トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

工作デッキの補修

2019-09-30 | 今日は真面目に
 雨ざらしだった時期が長く在ってデッキの床材の痛みが進んだ。それでも小屋根を取り付けてからは「傷まない」と思ったものの寄る年波には勝てず板の隙間が広がるばかりで使い難くなっていた。そんな折、用途も決らず野積みしていた材がシロアリに巣食われて、むざむざ朽ちさせるよりはと30mm厚のべニア材を拠点まで上げてもらったのだった。

 その材を乾燥させ汚れを落としデッキの床材にしようとありあわせの防虫防腐剤をも塗り込んで敷き詰めた。終わってみれば「もっと早くから使えば良かった・・・」と思わぬでもなかったのだが、「もったいない」が先に出て使えなかったのである。これも貧乏性のなせる業で、その業も今では技の域にまで達して「匠」と自称してもよいほど巧みになっておる。

 床材も隙間なく敷き詰められておれば部品の落ちる事も無く済んだはずなのだが「木屑を下に落とせる」という横着な思慮分別で隙間を作ってしまったのだった。まあ、作ってしまってから「しまった!」とほざいてみても後の祭りと言うもので、すべては己に返ってくる結果であった。

 今回、一枚板のしっかりとした材を敷き詰めたのでデッキでの工作は楽になるはずである。

           補修前   ➡     補修後 

今日のトンボ「末節が目立つ」

2019-09-30 | 小父のお隣さん
 イトトンボの類に末節の色彩が目立つと感じているのだが、はたして正しいかどうかまでは行動が及ばない。ほとんがフイールドで直視している時の一瞬だけの感覚だ。
 特に目立つのはクロイトトンボで9月後半でも水面すれすれに飛翔し交尾している姿がある。とはいえこのクロイトトンボに目を止める人はそう多くないはずで、いわゆる「トンボ好き」な人達だけだろう。我がフイールドで、このクロイトトンボを認識してくれるのは恐らく片手で数え済む範囲に違いない。それも小生以外はすべてビジターであろう。

 何気に水面を見ていても判る時は少なく、ほぼ背景の水面と同化しているような感じだ。それでも意識して視認しようとすれば末節の青い部分が頼りで、これが見えてこそ追視も楽になるのであった。
 この青い部分は二つで、この種だけなのかどうかまでは承知していないけれど、それ以上を知る意思もないのが実体か。愛好者でも研究者でもない作業者である小生にとって学問は無縁で、「いたいた」「いるいる」なんて日々の出会いだけが作業の泉なのだった。
 毎期、「今度こそは・・・」と期待しているアジアイトトンボの確認は叶わなかった。数年に1~2匹視認する機会があるが繁殖までには至らぬようで、あの赤いイトトンボを見たいものである。「トンボは幽界への案内役」なんてフレーズが残っているので「赤い糸」が見えないのは吉兆なのか凶なのか、まあ、テレビの占いみたいにどうでもよい事ではある。

                

ハグした巳ーちゃんのスリップかも…

2019-09-29 | 花の下に長居
 這うから爬虫類なのだとかは記憶にあるのだが蛇は這っても脚がない。どうも爬虫類であるとはしっくりしていない小生なのだ。この日、水見回りで泥水池の刈ったスゲを集積した場所に蛇の抜け殻があった。長さ1m以上ある立派なヘビのものである。
 サイズから先日のハグした巳ーちゃんを思い出した。長さは一致するし蛇の生息数は知れているから恐らく同じ個体に間違いないだろう。一肌脱ぎ棄てて、どんな若肌が出てきたのか達観しえない小生としては鼻血の滾る思いなのだが、財布に入れておけば「金が貯まる」と言われるも、蛇の殻が入るほどの長財布は持っていないし、年金収入だけで金が貯まるとも思えんし、増税され年金を減らされる今日日では「鬱憤が溜まる」だけであろう。

