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明治維新以前の日本の人権の歴史

2015-06-08 13:37:34 | 日記
  「人権」が社会や生活を見る上で、非常に重要である事が近年の僕も判ってきたが、ここで日本の人権の歴史を振り返ってみたくなったので、今日は日本の近代開始である明治維新(1868年)以前の歴史を大まかに見てみたい。

  日本という国家の枠組みが整ったのは701年の大宝律令制定だと言われている。当時の中国=唐の法律制度を取り入れ、日本風に変えて、作られたわけである。そこで身分制度も作られ、日本特有の封建社会の基礎が生まれていったようだ。反面、759年に成立した万葉集は天皇から庶民まで、あらゆる人たちの作った詩が載せられており、身分の低かった人たちも日本では尊重されていた事がうかがえる。(大宝律令以前にも、聖徳太子が憲法を作ったが、本題から逸れる為、ここでは取り上げない)

  794年から平安時代が始まった。長い平和であり、貴族中心に文化が非常に栄えた。反面、庶民は多くが農業に従事し、貴族たちに搾取され続けた。又、貴族も、庶民も非常に複雑に身分に分類され、一つ上の身分の人たちに頭が上がらなかった。仏教関係も貴族中心に教えを説いていた。平安時代は12世紀末まで続いた。終わった年は1185年とも、1192年とも言われている。後は武士中心の政治・社会体制になった。13世紀前半から半ばに掛けて活躍した親鸞上人は最低身分の人たちにも教えを説いた。人権思想の明らかな萌芽である。

  足利氏が(日本の事実上の国王である)将軍に就いていた時代の1485年から8年間、山城と言う地で庶民による一揆があり、一人一人が大事にされる社会を作ろうとした。果ては弾圧されたが、人権思想がすでに日本では草の根レベルで存在した事実でもあり、注目しなければならない。

  以上の少し前の頃から日本では戦国時代。戦争を命じる人たちは人権を意識していたら何もできないが、それでも民衆に対して良い政治をする領主でないと逃げていくから、民を大切にする気風も生まれていった。でも、大勢は人権軽視。戦国が終わった後、豊臣秀吉が中国を手に入れようとして、そのための朝鮮出兵。勿論、人権などは全く考えない行為であった。朝鮮の人たちの事はもちろん、そこに行く日本兵たちの事も。

  江戸時代になり、平和にはなったが、同時に大宝律令以来の身分制度を再構築した。差別で人々は縛られた。それでも、5代将軍綱吉は1687年に生類憐れみの令を出した。最初は捨て子の救済や高齢者、身体障碍者の福祉政策を実行して評判も高かったが、同時にそれを全ての動物にまで広げたから、魚も食べられなくなり、問題化した。福祉政策を行なったのは当時としても非常に優れていたが、反面、まだ人権思想が具体的に出ない時代だったので、情中心のものとなり、動物まで広げた点が限界だったと思われる。

  それから約100年して、今の山形県に当たる米沢という所に上杉鷹山という領主が現れ、民の声を聞き、民衆本意の政治を行ない、後にアメリカのケネディー大統領が絶賛した話は有名である。

  以上、見てきたが、はっきりとした形ではなくても、日本にも人権思想に通じるものは太古からあった。そこに僕は日本人・日本民衆の誇りを改めて見出した。歴史を見て良かったと思う。次は幕末から1945年の時点を見てみたい。

明治維新以前の日本の人権の歴史

2015-06-08 13:36:58 | 日記
  「人権」が社会や生活を見る上で、非常に重要である事が近年の僕も判ってきたが、ここで日本の人権の歴史を振り返ってみたくなったので、今日は日本の近代開始である明治維新(1868年)以前の歴史を大まかに見てみたい。

  日本という国家の枠組みが整ったのは701年の大宝律令制定だと言われている。当時の中国=唐の法律制度を取り入れ、日本風に変えて、作られたわけである。そこで身分制度も作られ、日本特有の封建社会の基礎が生まれていったようだ。反面、759年に成立した万葉集は天皇から庶民まで、あらゆる人たちの作った詩が載せられており、身分の低かった人たちも日本では尊重されていた事がうかがえる。(大宝律令以前にも、聖徳太子が憲法を作ったが、本題から逸れる為、ここでは取り上げない)

  794年から平安時代が始まった。長い平和であり、貴族中心に文化が非常に栄えた。反面、庶民は多くが農業に従事し、貴族たちに搾取され続けた。又、貴族も、庶民も非常に複雑に身分に分類され、一つ上の身分の人たちに頭が上がらなかった。仏教関係も貴族中心に教えを説いていた。平安時代は12世紀末まで続いた。終わった年は1185年とも、1192年とも言われている。後は武士中心の政治・社会体制になった。13世紀前半から半ばに掛けて活躍した親鸞上人は最低身分の人たちにも教えを説いた。人権思想の明らかな萌芽である。

  足利氏が(日本の事実上の国王である)将軍に就いていた時代の1485年から8年間、山城と言う地で庶民による一揆があり、一人一人が大事にされる社会を作ろうとした。果ては弾圧されたが、人権思想がすでに日本では草の根レベルで存在した事実でもあり、注目しなければならない。

