トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

アバンギャルドだ

2010-05-31 | 小父のお隣さん

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 エノキの幼木を丸坊主にして水玉模様の幼虫が群れている。昨年も別のエノキで見かけたタイプだ。名前は忘れている。エノキは大切にしている樹種の一つで、オオムラサキの食樹として考えているのだが、今の所この幼虫だけしか見かけない。

 昨年より体長は小さかったが数が多かった。ウンコのように葉の裏にくっついているのがほとんどだったが、一匹だけ動いていた。初夏らしい装いと言えば言えなくも無い。

 すすきにはキンキラキンのハエの仲間がとまっていた。鮮やかな金色である。形体からサシバエの仲間と思いたくなる。

 農耕用の牛に虻や蝿と共に群がってくるサシバエを思い出した。口蹄疫に比較すればサシバエなんてどうでもないか…。それにしても想像が出来ない被害の数だ。

 口蹄疫の体験はないが、飼育していたヤギの「腰麻痺」は見たことがある。突然に起立不能になった。父は「腰麻痺だ!」とか言ってそのままリヤカーで運んでいった。後日、畑の肥溜めの中に首だけ出ていて恐かったことを思い出した。このシーンはアバンギャルドではないなあ。


なんともブラックな! 2

2010-05-31 | 感じるままの回り道

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 草むらに黒い鞘状のものが目に付くようになった。「花にしてはおかしい?」と手に取ると、それは豆の鞘の様だった。

 すでに中の種子は無く、葉も枯れ落ちている状態だったが、どうもカラスノエンドウらしい。それで納得できたのは「カラスノエンドウ」と言う命名の由来だ。役に立たないのや大きいのに「カラス」を付けるふしがあるが、これは黒いから「カラス」が付いたのだと…。

 でもまだ未熟果の時は単一で茎に付いていたように記憶していたが、もしかしたら別物かもしれない。それにしても、この黒色もいい色合いを出していた。

 もう一つのブラックは毛虫だ。黒い身体に白と茶の斑点が絶妙だった。前後の長くて白い飾り毛がなんともお洒落だ。毛虫にこういう表現は一般的には違和感のある表現だろうとは思うのだけれど、仕方ない。自分はそう感じてしまっているから。

 


山の彼方の空遠く

2010-05-30 | 性向有毒の翁なれば

Photo『月を無駄思い付きゆえ重い付け』

『県外を果たせず御席はもう圏外』

『危地の害遠くの島と思いたり』

『ヤマトンチュー県外だいとそっぽ向き』

『君子さえ基を努めず補佐も無し』


羽化とおせんぼ

2010-05-30 | 感じるままの回り道

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 棚田で畦の補強をするため田に入ろうとしたら水面に波紋が見えた。その中心にはトンボが浮いていたのだが…。

 羽化して間もなく水面に落ちたようだ。全体に体色は薄いし尾が少々ふっくらしている。まだ体液を羽に送りすんでいない時期のようだ。そーと救い上げて葦に止まらせてあげたのだが肝心の羽は濡れてベッタリしている。

 トンボは自分で羽ばたいたら、水は切れたようでくっついていた羽は4枚に分離できた。「ヤレヤレ」と思いながら作業をしていたのだが、昼を食べていたときに思い出して見に行った。

 同じところに止まって尾も少しスリムになった様子をみたらホッとしたのだが、飛び立った様子で「駄目だった」とすぐに理解できた。トンボの飛翔の仕方ではなく「カゲロウ」のそれに近い飛び方だったから。

 草むらに落ちたのでよくよく観察したら右の後羽の後部が半分ほど折れて前に曲がったままだった。これでは敏捷には飛行できないし、空中で餌を摂る事も不可能な事態だ。

 哺乳類の出産時と同じように羽化する時はトラブルが多いのは知っていたが、二日続けて出会ってしまった。しかもこのトンボは手入れをしている棚田産なのだ。

 「羽化登仙」という四字熟語があるけど「羽化とおせんぼ」と一字違いで、その差は天国と地獄だ。今日も自然界の厳しさをトンボ一匹からまざまざと見せ付けられてしまったのだ。

 30日は「ハルゼミ」の初鳴きを聞く。いつもはもっと早かったように思うのだが…。


倒木処理

2010-05-29 | 今日は真面目に

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 天気がよかったから休日はお預けで、結局出かけた。 

 写真3枚は全て同じ現場だ。「よくもまあ!」と思いたくなるほど一箇所に集まってしまった。先日処理した掛かり木になっていた樹は排除したし、朽ちるのが早かった桜の大木と乱雑に枝を広げて邪魔になっていたリョウブの樹も刻んで片付けた後だから少しはすっきりしている。

 全ての樹が地盤ごと崩落したり、根こそぎ倒れこんだものばかりだ。V字型に侵食崩壊した溝に寄せられるように倒壊した樹木ばかりだから一箇所に集中してしまった。それも水筋の合流点だから影響は大きい。

 これを取り除かないと沢筋の水路に日光が届かない。この小水路はイトトンボやカワトンボが多数飛翔している水辺で、これらの倒木を排除できれば、今は埋もれている水路で水生生物の活動が容易になるはずだ。

 カワニナもいるし棚田にはモノアライガイも生息しているから蛍の繁殖を期待している面もある。六月になったら夜間に何回か確認に立ち寄らねばならないが、これは少々恐いから単独では無理だ。


なんともブラックな!

