トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「初観測かどうか」 Ⅱ

2017-09-21 | 小父のお隣さん
 19日にアップした表題のⅠ、今日の水見回りでトンボ池でまた出会ったのだ。今回も前回同様に至近で往復飛翔しホバリングも見せる。小生が観察しているのではなく観察されているのがアリアリだった。
 其の結果、前回より落ち着いてシルエットを確認できたが、胸部側面のシルエットはやはり舟形で多くのトンボがそうであるように角張ってはいなかった。この記憶をトンボ図鑑で対照すると一致するのはサラサヤンマだけなのだが出現時期は7月頃までとあって、とうに過ぎている。

 これでまた頓挫してしまったから、明日からは補虫網を携行し水見回りをする事にした。捕獲し撮影出来れば種の確定は間違いない。このやり方は小生の本意とするところではないけれど、水辺環境を整えている手前、少しは許されても良かろう。

なんて骨鯛、トホホな「案欠け」…

2017-09-21 | 何よりの楽しみ
 台風が来る➡外出無し➡キッチン作業、とばかり、先日頂戴した冬瓜を調理すべくスーパーに立ち寄った。何時もの挽肉でなく出初めの「秋鮭」が欲しかったのだが不漁のせいで高く、真鯛のアラに変更した。

 そもそも初志貫徹をしなかった事が「えらいこっちゃあ」を生んでしまったのだ。物の道理を分別知を持って判断すれば「骨だらけ」なのは当然なのであって、「さかな、さかな、さかな、さかながあれば…」と魚売り場で流れているBGMに惑わされ乗ってしまった。
 まさしく本当の「骨折り損のしまった事鯛」が展開した。早い話、魚案は辞退しておけばよかったのである。

 心は「丼でバッカリ食」一色。久しぶりに「冬瓜のあんかけ」をたらふく食えると幸福感充満のキッチンに素敵な香りも充満している。焦げ付かぬよう優しくかき混ぜていると、小骨ならぬ大骨が現れてきた。その都度、取り除いて小皿一杯分を取り分ける。この時点では「食べ難い」なんて露ほども思わなかった。

 しかしである「さあ喰うぞ!」と一口目から小骨が口にある。あららー滅相も無い骨だらけだった。仔細に及ばずとも「アラ」であるから当然至極「アララー吐」である。
 こんな失敗は滅多にないものの、この面倒さには面食らうばかりだった。もう「丼でばっかり食」の手太楽では無く、小鉢で一口づつの自己介護の「骨ばっかり食」で、恐る恐るの運びと咀嚼になってしまった。
 真鯛の身は細かくほぐれ挽肉風に見え、味も美味しかったのだけれど、味わいでなく「骨」に感覚を研ぎ澄まさねばならない事態は美味しさを殺す。また、小骨を探す過程で冬瓜の形も崩れ流動食に見えてきた。何気に暦をみたら「刑老の日」だった。

 もう「なんて骨鯛!」でトホホな「案欠け」だった。まあ、古来より「公開先に立たず」とは全く持ってその通りで、公開は喰ってから後となる。当たり前か…。
 いわゆる「腐っても鯛」を充実体験し、小生までくさってしまった。日中は刑務作業で粉塵まみれ、滅多にありつけないグルメが敵となるとは「トホホな」刑老の日であった。


            ルンルン準備万端  ➡   なんと骨が折れる事よ