トシコロのありのままの暮らし


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「障碍者や難病患者は戦場では生きられない」の話がされない理由推察

2018-04-30 13:15:11 | 日記
  確かに、そのような内容の本や報道にはお目にかかった事がないし、ネット関係含む、世間でもそのような話は聞いた事もない。


   理由は簡単かもしれない。戦場では、本当に障碍者や難病患者はそこにいると100%死んでしまっていて、後に体験記を書いたり、体験談を書けないからであろう。あるいは、天国ではそのような本は多く出されているのかもしれないが、少なくとも、地上ではそのような経験者の声を語り継ぐ事はできないのである。

   でも、だからと言って、障碍者や難病患者を戦争議論から除外して良いわけはないし、又、誰でも過去の戦争の歴史を学べば、そのような人たちが戦場に置かれた場合の事も十分考えられるわけである。マスコミ報道や本は事実の1%くらいしか語っていない事もよく判ると。

    特に、爆弾と銃弾の飛び交う近代以降の戦場では、本当に障碍や難病を持つ人たちは生存率は0%だろうし、幼児も同じだと思う。沖縄県以外は市街戦を経験しなかった日本に住む僕でも判るわけだから、韓国・北朝鮮の障碍者、難病患者は切実な想いを戦争に対して持っているに違いない。察するに余りある事である。
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南北朝鮮首脳会談についての両国の障碍者たちの気持を想う

2018-04-28 09:57:49 | 日記
  昨日の韓国の文大統領と、北朝鮮の金主席の出会いの様子を僕も日本からテレビで熱く見ていました。未来の事は判りませんが、例えば、10年たち、2018年4月27日が朝鮮半島は勿論、東アジア、更には、地球社会全体にとって、真の平和への第一歩であったと記される事を願います。


  韓国、北朝鮮にも相当数の障碍者や難病患者はいます。そのような人たちはきっと、極めて熱い思いで、昨日のその場面のテレビ中継を見ていたのではないかと思ってしまいました。戦争が始まれば、種類の別なく、障碍や難病を持った人たちが切り捨てられるわけですから。いわゆる「戦場」で障碍を持つ人たちは生きられるでしょうか。身障者は体が動かないから逃げようもないし、知的障碍者も状況理解が難しいからこれも同様。盲人、精神障碍者、及び、情報取得が非常に困難な聴覚障碍者と。どうにもならなくなりますね。それ故に、朝鮮半島全土が戦場になった朝鮮戦争の経験を持つ、その両国の障碍者や難病患者たちは本当に切実に「恒久平和」を願っているわけですね。日本の各マスコミはその事は伝えていませんが、自分も脳性まひを持つ身の僕には痛いほど、よく察する事ができるわけです。

  朝鮮半島の恒久平和までにはまだ時間がかかるし、逆に緊張が強くなる時期もこれからもあると思います。でも、試行錯誤をしながらも恒久平和になってほしいし、東アジアの中の一つの朝鮮半島の緊張が軽くなる事は、それだけ日本と中国の間の緊張緩和にも良い影響が出ると思いますから。
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国レベルの優しさ喪失の件

2018-04-27 14:01:34 | 日記
  「『不死身の特攻隊』から考えたこと」の補足です。


  確かに、モンゴル兵の供養をする習慣さえあった日本が、理由は判りませんが、ある時期から心を失ったみたいになった。ならば、皆様の中には、「ドイツもそうではないか」とか「イギリスもアヘン戦争などでひどい事をしたじゃないか」、「アメリカ合衆国も原住民を虐殺した」と思う人もかなりいると思います。僕もそれらと日本のその件は共通のものを漢字、比較しながら考えてもいます。人間のする事だから、共通する部分もあると思います。でも、同時に、各国固有の問題もあるようです。例えば、20世紀前半のドイツ。どういうわけでしょうか、第一次大戦前からドイツはヨーロッパ内では、ヨーロッパの後進国として低く見られていたようです。それで第一次世界大戦があり、負けて、ヨーロッパ各国から多額の賠償金を取られて、破産状態にもなり、各国とユダヤ人に対する恨みが強くなり、ナチスに傾いた。アメリカで出版されたニール・D・ウォルッシュ著「神との対話」にも、「神」の語り掛けの言葉として、この問題が出てきます。「神」の正体はともかく、ヨーロッパ諸国もナチスを産んだ面もありました。


