トシコロのありのままの暮らし


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戦後の元満州移住民

2017-08-16 10:07:55 | 日記
  終戦以降、直接帰国できた人たちもいれば、ソ連軍に捕まり、シベリアで強制労働させられた後、帰国できた人たちもいたわけです。シベリア強制労働で体を壊し、そのまま他界された人たちも多い事も忘れてはなりません。


  さて、帰国した人たちですが、「引き上げ者」と呼ばれ、中には行政から資金を借りて、商店を営んだ人たちもいました。僕の子供時代、そのようなそば屋さんも近所にあった関係で、父母からも引き上げ者たちの様子を聞かされましたし、最近はNHK教育テレビでその関係の報道をよくしますね。先日も見ました。


  その引き上げ者たちは、日本国内で「差別を受けた」と僕も昔からよく聞いていますし、先日のその関係のテレビ番組でも同じ事が報道されていました。何故、そのような差別が出たのでしょうか。日本人が日本人を差別する。おかしいし、僕には判りません。従って、これ以上は書けません。判らない事は書けませんからね。また、その差別は、例えば、精神障碍者や在日韓国人差別と違うのか、それとも、共通するのかも僕には判りません。また、今でもあるのかも。但し、判らないながらも、僕の心に印象付けられているので、記したわけです。

  以上は戦後の事なので、日本の終戦記念日の後に書きました。

満州国の大事な補足

2017-08-14 13:15:36 | 日記
 そこで日本陸軍と、当時のエリート医者・医学博士たちが中国人の捕虜を使い、細菌兵器や毒ガス開発の人体実験をした事を忘れてはならない。僕の小学から高校までの時代はその歴史の掘り起こしが進んでいなかったらしく、まだ歴史の教科書には載っておらず、教えられなかったが。無論、後年、僕も新聞やテレビで知ったわけです。

  昨夜も日本のNHKというTV放送で「731部隊」という事を取り上げたNHKスペシャルがあり、僕も見ました。中国人捕虜たちにチフス菌を感染させ、病気にして、後は治療して、また別の実験に使うなど、ひどい事を色々していた。ナチスと同じ事をしたわけです。携わった医者たちは相手を人体実験のモルモットにしか見ていないと。放送では述べませんでしたが、近代以降は人体を単なる機械と見なす流れがありますから、元々医学界の一部にはどの国でも、人体実験を行う医者がいたようですが、そこに「軍部の命令」も絡み、人体実験が大きく行われるようになったのかもしれません。

  それから、番組では、「国民が支持した」と繰り返し述べている。国民の罪も問うているのが印象的でした。但し、それに加えて、当時の新聞やラジオなどのマスコミも満州侵略を積極的に進めましたが、その事は何故か述べられていない。おかしいと僕は思います。マスコミも戦犯の一つなのに。

  今はその関係のホームページも色々と出されているので、それも御覧下さい。

  短くなると思いますが、満州関係はもう一つ書きます。それは戦後の事だから、8月15日過ぎて書きたいと思っています。



満州事変の根の根

2017-08-11 11:53:19 | 日記
  日本の中国侵略の発端となった満州事変は、「当時の日本陸軍が、国際協調を求める諸々の政治家たちを強引に押し切って、進めた」と何十念も前から学校で教えられている。では、何故、陸軍はそのような事をしたのだろうか。「徴兵されて陸軍に来る青年男子たちのほとんどは極めて貧しい家庭の人たちだった。一方、政治家たちは金持ちや企業からの献金ばかり受けて、又、政治家たち自身も金持ちばかりで、貧民の気持ちは判らず、金持ち優遇の政治ばかりしていた。それゆえ、武力を持つ陸軍が貧民の代表みたいになって、満州に貧民を移住させる計画を立て、金持ち中心の政治家も倒そうとした」と僕もよく聞きます。では、何故、満州=中国東北地区なのでしょうか。それについては、僕も理由は聞いた事がありません。推察すれば、確かに石炭が豊富にありますし、農業にも向くような肥えた土地で、麦はいくらでも取れる。又、軍事的にはロシアから極東を守る要衝でもあります。それらの理由も確実にあるでしょう。


 その他、突飛な見方かもしれませんが、明治時代、大した戦乱もなく、スムースに進んだ北海道開拓の延長みたいなイメージで、その隣の満州をイメージして、同様の移住を考えた人たちがいたのではないかと。当時の日本人は知識人以外、満州の事はよく知らなかったはずです。そこにも本当は古代から文明があり、王国も作られ、やがて清朝という中国を支配する皇帝も輩出した土地なのですが、当時の日本の貧民は実際は小学も満足に行かしてもらえず、親の農作業の手伝いばかりさせられていた。そのような人たちが陸軍に入り、極東の地図を見て、以上の事を思ったとしてもおかしくありません。証明はできませんが、考えられますね。

