トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日の素労風努「ごどもどき小雪漬け」

2024-01-31 | 何よりの楽しみ

 師走に作ってみた「ごどもどき小雪」と言うか「AI小雪」と言うべきか、ともかく発酵材てんこ盛りの一品を納豆の粒が少々邪魔なのでフードプロセッサーに掛け流動状態に仕上げた。これでパンに塗ったりソース代わりに使ったりし悦に入っていたけれどさすがに数カ月もとっかえひっかえ作って食していたら飽きが来て減らない。熱いご飯にニョロニョロと載せればとろろご飯か納豆ご飯状態で美味しいのは美味しいのだが続けていれば飽きが来る。続けていなくても秋は来る。

 別口の用途をつらつら考えていて浮かんだのは「肉を漬ける」事だった。低年金高齢者ともなればナニは言うまでも無く嚙む力も弱くなるが、咀嚼を減らすと唾液腺ホルモンが分泌されず老化が進んでしまう。で、美味しく咀嚼し噛み続ける様にすれば良いのだが、今度は誤嚥のリスクが高まってしまう。ご縁禿は若き日のみぎり、確か一回だけ経験したように記憶しているが二度目は願い下げだ。とは言え光頭となり後光輝く頭部となった現在、それは全くの杞憂であって、そういう杞憂が全くなくなった現状は、それはそれで寂しいし侘しい。

 さて腰痛養生中の身では立ち姿の方が楽だからいきおい台所でウロウロする時間が増える。そこで渡りに船、美人から相合傘、と妄想のあげくお肉の両面に塗りたくり冷蔵庫で一晩おき、翌日焼いて食べて見たのだが確かに軟らかくなる。どちらかと言うと「肉」とは思えない口の中での崩れ様なのだった。それでも効果は理解できたから分厚い神戸牛のステーキで試したかったのだが低年金では分別が無い事になる。ここは「耄碌してはいない証明」で固い肉、干し肉は手に入らないし筋肉は店頭になかったから砂肝を選択した。

 砂肝は半分になって内容物は取り除かれていたからそのまま漬けるのでも良かったけれど漬かり易さを考慮して更に半分に切って漬けてみる。これも冷蔵庫で一晩置いてからそのままバターで炒めてみた。フライパン加熱では水分が飛ぶから多少は硬くなるだろうと予測していたのだがコリコリ感は残りつつ漬けない砂肝より軟らかになった。隠し味に醤油を数滴垂らしたのだが、そうしなくても十分に味わえる状態だった。調子に乗って竜田揚げにソース代わりに掛けて食べたのだが、これはこれで食べられる。しかし、この頃の小生、素労風努に飽きて来たのか市販のソースの旨さに開眼して押しが変りそう・・・。まあ、歳も歳だし恥も外聞も気にせず分析すれば浮気性と言わずばなるまいて。そう、三つ又の魂、百まで変わらず!。フイールドのミツマタは葉が低温障害で哀れな状態だけれど満開に見える。でも日陰なので虫たちは見えない・・・。


*澄むと濁るの違いにて

2024-01-30 | 感じるままの回り道

          アカハタは赤肌見せて船の上

          悪女とは悪所ばかりじゃなかったわい

          悪しカラス頭下げ下げ悪しからず

          あしたから足駄を履ける中学生

          明日刈ると鎌を預かる暮六つ

          人溢れ今日も仕事にあぶれたり

          甘酢漬けそんな出来では余すすけ        


ニホンアカガエル産卵

2024-01-29 | 小父のお隣さん

 28日、ようやく卵塊を発見した。最初のトンボ池は夜間、水鳥の活動でゴタ濁りだったから見出せなくても「仕方がない」と濁りを見た時点で思ったのだが、とりあえず観察だけして帰ろうと水面を眺めたら割合大きな卵塊が見えた。浅めのところではなく浚渫した深めの場所だったからソフトノール大だったら見逃す所だった。しかし一方、ニホンアカガエルがこんな巨大な卵塊を産むか、と疑問に思ったのも事実なのだが他に卵塊を産みだす生物もいない。

