トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「クロスジギンヤンマ?の産卵」

2021-07-31 | 小父のお隣さん
 「またシオカラトンボのいじめっ子!」とホントに縄張りを主張するだけで協調の「き」の字も名前にも無いトンボであるシオカラトンボがいつものように追い立てていた温水田。良く見るとヤンマ型のトンボをいじめている。最初はヤブヤンマと思ってみていたのだがヤブヤンマは水面の藻の中には産卵しない。どうもクロスジギンヤンマの様なのだ。

            

 7月にもなるとクロスジギンヤンマの姿を見る事は大きく減った。カレンダーでは8月までは出現期とあるけれど夏の盛りにクロスジギンヤンマを見る事はほとんどないと言って良い。写真のトンボがヤブヤンマでなくクロスジギンヤンマなら1カ月以上のご無沙汰なのだった。今回は道路上からの撮影で、時折シオカラトンボがアタックするけれど小生は我慢辛抱無の境地で立ち禅を続けて撮影の機会を得たのだった。
 まあ、越後人の系譜にある小生としては半年余りの冬ごもりを繰り返して社会に出た訳なのでトンボを見ながら無の境地はいささかも無理はない。既に姥捨て山の住人であれば「捨ていホーム」でもあって立ち尽くすしか用はないのだった。

    

 一茶だったかの句にあるトンボ撮り今日はどこまで立てるやら、イチゴサッテモウシタモウシタ。

泥水池、やっと見つけた漏水孔

2021-07-31 | 水辺環境の保全
 泥水池3が満水にならず水位も低いままなのでオーバーフローせず泥水池4は干あがり寸前で小さな泥水池5は干あがってしまったいる。泥水池2のオーナーフロー部からは水が流れ出ているから、そこ以降の場所で漏水があるのは明白なのだったが、ざっと見渡しても判明しないままだったのだ。

 今回たまたま泥水池2から3への継水路を踏み越えた時に水面の波紋が不自然だったからしゃがんで観察したら流入部が見える。この場所は度々漏水する言わば「漏水の巣窟」みたいな範囲なので「またか!」の思いであった。スコップを道具小屋まで取りに行き護岸丸太をこじて外す。外した窪みに水がどっと入ってしまい漏水孔が見えなくなった。指先で丸太を除いた窪みを探ったらピンポン玉ほどの穴があったのだ。
 今までだと、ここからの漏水は泥水池4へ流出していたのだが、今回の流出先は見えない。恐らく泥水池からの放流路へ直接流出しているに違いない。この継水路の反対側は処置できない漏水部があって、結局は水域に出来ず陸部にしているのだ。想像ではあるけれどこの経路不明の地下水路に繋がっているのが推測される。

 ともかく漏水部を潰して護岸丸太を復旧した。一昼夜経てば泥水池3が満水となり4へ落水が始まり減水していた泥水池4も5も溜まっている。これで何とか一安心である。

      赤矢印に漏水部  ➡   潰した  ➡   復旧整復
 

バタフライ・フイールドへ敷き草

2021-07-30 | 蝶の食草園
 先日、バタフライ・フイールドへ籾殻と落ち葉堆肥を一輪車4杯分運んだのだが裸地部分を覆う量には程遠かった。落ち葉堆肥は十分にあるから運び上げても良いのだが急斜面を押し上げる際にバックしようとする重さに負けてひっくり返されてしまった。我が身も後方にひっくり返されて、まあ、事なきを得たからよかったものの大怪我の過去、アキレス腱に傷持つ身なのだ。
 
 泥水池を造成し始めた頃に、土を一輪車で押し上げようとして押し返され、踏ん張ってアキレス腱切断の憂き目、結局、予定していた大震災のボランティア活動は頓挫した過去がある。今回、ひっくり返った事は「体力劣化」の兆候に他ならない。で、重い落ち葉堆肥を押し上げずに大量に発生した刈り払ったカサスゲで敷き草する事にした。
 敷き始めて気が付いた。既に成長している株の敷き草は問題ないのだが、まだ背丈の伸びていない株だと多少は被ってしまうのだ。これでは成長阻害しかねない。「押し切り」で細かく切断してばら撒くのが肝要の様である。

