トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

泥水池1と2の抜去除草

2020-04-30 | 水辺環境の保全
 トンボ池の除草を終え、ここも水面を覆い始めたイネ科の除草をする。昨秋、取り切れずに残った株から繁殖していて、このままだと水域全体を覆いかねない、と言うより覆ってしまうのが必然なのだ。名前は「キシュウスズメノヒエ」だったか、ランナーで驚くべき速さで侵出する勢いがあるからいつも劣勢な小生だ。
 それでも適期抜去を行わないと水域環境が悪化するから避けて通れない。まっこと因果な水商売である。「こんな私に誰がした・・・」と思ってみても、すべては自分に還る因果律なのだった。

 手取りが確実なのだけれど、連日の疲労が抜けていない。そこで少しでも楽に作業を行うために「貝掘り熊手」を2mのパイプに接続した抜去熊手で作業をする。この手の植物は細かい根株なので熊手の先端に良く絡まってくれる。株もとに打ち込み柄を肩にかけて摺動させれば根株が緩んでくれて一株ごとだが抜きやすい。水域を覆う草が無くなるとアオコの流出が促される。アオコが覆っていても何の寄与も無いのだから流出させる環境を整えるのも大事なのだった。
 抜いた株は近くに積み上げて、抜き取り作業が終わってから引き揚げて窪みに投棄する。これで多少とも窪みが埋まり刈り払い作業も楽になっていくはずなのだ。

 「猪走りの解消」からトンボ池の除草、泥水池の除草と続き、いささか疲労が溜まった感がある。温泉にでも行き打たせ湯でもしたいところだが世間は「ニューコロナ」で外出も移動も抑制せねばならない。小林旭だったか車名を盛り込んだ歌が浮かんできた。…世間並みだが古い記憶はしっかりと蘇り、先ほど食べた食事の内容は留まらぬ。まあ、記憶するほどの中身ではないのも確かなのだった・・・。

         泥水池1  ➡           泥水池2も除草 

ころな百人一首(抄)

2020-04-29 | 温故痴新
新ころな光のどけき春の日にしず心なし花のちるらむ       紀友則

あきらかに腹の決まらぬ会見の百言ばかり憂きものはなし     壬生忠岑

このたびは壇とりあえず手向けなく閉じし袋で神のまにまに    菅家

世をみればちぢに物こそかなしけり老若男女じしゅくの日々は   大江千里

わが今はうわさの立つ身しかとされころな間者と人はいふなり   喜撰法師

総看護あれよあれよといたづらに死への転帰はながめせし間に   小野小町

これやこの逝くも還るも別れては知る者もなし救命の関       蝉丸

罹患した後の心にくらぶればむかしは物を思はざりけり       権納言敦盛

八重チューブしげれる部屋のさびしさよ見舞いなきまま来迎図なる 恵慶法師

咳しつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しと君は知るらん    右大将道綱母 

タゴガエルの産褥期!?

2020-04-28 | 小父のお隣さん
 絞り水が道路を越えて駐車場を侵すので乾燥しない。これでは車の乗り入れと威野志士様の跋扈蹂躙で泥濘化してしまう。そこで帰宅前の時間を使い小さな水路を埋めた土砂を取り除いた。これで絞り水が流れ込まないので乾燥化が促されるだろう、と思った矢先にカエルが現れた。アカガエルに見えたのだが体形が丸い。周囲ではタゴガエルが鳴いているし、これは間違いなくタゴガエルだろうと思ったのだった。

 手に取ってみると異様に腹部がブヨブヨなのだった。それでこの個体はメスで産卵を終えたばかりだったのかと思った次第だ。林道擁壁上の絞り水の出ている横穴にタゴガエルが入っているのは鳴き声や水面の波紋でそれと知れるけれど、カメラの先端を差し込んでもどうしても撮影できなかった。懐中電灯で照らせば頭くらいは見えるだろうと思いつつ果たしていない。
 今期のタゴガエルの鳴き声は例年になく広がりを見せていて、個体数が増え広がりも納得できる様相だ。このフイールドに入った当時は林内作業で出くわす程度で鳴き声さえも珍しかったのに、変われば変わるものである。

                 