 他の水域にも産卵している可能性も否定できないので全域を見回ったのだがリザーブ水路に一卵発見できただけであった。まだ初期の段階だしヒキガエルのような一斉産卵はまず無いのである。リザーブ水路の一卵は水も澄んでいる浅瀬と言う事もあってテニスボール大の卵塊がはっきり見えている。泥水池は全て濁っており発見し難い条件であるけれど水位が卵塊が浸る程度しかないのでこの日の様子では産卵無し、と思って差し支えないだろう。ところで正確な産卵日は何時なのか特定できなかった。25日に見回りして卵塊無しは確認済みで、翌26日と27日は出かけなかった。

 26日は最低気温がマイナス2℃となり曇天状態で、腰の冷えるのを恐れ腰が引けた。27日は図書館やホームセンターに用事があってフイールドはパス、そんな事から26日から28日のどこかで初産卵したのは確定だけれど、大雑把に言って1月下旬の暦通りだった事で済ます事にする。まずは祝着至極なのである。それにつけても腰の弱さよ・・・。

     


…のはずだった・・・

2024-01-28 | 小人閑居して憮然

 腰痛が長引かなければ…年末年始に風邪気味にならなければ…暮にきつい作業を続けなければ…全ては後の祭りである。現実は今日が祭りの当日でこの時間では外は真っ暗闇だけれど天気予報では空模様の心配はない。真っ当なれば前日に車載して今頃は早めの朝食、となる塩梅のはずなのに何とも情けないキーボードを撫でているのである。

 自宅内に作業場所など無いウサギ小屋住まいであるから粉塵の出る木工作業は軒先で行うのだが冬場は寒いから気温も上がり日射の届く時間帯で風もない日、となると限られる。いきおい大方の加工は秋口までに済ませ年末年始は室内で仕上げや調整を行うのが通例だった。それが秋口から今回は全くできず構想さえ決まらなかった。とは言え昨年までは中止だったのでその分のストックが残っており、これを並べて販売・処理する積りだったのが頓挫した。昔の古巣へ届けても構わないのだが既に同じものは届けてあるしまあ、これはこれで次回に回すかどこかで処理しなくてはならなくなった。

 単純な切り出し加工の玩具ではない多少は毛色の変わった玩具を製作したいけれどストックしておいた材料は既に尽きたし、ホームセンターの資材では気に入らないし、玩具ではなく頑愚になってしもたのである。

     


今日の素労風努「コーンミルク羊羹に梅花茶」

2024-01-27 | 何よりの楽しみ

 腰痛と言うだけで何と行動制限が掛かるものかとぼやきたくなる日々であるのだが、辛抱するしかないのだった。フイールドでの作業は落ち葉掻きさえ出来る身体ではなく、それでもニホンアカガエルの産卵期に入ったので数日おきには巡回に行く。既に紅梅・白梅とも開花していて「寒波でも匂い起こせよ梅の花 お爺居ずとも春を忘るな」と名句を詠った次第である。まあ、耄碌・妄想・妄言は三大兆候であるからして腰痛からくるバイアス下では痛仕方ないのであった。この梅花を見ながら思った事は当然風流、いいえ食欲であって梅花茶を初体験する事にしたのだ。

 とは言え、梅花茶だけでは侘しさがつのるだけ、そこでお茶うけに羊羹を添えてみようと室内徘徊中の有り余る時間を利用して「コーンミルク羊羹」用意したのである。コーンは冷凍品一袋、甜菜糖は1割相当、これに粉末寒天を用意してフードプロセッサーで微塵にしようとしたものの流動性が不足して内壁にくっついて刃に当たらない。仕方が無いので牛乳を入れつつ粉砕したのだった。レシピをどうしようか迷ったものの、寒天の説明書にあったレシピを模倣して材料配分を決めた。

 水の代わりに牛乳を使い寒天を溶き交ぜ、その間に流動化させたコーンをレンジて加熱、熱々のコーンを寒天溶液に混ぜ一旦沸騰させてから冷やし容器に入れた。一晩、そのまま冷蔵庫内に置いて翌日の昼食時のテイータイムに使ったのだ。