 さてこの抜け殻、千切れないようにスゲを丁寧に外しほぼ完全な姿で採集できたものの、どうする当てもなく一応はバケツに収めて車の荷室へとなった。こんなことばかりやっている小生の周囲には確かにゴミが溜まる。ゴミ車とかゴミリビングとかゴミガーデンとかの範疇は近い。
 まあ、古い映画「ソイレントグリーン」は近代化された姥捨て山だったが、姥捨て山に行かざるを得ない現況ではすでに存在自体がゴミに近い・・・。この国の政は弱者棄民に長けている。ホント、ヘビの抜け殻の扱い以下である。

                

                  里山やあまた政治の空ばかり  

刈り払いの締めくくり

2019-09-28 | 今日は真面目に
 9月の定例会で刈り残しとなった辺縁部を半日かけて刈り払った。今季の刈り払いは例年になく手が出せず水辺の手入れに追われていたので、その分ネザサの繁茂が目立つ。刈り払いを続けなければ数年で立ち入りを阻まれるようなネザサの藪に戻ってしまうから植樹の当ては無いけれど維持だけは欠かせない。こういうところが「賽の河原の石積み」に思える。「さいですか…」とか言わんで欲しい。

 辺縁部の法面を刈り払い中にササユリ1本を見出した。種子付きかと思って見たけれど無かった。このままでは藪に埋もれ消えるか花期に盗掘されるのがオチなので適期に移植したい。ヤマウドも2株見出せたのでこれも拠点に移したい。山菜としての利用ではなく花粉と種子の提供なのだ。
 しかしながらヤマウドにしろタラノキにしろ花粉と種子を提供する草本木本と言っても会友でさえ腑に落とすは難しく、「山菜」としか見てくれないのが実態だ。

 今期の刈り払いは手詰まりだったにも関わらずYさんやMさんが助っ人してくれたので見かけは例年通りに見えただろうが、辺縁部はどうしても人手は入り難く遅れる。実生樹が育ち選択的除伐も必要になっているけれど秋季はオオスズメバチが恐ろしいから冬季まで先送りである。

          梅畑      北の段     林縁部  

今日のトンボ「発生が少ないマユタテアカネ」

2019-09-27 | 小父のお隣さん
 9月も終盤となった。例年ならマユタテアカネはシオカラトンボと並ぶ程度の飛翔数を数えるのに今期は数えるほどしか見ることが出来ない。発生が少ない理由は小生に判るはずもない。
 この日も水見回りの途中、二ツ池脇の草むらに一匹だけいた。腹部を下側に弓なりにした姿である。どのような理由でそうするのか知る由もないのだが、弓なり形状だけでなく8,9節あたりで上に曲げたりしている個体もまま見る時がある。

 ふんだんに見ることが出来る時はしげしげと見つめる事も無いけれど、飛翔数が少ないと見つめる時間が長くなるし腹部の赤色も「鮮やかで美しい」と感じ入る。まあ、心の働きは勝手で現金なものであることよ。然るに、そんなことにまゆたてる、いいえ、目くじら立てる輩もおるまいて・・・。
 マユタテアカネを見るたびに思うのは顔面の眉に見立てた黒斑、小生は眉というより豚鼻に見えてしょうがない。理屈から言っても「眼の下に眉」なんてありえないし。まあ、紋は白色なのにモンキアゲハと言うがごとしであろう。
 こんな言動なればこそ「眉を顰められる」対象になってしまうだろうと判ってはいるけれど「わかっちゃいるけど止められない」業なのだ。他に楽しみの無い姥捨て山住まいでは因業であっても楽しみとなり引導を待つのか・・・。

                        

蜂満シリーズは日照が決め手らしい…

2019-09-27 | 小父のお隣さん
      「一寸の虫にも五分の魂」とはよくも言ったものである。蜂満神社と蜂満パレスは2mほど離れて建っているのだが、ここにきて入居率に大きく差が出てきた。巣房の径こそ異なるものの躯体は同じ梁材であり遜色はないはずだ。それでも入居率に大きく差が出た理由はあるはずで観察していて閃いた「びびび!」、漢字表記なら「陽陽陽!」で日当たりがその結果を左右している。

