トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

伊藤まつさんの絵

2016-12-29 16:05:14 | 日記
コメント

1月の予告

2016-12-29 15:03:11 | 日記
  伊藤まつさん追悼文集に、白黒ですが、伊藤まつさんご本人の写真があったので、一月に公開します。これから公開する絵と併せて、ほぼ完璧なイメージを出せるわけです。絵のイメージは強いですが、写真はもっと強烈ですから。


  絵の公開に先立つ文が多くて申し訳ありませんが、予告も大切なので。

コメント

絵について想う

2016-12-29 13:46:16 | 日記




  これから元患者の伊藤まつさんの絵を二つ公開するが、それに因み、絵の事について色々と想いを馳せている。




  ヨーロッパのラスコーという所には、原始時代の人たちの書いた鹿みたいな絵が多数ある。南米など、各地にも。手形みたいなものも。何の目的なのかは、今さら判らないが、時をはるかに越えて、我々の心にも何か訴えるものがあるし、絵は人間にしか書けないから、それを描いた作者たちの事も想ってしまうわけである。絵に込められた彼らの心と我々も通じていると言おうか。まさに、タイム・トラベルである。




  また、江戸時代の日本では浮世絵が盛んに作られた。しかも、作者の多くは名もなき庶民であり、同じ時期のヨーロッパの音楽家たちとは違い、殿様や貴族のパトロンなしで作られた。作風も素晴らしく、ゴッホなどが惚れ込んだわけだ。日本人の誇りの一つである。ところが、明治以降の日本社会や多くの日本人は浮世絵の価値を低く見た。外国に送る品物の詰め物にも使ったそうだ。極めておかしい事だと。何故、低く見たのだろう。かと言って、西洋からもたらされた絵画もそれに代わって伸びる事もなかった。日清戦争以降、日本人が軍隊に非常に関心を持ち、軍国主義に次第になって

いった理由の一つもそのような事もあったかもしれない。




  少し後のドイツ・オーストリア。若き日のヒットラーは画家になる事を志したが、美大の試験に落ちた。「お前の絵は下手くそだ」とか、徹底的にバカにされたそうである。誰が他人の絵を評価できるだろうか。せめて「美大に入れなくても、絵は描ける。美大に入らなかった画家はいくらでもいる」と言ってやれば良いのに。ヒットラーが画家になれば、勿論、政治の道には入らず、第二次世界大戦も、ユダヤ人虐殺もなかったかもしれない。極めて残念である。ヒットラーの絵をバカにした人たちや、他人の作品をバカにするような気風があったドイツなどの当時の社会にも戦争責任はあると思う。他人の絵はバカにしてはいけない。




  絵についての想いは尽きないが、この辺で今回は終える。どんな作品も素晴らしいわけである。また、絵は描かないが、僕が時々公開する直筆の書も、一種の書道であり、僕独特の芸術かも知れないと気が付きつつある。皆さまの多くの「イイネ」から気が付いたわけであり、感謝する。ありがとう。


コメント

フェイスブックの医者の旧友にあてた報告文

2016-12-29 09:48:34 | 日記
 医者の旧友にあてた報告文二つ

 

1. 口内炎減少

歯科医の指導により、肺炎予防の目的で、小さなスポンジで舌などを歯磨きの後に掃除してもらっている。それで口内の雑菌が減ったせいもあるのだろうか、最近は口内炎に余りかからなくなった。かかっても、放っておけば治るような軽度のものに。以前は強い口内炎ができたら、漢方薬の黄連解毒湯を飲んで治していたわけだが、最近はそれを飲む事もなくなった。

 又、大体、ここ25年間、ミカンを食べると口内炎ができたが、今はミカンを食べてもできないため、食べている。

 口内雑菌の件の他、体質変化の為もあるかもしれないが、それについては判らない。




2. 気圧と自律神経

  気圧が低くなると、誰でも副交感神経が強まる。僕は特にそうらしく、気圧が低くなる夜は眠れない傾向にある。気圧が相手では、対策も立てられないだろう。成り行き任せしかない。気圧変化に僕は敏感な体質らしい。そのような人も世間にはいるのだろう。




                以上。


コメント

ハンセン氏病元患者の伊藤まつさんのことがうまく書けない理由

2016-12-27 09:47:22 | 日記
  それは画家だったからです。元患者以上に画家の色彩が強かった。画家は自分の魂を絵に完璧に投影させますが、絵を文章で表現する事は不可能だからです。画家自身も自分の描いた絵を文章化はできませんが、他人の絵を文章化する事は更に困難であり、不可能でしょう。


  伊藤まつさんという人は多くの人たちと付き合いました。その昇天後、伝道師含む、何人かの人たちがまつさんの伝記を書こうとしましたが、全て挫折しています。僕も伝記を書きたかったですが、医学的な事とか、療養所内の煩わしさくらいしか書けませんでした。でも、何故か、例のX君はいくらでも書ける。変に思って考えてみたら、以上でした。書けるとして、絵の評論だけですが、それは僕は美術に詳しくないので、書けないわけです。

 例えば、ゴッホの絵抜きの伝記小説があっても、誰も読む気がしませんね。ゴッホの事は多くの絵の作品を見なければ、判らないわけです。伊藤まつさんも同じです。

 そこから、絵の持つ表現力は文よりもはるかに強烈である事、及び、絵と文は文芸にくくられるにしても、次元が違うものである事も判ります。

  僕は伊藤まつさんの事が書けない理由が判り、納得しました。S園にも絵を描く人がいましたが、その人を文に書こうとしても、同様に書けないでしょう。その分、これからはX君を書く事に集中できる。良かったわけです。

  日本では1980年以降、特に知的障碍者の作業所ができ、絵が好きな知的障碍者たちが絵を多く描きました。それが多くの人の目に触れ、意識を変え、社会を変えていったわけです。絵の力は強烈ですね。
コメント