 そんな事から一輪車の船を外しフレームにてんこ盛りしロープで固定したカサスゲの枯れ草は二回目から「押し切り」で細断しなければならなくなってこの日の作業は終わり。午前中には31℃に達してしまって塩飴・麦茶が美味しいのであった。

           落ち葉堆肥を散らす  ➡   更に敷き草をした


ミソハギの花は秀逸

2021-07-29 | 小父のお隣さん
 S先生からは野外の植生で「夏季のミソハギは大切な植物のひとつ」と折に触れ教えていただいていたのだが小生には「盆花」と言う記憶や経験値に基づく情感の方が大きかった。
 ところがミソハギが開花すると同じころに開花するカラスザンショウの樹冠から届く唸る羽音には遠く及ばないものの、蜂類や小さな甲虫類がやってくる。その中で何時も探すし楽しみにしているのはセイボウで、いわゆる「青蜂」類なのだがフイールドではミソハギの花でしか見たことが無い。

 ところがこの頃は「タイワンタケクマバチ」という外来種が現れるようになって、このミソハギの花で観察できるようになってきた。だからどうした、と言われても返答に窮するだけの小生ではあるけれど、単なる郷愁の植物ではなく生態系に重要な位置を占めているだろう夏季の植物であるという事は理解できるようになった。
 郷里のミソハギは水田地帯の水路に点在しているだけで群落をつくっての植生ではないものの、ここフイールドでは群落と言って良いまとまりに育ってきたから、これはこれで花枯れの夏季には美しい風景になった。しかしながら遠景はそうであっても、その重要性は群落の中に入ってみないと理解できないだろう。

 ミソハギの花は小さく、言わば集団美なのだが小さいだけに吸蜜や花粉採集は瞬時に終わる。故に花に留まる時間は瞬間的でカメラを向けピントを合わせる時間も無く次に移ってしまうのだ。移動もランダムで予想は付かず小兵に泣かされてしまう「禿げ頭、総身に知恵が回りかね」てなもんや三度笠・・・。
 それでも胸の高さまで達した花穂に囲まれていると一瞬だが棺桶からお花畑へトリップした感覚が来る。クワバラクワバラ生望生望、聖母様。因みにだが姥捨て山には歳暮は来ない。

           


温水田の泥浚いとカサスゲ抜去

2021-07-29 | 水辺環境の保全
 温水田へ上棚からの流下水路の刈り払いをしたのが先日の事。刈り草を集積し刈り跡を露わにすれば池の様子も露わになる。上棚からの法面から漏水が甚だしく、結果として二つ池は水位低下し流下水路は干あがっている。この漏水を流れるままにしておくと浸食が進むので漏水孔にパイプを突き刺して温水田に落とした。落水させないで水を繋ぐとカニやイモリが入り込み更に漏水孔を拡幅させる恐れがある。
 かなりの量の漏水なのだが上棚の流入部が判明しておらず処置できないままで、今のところはお手上げだ。この状態が一進一退で継続しており一旦は重機で掘り返し鎮圧しないと耕盤下の漏水網はどうにもならない。漏水部が頻発する範囲を陸地化させるしか今のところ策は無いのだが埋め立て用土の調達先も運ぶ量も膨大で出が出せない。現在の二つ池水面面積を半分にするだけの埋土量はは0.3馬力以下の出力爺にとっては天文学的数値である。

 さてパイプで漏水を誘導し、その上を浚渫土で覆って安定させた。池の中央部のカサスゲは春に抜去したけれど、その後の繁殖で再び抜去せざるを得ない規模になってしまった。少しは残しておかなければ羽化台が無くなるし、で残すのだけれど成長が早く常日頃適正規模にしておくには手間暇必要な厄介な植物でもある。

       ➡  浚渫     ➡  カサスゲ間引き抜去

今日のトンボ「マルタンヤンマの産卵」

2021-07-28 | 小父のお隣さん
 いつも通りの水見回り。上流部から下り始めいつも通りの状態にさしたる想いも無く棚田部の畔で「ハッ!」として立ち止った。水稲の株元からトンボが飛び立ったのだ。目に入った瞬間から「マルタンヤンマ!」と確定できる全身の茶系色、「残念!」と思いつつ姿を追ったのだ。
 ところがシオカラトンボのアタックが直ちに始まった結果、舞い戻って水面に降りてくれた。これぞ神仏のご加護、父祖の恩恵、山神様の降臨に違いなかった。この幸運を見逃すほど耄碌していないはずなので当然撮影を開始する。とりあえず撮れる枚数は制限せず後で選択すれば良いのだ。それもヨイヨイになってからでは遅いから本日宵の口に選択、アップが望ましい。