 梅花茶は梅干しの香りで、口に入れても美味しいと感じる程でも無し。これはこれで二度目は無いけれど焼いた梅干し茶の方が嗜好に合う。コーン羊羹は硬さが不足してプリン程度の固さだったけれど固さは好みの問題で味わいは「二度目はあり!」であった。微塵にしたつもりだったものの外皮の部分はまだ粗く残っている。それでも砂糖を押さえた事で濃厚コーンの味を堪能できたのだった。今回は梅花茶に添えたのだが次回はラクラカー茶に添えてみよう。


そろそろ産卵期である

2024-01-26 | 小父のお隣さん

 ニホンアカガエルの産卵期になってきた。過去の記録では1月中の産卵は普通なので期待しつつフイールドに行く。腰痛養生中なので見回りして帰宅するだけのお付き合いだけれど今期の卵塊は100を超えるかどうかが現在の注目点だ。水域を一通り丹念に注視して回ったけれど発見は無し。

 トンボ池の環境が好まれるので最初に回るのだが産卵はまだだった。産卵床の整備と称して環境に介入したことがどう反映するかが気になる事でもある。護岸のために泥浚いして盛った穴埋めに中央部から泥を寄せて浅瀬を用意したけれど改めて眺めると凹凸も多く少々浅いかなあ、と言う感じもする。レーキで均した方が良いのかどうか、もうすぐ産卵されるとすれば悪戯に引っ掻き回さない方が良い感じもして、さーて如何しよう…。

    

 トンボ池脇の通路に開花していた菜の花に虫が居た。ミツバチかと思って眺めたけれどミツバチではなくハエやアブの仲間のように思える。花粉か蜜かは知らないけれどカメラの接近にも頓着せず活動していた。成虫越冬するチョウ類の蜜源になるかどうかと思いつつ花菜の種をばら蒔いて置いた内、何本かが開花してくれた。播種の時期が遅かったから致し方が無い大きさではあるが畑に育つような扱いをすると食用に摘まれてしまうのが例年のお約束だ。


リンゴの整枝剪定

2024-01-25 | 今日は真面目に

 家庭菜園と言うほどの努力もしないのだが、いわゆる放任状態の林檎樹二本、実成りより立ち枝の数が多いような樹になっているがそれはそれ、断捨離も出来ず、かといって終活の一環としての処理も致しかねる。だからと言って邪魔にしている訳でも無いけれどまあ、季節の作業を行える指標樹みたいなもんか・・・。

 腰痛が改善せず、寝たり起きたりの日々とは違って立ったり座ったりの日々、座姿勢はどうしても腰痛が出る傾向にあるから日長一日、半分は室内徘徊状態だ。そんな日々に飽き飽きして寒中であるけれど今期最大寒波の前触れがあるものの気温が少しばかり上昇し始めた昼前にチャッチャッと選定を済ました。付近にウグイスは居ないから地鳴きは聞く術も無いものの、爺泣きはよく耳にするわい。

 さて現在の小生、柔軟敏速な姿勢や動きは出来ないので高枝切りで整枝剪定を行ったのだが剪定より地表に散乱した枝を集め始末する行為が辛い。袋に詰める作業は箒やガーデンレーキではできない。集めた切り枝をしゃがんで袋に入れるのだけれどこの姿勢が辛かった。立ち上がるのも竹箒を逆さまにして杖代わりである。まあ、寒風吹く中の作業であったが腰への影響は無かったようでまずは一陽来復いいえ、一腰回復、近づいた⁉。

 ➡  手元から離れた切り方なので丁寧さの欠片も無いが終了。これでいいのだ!