 南側のエノキ林の影が」落ちてくる位置関係なのだが、圧倒的に蜂満神社の日照が良い。思い返してみれば駐車場の道具小屋庇下に吊った蜂満大舎にも同種の蜂が飛び回っているけれど巣房としては使用していない。ここは山影と庇下という条件があり、周年日差しは届かない。風雨にさらされない場所としてうってつけと思ったのは勝手な思い込みみたいなようで、親蜂は暖かい場所を巣房に選んでいた。

巣箱の安・近・短

2019-09-26 | 何よりの楽しみ
 フイールドに植樹した木々が成木の風格を出し始めたし、林の風情も感じられる。何よりもオオルリ、キビタキ、サンコウチョウなどが至近に姿を見せるようになった事が実証していると言って良いだろう。
 そこで再び巣箱を設置してみようと考えホームセンターに板材を見に行ったのだが、杉材でも結構高価になってしまうのだった。ひと箱作っても千円は飛んで逝ってしまうのだった。一部は交付金で賄うことを代表から承諾をいただいているけれど、とりあえず新作の試作をしてみた。主題は「安近短」である。

 巣箱の設置は不動産屋の商いに似て非なるところがあろうけれど部屋を用意する立場は不変だ。不易流行が正しいのかもしれないけれどアバンギャルドも必要だろう。鳥たちだって生息圏を意外なほど広げているし適応力はあるはずだ。
 そこで年金世代やお小遣いに乏しい青少年世代にとって「お財布にやさしい巣箱」を考えてみた。石油由来の製品を使うことでエコロジーに逆行すると観る向きもあろうけれど、もともとこの世界を席巻するほどの流行りものではないし、住宅提供を容易にすることは動物福祉にも寄与するはずである。ましてや足跡が環境破壊しかない環境教育団体の活動よりは良かろうて。

 昔、「ハウス550」とか言ったプロジェクトが鳴り物入りであったが、税金をつぎ込んで550万円の住宅を手に入れた下々はいたのだろうか。天下り組織と関連企業が吸い取っただけのような気がしてならない。しかしながら「巣箱250」は独立個人の業態であるからして阿漕な真似は決して出来る余地がない。まあ、己の財布に寄生したところで旨味など全く無いのだから。
 安価で手近に短時間で完成する巣箱の試作品は以下に示す。実績は無しの入居無保証品であるが、何とかパレスほどひどくはないはずだ。廉価良品を生むのがわが日本、中小企業の底力。村社会であることのおもてなし、忖度・・・。

 縦型 同じ鉢で縦横製作するのが比較に適当と理解していても「お洒落」に目覚めたお爺としては散財もする。
 合掌の屋根を作ってみたが手間がかかりすぎるので平らにした。重さを支えるに底部の支持も必要で、作りとしては簡素化できていない。しかるにデザインとしては小生好み。鍔(縁)の無いタイプなので横取り付けは出来ないのだった。
 横位置の取り付けは手間かかりでも縦位置での簡素化は可能だ。鉢側面を板に縦3カ所程度ネジ止めすれば下支えが不要で、屋根も前向き傾斜だが傾斜が付く。蝶番と留め具は従来通りで良いだろう。この案が妥当かもしれない。結局は一晩経過して反省、「安近短」であることを肝に銘じて作り直した。支持棒を外し簡素化できたに見えるが縁の無い鉢は屋根板と蝶番、固定金具が余分に要した。こうなると好みの範疇になる。 


 横型の高級鉢 デザインポットでの横型。取り付けは3本のネジのみで巣の出入り口は底部の格子を切り取って開けた。この6号鉢で切り取り縦30mmなのでカラ類に大丈夫な大きさだ。取り付け板との間に水抜き溝を切ってある。巣内の清掃は止めネジを外して取り付け板から分離し行う事になる。掛け金を外せば覗けるタイプには出来ないものの育雛期に覗く馬鹿もおるまい。巣材は横出しになるから標本を採るには傷めずに済むだろう。