2010-05-29 | 小父のお隣さん

Photo_2  支障木を伐り倒して運べる大きさにし集積していた時のことだ。踏み跡脇のシダの上で黒いものが動いた。

 のぞきこんでみるとカエルだったのだが真っ黒だった。大きさからアマガエルだと思ったのだけれど、変色するにしても黒色は「有り?」と気になった。

 周囲の色彩に合わせ保護色として表面の色を変えるのは周知の事実としても、この環境で黒いのは得心がいかなかった。

 黒っぽい肌色のカエルではなく、墨色に近い黒色なのだ。もしかしたら「特別?」=「巨万の富?」、そんな訳無いか・・・。見ただけで手に取ることもなくお仕舞い。

 さて、何だったのだろうか?。アマガエルでは納得できずにいるが、足の先には吸盤があるからアマガエルなんだろう?!。

 


夏の雲

2010-05-28 | 感じるままの回り道

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 水の行き渡った田んぼにセリの茎が放射状に伸びている。写真では雰囲気が感じ取れないけれど、株と言うかコロニーと表現するのが正しいかどうか知らないが、結構魅力的に写ったのだ。瑞々しさと逞しさが見て取れる。食材としても好みの部類だがアゲハの餌だ。

 目を転じて谷間の狭い空を覗き見れば、夏の雲が頭をもたげていた。風景の静寂さとは裏腹に林内からはさえずりのオンパレードだ。全ての鳥を聞き分ける訳ではないが、ウグイス、シジュウガラ、コジュケイ、キツツキ、サンコウチョウなどが主流だ。

 このフイールドと関わるようになった初期は、この谷でサンコウチョウのさえずりを聞くことは無かったのだが、昨年からシーズン中は耳に出来るようになった。数が増えたのではなく、林相が好ましくなってきたのだろうと推測している。

 それにしても狭い青空に雲が湧き上がるのを眺めながら鳥のさえずりを聞いているなんて、小生的には贅沢三昧そのものでもある。いつまで続けられるか…。

 それもつかの間、昼には雨が落ちてきた。今日も無条件降伏なり。


育ちの初夏

2010-05-28 | 小父のお隣さん

Photo_2『数減らす雛は大きくなりにけり』

『親鳥を追いたる雛の徒競走』

『クワゴ群れ丸坊主なり桑のすね』

『糞と見ゆ喰って動かぬクワゴかな』


田起こし終わる

2010-05-27 | 水辺環境の保全

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  ようやく棚田の全面を耕起出来た。昨年来、取り残していた棚田は7メートル×15メートルあり、ほぼ100㎡だから33坪相当で6枚のうち最大の面積がある。

 見ただけで意気消沈する広さに感じていた。何時までも不耕起のままでも置けないから三本鍬1本で二日間ヒイヒイやった成果である。畦の脇は補強の泥を掘り取ったため土を寄せねばならず、鍬で投げ込むたびに泥しぶきが上がり、体の全面は泥だらけになった。

 思い返すまでもなく父祖の時代は全てがこのやり方だったのだから先祖がえりしたとでもいえようか。全面耕起するにあたって、それなりの決意が必要だったから「田植え足袋」を購入して履いた。長靴では動きに無駄が出るためだ。

 田植え足袋を履いて作業をすると、その快適性は直ちに感じ取れた。足の運びが軽やかなのである。立っていても素足より安定感がある。

 何よりも足裏は歩行のためだけでなく、素晴らしい感覚器でもあることを実感した田作業であった。泥の状態、田んぼの温度、葦の根茎や埋蔵物など手に取るように、ではなくて足でダイレクトに理解できるのだった。こういう体験は子ども時代に必要だと思うのは懐古趣味だろうか…。

 作業としては植樹より負担が少なかったが、明日はご褒美で「休日、休日」と思いつつ鍬をふるったのだった。こういう自己完結は少々侘しい。


諦めない

2010-05-27 | 小父のお隣さん

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 田んぼに尻餅をついてズボンも左袖も泥だらけだし、立ったままお握りを食べていたら動くのが目に止まった。