  日本も幕末期にヨーロッパやアメリカから低く見られていましたが、清帝国はそのような事は日本にしなかった。それなのに、後年は満州から攻めた。戦争要因も、ドイツとはかなり違うわけです。

  共通する部分は共通する面として見ても、違う面は違うと見ていく姿勢も大切だと思います。

  また、時々「近代化が人の心を荒廃させて、戦争に導いた」という声も聞きますが、うなづける面もあるものの、これも違う気がします。中世に目をやれば。十字軍戦争という、非常に残酷な戦争がありましたからね。輸送方法も、兵器も発達していなかったのに、ナチスにも比較できるような残忍な侵略をヨーロッパの人達は行ない、高度な文化のあったサラセン帝国は破壊され、そのトラウマはアラブの人たちに今も残っていますし。中国の各帝国も戦争ばかりしていた。日本も内戦をかなりしましたね。戦争の他にも、「魔女狩り」という残酷な事も行なわれていたし。

  とにかく、日本に生まれた人たちは日本の歴史を知らなければなりません。特に、解明されていい事を。解明が進めば、朝鮮植民地化や満州侵略の事も明らかになり、韓国・北朝鮮や中国の人たちの日本への心のわだかまりも薄れて、東アジアの緊張も緩み、平和に近付くと思います。又、同時に人権の歴史もそれだけ明らかになるわけだから、日本国内の福祉の増進にも良い影響が出ると思います。我々はどこに行くのか、は「どこから来たのか」を知らなければ、答えは出ないわけですね。本当に我々日本人はどのような道をたどってきたのでしょうか。知りたいと思います。



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「不死身の特攻隊」から考えたこと

2018-04-26 16:33:41 | 日記
  「不死身の特攻隊(鴻上尚史著・講談社新書)」の事は先日書きましたが、その後も考えた事があるので書きます。


  作者の鴻上氏は決死命令を何回も無視して生き延びてきた特攻隊員の一人の例を丹念にルポして詳しく様子を再現し、旧日本軍の命を軽視する体質を強く批判し、更には、それは「今の日本企業の過労死にもつながっている」と指摘されています。旧日本軍の枠を越えて、そこまで指摘されている事は敬意に値する書物だと思います。多くの人たちに読んでもらいたいです。


  確かに、旧日本軍の命軽視は言うまでもないし、又、例えば、優生保護法など、政府高官のかなりも命軽視の発想があります。戦前から高官のかなりがそうだったようです。それは考えて、命重視の発想に変えていかなければなりませんね。でも、命軽視は果たして、軍と高官だけでしょうか。民間にもそのような気風があると思われる戦後の三つの事件を思い出し、考えこんでいます。古い順から述べると、「連合赤軍関係」、「戸塚ヨットスクール事件」、「オウム真理教」です。

  日本の赤軍関係の一連の事件は1970年代前半に起きました。特に、リーダー格の永田洋子の命令は絶対的で、それに背いた仲間を集団リンチして虐殺も次々としていきました。元々は当時の日本政府のお金重視、命軽視の発想に反対して反政府運動をしたのに、彼ら自身も命を軽視したし、上からの命令も絶対視。旧日本軍の体質とも似ていたわけです。当時のかなりの有識者は「マルクス主義や毛沢東思想を誤解したから」と述べたかもしれませんが、そのような面はありましたが、それだけで済まされる事だったのでしようか。

  「命の軽視」と「上からの命令の絶対視」は戸塚ヨットスクールやオウム真理教にも当てはまります。軍隊経験がある父は、2つの体質を「昔の日本軍みたいだ」と指摘していました。命令を聞かない人たちには、なぐる・けるの暴力をふるう。死ぬまで暴力を加えることも両者にはかなりあったわけです。特に、戸塚ヨットスクールを作った戸塚は教育者で、不良少年の更生に熱意を元々持っている人でした。そのような人が暴力をふるっていた。暴力は命の軽視に他ならないわけで、教育者がそうする事は非常におかしいわけです。戸塚自身、命を軽視していたと思わざるを得ません。命を軽視して、不良少年の心の問題に取り組めば、そうなってもおかしくないわけです。

  その他にも、例のS園の元園長の「女子園児の子宮は切り取れば良い」発言、方々の学校で慢性化しているイジメの問題...、民間の間にも命軽視の気風が戦後もあったのではないでしょうか。