三密は不可避なフイールド・・・

2020-04-27 | 小人閑居して憮然
 泥水池の最終部、もう「池」とは呼べない水溜りになった№5。オーバーフロー部の仕切りの下に拳が入るほどの穴が開いて水が突っつ抜けになっている。オーバーフローした水流は傾斜路を50mほど下り、沢の流路へ注ぐ。それがこのオーバーフロー部の外側で潜り水となって傾斜水路の下方で現れるようになって半年余りなのだった。

 地下水路の長さは長く高低差もあるので全壊させる事は叶わずとも「オーバーフロー部の改修を行わねば・・・」と考えていた矢先の事態である。漏水孔は深く穿孔しているであろうことは間違いないし完治など難しいフイールドの特性があって、今回も予想はしていたが着手して「ああ、大事だ!」と感じてしまった。
 オーバーフロー部の水位を決めていた木材を外すと、その下に河原のような石ころだらけの空洞が横方向に広がり奥には漏水孔が下降していた。

 フイールドの地質学的の歴史は扇状地であったり汽水域であったり、とにもかくにも河川と海の産物地帯だから砂利層、礫層、粘土層と混在し扱いにくい水域保全を強いられる。
 この範囲の地質は粘土質の下は礫層だったが、鶏卵大からテニスボール大程の流れで摩耗した石が詰まって万石繚乱だ。これでは駄々洩れ百%保証のようなもので、この既に長期にわたった潜流で礫層が露わになり漏水を止めるのは厄介であることは一目瞭然、ため息しか出てこない。しかし眺めていても自然治癒・修復する訳もなく「帰宅前の水見回り」したばっかりに、断水を解消したのが昨日だったというのに、孤立無援の姥捨て山である。

 とにかく漏水部をあらわにし手当の方途を考える。礫層なので杭は効きにくいのは承知でも土嚢だけでは安定しない。区画で構成しないと防壁にはならないのだ。最終案も浮かばないけれど、とりあえず漏水孔の発生した部分に杭列で底土の流出を避ける緊急算段だけをして、この日は帰宅した。
 世間は「三密」を守るように毎日アピールされているが、フイールドだって「三密」では負けてはいない。漏水孔が多発するのはフイールドの地質と「密接」な関係があって、漏水の種は至る所、地下水路が張り巡らされているから「密集」状態だ。そこで漏水が多発し小生は「密閉」するのに天手古舞、ほんと水商売の明日は分からない・・・。
 世間は営業自粛や休業を余儀なくされていても小生の水商売は「待ったなし!」協力金も無い「怪我と弁当自分持ち」ハアコリャコリャ。

   仕切りを外すと空洞   ➡    まず土嚢一袋押し込む   ➡   杭列で応急処置

爺爺が夜なべしてマスクを作ってみた・・・解決ぞろりと参上

2020-04-27 | 今日は真面目に
 いつも借りている図書館へ返しに行ったら5月11日まで臨時休館になっていた。さーて困った、寝物語をどうしようと考えてみたけれど読書する本が無ければどうしようもない。そこでまだ少なからず残っているであろう脳味噌の皺を頼りに出した結論が「マスク作り」だった。春先の頃にコーヒーフイルターなどで作ってみたが、あれは時間つぶしの手慰みであって「これでも使える・・・」のを確認しただけだった。
 今回は眠気覚ましならぬ眠気誘導のための夜なべなのだったが、そこはそこ、いつもの悪い癖が出て終わるまで眠れなかった。

 製作したのは写真の四種類で、それぞれに個性を出したつもり。生地やゴム紐を購入に手芸店や百均にいっても品切れが多いと聞いてもいたし、改めて購入してまで作る動機も無いから捨てられなくて残してあった端切れを活用した。で、鍋の底ガーラガラ。
 この閉じ言葉は只見の従姉におしえてもらったのだが、たった一回なのに60年以上も記憶されている。無駄なことは刻まれて忘れない。そういえば「村の女は眠れない」という詩があった。これもラジオの朗読を一回だけ聞いたのだけれど暗澹たる詩だった。今なら新型コロナによる惨禍で多くの人々がそうなのだろう。

 フェルトの残りを使った一品で、裏地はどのマスクも同じバンダナ代わりに使っていた手拭いを当てた。使い込んで柔らかくなっているし、結果的にこの柔らかさが密閉度を高めてくれてるように感じた。
 フェルトの良さは密度が高くて形が崩れにくい事にあるだろう。使い心地も悪くは無かった。