     

 てなもんや三度笠、で似たようなカットばかりなのだが「良く撮れた」と思える物だけアップする。マルタンヤンマが明るい棚田部で産卵している姿は恐らく初めてではないか…。概ね泥水池で出会う事が多く、それも陰になっている場所が好みのように思っていた産卵場所なのだ。とりあえず撮影に満足。しかし水見回りを続けるのは通り過ぎなければならず産卵の邪魔になる。「仕方がないからお手紙書いた…」とつぶやきながらマムシか熊に出会ったようにゆっくりと後退。そして難無きを得たのだったマルタンヤンマは。これは小生の「惻隠の情」であり「おもてなし」でもあり「江戸しぐさ」でもあったわい。
 でもでもあの環境破壊NPOには絶対に見せないと心に誓った行動でもある。姥捨て山は世界が異なる幽界に近く、小生は妖怪扱いなのだからバランスは取れているし写真も撮れていた。そう!これで夕食は豪華に「素麺」で決まり!。

      

上の池の葦抜き

2021-07-28 | 水辺環境の保全
 上の池の葦が広がった。水面面積の半分近くまでになったから、もう猶予はなく見ていても片付く訳も無し、バカ長をつけて池に入った。この日の最高気温は32℃、胸までの防水バカ長はすぐ蒸れてしまう。腰回りに携帯蚊取り線香をベルト止めにしているから余計に通気が悪い。
 膝上まで水中に在ると言っても涼しくはならず、四本鍬を葦の株向こうに打って更に押し込み、グイグイと柄を押し根茎を浮かせてから摺動させながら泥から引き上げるのだ。太い地下茎なので大方は泥中の中に残ってしまうものの、1本1本引き抜くより早いし確実だった。

 昨季までは底の泥土まで腕を伸ばし生え際を掴んで曳く抜いていたのだが、大方プッツンするか力負けしてスコップでしゃくりあげるやり方だった。今回の四本鍬を使う方が効率が良かったものの汗だくになってしまう事は変わらない。服装から冷却効果は妨げられるのは承知だったので水冷の帽子に代え、飲料水も麦茶に梅干しを入れ、塩飴も随時舐めながらの作業だったが半分も引き抜きが終わらないままに終了とした。
 誰もいない場所で熱中症で倒れ水面に浮かんだりするのは趣味でない。よろけて沈してもバカ長に浸水すれば立ち上がるのも難儀になる。去る大昔、郷里の河川でアユ釣りをしていた瀬古選手の監督は、その装備のために起き上がれず流されたのだ。まあ、池だから流される心配は皆無なのだが戒名は欲しくない。

 今回、ちょっとした作業の改良点は「3mほどの孟宗竹」を浮かべて使用した事だ。これを浮き代わりにし抜いた葦を載せておけば岸に一挙に運べると言うものである。やってみれば確かにそうなのだが竹を持って引くと竹だけが抜けてくる。竹の上の葦に四本鍬を引っ掛けて引くとうまくいった。抜いた葦は陸に上げ乾燥させ枯れ死させる。面倒だからと水際になんて置こうものなら復活させかねない。
 越後稲作農家の小父ごんぼうとしては「葦は父祖の代からの敵」なのであって、水田では漏水の元凶であった。葦原を許せるような水面面積の無いフイールド水域では「水域の席巻植物」である。少しは許しても繁殖は押さえねばならないのだった。

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カラスウリの開花

2021-07-27 | 感じるままの回り道
 先日、黄昏飛行を見に行った付近にカラスウリの蕾がいくつか見えたので散策・飛行待ちの間に撮影してみた。カラスウリの花は「一度は見たい」花で、その昔、ダリアの根茎のような根っこを掘り出し庭に移植した事があったのだがどれも定着せず失敗だった。
 フイールドの開花は出かけたことはあるのだが20時くらいになっても花が展開せず、これも不首尾のままだったのである。ところが今回は偶然ではあるけれどテッシュを丸めたような段階から開花した段階まで見る事が出来たのだ。しかしながらレース状の花は周りの葉などに触れ綺麗に開花できない物ばかりで少々落胆する。
 それでも時折立ち寄っては開花を楽しむ時間となったのだった。