鉢植えのキジョラン

2024-01-24 | 蝶の食草園

 生育の良かった二鉢は晩秋にフイールドへ定植した。残った三鉢のキジョランは2~3本植えなのだがどれも生育が悪くて晩秋に定植できなかったのである。深鉢が足らず間に合わせに使った少し小振りの容器に臍を曲げられたのかまでは曲解しないけれど気難しい植物である事には変わりがない。

 当地郊外にも株数は少ないのだが野生のキジョランは存在しており採種できる株もあるのだが、わざわざ出かけなければならないので採種まではやったことが無い。フイールドでの野生種については「昔はあった」とS先生はおっしゃるものの、なにぶん若い頃の話で現段階での存在状況は不明だ。だからこそフイールドでの育生に手間をかけるのだが未だに太い蔓に生育した株も無く、15年以上の維持管理してきた株でも開花さえしない。繁茂し葉数を増やさないと幼虫の食料が足らないと言う事だけでなく発見されやすく狩られる機会も多くなってしまう環境のままで越冬する事になる。今期も定植株には10卵ほど数えたのだが現在では見回りで視認できる範囲の葉には一頭も幼虫は確認出来なくなっている。

 まあ、一説では3000卵の内、幼虫は300,蛹化体は30、羽化成虫は3、とも言われる世界なので気にしてもしょうもないのである。せいぜい、せっせせっせと株と葉数を用意しておくことぐらいしか小生に出来ることは無い。

     


大寒群泳!

2024-01-23 | 小父のお隣さん

 今冬になって、と言うより年が明けてから数日だけだがタナゴの遊泳する姿を見ている。と言うのも寒中に姿を見たことはかってない事なのだ。撒き餌を与えれば寄って採餌しているし、そもそも餌が欲しくて隠れ場所より現れたはずなのである。経験内だと水温むお彼岸頃にようやくポツポツと姿を認めるようになるのが通例だったけれど、やはり異常気象の結果なのかどうか・・・。

 人工餌を与えずとも池内の藻や微生物で餓死はしないだろうがウオータークリーナーを稼働させているので水が澄み過ぎているきらいはあるから給餌は欠かせない。産卵用母貝は野池で養生越冬中だけれど今期の底砂は軽石砂に替えてみるつもりですでに用意をし水槽内に沈殿させている。軽石成分は沈降し難いので新しい軽石ではなくある程度は水中に晒し中和させつつ微生物を侵入させて比重を上げたい。この事で今までは魚溜まりの川砂の中で産卵期だけ生活させていた母貝を、引き上げ管理しやすい育苗箱を使った砂箱に替える。これで夏場、避暑池に戻す時の確保が楽になる。

 今までは魚溜まりの川砂の中で自由に潜っていたのを引き上げやすい箱内飼育とする事で探す手間も見失って餓死させてしまうリスクも減らせると思ったからである。軽石砂の比重は小さいから二枚貝自体にとっては「身の置き所感減少」という感覚を与えてしまう事になるものの、昨季も避暑池に移す際、大きな1枚を取り忘れ餓死させてしまった。二枚貝が入っている池でウオータークリーナーを稼働させると水中の餌を減少させる方向にも作用するから貝用の給餌も欠かせず「すべて引き上げた」と思い給餌をせずにいると数カ月ほどで餓死する様なのだ。今期は曝気だけでウオータークリーナーを稼働させない環境で産卵期飼育する積りだから、これはこれでリスクになるなあ。

 今期、タナゴの繁殖は出来るだけ自然状態での繁殖に近づけたいので池の中の藻場も増やしている。藻は金魚藻を増やしたかったけれどカワニナの大好物の様で成長する前に全て食い尽くされていく。ペットショップには外国産の藻もあるけれど基本的には国産種で環境を整えたいと試行錯誤しながら定着したのがマツモだった。しかしこれの繁殖力は強くて夏場は間引きしなければならないほどの繁茂力旺盛さを示す。仔魚が現われる頃の繁茂量は今期の課題だ。クリーナーを稼働させなければアオミドロの抑制は出来ないし、稼働させれば仔魚が吸い潰される条件になるし、安定環境までには紆余曲折の予感が大である…なんである。

     

     