 これも残り生地で、模様はわかりにくいけれど、この頃の流行りだとかいうクラウド模様だ。色合いも派手さも無く爺爺が装着しても違和感はないだろう。
 それどころか爽やかな風合いは姥捨て山のお爺でも「すてきー」とか言ってギャルが好みそうにおもえたのだが、そもそも姥捨て山にはお爺しかおらなんだ・・・人間、死して打ち止む残り火は熾きるイチゴサッテモウシタモウシタ。

 孫のチューリップ帽子やスカートやズボンに使った残り生地でアンパンマンもあったはずなのに見当たらなかった。あったなら「キャラクターマスク」二品を作ったのに少々残念である。爺が装着しても「二度童」の身の上では可愛く映るはず、間違いなかろう。まあ、世間的には「ばーか!」と思われるのは承知している。ユーモアを解さなくなった社会は終わりである、クワバラクワバラ。

 渾身の一品、本当は「耳無し芳一」に倣い般若心経の経文が印刷された生地を使いたかったのに手元になかった。そこで出羽三山山伏修行の時にお土産として買ってきた手拭いで作ってみた。伝いたい一言を収めるために少し大きめに作ってある。装着するとかえってたっぷりして落ち着く。このマスクだけは裏表とも手拭いの生地だけれど、立体感が崩れる心配はなさそうだ。そう、閉じ言葉の標準語は「越後ではそう申しましたとさ」。
 全くの余談だが「三密」は古くからあって「身・口・意」を意味する。喫緊の「三密」とは異なるけれど伝播感染は「身・口・意」と密接なかかわりがあるのは紛れも無い。このマスクを装着し手印と真言を唱えれば病魔は退散する・・・そんなことはありません!。

 まずは一通り作ってみて一件落着、落ち着いたものの就寝前の書物が無い今晩からはCDでも聞きながら眠るとするか・・・。簡単に作れる布マスクに何百億円も支出しカビ製品や汚れや虫の入った商品を2枚配布するなんて馬鹿げたことをよく考えるものだ。
 そんな金を使うなら医療現場にマスクでも送り付ける算段が出来る政治家はいないのかい・・・。「ハイ、いません」としか言えない現実は噴飯ものである。新型コロナの終息は来るだろうけれど、この寄生種はしぶとく絶える事が無いのは先師が喝破している。
 この頃はバカップルや血統筋、チョンの間が跋扈していると聞く。コロナウイルスも生きるためにそんな輩を学習するはずで「学びて時に倣う」なーんちゃって・・・。


 

今日のトンボ「イトトンボ初見」も名前がわからん!

2020-04-26 | 小父のお隣さん
 25日、泥水池見回り中、視野に影を感じた。この時期はガガンボでさえ「トンボか?」と注視する羽目になるので期待半分で視線を定めた先にいたのはイトトンボだった。初見ではあるが名前が分からない。一帯に出現するイトトンボの種類は片手で収まる程度でも判別となると小生には全く別の世界なのだ。このイトトンボ、腹節の線がはっきりしているのが気になって、その特徴から抜け出られない。地獄なんてものはすぐ傍にあるものだ。
 図鑑参照してもグダグダとらちが明かず時間潰しみたいなものだから、ついに最終兵器「写真鑑定」をS先生に押し付けよう。毎度のことながら「小僧、いい加減に覚えてよ!」とストレスを与えてしまうだろうか・・・。
                         


 そのあとで見かけたのは有色翅のアサヒナカワトンボだった。アサヒナカワトンボの透明翅も有色翅も既に見ているけれど撮影したのは今期これが初である。
 ところがアサヒナカワトンボと観ているのは小生だけかもしれないという疑念は常に付き添っている。トンボへの興味は「イヤーン某、忍某、頓某」なんてところか、てなもんや三度笠。

文旦とレモンの芳香蒸留水

2020-04-26 | 何よりの楽しみ
 先日、文旦とレモン10個を頂いた。これはもう芳香蒸留水を作ってみるしかない機会でしかない。しかし文旦一個を食べるのに2~3日かかる。その間に剝かれた皮は乾燥していく。カビさせないためのも乾燥気味の方が良かろうと笊に広げて縁台に出しておいたから使った皮の乾燥程度は様々だ。約600gになった。
 文旦の皮には白いスポンジ状の肉がある。この量は半端なく、このまま使用すると表皮より量が大きくなるし、結果として芳香成分が減ると思えたから果物ナイフで切り放した。表皮だけ、これをザク切りにして鍋で蒸した