  更に、1923年に起きた関東大震災の後の在日朝鮮人への虐殺、その前の日露戦争の時に与謝野晶子が発表した「君、死に給うなかれ」への人々の強い批判の声...。例えば、中世に日本を侵略して戦死したモンゴル兵の供養をしたり、江戸時代には捨て子禁止令も出されるなど、日本は元々命を尊重する気風が強かったですが、いつの間にか、その気風は隠れて、朝鮮人虐殺とか神風特攻隊に戦前はなっていき、戦後も何かの拍子に命軽視の気風が出て、残忍な事件にもなっていった。「命を最大限尊重」が日本らしい文化だとしたら、ある時点で置き忘れたと言おうか、隠されて、軍事力やお金を追及する体質ができていったのかもしれませんね。あるいは、お上の命令を絶対視するとか。民間にもそのような精神がいつの間にか、染み通った。でも、僕は「隠された」だけで、消えていないと信じたいです。捨て子禁止令を産んだような真の日本文化が復活して欲しいと。でも、その前に、我々は立ち止まり、幕末以降の日本の進路を冷静に顧みる必要もあると思いますが。何も僕は明治維新を否定する考えでもないですが、急速な欧米化と軍事力、お金追求で、「何か」が隠され、忘れてきた気がしてならないわけです。
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攻め込まれた側は

2018-04-24 17:32:14 | 日記
   どんな戦争でも、攻め込まれた国の人たちはその理由を知りたいわけである。虐殺も同様である。それ故に、戦後のドイツはヒットラー本人が亡くなったのにも関わらず、ユダヤ人虐殺の理由を徹底的に探り続けているわけである。個人レベルに置き換えれば、よく判るだろう。何もしないのに他人からなぐられたら、怒りと共に、なぐられた理由を相手に聞くわけだから。


  近代期に限って見ても、確かに中華民国も、その前身の清帝国も日本を侵略はしなかった。それなのに1930年代になり、日本軍は北中国から攻めていった。その理由について、「国策の誤り」とか「軍部の独走」、「政治が軍部をコントロールできなかったから」と日本の歴史教科書には書いてあるし、中国政府と人民に対してもそのような事を日本の政治家たちは言ってきた。確かに、1930年代の日本の政治力は弱かったし、軍部はわがままにもなっていた。それらは事実にしろ、「何故、そうなったのか」を言わなければ中国の人たちは納得しないだろうし、日本人も自らの歴史を理解した事にはならないと。政治が弱くなったり、軍部がわがままになったのは、それなりの理由が必ずあったからだと。

   僕もそのような理由は判らないが、日本に生まれた以上は知りたいと思う。いきなり1930年ごろに狂ったわけでもないだろうに。又、その根をたどれば、必ず、朝鮮植民地化の理由も出てくるはずだ。その理由もいまだに明らかにされていないし。また、その前には、女工哀史で知られるような、女性労働者を酷使するような工場を国策で作った問題もあったが、その事も出てくるはずだ。戦争以前に、人の命を軽視する明治政府の体質と、それを黙認した当時の日本人の資本家などの姿勢も。男性たちと言おうか。資本家だけでもなく。さらにさかのぼると、幕末までたどり着くのかもしれない。明治維新を推し進めた側も、井伊直弼などのムリな開国政策などの幕府側も。明治維新も客観的に見るべきである。官軍も、賊軍も善悪とか、進歩・保守の色分けで見たら、いけない気がするが。

  とにかく、「日本軍兵士」の本が幕末以来だと思われる、日本という国の歪みと暴走の理由解明の第一歩になれば良いと思う。

  最初の話に戻るが、他人に殴られた場合、謝罪の他、その理由を聞かされると殴られた人は納得でき、過去は変えられなくても、相手を許せるものである。真の和解にもなる。殴った方も理由を自ら知ると、真の反省ができ、成長もできるわけである。国民レベルで、ドイツはそうしている。日本の為にも、色々な事柄の理由は突き止めなければならないし、それゆえに歴史にも目を向けていかなければならないわけである。浄土真宗みたいな、命を非常に重んじる思想を日本は元々輩出してきた。その日本の国が、戦争の道を歩んだり、戦後はお金中心の発想にもなってきた。非常におかしいと僕も思う。その理由が判らない。



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