今日の素労風努「あぶく立てた煮え立てた。煮え立てさせて出来悪い」

2024-01-22 | 何よりの楽しみ

 基本は郷土の料理だけれど・・・。ゼンマイの煮物や晒しエゴ料理、はてまたおぼろ豆腐にアマンダレ汁などは冠婚葬祭の定番料理で、恐らく今でもお膳に並んでいるはずなのだがご無沙汰して久しいし調理を習った訳でも無いので、実態は「もどき料理」である。それでもキッチンで試食すればなつかしさが蘇って来るからまあ、回想料法としては欠かせない。

 師走の重量物運搬・据え付け作業で弱り目に祟り目、腰痛が回復しない。落ち葉掻きすら負担になって寒い時期でもあり養生する事にしたのだが湿布やお灸だけではらちが明かない。まあ、それだけきつい負担を掛けたのは自明の理であって、作業者複数で施工する内容だったが。こんな作業の物好きなど存在しない内容だからしょうが無いと言えばしょうが無かったのは冷蔵庫にも無かった事で証明できる。てなもんや三度笠、テレビ視聴で座しているのも痛くなるし立っているのが楽だからリビングや居間で立ちんぼの日々だけれど、いかにせんお手元退屈お爺になっている。そこで郷里の素労風努「ゼンマイ煮」を思い立ったのだ。

 まずは前日に100gの干しゼンマイを浸水させた。翌日に灰汁汁を捨てて新たな水で加熱は80℃程度まで。沸騰させると溶けてしまうから沸騰は厳禁である。ネット上のレシピの中には「沸騰させる」と言う記述もあったりするけれどどうなんだろうか。3回目の灰汁出しもゆっくり加熱し沸騰させないで火を止めるつもりだったのだが、録画していた映画を観ていて後方の鍋の状態を忘れ、気が付いた時には沸騰中だった。一部は崩れも見られたものの全体的には滑り込みセーフで「ヤレヤレ」の顛末となってしまった。まあ、早く言えば「失敗失敗!」なのだった。

 煮汁の工夫は鰯粉と塩昆布、バターを加えて用意した事で、伝統のレシピとは多少は異なる。レシピによってはコンニャクやニンジンを加えるけれど、小生は素材単品がお好みだ。沸騰させたため形の崩れは致し方無いとしても口の中では溶けるような柔らかさになった。しかし丸々ふっくらとしたゼンマイの姿形は望むべくも無い。それでも美味しいの一言なのだがこの一品、食物繊維がほとんどで栄養価は貧しい。菜だけで食べられる味にしたけれどご飯のお供でも絶品だけに「貧栄養食」であるし薄幸食でもある。小生の世代でも作って食する輩はそうそう居ないだろうと思っているゼンマイ煮ではある。


**右を見ても左を見ても筋の通らぬ事ばかり…

2024-01-21 | 小人閑居して憮然

        秘書が経理が還流させた

        遺憾で誤魔化す いかんなあ ハアコリャコリャ

 

        パー券疑惑者集めて本部

        刷新するのよ ほらパーパー ハアコリャコリャ

 

        のっぴきならぬで派閥は解散

        これでうやむや 皆安泰 ハアコリャコリャ

 

        解散なんてくしゃみで出来る

        釣るの一声 また派閥 ハアコリャコリャ

 

        東は分裂西では破裂

        日出ずる国は 連金師 ハアコリャコリャ

 

        バラして雲散差し替え消無

        七十五日で 元の闇 ハアコリャコリャ

 

        核心追求させない工夫

        ネズミ合作 法の穴 ハアコリャコリャ

 


寒中のツルモウリンカ

2024-01-20 | 蝶の食草園

 寒中ともなれば南国産の動植物には厳しい環境だろう。冬越しさせるためには寒冷紗で覆うなり軒下に匿うなりするのが親切な心使いだと思わぬ訳でも無いのだが、もともとが野草でもあり本格的に生育させたとしても本来の「食草」としての意義も無く、まずは「当地で越冬できる植物なのかどうか⁉」を確かめたい。そのために当冬を庭で過ごさせている。

