に弾みが付きました。例えば、貧しい地帯の飢饉撲滅や教育支援の特需の経済成長ならば日本人として胸を張る事もできますが、ベトナムで双方が猛烈に苦しみ、沢山の死者も出ているような事の「特需」は何なのでしょうか。また、当時の南ベトナムとは違い、日本は大家族制度は崩れ、マイホーム主義に移行していましたが、そのひずみが各地に出ていました。小家族だけで小さい時から暮らせば、子供たちは他人との付き合いにどうしても不慣れになりますから、学校でも友人も作りにくい傾向が生じます。それに特に母親が我が子の受験競争に尻を叩く例も多く、それも子供たちの社会性育成を妨げました。更には、父母だけでは介護できないだけ、重い障碍を持つ子供たちの問題も社会の底辺にあり、また、そのセフティ・ケアでもあった施設も人々の無関心の為、人出不足・資金不足に悩んでいたわけです。つまり、拙小説の「シマハタの光と陰」に大きく重なっています。ベトナム戦争の事はシマハタとは直接は関係しないですが、当時の社会を表すものとして、何かの会話に挿入させる予定です。
つまり、ベトナム戦争を通して日本の戦後の歩みを見る事も可能ですね。今回の放送は実録小説の参考にもなりました。
但し、池上氏は「南ベトナムは資本主義国、北ベトナムは社会主義国」と色分けしていました。確かに、1965年当時は「アメリカに従う国は資本主義国、ソ連や中国に従う国は社会主義国」と色分けされていましたね。でも、資本主義の定義にもよりますが、フランスからの独立後の南ベトナムはずっと農業国で、工業も、サービス業も発達せず、会社経営も資本家は難しい例が多く、また、政治家も、国家役人も税金や外国からの援助金を教育や福祉に使う術も知らず、家族・親族に回して私腹を肥やす例が当たり前になっていました。つまり、「植民地上がり」の状態だったわけです。
植民地では色々と搾取は行われますが、本国の指令にただ従えば良いわけで、政治や役人なる人がいても、頭を使わなくて良いわけです。それ故、その姿を見れば、多くの人たちは勉強や教育の大切さも判らなくなってしまうわけです。その延長で南ベトナム時代もあった。恐らくは大家族制度で、身内だけを大切にして、人々の連帯も薄かったわけです。ならば、お金のある人は高官に取り入り、便宜を図ってもらい、賄賂を贈るという事が当たり前みたいに行われていたと。
例えば、第二次大戦中、アメリカ同様に資本主義と民主主義だったフランスやオランダなどのナチス・ドイツからの侵略に反対して軍事介入したように、1965年当時のアメリカも北ベトナムを叩いたのかもしれませんが、「植民地上がり」という南ベトナムの社会状況はアメリカ政府の人たちは理解していなかったようです。そこも不幸の源の一つでしょう。そして、何百万人もの死者を双方に出した。戦死者だけでなく、爆撃でも...。枯葉剤で多くの死産や障碍児も出し、今もその影響は続いている。ある意味では、ベトナム戦争は終わっていないわけだし、南ベトナム政府を腐敗させた「私腹肥やし・大家族制エゴ・植民地の恐ろしさ」も歴史として残さないといけません。また、当時の国連がその戦争を止められなかった問題、日本政府も南ベトナムの社会の性質を見抜けなかった点とかも問われます。
ベトナム戦争中の日本はどうだったでしょうか。まず、その戦争の特需で関連企業は儲かり、池田首相以来の高度経済成長に弾みが付きました。例えば、貧しい地帯の飢饉撲滅や教育支援の特需の経済成長ならば日本人として胸を張る事もできますが、ベトナムで双方が猛烈に苦しみ、沢山の死者も出ているような事の「特需」は何なのでしょうか。また、当時の南ベトナムとは違い、日本は大家族制度は崩れ、マイホーム主義に移行していましたが、そのひずみが各地に出ていました。小家族だけで小さい時から暮らせば、子供たちは他人との付き合いにどうしても不慣れになりますから、学校でも友人も作りにくい傾向が生じます。それに特に母親が我が子の受験競争に尻を叩く例も多く、それも子供たちの社会性育成を妨げました。更には、父母だけでは介護できないだけ、重い障碍を持つ子供たちの問題も社会の底辺にあり、また、そのセフティ・ケアでもあった施設も人々の無関心の為、人出不足・資金不足に悩んでいたわけです。つまり、拙小説の「シマハタの光と陰」に大きく重なっています。ベトナム戦争の事はシマハタとは直接は関係しないですが、当時の社会を表すものとして、何かの会話に挿入させる予定です。
つまり、ベトナム戦争を通して日本の戦後の歩みを見る事も可能ですね。今回の放送は実録小説の参考にもなりました。