トシコロのありのままの暮らし


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誰でもできる認知症対策・文芸誌投稿文

2018-03-29 11:20:43 | 日記
 それは、何でも良いから話し掛ける事である。例えば、「今日は晴れですね」という簡単な事でも良い。「昨日の白鵬の相撲はうまかったですね」とか。

 話し掛けられると、だれでも脳が活性化すると言われている。すでにアメリカでは1980年代からその面の研究がされてきて、僕も早くにそれを知ったものだ。特に、乳幼児には話し掛けられ効果は大きいと聞いていたから、知り合いの一人のダウン症を持つ幼児にも有効だと思い、僕がその子に短い簡単な手紙を書き、そのママに代読してもらうというやり方をした。効果は検証できないが、まだ一歳くらいなのに、その子は非常に喜んだという。本当に脳が活性化したわけですね。近年、色々と認知症の事を聞き、又、一部の医者も「話し掛け効果」の事を説いています。本誌にも認知症の事を書いてあった文を目にしたので、以上の対策を発表する事にしたわけです。

 因みに、耳の不自由な認知症の方たちには、スキンシップや、絵を見せる事が有効だと思われます。

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  無論、相手に不快感を与える言葉はダメですよ。例のS園では職員たちが園児・園生たちに盛んに語り掛けていました。それは良かったものの、大人の園生に対しても子供、それも幼児に語り掛けるものでした。呼び方からして「Aちゃん」とか。僕も気持ち悪く感じたものです。そのような語り掛けならば、相手にとってマイナス。今は脳スキャンが発達して、脳の中の部位が興奮しているかも判りますが、恐らくは大人の園生ではそのように話し掛けられて、怒りを司る所や悲しみを司る所が興奮していたのでしょう。現に、ある大人の園生はその事について「悲しみ」を訴えていました。僕も一部の職員にその事を尋ねた事がありますが、それは別の機会にします。
  以上の原稿を書いたのは2月。3月になり、S園の事を強く思いだし、以上を書き加えました。

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「不死身の特攻兵」、ルポ・ライター、S園で潰れた計画

2018-03-26 13:41:54 | 日記
 「不死身の特攻兵」、ルポ・ライター、S園で潰れた計画




 「不死身の特攻兵(鴻上尚史・講談社新書)」という本を読んだ。ルポ・ライターの鴻上尚史氏が何回も特攻機攻撃をして生き延びた佐々木友次氏の話を聞きとって、まとめて、書いた貴重な本である。何回もの特攻の様子や、死んで攻撃するはずの所が生還したから上官にその度に怒られていた様子、敵に対しては勿論、味方の兵隊の命までも軽く見た日本軍部やその延長の今の過労死問題なども述べられている貴重な著書であり、皆様も是非お読みいただきたい。




  そのルポ・ライターは貴重な経験を持った人たちに色々と質問して、聞き取り、まず、文に書く。膨大な量の文になる事も多い。それを厳選し、編集して、本にする仕事である。誰にもできる仕事ではない。その真似を普通の人が仕様としても、まず、「質問」でつまずくだろう。学生時代を思い出してみるがいい。どれだけ先生に質問できたかを。僕も中学時代、一先生に「勉強で一番難しい事は、質問する事です」と教えられたのを覚えている。また、「聞き取り書き」。文の書き方は一人一人違う。自分の書く要領では書けないわけである。他人の文体で書く事も極めて難しい。まず、僕にはムリだろう。勿論、文を選び、読みやすいように編集する事も非常に難しい。




  1977年を思い出せば、S園で大人園生の声を聞き取り書きして、福祉関係の会報や機関誌に載せる事を考えた事もある。質問を考える前に、S園内の紛争に巻き込まれ、その計画は潰れた。それを思い出し、紛争に巻き込まれなくても、そのような計画は僕には元々できなかったと思った。「質問」自体が出て来ないだろう。それなら、自分で見た事を書いた方が早いし、正確に述べられるからだ。ルポ・ライターは質問や聞き取り、編集の各能力に非常に優れた人ができる事かもしれない。いわゆる「文章書き」とは性質が違うようである。S園で僕がやろうとしても、恐らくは「質問は何が良いか」とばかり考えて、それに気持ちが集中し、肝心のS園の様子も見られず、園生や職員たちからは変に思われ、交友もできず、何も見えないまま、早く止めただろう。それならば、紛争に巻き込まれた方が良かったわけである。何も見えなかったのでは、勿体ない。