 冬になって今のところは葉の緑色が薄くなっているけれど霜焼けなどの影響はないようで、年が明けてから最低気温0℃の時が数回あったけれどなんとか維持できている。発芽してまだ1年経過していない株であるが昨秋にはガガイモ科特有の小さな花を開花させた株もでたから四苦八苦しているキジョランの育成に比べれば性質は温厚そうに思えた。これも琉球列島産の性質に由来するのかどうかまでは判らない。

 運よく冬越し出来たらリュウキュウアサギマダラは居ない当地なので食草になる相手もいないと言う事になるけれど、アサギマダラが食草にしてくれる実態が確認出来ればそれはそれで越冬幼虫の食草が増える事にもなり多少はリスク管理が行き届きそうに思えるので、ひとまずは庭先で春を待たせる。ちなみに右下の株は先端に蕾を付けている。ツルモウリンカの生理は全く知らないのだが「年中開花」の性質があるのだろうか・・・。だとしても常夏南国原産種、「時知らず」の性質であっても何らおかしくは無いだろう。

     


囲いの中に客土

2024-01-19 | 今日は真面目に

 トンボ池の東側に囲いを設置し花粉や吸蜜用にノアザミを植えつけ二期は満足な花数が出たのだが三期目の昨季は俄然、株数が減ってしまった。理由は不明なのだがS先生と可能性を探ってみた結果「ノアザミは宿根するけれど数年株では無いだろうか⁉」というのが今のところの見立てである。自然状態で群落を形成している場所でも同じ株ではなく「数年かかって更新されている株の集まり」ではないだろうかと言うのが落ち着きどころだった。

 因みに採種し直ちに直播し育苗すると翌年には定植できる大きさになる。定植した年の開花は望めないが翌年には開花株になれる性質を鑑みると結論は正しい方向を向いていると思えるのだ。だからこそ今期は期待して昨季は採種し育苗し秋には定植したのだがそれが冬を迎えてから威之志士様の跋扈蹂躙に遭い続け補植した株の大半は消えてしまったのだ。その穴埋めをするべきポット苗は既に無く、当然ノアザミの開花株は囲い4枠の半分ほどに大減少してしまった。まあ、今期のノアザミの群落は望み薄だけれど掘り起こされ失った表土の補充はしておかねばならない。

 つまりはてなもんや三度笠で、浚渫して一夏経過した土を用土として運び入れたのである。埋め立てするだけなら浚渫し立ての泥土で構わないのだが用土になるかと言えばそうはならない。端的には「土壌」状態では無いので泥に等しいまま入れ込むと水や空気の流通も悪く粘土状態なままで経過する。これではうまく育たない。浚渫土は一旦は半年か1年程度風雨にさらし、勝手に生える植物の凌駕するままにしておくと土壌として使える様になる。こういう事のテキストなんて無いので、つまりは試行錯誤の結果でもある。

 しかしながら、こういう風に既存の土と異なる土を入れると早速のご来客があって、数日も経たないうちに掘り返されるのだ。今回、客土した範囲の中に開花株もあるから、更に被害が拡大するのを防ぎたくて竹酢液を噴霧しておいた。まあ、気分・効果半々程度だけれど何もしないよりは安心なのだった。ボチボチ作業ではあるものの、寒い時期にこんな事を続けるか腰痛が治りにくい。フイールドの手当てはしても自らの身体には手当てが薄い。その一方で自らの懐への手当てはなりふり構わず、フイールドにはとんと関心が無い口三つの寄生主の多い事よ。

     


今日の薄幸食「キリタッポギ ボロデッセ」

2024-01-18 | 何よりの楽しみ

 たまたま見る事になった韓国製ドラマ。日本製のドラマは予告編だけでも判るように押しなべて「泣き喚き・いがみ罵り・喧嘩暴力」で構成されている感覚なので小生はほぼ視聴しない。大昔、ある賢人が「だから素人でも出来る」とかなんとかおっしゃいましたのちじれっけ、と記憶しているが未だにそうなので人材は薄いのであろう。