 レモンは1kgあったが半割で鍋に並べたら7個分しか入らなかった。状態の良い残りは絞って味わう事にする。結果として蒸留水を両方とも500ml程度集めたのだが、乾燥皮の入った文旦の芳香蒸留水の出来栄えは比較できない初回の果物なので「珍し物」程度の位置づけで、レモンの方が香り高くできたというのが小生の感想である。
 蒸留終了後に蓋を開けてみるとレモンの果肉部が萎んでいる。果汁が蒸発したせいなのだが、これにより蒸留水には濁りが入った。しかしながら金柑の時みたいに糖分が多いわけでも無く、あぶく立ってチューブに上昇する体はなかったから濁りとしては弱い。

 鍋の底にも黄色く着色した湯が残って、この方が成分が濃厚なのは一目瞭然であっても入浴剤としてテストする度胸が無くて捨てた。今にして思えば「もったいない事をした」後の祭りである・・・。

    文旦はチップ状で蒸す               ➡    レモンの果汁は蒸発

 こんな贅沢が出来るのもミカン農家Mさんが惜しげもなく放出してくれるお蔭で、自分の懐で購入する事態ならこんな事は出来ない年金世代なのだ。連休前後ではミカンの花摘み、摘花があるとの事なので、この花を大量に頂ければ新たな楽しみになる。しばらくは他人の袖にぶら下がりお慈悲を頂ける事になる見込み。こうなると「喰わねどつま楊枝」なんて気どりは要らない。花を捨てて実を獲る、いいえ身を挺して花を獲るのだ・・・。

ようやく見つけたシュレーゲルアオガエルの卵塊

2020-04-25 | 小父のお隣さん
 喧噪のごとくシュレーゲルアオガエルが鳴き交わしているけれど、その割には卵塊が見えない。先日に二カ所を確認したが水面に産卵したのは崩れてしまい、降雨の夜に産卵したのは陸地で、結局はオタマジャクシ見たさに集まった人達によって跡形もなく踏みつぶされて消えた。

 今回の卵は沈泥地の畔に産んであったから踏みつぶされる心配はないものの威野志士様に蹂躙される懸念はある。小生が保護して孵化するまで管理する手間をかけるほど余裕がないので神仏の御心のままに、である卵塊だ。水中や樹上ならいくばくかでも安全率が上がると思うものの、進化の過程で水際産卵を選んだのはなんだったのだろうか。

一週間に十日来い!

2020-04-25 | 小人閑居して憮然
 こんな事態は初めてだ。もちろんかって今までもこれからも「一週間に十日来て!」なんて言う夢想妄想の事態になる事は「無い!」とキッパリ断言断定できるけれど、それは男子の末席終末に位置する小生としてもいささか哀しい事態、いいえ爺態と言うべきか・・・。
 千にひとつもない事態を妄想して「辞退しない」なんて思う事の無意味さ、妄想は無駄で出来ているから、もうよそう。

 現実は「一週間に十日来い」ではなく「10日間に4日行った」夜這いならぬ昼這いで精も根も尽き果てて、それでも漏水や断水は尽き果てる事が無い日常だ。4月14日に断水解消の強制通水を行って通水させたのだったが、18日に125mmほどの降雨があって断水し19日に再度の強制通水を行って翌日はまた雨だった。出水するほどの雨量でもなかったが断水になっていた。理由は盗水するグループが取水路を加工した事に由る砂泥の流入だった。

 結局、一日空けた21日に強制通水させたものの理由不明で吐水が持続せず、23日に再再度の強制通水作業を行う羽目になったのだった。そのたびにエンジンポンプや機材一式を車載し水源地に向かう。行き止まりでは車の向きを変えられる広さが無いから、機材を下ろしやすいようにバックで進入し、そのあとは機材を抱えて河床を歩くことの繰り返しで、いささか疲労感を覚えるほどだった。それでもオタマジャクシは居るしトンボの羽化が始まってきた現状では水切れはご法度で漏水と同様に解消は最優先事項で身の程をわきまえてなどいられない。年寄りの冷や水と承知していても漢たる者、つま楊枝も必要なアイテムである。