  「不死身の特攻兵」を読んでの戦争関係の論評はその読者のかなりの人達がブログなどで述べているに違いないので、僕にしか述べられない感想を書いたわけである。


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S園を語る事について

2018-03-24 16:54:44 | 日記
  そこは僕にとっても重い見聞であり、医学的な事なども出てきて、難しい事でもあるため、アメーバ・ブログを始めてからもしばらくは語りませんでした。でも、語りたい気持ちは強かったわけです。


  創立当初はオープンな感じだったと聞いていますが、僕が行った時にはS園は隠ぺい体質になっていました。不祥事や人体実験みたいな事を「隠す」体質ですね。それは良くないにしろ、もし、このままS園の見聞を僕が述べなかったら、それも一種の隠ぺいであり、もっと大きく見れば、ウソの一種にもなるとも今は気が付いています。「沈黙は金」も場合によります。この見聞を沈黙すれば、僕は80年前後のS園当局の人達と同じ過ちをする事になりますね。自分がそうしたらいけません。それゆえ、語り始めて良かったし、語って当然とも言えるわけです。但し、今でもS園はありますが、まともな施設に生まれ変わっていますから、風評被害は起きないように。そこが書くに当たっては一番難しい所です。

  新たな体験小説を書く場合も、多磨全生園や伊藤まつさんは描くと思いますが、大体、僕はそこに行ってもハンセン氏病差別の事は見えなかったから、ほんの少しだけにします。「ハンセン氏病差別も見えないだけ、S園にこだわっていた」僕の様子も書きたいし、他にも同様なボランティアの人たちが何人もいたわけだし。

  以上です。


 




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S園関係を書いて思ったこと

2018-03-22 15:52:32 | 日記
  そこは、僕の行った時は色々と問題がありました。成人年齢を過ぎた身障者たちが子供扱いされていたり、医療用とは言え、麻薬を一方的に投与されていたりした。直接は聞かなかったですが、手術の実験台に園生たちがされるとか。でも、ミニコミ伝えとは言え、結婚という形で園生を引き取り、世話もしていった職員たちもいたなど、光の面もありました。僕は貴重な事を見聞したわけです。トータルすれば、そこに行って良かった事になりますね。


  ならば、もっと思い出して、体験小説として書けないかと思うようになりました。実は、数年前にも体験小説を書きかけた事があります。ハンセン氏病療養所の多磨全生園という所を訪ねた経験。そっちの方は8年行き続けました。でも、その体験記は途中で書けなくなって、打ち切っています。実は僕はそこに行きながら、色んな人たちからハンセン氏病関係の事を聞きながら、何も覚えていないのです。耳に入らなかった。そこよりもほんの少しだけ早く行ったS園の事が非常に気になり、全生園関係の話を聞きながらも、心の中ではS園の事ばかり考えていたから。「全生園では、元患者さんは子供扱いされないから、S園よりもはるかにマシだ」とか思って。日本のハンセン氏病関係が歴史的に大きな問題があった事を僕が知ったのは、例の2000年のハンセン氏病訴訟判決の時でした。行っても何も目に入らなかった。それだけ、僕はS園に強くこだわっていたわけですね。S園の見方で全生園関係も見ていた。それだけ、僕にとってはS園は因縁が深いわけです。

  確かに、新聞を通してしか知る事が出来なかったら、僕はハンセン氏病関係は書けないし、その事は体験小説にする事もできないわけですね。かつてのその体験小説は中止にしたのも当然たったと思います。でも、それで小説の書き方は学べたわけだから、ムダではなかったわけです。新体験小説の時もすこしだけ全生園の事には触れます。

  以上です。
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「伝えられた複数の結婚例」の最後の部分の補足

2018-03-20 16:21:22 | 日記
 S園の事が僕に書ける理由は、園生・職員、同行者だけでもありません。文を読んで下さる読者たちのお蔭でもあります。とにかく、特定はできないし、感謝の気持ちは非常に広がるわけです。これで良いわけですね。又、関わりたい事を述べる時は誰もそのような気持になるのでしょう。ありがとう。


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