 近寄ってみると黒いアゲハチョウだった。身体に朱色の模様があるからジャコウアゲハと思ったのだが随分と小さいのである。通常見慣れた大きさの6~7割程度しか無い。

 それに後羽根 が縮れたままだ。きっと羽化している途中にアクシデントがあったのか、変態途中のトラブルなのかどちらかだろう。

 ただジャコウアゲハだとすれば、大きさからしても幼虫時代に何かあったのは推測できる。この状態では飛び立つことは叶わないのだが、必死で草の先端部に上っては羽ばたき落下する、を繰り返している。お握りを持ったまましゃがんで眺めるだけだったが「生きよう」とする努力は感動ものだった。

 吸う蜜も無い中でどれだけ生きながらえるのか知らないが、この個体も時を経ずして食物連鎖の中で他の命に替わる、諦めないが厳しい世界だ。


明示異心

2010-05-27 | 小人閑居して憮然

Photo_7『本音なり最低ででも限界や』

『方便は島への冒涜上手い盾』

『今日からは「言う歪」とする座右の銘』

『こだわりの旬は去り行く五月鱒』

『繕政のレールで進む御公約』


棚田に光を

2010-05-26 | 水辺環境の保全

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 棚田の南側斜面の樹木が大きくなってせり出してきて、棚田の日射を妨げている。気にはなっていたのだが斜面が急なので避けていた。転落防止のロープを付けて「安全作業」を心がけないと思案してもいたのだ。先日「立て御柱」で転落死亡事故があったばかりだし。

 危険な掛かり木の処理が予定よりスムーズに済んで、昼まで間があったから伐り落とすことにした。獣道伝いに近寄ったが、安全ロープは使用しなくても大丈夫と判断できた。

 株立ちになっていたリョウブの幹4本、単独のリョウブ2本、都合6本を伐り落としたが、空が随分と広くなった様に感じる。日照の回復は、更に常緑の大木が上部にあるから、これを処理しないと十分には望めないのだが、蔽っている枝葉が無くなっただけでも開放感がある。

 落とした木の処理が手間仕事だ。チェーンソーを使いながら切断・集積して、きっと一日仕事になるだろう。

25日に作業の続きをした。斜面に中途半端な位置で止まってしまった樹木を引っ張っていたら、枝が切れて田んぼの中に尻餅をついてしまった。着替えは持ってこなかったし、帰りの運転は下着姿かとびびったが、帰る頃には乾いてくれた。でも泥だらけはそのままだ。


腰を伸ばして

2010-05-26 | 小父のお隣さん

Photo_3『ロクロ首クワゴ何見る何を待つ』

『月日星年越えて聞く初音かな』

『五月晴れ棚田に響く月日星』

『初音聞く血を吐くほどはまだ遠き』

『イタドリは月回らぬにはや五尺』


雛の季節

2010-05-25 | 感じるままの回り道

Photo  玄関前のフィジョアの木に、朝になるとスズメの雛が来ている。もう三日目だ。

 目の高さだし、距離も1メートルまで近づいても逃げない。対面することは無く背を向けたままで、親鳥は近くにいないらしく警戒音もないから静かなものだ。

 こんな間近で雛をジックリ見たのは久しぶりで数十年ぶり位になろうか。嘴の黄色と巣立った直後の痩せた小柄な感じが何ともかわいい。

 少年の頃、パチンコを持って木造駅舎の周辺の桜の木にいる雛を撃っていた事を思い出した。まだ駅前通りも舗装路ではなく、玉にする小石は幾らでも調達できたのだ。パチンコ本体はモミジの木、ゴムは丸ゴム、タマを載せる部分はヤギの皮、など子どもなりにこだわりがあって製作していた様に思う。

 今、思い出しても謎なのだが命中すると手ごたえが感じられるのだった。「やったあ!」というのは快感だったし、今風のバーチャルなゲームとは格違いのローカル、ローテクではあったが、今時と重ねると子ども達にはバーチャルでない遊びがなくて可哀相でもある。

 パチンコで撃った一日の記録は、たしか20匹を超えていたと記憶するが、思えば可哀相なことをした。おいらも雛だった遠い頃の事だ。


意そっぽ物語

2010-05-25 | 合混で闘作すれば

 ジバングちょいと 獅子には添い寝

   恥と存ぜぬ 端の国 ハア コリャコリャ             弥生姐さん

 トラストミー約束果たして現行案                  こうもり

 くれ騙しブドウ酸っぱき白日夢                   トロル

 見栄切って吹く案だった蛇の舌                  北風太陽 

 完膚なきいたぶりつくし十ヶ月                   憂哀

 反省は必要なしとの言の葉は肯定益なき人となりなり     脳水症

 不正とは思わぬ蜜乳約束の血にはべるなり彼らのハベル   資分け