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実録小説・シマハタの光と陰・第28章・悪魔の解決策

2023-03-24 10:42:36 | 日記
 1972年10月、ウルグアイの雪深い山に墜落して死を免れた人たちが亡くなった人たちの肉を食べて生き延びた事件があった。法律にはふれなくても、普段は死者への敬意という倫理感から、食べないのに。人は極限状況に置かれると発想も変わる。スト後の経営者、林田博士も金策に困り果てていた。

 「借金のあてはもうないし。何かないだろうか」と、書類に端から目を通した。収入源を徹底的に調べて。事務員にもそうさせて。中年の女性事務員が

  「私は医学的なことはよく知りませんが、投薬点数の医療収入はかなり多いです。人為的にもっと多くすることはできませんが」と何気なく述べた。

  林田博士にひらめきがあり、

  「そうだ、薬の点数を調べてみよう。例えば、ビタミン剤はいつも使っているが、点数は低い。とは言え、いくら高くても、胃潰瘍みたいに滅多にかからない病気の薬は使うわけにはいかないし」と一週間かけて調べた。すでにときどき使っている医療用麻薬が点数が高いことを確認。脳性麻痺の身体の硬直や緊張が強い時に、脳の興奮を抑えて、一時的に緩和する薬である。根本治療にはならないし、全神経の働きを抑えるから、まずは便秘になる。心臓や呼吸系統の神経も抑えられたら、死ぬこともあり得るこわい薬である。

  さらに林田博士は

  「脳性麻痺児はいつも身体硬直に苦しんでいるから、それが楽になる投与は彼らのためになる。硬直の緩和した身体は介護しやすいから職員のためになる。収入は増える。一石三鳥だ」と独り言をつぶやいた。

  昭和49年9月から、園児たちへの粉薬の量が二倍から三倍になり、親や職員たちには「医療の充実」と説明された。でも、特に身体に問題もない精神薄弱児にもそうするなど、説明付かない点もみられた。

  少しして、職員の給与が50%引き上げられた。「都からの補助金が増えた」と説明されたが、そのようなニュースはテレビでは流れなかった。



 職員の中には増えた薬について疑問を持つ者たちも現れた。その一人の、精薄室勤務で労組員でもある木田節子は、たまたま薬剤師をしているいとこにその薬を見せた。調べてみて、

 「ビタミン剤と、医療用麻薬ね。シマハタには脳性まひ児が多いようだけど、身体硬直がひどい時に一時的に使うものなの。常に飲ませる薬ではないし、精神薄弱の子に飲ませるものではないわ。飲むとだれでも頭がぼうっとするし。必要ない子に投与したらいけないし、必要な子もいつも飲ませたらいけない。その医者は勉強不足かしら。便秘などの副作用も出てくると思うわ。肝臓や心臓にも悪いし...。でも、処方箋としての薬価点数は高いの。多くだせば、かなりの収入になるわ」

 節子は顔が青ざめた。その薬を飲ますと、園児たちの体は悪くなる。とは言え、職員は命じられたことをするだけ。なにもできない。特に信頼できる職員の同僚数人に話した。みな驚き、考え込んだ。一人が察しがつき、

 「その薬価収入でわれわれの給料も上がったに違いない。よくないことだが、どうすればいいのか...」

 節子など、真実を知った職員たちは重い気持ちになりながらもその薬を飲ませ続けた。頭がぼんやりする園児や便秘がちになった例も次第に増えた。浣腸がふえた。その時、園児・園生はものすごく苦しむ。それを見る節子は心が痛む。

 真実を知る数人がまた話し合い、そうっと捨てることにした。ポケットに隠し、園外のゴミ箱に。知り、薬を捨てる職員が少しずつ増えていった。それは知らない林田博士は自己肯定の病に憑りつかれ、次にすることを考えていた。

 「脳性まひの緊張を脳の一部の切除で緩和できないか。胃潰瘍の手術みたいに。実験してみよう...」



 シマハタの外ではカラスが鳴いていた。何かを暗示するように。