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突端台地、バタフライ・フイールド

2021-07-27 | 蝶の食草園
 普通は「バタフライガーデン」とでも呼ぶのだろうが突端台地の小さな区画は「バタフライガーデン」と呼ぶにはいささか躊躇がある。趣旨から言って多くのチョウを集める目的でも無く、植物はフジバカマで「アサギマダラ」を誘蝶するのだ。それだけでは貧しい環境にも思えたからオミナエシやノアザミも種子繁殖させ定植し庭にあったオイランソウも移植した。
 オイランソウは昔日の頃、至る所で開花していた高生種が欲しかったのだが、昨今は矮性種ばかりになってみずぼらしく見える。名前も「フロックス」とかが通用してオイランソウでは差別的なのであろうか。背丈を越え長く咲き誇る高生種オイランソウは憧れの花で、今でも一株欲しい花卉である。

 脱線は止して区画の話に戻せば、この区画をどう呼ぶかは迷うところだった。「ガーデン」とは肌が合わず「フイールド」とするには小さく、和英辞典で探すと「patch」:小さな土地、その作物、が相応しく思えたものの伝わらない単語表現だし…。結局は台地の野草植生も含め「バタフライ・フイールド」としたのだ。

 真夏日が続きお湿りも無いから、今期定植したばかりの苗は根が暑さに負けそうに思え、使えなかったモミガラをマルチ代わりに撒いてみたものの「焼け石に水」の有様だった。それに野草が勢力を盛り返し一部では埋もれているから急遽草取りをした。
 草削りで削り取った野草はそのまま敷き草として扱ったものの必要な量が無い。ここで浮かんだのは昨季の落ち葉プールの名残りの堆肥で熟成はしては無いけれどマルチには使える。これを運んで敷き詰め、その上に刈り取ったカサスゲを稲藁代わりに敷けば「完璧」なマルチになりそうだ。まだまだ木久扇師匠には負けない頭脳明晰が残っている。

今日のトンボ「一期一会のてんこ盛り」

2021-07-26 | 小父のお隣さん
 Sさんから誘われて近くの調整池に「黄昏飛行」を見に出かけた。「薄明」の頃が最大になるとかでこの時期では19時過ぎなのだが夕食を素綿で済ませて17時過ぎに出発。現地は自宅から散歩がてら行ける場所でも小生は年に1回行くかどうかの場所だ。環境的に鳥もトンボも豊かなのは承知で、活動フイールドでは見られないトンボの種も多いのも承知。それでも行かないのは「活動フイールドに出現、あるいは定着」こそに価値を置いているためで、そのための「汗身泥」なのであるから「居るところに行って見た!」ところでフイールドでの価値には及ばない。

 それでも今回、出かけたのは「黄昏飛行」の種がフイールドにも生息している種で、フイールドでも「黄昏飛行」は見ているとのS先生の話だったが独りで逢魔が時に行くのは恐ろしい。林内の物の怪の感覚は多々覚えるところであるが怖ろしいのは二本足で歩く猿なので、これだけは予測も出来ず独りでは出かける訳にはいかない。
 調整池での「黄昏飛行」観察は観察会だと言うから安心して出かけたものの結果的には解散時間の19時半頃はまだ早い時間だったようで数えるほどしか出なかった。一方で蝙蝠は数を見たから「高級とんぼ食べ放題」の夕食だったのだろう。小生は素綿二束でしかなかった。素麺二束…。

 しかしながらそれまでに実物をみたのがフイールドでは未確認種4種で、これは「高級蜻蛉てんこ盛り」に違いない。それも一期一会と言って良い種でもある。固有種では全く無いけれど活動フイールドでは生息も飛翔も無いし環境的にも難しい種なのだ。
 黄昏まで散策しつつ見かけたトンボを撮影。チョウトンボの集団飛行、ハラビロトンボの♂♀、コシアキトンボやハグロトンボなどの中型種、大型種では「酔っ払い」と呼ばれていたマルタン、初めて見たオオヤマトンボ、記憶には無いカトリヤンマ等々、一期一会のてんこ盛り。まあ小生は越後人、越後人の一会でもあったかいな。