 廉価版横型 菊鉢6号使った。7号鉢では大き過ぎる感がある。これも水抜き溝を削り込んでおく。出入口は中央の切り抜きで丁度30φとれた。上方部での出入口でないことに気が向くけれど、孟宗竹の横筒に巣作りしたキビタキも見ているから心配はしていない。この鉢の価格は200円、べニア板は古材で傷み止めにペンキを塗った。あり合わせなので防錆塗料である。色彩を嫌われる心配があるけれど「物は試し」で金掛けない。取り付けは棕櫚縄で幹に結ぶつもりでの4か所の穴がある。
 どちらにしても試作品だし、入居するしないは当人の決定事項なのだ。

 この菊鉢7号、8号を縦型で使えばムクドリやアオバズク程度の鳥にも使えると考えているけれど製作は予定なし。今回の仕様は取り付け板に取り付けて幹に括るとしたが、作り方によっては鉢に取り付け穴を開け直接結わえる方法も取れるだろう。この場合は縦型取り付けになろうか。このようにした方が更に簡素化かも…だが、でも芸がなさすぎるし簡素化するにしても「ここまで!」という限度も必要だろう。





泥浚いで嵩上げ

2019-09-25 | 水辺環境の保全
 水域の除草が一通り終了した。トンボ池の葦抜きも必要だと思うものの秋が来て、いいえ飽きが来て嫌気たっぷりなのである。まあ、どちらを選択しようと命の洗濯にはならず削るだけの作業だが、優先度からして泥浚いと畔の嵩上げを行う。
 長柄のジョレンを作ってあるから立ち位置を動かず周囲6尺程度を掘り取れるのは楽である。泥中に立ち入って移動の必要がないのは労力削減になる。

 棚田部の3辺と二つ池の1辺に泥盛りを施した。威野志士様が掘り崩して越流決壊の可能性が高くなった部分で、泥でも乾燥すれば役に立つ。しかしながらゴミを埋めたてしオリンピック会場に変えた、様な魔法は利かない。風船が萎むように劣化していくだけである。
 今回の泥浚いと嵩上げで棚田部の堤は見た目も丈夫そうになったものの、掘り崩しのひどい場所なので執念の、周年でもある維持管理を要する場所だ。この泥浚いをした範囲は小生らのグループの勢力範囲ではないけれど、大御所のM氏が家族から出禁を申し渡されたとかで結局、小生が手を出すしかなくなった。

 実質1人なので保全作業も風前の灯火、当然の衰退となっていくのは乱視老眼の眼鏡を掛けずとも小生の目に見えるものの、それまではカエルにしろトンボにしろオリンピックとは言わないまでもそこそこの賑わいが続くはずで、それこそが他人様には見えない小生の年輪ピックである。まあバウムクーヘンのように儚いのではあるけれど・・・。

       二つ池の1辺         棚田部の3辺


濃厚甘酒でゼリー食のつもりだったのに・・・

2019-09-24 | 小人閑居して憮然
 台風17号の余波で雪隠詰めの一日。思い立って甘酒でゼリーを作ることにした。しかし何となく出来なさそうな予感があったのだが、それは「お肉を柔らかくするのに甘酒を使う」がよぎったのである。
 ずいぶん昔の話だがキウイだったかでゼリーを作ろうとして固まらなかった体験がある。ゼラチンで何でも固められるとは思ってはいなくても「ゼリーで食べたい」。飲む点滴とゼラチン質を同時に摂れば夏バテ秋バテ怖くない。

 所定の工程を経て冷蔵庫に一晩、やっぱり固まらなかった。「せっかく作ったのに・・・」と小生が固まったので世話はない。これで敵前逃亡してはお爺が廃るというもので、前向きの意思と努力が老化を遅らせる。
 小倉羊羹を作りたくて購入したままの寒天があったから寒天で固め「甘酒かんてん」に宗旨替えした。まあ、変わり身の早さは「オポチョニスト」と言われようと「日和見主義者」とそしられようと、毎朝、天気予報を注意し空模様を注視している身では日和を観るにやぶさかではないのである。からして「日和見主義」結構、毛だらけ猫灰だらけ!上等特等禿げ頭、てなもんである。