  それから、当時の政治は貧民の声は繁栄が難しかったため、陸軍が民主主義の補完をしようとしたかもしれませんが、その結果、衆愚政治みたいになってしまい、果てには民主主義は破壊され、軍国ファシズムになっていった。非常に難しい問題が当時の政治にもありそうだし、又、貧民の教育レベルの問題にもなってくる。無知や無教育は恐ろしいと思います。全く同じ事は繰り返さなくても、国が教育から手を抜けば、無教育の人たちが政治に登場し、別の意味で日本の政治を狂わせるかもしれないので、どんな政権が今後生まれても、教育にもしっかり力を政治家たちは入れて頂きたいし、国民も教育には関心を持って、常に歴史の勉強もしていきたいものです。

  8月15日の前に、毎年、戦争関係の歴史の事を書いていますが、今年は以上です。

海の思い出

2017-08-07 11:22:47 | 日記
 小中学生のみなさんへ.                   🌴


 この手紙は福島県会津と長野県佐久の皆さんにあてるものです。
 
夏休みですね。みなさんは旅行に、キャンプに、水泳に、野球やサッカーに、自由研究にと忙しいでしょう。海に行く人もいるでしょう。ぼくは泳げませんが、それでも、何回か海に行きました。一番最初に海に行ったのは小学2年(1963年)の時でした。当時のぼくは光明ようご学校に通っていましたが、ぼくの学年のお母さんたちと子供たちで、神奈川県の真鶴(まなづる)という所に行き、そこにあるお寺に3日間でしたでしょうか、泊めてもらい、夕方の涼しくなった時に水着を着て、砂浜に行き、砂遊びや波遊びをした思い出があります。初めてなめた海の水はしょっぱかった。塩がふくまれているから、そうなるのですね。波が来るところで、ぼくはひざ立ち歩きで動き、海の水の冷たさを楽しみました。友人たちは何をしていたのか、おぼえていませんが、それぞれ、やりたいことをして楽しんでいたようです。
 
それから、水平線(すいへいせん)を見た。海の見える果ての所ですね。果ては落ちているようだった。地球(ちきゅう)は丸いからそうなるのです。果てから船が上がるように来るのが見えました。
 
食事はお寺が出してくれた。さしみなどが活(い)きがよく、おいしかった。初めて、クラゲも食べました。かむとコリコリした感じで、おいしかったです。
 
ときどきお坊さんが祭壇(さいだん)の前で、木魚をたたいて、お経(きょう)を上げていました。
 
海の良い思い出ができて、良かったです。みなさんも思い出をたくさん作って下さい。


70年以降、日本の学生運動は内向きになりました

2017-08-04 11:45:38 | 日記
  6月5日、1970年ごろの全学連の挫折を書きましたが、それ以降も各大学では「学生運動」なるものもあったようである。但し、運動内容が各大学の「学費値上げ反対」に絞られ、大学を越えた連帯も、憲法などへの論議もなくなり、世間にはその運動を知らない人も増えたわけである。この運動はすでに世間から忘れ去られているのかもしれない。


  1970年代の日本は人口増加、住宅やビル、道路建設ブーム、田中角栄内閣の高度経済成長政策、石油ショックなどが重なり、インフレーションを経済が起こし、諸物価は高騰したので、教授などの給与や設備費調達の為に学費を上げざるを得なかった。でも、各大学には貧しい家庭出身の学生もいるので、それで反対運動が起きたようである。そのような学生たちの身になって考えれば、反対運動も気持ちは判るが、諸物価が高騰している時に学費だけを上げない事は不可能ではないだろうか。また、もっと大事な問題として、世界的に物価が上がる要因や抑制策も、大学生ならば考えて議論もして当然なのに、ただ学費値上げ反対を叫んでいたようである。  

  つまり、彼らの目は自分の大学にばかり行き、世界は勿論、日本全体も見る感じではなかった。狭かったし、学費値上げ反対運動した人たちが卒業後は諸物価高騰に反対する活動をしたような話は聞いていない。1970年以前の全学連運動とは明らかに性質が違うわけである。

  値上げ反対運動をしなかった当時の学生たちも狭くなっていたかもしれない。憲法や政治、外国の事には無関心で、いわゆるサークル活動ばかりして、コンパして、内向きに楽しむだけだった。でも、学生サークルは卒業したら終わりである。次第に廃れていき、学生に限らず、入れる新興宗教ブームに80年代には変わっていき、それに目を付けて、そこから多額のお布施金を儲ける人たちも出てきた。1981年に僕は理科大の文化祭に行ったが、理系の学生ばかりのはずなのに、そこでも新興宗教の宣伝展示ばかりで、おかしかった。その後、麻原という人が出て、オウム真理教にもつながっていったのである。

  オウム真理教の事はともかく、全学連以降は「内向き志向」も若者たちのキー・ワードの一つであるし、世代の別なく、政治に無関心になった人たちが増えた一因かもしれない。多くの人たちが政治に無関心になれば、その国の政治も停滞・閉塞するのである。

 政治の流れがこれから変わるかもしれないこの時期に、過去の社会の底辺の流れを見るのも悪くないだろう。