      ハラビロ          オオヤマトンボ

今日のエッ!品「ヨモギ味噌パン」

2021-07-26 | 何よりの楽しみ
 まだ梅雨の盛りの頃、当然雨も盛りで自宅軟禁中だがテレビも読書もそうは続かない。眠気冷ましに台所で立ち仕事にした。お茶うけも欲しいので簡単に「ヨモギ味噌パン」を試す事にしたのだ。
 冷蔵庫内にはバターも無く、購入に出かけるほどの熱意も無くて、しかしながらボソボソした口当たりは避けたいから卵を2個にしたレシピで作る。味噌は自家製の麦味噌なので味噌の風味に欠けるきらいはあるものの、この方がヨモギの香りを殺さないで済むかもしれないと選択したのだ。

 後は冷蔵庫に張り付けた付箋のレシピ通りに材料を揃え撹拌し焼くだけなのだが、9個出来るつもりが7個分しかなくて意外だった。今まで9個を作っていたのに2個の減少で、この2個分はどこに消えたのか謎のままだ。さて25分ほど加熱して出来上がり。熱々を早速試食してみた。バターは入っていなくとも卵2個分の効果はあってシットリした口当たりだ。何よりも望んだヨモギの風味だが「味噌パン」と言う事もあったのだろう、やや期待外れ。それでも噛みしめる毎にヨモギの風味が味わえた。ヨモギ大福の香りのイメージとは当然異なって、これは次回の修正要素。

 おやつ時に麦茶で頂くつもりが試食で2個食べてしまった。これでは軽い昼食みたいなもので、牛乳とアイスを食べれば本日の昼食量になってしまいそうだ。いささか少食に見えるものの、卵、味噌、ヨモギと入っている事からたんぱく質もミネラルも食物繊維もバランスは良いだろうと素人判断。まあ、信ずるものは救われる。

  ➡  

泥水池4の除草

2021-07-25 | 水辺環境の保全
 大小五つある泥水池の内、下流部二つに水が流入しなくなった。梅雨時なので渇水ではないのだが、恐らく泥水池1でトンボ池との分水に問題があるのだろう。あるいは漏水か、どちらにせよ確認し原因排除しなくてはならない。

 最下段の泥水池5はイネ科の高生種が生え盛ってここは抜かずに地際から切除した。ここは既に水が涸れ溜まりになっていた部分にはオタマジャクシとメダカの死骸が固まっている。
 泥水池4の除草は全てカサスゲと言って良い。それも春先に少しだけ残しておいた部分には大株になって範囲を広げている。こうなると周囲の草勢と相まってトンボの飛翔を阻害する。水面にはヒシが繁茂して、これはチョウトンボ誘致の奥の手なのだけれど今のところチョウトンボの確認は無し。もう少し広い空間を欲する生態かもと思ったりするが、水域上部に入れればその水域から下流はヒシで席巻されてしまうのは必定で、それはそれで「環境破壊」の何物でも無くなる。

 それでなくともヒシの実が充実すると盗り去られ、同一犯ではないだろうがヒシの実を上流部に投げ入れていく輩がいて、初夏にはヒシの発芽を監視して抜き取らねばならないのが例年の行事みたいになってしまった。「労せず利を採りたい」と言う理で道理の無い輩はどこにでもいるものである。

 水が減ったから長靴に水が入る心配は無くなったもののカサスゲが成長肥大しきった結果、抜きとるのに難渋した。水域下段の池なので砂泥の沈殿は少なく、そのことが逆に基盤層へ地下茎を進入させやすい環境を作った。このため四本鍬は使えず剣先スコップでの掘り取りになる。
 斯様に剣先スコップでの掘り取りを繰り返してきた結果、水深が増して長靴上縁ギリギリになったのだ。しかしながら今回は湛水量が減少した結果、掘り取りやすくなりかつ根塊だけを切り離し越流ギリギリの堤の盛り上げに使えたのだ。「禍福は糾える縄の如し」。