  以上の少し前の頃から日本では戦国時代。戦争を命じる人たちは人権を意識していたら何もできないが、それでも民衆に対して良い政治をする領主でないと逃げていくから、民を大切にする気風も生まれていった。でも、大勢は人権軽視。戦国が終わった後、豊臣秀吉が中国を手に入れようとして、そのための朝鮮出兵。勿論、人権などは全く考えない行為であった。朝鮮の人たちの事はもちろん、そこに行く日本へたちの事も。

  江戸時代になり、平和にはなったが、同時に大宝律令以来の身分制度を再構築した。差別で人々は縛られた。それでも、5代将軍綱吉は1687年に生類憐れみの令を出した。最初は捨て子の救済や高齢者、身体障碍者の福祉政策を実行して評判も高かったが、同時にそれを全ての動物にまで広げたから、魚も食べられなくなり、問題化した。福祉政策を行なったのは当時としても非常に優れていたが、反面、まだ人権思想が具体的に出ない時代だったので、情中心のものとなり、動物まで広げた点が限界だったと思われる。

  それから約100年して、今の山形県に当たる米沢という所に上杉鷹山という領主が現れ、民の声を聞き、民衆本意の政治を行ない、後にアメリカのケネディー大統領が絶賛した話は有名である。

  以上、見てきたが、はっきりとした形ではなくても、日本にも人権思想に通じるものは太古からあった。そこに僕は日本人・日本民衆の誇りを改めて見出した。歴史を見て良かったと思う。次は幕末から1945年の時点を見てみたい。

明治維新以前の日本の人権の歴史

2015-06-08 13:36:23 | 日記
  「人権」が社会や生活を見る上で、非常に重要である事が近年の僕も判ってきたが、ここで日本の人権の歴史を振り返ってみたくなったので、今日は日本の近代開始である明治維新(1868年)以前の歴史を大まかに見てみたい。

  日本という国家の枠組みが整ったのは701年の大宝律令制定だと言われている。当時の中国=唐の法律制度を取り入れ、日本風に変えて、作られたわけである。そこで身分制度も作られ、日本特有の封建社会の基礎が生まれていったようだ。反面、759年に成立した万葉集は天皇から庶民まで、あらゆる人たちの作った詩が載せられており、身分の低かった人たちも日本では尊重されていた事がうかがえる。(大宝律令以前にも、聖徳太子が憲法を作ったが、本題から逸れる為、ここでは取り上げない)

  794年から平安時代が始まった。長い平和であり、貴族中心に文化が非常に栄えた。反面、庶民は多くが農業に従事し、貴族たちに搾取され続けた。又、貴族も、庶民も非常に複雑に身分に分類され、一つ上の身分の人たちに頭が上がらなかった。仏教関係も貴族中心に教えを説いていた。平安時代は12世紀末まで続いた。終わった年は1185年とも、1192年とも言われている。後は武士中心の政治・社会体制になった。13世紀前半から半ばに掛けて活躍した親鸞上人は最低身分の人たちにも教えを説いた。人権思想の明らかな萌芽である。

  足利氏が(日本の事実上の国王である)将軍に就いていた時代の1485年から8年間、山城と言う地で庶民による一揆があり、一人一人が大事にされる社会を作ろうとした。果ては弾圧されたが、人権思想がすでに日本では草の根レベルで存在した事実でもあり、注目しなければならない。

  以上の少し前の頃から日本では戦国時代。戦争を命じる人たちは人権を意識していたら何もできないが、それでも民衆に対して良い政治をする領主でないと逃げていくから、民を大切にする気風も生まれていった。でも、大勢は人権軽視。戦国が終わった後、豊臣秀吉が中国を手に入れようとして、そのための朝鮮出兵。勿論、人権などは全く考えない行為であった。朝鮮の人たちの事はもちろん、そこに行く日本へたちの事も。

  江戸時代になり、平和にはなったが、同時に大宝律令以来の身分制度を再構築した。差別で人々は縛られた。それでも、5代将軍綱吉は1687年に生類憐れみの令を出した。最初は捨て子の救済や高齢者、身体障碍者の福祉政策を実行して評判も高かったが、同時にそれを全ての動物にまで広げたから、魚も食べられなくなり、問題化した。福祉政策を行なったのは当時としても非常に優れていたが、反面、まだ人権思想が具体的に出ない時代だったので、情中心のものとなり、動物まで広げた点が限界だったと思われる。

  それから約100年して、今の山形県に当たる米沢という所に上杉鷹山という領主が現れ、民の声を聞き、民衆本意の政治を行ない、後にアメリカのケネディー大統領が絶賛した話は有名である。

  以上、見てきたが、はっきりとした形ではなくても、日本にも人権思想に通じるものは太古からあった。そこに僕は日本人・日本民衆の誇りを改めて見出した。歴史を見て良かったと思う。次は幕末から1945年の時点を見てみたい。