9月に入ると蚊の襲来より蚋と虻のお出迎えが増える。蚋は日陰や曇天時に多く現れるから、炎天下作業の多い時期は水見回りの時に悩まされる。しかし補虫網を携え見回りするようになってからは捕獲が容易になって「九月蚋い」は減ってきた。
しかし虻となると話は別物で、駐車した時点から数匹が車体に取りつく。この時点では車の輻射熱に反応しているだけなのだが、一段落すると人体に目標を変えてくる。日向の作業中でもしぶとくまとわりついてイライラさせられる事この上ないのだが、作業中に補虫網を携行する気にもならず、到着した時点で捕獲できる個体は捕獲する。
その後の処理は父が行っていた通りを踏襲し一件落着となるのだが、父の場合、農耕用の牛に群がる虻や刺し蠅をハエ叩きで軽く叩き落とし、翅を千切って地表に投げる事をしていた。残酷のようだが家族同然の農耕牛を吸血するなど許せない気持ちだったのだろう。
牛はと言えば尾を振り追い払おうとしても多勢に無勢で、身体の各所に尾が届く訳でもなく、取りつかれたヶ所の皮膚を震わせるくらいが防衛策なのだ。大陸間弾道弾にアラームを鳴らすのと大差ない。
そんな体験が今になっても虻を捕まえれば翅を千切り地面に放つ。おっつけ蟻の食料となるであろうが、こういう感覚が「憎しみの連鎖」につながっていくのかも…。虻や蚋との関係の中にも人の業みたいなものがかいま出る。