      始まり ➡   終了     堤の嵩上げ


泥水池3の除草

2021-07-24 | 水辺環境の保全
 連日真夏日では作業を続ける意欲が減退するばかりだ。梅雨も明けないうちから蒸し暑い真夏日の連続で、一日は猛暑日を記録している。こんな時は苦労は後回し、ちゃっちゃと済ませてシャワシャワーに限る。
 そんなことで泥水池3の除草も2日がかりになってしまった。イネ科の何とやらは指で搔き集めてもランナーが広がっているので処理は楽なのだが四つ這い姿勢で行わねばならない。楽をしたくて四本鍬で掻いてもとり残しが多くなる。まあ、楽は出来ないように神様仏様が決めてくださったのだ。

 それより大変なのがカサスゲの抜去で四本鍬を打ち込み柄を倒して浮き上がらせようとしてもタコ足のごとく基盤層にまで摑まっているから、結局は剣先スコップの出番である。足をかけ踏み込み、グイッと浮き上がらせてウントコショドッコイショしても難渋する。こんな作業を何十回繰り返した事か。すぐ「今日は帰ろう」と悪魔が、いいえ天使が囁いてくれる。イヤイヤ韋駄天かもしれないのだ。それも逃げ足が滅法早い・・・。
 それはともかく泥付きの根株は株元で切り離し畔や堤の補修に回す。抜きながら補修しながらと一貫性のない作業なので進行状態も芳しくは無いのである。

   ➡   

 この作業中に「なんだこれ?」と水藻の中から拾い上げたら卵だった。鶏卵と少々異なり楕円が小さい。鶏卵を投げ込む馬鹿がいるとも思わないが、石や枝、竹など投げ込む輩がいるから信頼性は薄いけれど、産み落としたと考えるのも早計過ぎようか。結局は「謎の卵」となった。
 「帰宅して生卵でも飲みなさい!」と言う謎かけかもしれんかったが生卵より梅炭酸が飲みたい。悪童の頃、近所の飲み屋兼食堂の裏で卵を拾った事があって、割った途端に悪臭に囲まれた。「途端の苦しみ」の初体験であったわい。

                      ➡   

今日のトンボ「コシアキトンボ」

2021-07-23 | 小父のお隣さん
 上の池に立ち入って葦抜去中、至近をコシアキトンボ二匹が追従飛翔していく。ともにオスでメスは見つけれなかった。飛翔がゆっくりなので撮影できるチャンスと思ったものの両手はゴム引き手袋で泥だらけ、デジカメは尻もちついて水没するのを恐れ陸のバックの中、ケータイはバカ長靴の胸ポケットにあるが電源OFFのままで間に合わない。「あーあ、マーフィの法則通り…」とあきらめた。

 それでも作業終了後に全景を撮影している時に飛翔を確認、何処かに止まるのを動かずに辛抱していたら運が巡ってきたのだ。故事にある「待てば快時の機会あり」そのままになったのである。喜び勇んで撮影する事何カットか、そこで気が付いた。「最初の撮影もこの枝だった!」、初記録写真は池に張り出したコナラの枝先に止まったのを写したのだ。おりしも同じ枝先であるから習性的に好みの場所と言うのは早計過ぎるか・・・。日当たり良好の場所より木漏れ日のある影と日向の境界当たりでの飛翔が多かった。

 喜び勇んで帰宅。PCに画像を取り込むために接続したらファイル二つある。どういう訳か勝手にファイルが作られる事があって、どういう訳か勝手に振り分けられる時も有るのだ。二つ目のファイルは使わない画像になってしまったので、うっとおしいから削除して本来のファイルを開いたら本日撮影したはずの十カットほどが全くない。削除したファイルに入っていたのだった。「元に戻す」をクリックしても無駄、「ゴミ箱」を漁っても無駄、かくして本日の首尾「撮ろう、撮った」は儚く徒労となったのだった。

 作業終了時の様子は翌日でも構わないのだが「フーテンの虎さん」状態のコシアキトンボでは翌日も居るかどうかの保証はないし、この日観察したところではメスは見なかったから、おっつけ風来坊で去るのだろう。返す返すも大ポカしてしまった。