 さてさて里山保全が主たる活動のはずなのに日常は「水商売」に明け暮れている現実とはもって言い難し・・・か。そう遠くない将来「後は野となれ山となれ」は間違いないけれど、まあ人生は因果律で出来ていると思いつつ、ゆくゆくは途絶えてしまうだろう道であっても自ら歩いていれば自分の踏み跡はほとんど獣道だろうと自分には思え、達成感などないものの「余人には行い難し」が動力みたいなもんか。
 冒頭の写真の奥には盗水しているグループが安定化工事を行った河床で取水升を掘り出しているが挨拶すらなかった。こういう輩に信義則や仁義を求めても無駄である事、判っちゃいるけど血圧上がる・・・。

今日のトンボ「シオカラトンボ♀初撮影」

2020-04-24 | 小父のお隣さん
 23日、ようやくシオカラトンボを撮影出来た。トンボの撮影をしたくて水辺を徘徊している訳でもないので「初見や初出現」であっても運よく撮影できる機会は半分ほどだ。

 自分では「シオカラトンボの♀」と思っていても増々混迷してきたトンボの判別だ。先日撮影したシオヤトンボと写真比較してみればシオヤトンボでない事は明白だけれど、この頃は見慣れているはずのシオカラトンボでさえ「シオヤかダビドかシオカラか」と三択の迷宮に入ってしまう。
 トンボやカエルが好む環境が小生も好きと言うだけなので繁殖しているだけで余は満足じゃぁ。トンボはトンボで一向にかまわない日々日常人生なのである。

 シオカラトンボ初撮影               シオヤトンボは翅の基部に橙色斑

トンボ池の除草

2020-04-24 | 水辺環境の保全
 トンボ池の水面が水草で覆われてしまった。いつもヒキガエルが産卵する一角は水底まで日照が届くようにと産卵前に除草したのだが、そのほかの除草は水も冷たいし気乗りもしないしで行わなかった。そのため一株一株が大きく育って水面を覆いつくしてしまった。ヒキガエルのオタマジャクシは少ししかない日当たりの良い水面付近に群がっていて、これでは「密集・密接・密閉」状態である。

 アサヒナカワトンボもダビドサナエも発生した今日この頃では「水面を開ける」のは急務になって「猪走りの解消」でいささかくたびれた身体で草抜きに入った。手で握って抜き取るには植物が軟弱だし、根を残せば再生するから抜去するのが望ましく、ここは三本鍬を打ち込み起こして抜去を続けた。抜去作業も終わりごろ、二組のおチビちゃんとママが入ってきた。オタマジャクシを見るためである。

 産卵する一角は決まっているし、オタマジャクシもほとんどがその一角で群れているから、見に来る人たちの立ち位置も決ってしまう。そのため移行帯として植生を温存しておきたい範囲がいつも剥げてしまうのだった。それを防ぐために浚渫土を盛りミソハギを植えてあるのだが、新芽を伸長させ始めたみそはぎを遠慮なく踏みつぶしてしまう。
 これが嫌でロープを張るつもりだったのが遅れて間に合わなかった。目の前におチビちゃんがいては「近寄るな!」とも言えず「掬えるかな・・・」なんて腹にもない言葉をかけてしまったのだった。気が弱い小生にとっては、人生は後悔と傷心の連続なのである。こんなことから植生より先に頭頂部が禿げてしまった。

 沈泥路と池を隔てる丸太の仕切りは、この植物を根株ともども乗せ広げ移行帯とした。ここはどういうわけか威野志士様が跋扈蹂躙したがる場所で、ほどなく崩されるのは毎度の事なのだ。大事にしたくて手入れをする部分から破壊される傾向があって、ホント「三途の河原で石積みし続ける二度童」になってしまった。

       水鳥が運んだと思われる植物が大繁殖   ➡    抜去除草後


「ヨーグル蘇」の発酵を貝の菌餌でやってみる

2020-04-23 | 何よりの楽しみ
 「朝一番に早いのは眼底検査・・・」でもないけれど散瞳剤を点眼されて眼底検査をした結果、運転は出来ないし庭の草むしりもまぶしくて不快だし、という事で一日蟄居状態となった。そこでムラムラ出てきたのが「貝の粉末菌餌で発酵させる」プランだった。この菌餌粉末は乳酸菌製剤2種とミドリムシを混合させた粉末で、乳酸菌株は3種類とビール酵母が主剤だ。酵母が生きているからアルコール発酵が出来る事は知っていたけれど乳酸発酵は実施したことが無い。これまでのヨーグル蘇の種菌は市販のヨーグルト由来なのだ。
 菌餌を発酵菌として使う理由はミドリムシが混入してある事にある。食品としての栄養価が高まるだけでなく発酵そのものに良い影響があるかもしれない、と妄想も手伝ってのチャレンジだ。