 さて、寒天1本を溶かして甘酒と撹拌し容器に入れて冷やした。容器はプリンのカップと製氷皿にして、見かけだけでも違いを出したい。これも一夜冷蔵庫に収めフイールドから帰宅してのおやつで試食した。寒天だからゼラチンの食感は望むべきも無いのだが、ゼラチンで固まらぬゆえクレームをつけれない。

 食感は甘酒の風味は後から来る感じだった。咀嚼してこなれるほどに甘酒の味わいが増す、そんな形容で良いだろう。それはともかくとして「甘酒は甘酒として飲む」方が味わいが強い。まあ、甘酒が苦手だけれど栄養価を摂りたい向きには「甘酒かんてん」良かろうとも良かろうとも・・・。
 しかしなあ…戦い済んで日が暮れて「日本男児たるもの、スイーツごときに梃子入れするとは」と自己嫌悪、は無い!。

今日のトンボ「オオアオイトトンボ」

2019-09-24 | 小父のお隣さん
 オオアオイトトンボが小生の活動範囲に姿を見せるようになっている。盛夏でも藪のある林内に入れば普通にいる種だけれど、開放的で明るい環境へは秋にならないと出てこない。
 飛翔力も長続きせず、翅を閉じて休息しない種でもあるので「風に弱い」のだろうとは小生でも気が付くトンボである。

 11月ころ初冬の環境になると陽だまりで目につくようになるけれど、まだ真夏日が続く9月前半では珍しいと思って間違いないのだろう。接近すれば逃げ出すのはどの種も同じだけれど、飛翔距離はせいぜい1m程度なので動かずに待っていれば撮影は比較的簡単なトンボでもあるが、翅を閉じないイトトンボという理解で済む、小生が唯一間違わない判定ができる種でもある。

                              
            

彼岸花とはよく言ったもの

2019-09-23 | 小父のお隣さん
 19日、曼殊沙華の開花を見た。あちこちのコロニーにようやく一輪開いたという程度ではあるけれど、開花時期というのは大きく外れないのがこれまた不思議でもある。
 この花にもチョウの飛来があり吸蜜しているが目につくのは大型のアゲハ類だけで他のチョウを目にした記憶がない。飛来し吸蜜しているのかどうかも知らないのである。

 小さくて目立たないから見落としなのか、密にも毒があり体躯の差で避けるのか、とんと分からん彼岸花。まあ古来より彼岸の様子は判らないから想像するだけで良いのだ。耄碌してくれば妄想だけは上達する・・・。

9月定例会

2019-09-23 | 月例会
2019/09/19 (日) 9:30~13:00

会員 4名
活動 辺縁部の刈り払い

 月一回の活動日に参加4名は過去最少だ。隣接地のグループも活動日を同じくしているのだが、こちらは3名という有様で他のグループの事情も同じ「新規参加者は無い。高齢化で卒業相次ぐ」ていたらくなのである。
 常々、「行政で講座開講などをして入口を作る必要がある」と訴えても「金がない」の一点張りだ。いま周辺に点在するグループは往時の「講座出身者」によるもので、上司が替われば顔の向きも判断も変わる。しかしながら現場のニーズは変わらないので荒れる一方である。まあ「愚痴は言うまいこぼすまい。これが年寄り生きる道」なんて高楊枝、と思っても総入れ歯では楊枝も使えん。
 使える用事がないから姥捨て山直行の定めなりで「生者必衰の理を表す・・・」。

 阿保馬鹿愚痴はこれくらいとしてこの日の作業は辺縁部と原っぱ部の刈り払いだった。刈り払いの季節はおおむね9月で終了とするけれど辺縁部に刈り残しが出来てしまい、もう半日小生が作業して決着をつける。
 辺縁部の刈り払いは猪の休息圏を遠ざけるため、原っぱ部は在来種タンポポの環境改善で今から日当たり良好にしておけば発育も促されるだろう。タンポポや菜の花、フイールドの春は黄色い花によって知らされる。山桜ではないのだ。