 それから執念の「日に三顧の礼」を採って三日目、ようやく姿を確認できたが一匹だけだった。それもシオカラトンボの猛アタックばかりで止まる事すらままならない。ようやく止まった僅かな機会で撮影できたのが上掲の1枚。待ち受けのためカメラの電源を入れっ放しで充電不足になりカメラはダウンした。ああー「待てば回路の日和見なり」。
 逆光なのでコシアキトンボに見えづらいが待ちに待ったコシアキトンボの1枚なのだ。写真を子細に観察すると翅の傷みが見える。この池で待っていてもメスのご到着は恐らく望めないだろうから、いささか哀れでもある夏の日。


今日のエッ!品「タコはアシを喰う」

2021-07-23 | 感じるままの回り道
 上の池で葦抜去中、泥土から抜かれた地下茎の真っ白な肌には魅かれる。概ね親指程度の太さの地下茎が目の前にある。男の端くれに居る小生としては「白い柔肌」を目の前にしては迷わずにはいられないのだった。ホント、白い太ネギのような「絶対美味しい…はず!」の妄想が消えない。有毒では無いと思っても確証はなし、でも食べてみたい。ましてや「据え膳喰わぬは男の恥」とも言うではないか。

 そこで根拠を考えた。「ハスも地下茎、葦も地下茎」である。義経でさえ「馬も四つ足、鹿も四つ足」と鵯越の急斜面を下ったのだ。ましてや近代化された今日、食材だって古色蒼然としたレンコンだけで良いはずがない。とまあ、陳述すればこんな弁論になるのか・・・。
 思い起こせばレンコン以外に中空の食材はたんとあって、タンポポの茎、ネギの葉、竹輪とうとう数えることが出来る。ましてやSGDsだったかSDGsだったか推奨される昨今、バスには乗らなければならないのだが、姥捨て山にはバスは無い。仕方が無いから「お気持ちだけの協力!」で決定。

 遠い昔、「食材を大切にしよう」の心持に従い「スッポンタケ」を調理した事があった。湯通しを数回繰り返し味付けは少し豪華にと「チキンコンソメ」ではなく「牛肉コンソメ」にしての一口、スポンジ質で中空スッポンタケは「美味しい」はずだった。口に入れ咀嚼も進まないうちに吐き出してしまった。「臭い臭い臭いーっ!」これで手間暇お金をつぎ込んだ「スッポンタケのビーフコンソメ煮」は封印され闇の彼方に行った。
 葦の地下茎はスッポンタケと同じ三主徴ともいえる共通点がある「白い、中空、誰も食べない」、さーて如何する「疑をみてせざるは雄なきなり」と背中を押す物の怪がいるのだが「疑を見てしなければ憂もない」のも真理で、わが心は千路に乱れマドンナに出会った衝撃以来の煩悶である。
 で結局は誘惑に負けた小生が存在し、この言い訳はしたくないので、ここは日本男児として断じて毅然と振る舞うべきだと心得る。武士は喰わねど高楊枝・・・。まあ、喰ってしまって高飛車だったが。

 それはともかく白肌の地下茎を選びハサミで切り取る。切り取る感じで硬さの違いも感じるから軟らかい感じの部分だけ持ち帰った。水道水で洗い、二つ割にして茹でてみた。茹で上がった一本を齧ってみたら硬い。固さも繊維っぽいと言うか筋金入りの筋っぽさなのだ。これでは食えないし風味すら感じなかったので思惑は大外れ。つまりは「葦危食べ物」に他ならなかったのだった。

 これで爺も学んだのだ。生涯学習とはこういう事を言うのだろう。社会人として実家を出る時に母は「都会には悪い女子がいるから気をつけなさい」と言って送り出してくれたのだが、あれから何十年、今になって白い肌見た目の魅力に動かされてしまった自分が情けない。黄泉の母には申し訳ない。まあ、人間とはなんと業の深い生き物なのだ。そこが見えない。
 然るにではあるが少し自己弁護すると乱視に遠視が入ってしまったハイブリッド眼なので真贋を見極め難くなっている可能性もある。勘ピューターの処理間違い、回路の損傷とうとう小生の責とは言えない事情は汲むべきだと思う。このような対処は国家中枢の方法論を障害学習し実践しているから間違いはない。今日も大暑だ!。
             
               ➡    茹で上がったが筋金入りで食用不可。味も無く心底「悪し」であった