 今回も牛乳2リットルを70分ほど煮詰め300gの流動物にした。今までヨーグルトメーカーに入れる容器は付属の容器だったが1ℓの容器に300gでは扱いにくいので、最初から保存容器に入れて発酵させた。一晩10時間の発酵時間を見たけれど、容器に入れた時より固さが増していてスプーンでも掬い取り難い。これは何時もの事なのだが、今回は「パンに塗れる固さ」に仕上げたかったから煮詰める目安を知りたくて重量測定したのだった。
                   硬化して判断がつかない。湯を加え緩めて再発酵させる

 結果として2リットルを300gまで煮詰めるのは「煮詰めすぎ」と判り、次回は400g辺りで煮詰めを終えて行ってみよう。この固さではヨーグルト発酵が行われたかどうか定かではないので湯を足してドロドロにしてから再度10時間の発酵を行ってみる事にした。
 乳清「ホエール」を使い緩めるのも良いかと思ったものの、これでは市販のヨーグルト菌株が入ってしまうから却下し、お湯で溶いて再発酵をみる。

 毎度のことだけれど、甘味や塩味を感じる出来上がりになる理由が分からない。加熱温度と関係した味のようにも思えたのは、ワークショップで作った蘇は低い温度帯で煮詰めた結果「バター風味」だったので、そう思ったのだった。乳製品の違いかもしれないけれど比較までは行っていないから不明のまま・・・。

水が戻らなかった理由・・・

2020-04-22 | 小人閑居して憮然
 19日に強制通水させて帰宅、20日は降雨で確認できなかった。21日、通常水量が出ていると確信し吐水口までいったものの一滴も出ていなかった。降雨はあったものの増水し砂泥で埋めるほどの降水量ではなく原因不明のまま管路最初と最後の排砂バルブを開けてみたけれどチョロ水程度で思わしくなかった。こんなんでは取水地まで行かずに済みはしない。

 二日前にエンジンポンプで強制的に通水させてあったのに原因が分からず、それでも再度ポンプを使わねば断水解消はしないのでポンプ道具を車載して水源地へ行った。
 そこで理由が判明した。取水升の上部取水路に玉石が積み上げられて塞き止められている。それも二段に渡って流れを塞いであったのだ。玉石の間から水は流出して来るから断水の理由にはならないのだが、この作業を行って河床の砂泥を流した事に由る閉塞だった。

 取水堰が土砂崩れで崩壊し河床にも崩壊土砂が押し出され取水地が破壊されたのは6年前になる。それ以来、谷止工、段差工、増水侵食などを併用しながら取水地の安定化と保全に取り組んできた。しかし水盗人は「保全活動はしないけれど盗水作業はする」。それも保全作業をしつつ安定河床へ導いている過程のエリアで盗水の設えをするのである。恥を知らないと言うべきか、先日の断水解消作業中にかの団体のメンバーが上ってきて「数年間断水しなかったのに今断水している」とのたくった。盗人猛々しいと言うべきなのか盗人にも三分の理と言うべきなのか「厚かましいと恥知らず」としか思えぬ言動だった。

 断水ともなれば直ちに駆け付け取水流の補修作業やら取水升の清掃排砂に続きポンプによる強制通水を行ってきた。その結果の「順調な吐水」なんて毛頭も思っていない言動で、ゲンノウで殴りつけてやりたい衝動があったものの手元には無い。まあ、顔見知りのグループでもあるし事を荒立てたくない事もあるけれど山荒氏や水盗人などの人となりは同じようなものなのだと思った次第だ。
 つまりは腹の中・胸の内・頭の中、「邪」一筋に貫かれている。「思い邪無し」とは雲泥天地の差がある。これはもう性なのだろう・・・。日々のニュースに求めれば鵜の目鷹の目、好んで「三密」を追い求めていく輩がいるが、ここまで落ちたには何か社会的理由もあるのだろうね。
 

五日目なのに強制排砂

2020-04-21 | 水辺環境の保全
 通水作業のため14日に強制排砂をしたばかり。なのに17日夜から125mmほどの雨量があって断水になってしまった。水域にはオタマジャクシがいるしトンボの羽化が始まっている今日この頃ではうかうかと傍観はしていられず断水解消の作業で始まった。
 前日に排砂バルブを開けておいたから運が良ければ自然通水もありうると思っていたものの、たんなる希望的観測でしかなかった。思い返して観れば、このような操作では断水解消にはつながらず、結果としてエンジンポンプを購入した経緯がある。それでもポンプを使用するには取水地まで河床を抱えて往復しなければならず、面倒になってきたのも歳のせいだろうか・・・。