                  

上の池の除草

2019-09-22 | 水辺環境の保全
 上の池の除草に入った。ここもミゾソバが大繁殖している。池の端で発芽して伸びて倒れた茎をランナー状に水面を走らせ発根し倍々ゲームのように繁殖する。水面での発根は泥中にまで根を通さずともマット状に繁茂して環境を悪化させる。
 処理は三本鍬でかき寄せロール状に丸め引き上げるだけだったが、これが意外に重たい。左右と入り混じって連結している根なだけに、適当な部分で造林鎌で引き切ってやらないと無駄汗を流してしまう厄介さだ。

 作業時間としては半日仕事だが残暑が回復したこの日は日陰でも汗だくになった。上の池の異変?なのかどうか、飛翔するトンボの数がない。昨季は季節の終了まで姿を見られたのにめっきりと数を減らしている。池の周囲の木立が大きくなって日照が短く、その影響なのかとも思っているけれど、たとえ込み合って要間伐状態の木立でも小生らの管轄下にはない範囲だから水辺の保全くらいしか手出しができないのがうっとおしい。

 冬の渡り鳥、コガモの群れが翼を休めに一晩とどまる時がある池なのだが、井戸の底みたいな池になってしまい着水は容易でも飛び立つのに無理をする空間になった。これをも解消したいけれど担当グループには気付きさえ無理だろう。言えば横槍・干渉ととも捉えられ水系の手出しも断られる可能性がある。
 今まで手入れを続けていた御大は卒業状態なので水辺の保全だけは手出しを続けないと下流域まで荒廃が及ぶ事態になりかねない。

         作業前    ➡    除草終了

今日のトンボ「くたびれてきた戦闘機」

2019-09-21 | 小父のお隣さん
 フイールドより街中や稲田の上でウスバキトンボを見かける。飛翔を見ていても写真一枚撮れる状態ではなく、図鑑を観ながら「こんなトンボだ・・・」と記憶維持に努めていなければならない今日この頃である。一方、群れている訳でもないだろうが水域に多く飛翔しているのはシオカラトンボで、これが滅法、喧嘩っぱやいのだ。
 ヤブヤンマやマルタンヤンマなどの大型種でもアタック攻勢躊躇ない。産卵体制に入った時点で追い払ってしまう時も度々あって何度撮影機会を失ったか、この性向にはほとほと気が滅入る。

 それでも9月の中頃ともなれば翅の痛みが目立ってきて、透明性が失われ翅まで粉を吹いたような濁りが出てくたびれ感がある。それでも攻撃性は失わず休息中と言えどアタックは躊躇しないように見える。まあ「シオカラの魂、飛べるだけ」てなもんや三度笠・・・。

二つ池の除草

2019-09-21 | 水辺環境の保全
 二つ池にミゾソバが大繁殖してしまった。コナギ除去の次はミゾソバの除去になった。これも水域に侵出し根も茎も伸び放題絡まり放題で手抜き処理はとても無理だった。
 造林鎌で切れ目を入れ絨毯を巻くように三本鍬で巻き取り場外搬出である。周囲の木立が日陰を作っているので棚田部のコナギ掘り取りより快適だった。気温30℃といえど吹き付ける風には新涼を感じるものがあって、もうすぐ草取りの季節も終わりである。

 周囲をざっと除草しただけなのは、この後用材を伐採しヒキガエルとニホンアカガエルの産卵場所を整える必要があるからで、護岸木を設えた後に堤と畔の成形をする予定だからである。感じ方とは勝手なもので「根がうるさい」作業だったり「根で助かった」作業だったり、その場その時で異なる。
 根塊も、いいえ今回もコナギ抜き取りの時もそうだったが根が生きていたほうが掘り取る時に崩れなくて楽なのだ。

       作業前   ➡     作業後、中央仕切り畔は改修予定