 さてそれはともかくドラマの中で度々食べる場面がでてきた「トッポギ」とは何ぞや⁉と興味が湧いて調べてみた。小生の痴性ではキムチとナムルくらいしか理解していないし食べた事も無いのだ。まあ、分かったのはご飯を潰して作った現代ではごく普通の食品と言う事であった。早く言えば「キリタンポ」の類いに見えた。別の時代劇では串にさして焙っているのもあったのでほぼキリタンポの同類と観て差し支えないだろう。そんなことから「一度は食したい」と思ったのだが並べてあるショーケースは思い出せないしとりあえずは棚上げしていたのだったが…。

 たまたまタイマーで炊き上がった炊飯器の前に立ったら突然と脳裏に閃いたのは「そうだ、このまま試食に走ろう」と言う事で、早速すり鉢と竹串を用意してご飯を潰す。しかしそこは初心者の哀しさ、ぶっつけ本番の情けなさ、棚や冷蔵庫を眺めまわしてもトッポギの類いに使える素材など皆無だったのだ。せめてキムチでもあればと思ったところである訳もなく、毛髪を抜き息を吹きかけようとも毛髪も無い、無いない尽くしでは何ともならずツクシンボも出る訳も無い寒の内ではタチンボするだけであって、そうあって欲しいのは沈没して既に長い。それでも回路を繋ぎショート寸前でポロネーゼの一袋が目に留まった。「よし!いくぞー、これで晩飯にありつける」と一膳落着したのである。

   ➡  

 こういう構成で膳を作るなど薄幸食の極みでもあるものの、一方ではコスモポリタンでなければ到達しえない境地でもあろう。とは言え小生、市街に出る事さえままならない身の上ではコスモポリタンとの自称は出来ず踏ん張ったら「ボヘミアン」に変換できたのだった。これなら納得の自称だ。で、今日の薄幸食は主皿が「キリタッポギ ボロデッセ」、小鉢は菜の花と花かつおの佃煮・梅肉和え、汁はキノコの納豆汁で、常識的にはありえない取り合わせなのだろうがそこはそこ、ボヘミアンである小生であるからして食のコスモスを実現させたのである。☆三つはとても無理だけれど「よし」二つは十分自称できよう。こんな風に食べ物で遊んでしまった夕食…被災地の皆様には申し訳なし。番組でみた「スープに浮いたトッポギ風」にはとても遠いものの、半殺しご飯を焙った食感は素晴らしい。そんな事で本物のトッポギを求めてショーケース巡りもせにゃならん・・・。既に枯山水の境地とばかり思っていたのに不生不滅いいえ、不肖不滅だった。

      


水際部の規制線

2024-01-17 | 水辺環境の保全

 先だって、トンボ池のカエルが産卵床として使い続けてくれる一画の水際を守るために丸太二段に重ね浚渫土を盛り込んで丈夫に設えたのだが立ち位置から水面までの高さが出来てしまったし、カエルや卵塊を覗きたい場所の足元が良くなっては更に傷みが進みかねない。そこで囲いの中でデカい態度をしていたフジバカマの根塊を茎付きで移植したのだ。更にトラロープ、これは従前から設えてあったロープだけれど刈り払いの時に切断されてしまい補修もせずに埋もれた物を再雇用してみた。

 最前列は太目の丸太の二段重ねその後ろは浚渫土だがその中に大きなフジバカマの根塊を据えて生垣状にして、更にロープで規制したから水際の規制線としては十分すぎる設えになった。当初から、ここまでの設えにする予定など無く、単なる草地の斜面でと考えていた部分だけれど現実の損傷を見続ければやむを得ない無駄な作業も必要となるのだった。育てる事に傾注するのではなく被害を抑える方向に傾注しなければならないなんて本末転倒だとは思うけれど、それを嫌がっているとフイールドの荒廃は更に進む。設える事での荒廃もあるのだがやらざるを得ない道草も喰わねばならないのだった。

           いやいやの傍流無ければ筋も無し てなもんや三度笠