 とは言え自然通水は出来ず、取って返してポンプ機材一式を車載し取水地へ舞い戻った。管内に吸い込んだ砂泥の量が多いと判断し、エンジンをアイドリング状態で運転する事30分、運転を止めずに徒歩で下流の排砂バルブの様子を確認に行った。通水はしており濁り水が出ていたが砂泥よりも枯葉の微細物が流れ出てくる。こんなことは初めてだったが埒が明かないから排砂バルブを閉じ尾根向こうの排砂バルブ最終部への通水を確認に行った。ここも通水しているから「大丈夫」と判断しバルブは通常位置に戻して水源地に戻った。
 二度のバルブ操作が入ったからウオーターハンマー現象で送水チューブが脱落している心配をしたけれど大丈夫だった。しかし排砂バルブ二カ所を確認し操作するのは手間がかかる。結果としては管路最低部の一カ所だけで良いのだというのが結論。

 管路吐水口まで更に30分送水しながら二段階で出力アップを行った。急激な出力アップではホースが破裂する恐れも無きにしも非ずなので、ここは慎重を期す。
 出力アップで送水していた時に吐水状態がS先生の目に留まったようで「噴出していましたよ」とおっしゃっていたけれど、小生が作業を終え確認に行った時はチョロ水も出ていなかった。通水してもホースを抜き取り圧力が弱まると一旦は止まってしまうのは通例みたいなもので、一晩掛かって水が出る事が多いのだ。まあ、翌日の最優先確認事項だ。

今日のトンボ「シオカラトンボ出現し、一日で五種目撃!」

2020-04-20 | 小父のお隣さん
 19日、断水解消のためエンジンポンプ一式を車載し取水地での強制通水作業になった。ポンプ送水している間は排砂バルブでの吐水状態の確認以外は所定の送水時間を過ごすだけの立場なのだ。
 その時間を利用し行き止まりから徒歩で取水地まで行く途中の沢に敷設してあった土管の詰まりを解消させた。土管が詰まって歩くべき上部が侵食され跨がねばならなくなって久しい。ポンプを抱えて「ヨッコラショ!」も足場が悪く危険なので、近いうちに風倒木を用い丸太を積み、歩くコースの復旧をしたいのだ。

 それはともかく、河原で見たトンボ、一見「シオカラトンボのメス」風に見えたのだが、どういう訳かダビドサナエしか名前が浮かばない。画像をS先生に確認してもらったら「良く撮れているシオヤトンボ」だった。小生の認知力などこんなもん・・・。翅の付け根をよく見れば朱が入っている。これが見分け方だと図鑑で読んだのは数日前なのだ。
 で、アサヒナカワトンボの透明翅と褐色翅も視認できて、この間、小生がフイールドにいなかったから「今日はお休みですか?」と電話が入ったSさんからは「シオカラトンボがいました」との情報もあり、フイールドに戻ってからメスの飛翔は見る事が出来たのだった。

 フイールドの泥水池へシュレーゲルアオガエルの卵塊をS先生に拝見させようといった時に青色のイトトンボを一瞬目にしたのだけれど見失ってしまった。サイズが小さかったからアサヒナカワトンボでは無かっただろうが未確認に近く、残念な結果だ。シオカラトンボのメスは三日月池への台地で飛翔を目にしたものの撮影は出来ず。

 三日月池ではクロスジギンヤンマの羽化をS先生、Sさん、小生としばらく眺めていた。まだ外殻から尾の先端が抜けず垂れさがっている状態は普通でなかった個体である。通常なら弓なりに反っている状態にあるのだが、この態勢では上体を引き上げスゲに掴まることも出来ない様子だった。仕方が無いから背中に指を添え起こしてスゲに掴まらせた。
 足場を固めてほどなく脱皮完了。眺めている間にみるみる翅が伸びていく。アレヨアレヨという感じで、これは初観測だった。その上、成体の飛翔も池の上で見られたのも珍しい。この時期、羽化は見ていても飛翔体を観るのは梅雨の頃が定例みたいなもんだったのに、この日は忙しさも極まれり・・・。