未収穫籾の山なり猪の糞
糞だまり雨に洗われ籾の山
くそ悔し手塩の稲は猪の糞
くそ!などと言う口惜しい籾の糞
どういう理由だったのか、駐車場にオオスズメバチの女王がもがいていた。体長50mmに届かんとする立派な女王蜂だった。
「見本に欲しい」と会友が言うので専用殺虫剤を頭部に噴霧した。さすがに専用と言うだけあって効果が早い。ものの1分で動かなくなった。
蜂に薬液を噴霧して攻撃能力を奪うのは良いのだが、その後の蜂の硬直は押しなべて丸まってしまう。だから体軸を直線にしている時より小物に見えてしまう。その理屈のせいなのか、飛翔している蜂は大きく見えることが多い。捕らえてみると「なーんだ」と思ってしまうのだ。
と言ってもサイズは当たり前のサイズなのだから、感覚とは不思議であるが、当地も二日続きの霜のフイールドだというのに、昼ごろになるとオオスズメバチが飛翔してくる。気がついた時は動きを止めるのだが、蜂はわざわざ接近して過ぎ去っていく。
どういう感覚だろうと思うけど「確認・観察」のための接近らしい。そんなことで秋になると上空を飛ぶ飛行機の音さえ、蜂の羽音に聞こえるのだ。特に高空や機影が視認できない距離の音は耳を澄ますほどそっくりだ。小生が硬直する番である。
集積した竹の再集積が終わってみたら、その上部の切り残した地上部が無残に見えてきた。景観だけでなく、刈り払う時も、立っている稈が邪魔になって刈り払い機を導入できなかった部分だ。
実生の若木も育っているし、その分植栽する手間も省けるから、今後の手入れを考慮して残った地上部を伐り取った。すっきりはしたのだが、今度は若木の日射量が南側の竹林で阻害されているから気持ちだけだけど除伐した。連鎖的と言うか芋蔓式というか、次々と作業が出てくる。自転車操業と同じである。
下草刈りと言うより「刈り出し」作業は、手鎌の作業で処理する草本を地際から刈り取っていくのだけど、これが意外と手間を喰った。ヤブマオを刈り取ると粟粒くらいの黒い種子が大量に上から降り注ぐ。襟元から肌着の間に入り込み、緩くなった靴下の中まで入り込む始末だった。
除伐した竹の処理は会友のO氏、M氏が入ってくれたから思わぬ捗りようだった。しかし連日の作業で腕が痛いだけでなく、家に帰って炬燵に入ると、立ち上がるたびに「よいしょっ!」の掛け声が出てしまう。身体もお疲れだ。もう日帰り温泉に行くしかないなあ。
原っぱ周辺の竹の集積箇所を崩して窪地に再集積したのに続いて、段々上部の集積も崩して窪地に投入することにした。これは植栽してある幼樹の下草刈りをするときに、狭い段の平坦部が更に狭くなっていて、刈りにくかったのを解消するためだ。
下に投げ落としてから窪地に投入したので、持ち運ぶ手間が半減して処理は早かった。投げ落とす周辺も幼樹が植栽されているのだが、「避けて投げよう」と意識して投げると直撃したりしてしまうので「マーフィの法則」を思い出すはめになった。
集積してあった竹は五年は経過しているのだがまだしっかりと原形を留めている。除竹も手間仕事だけど、処理した竹の稈と枝はフイールドのお荷物でもある。集積すれば地拵えや刈り払いの邪魔になるし、破砕機でチップにするにも手間と時間がかかるからだ。
集積そのままでは、竹の間や周辺から成長する藤蔓やススキなどが作業の邪魔になることが多く、動力は使えなくて手仕事での処理となって厄介の種になる。「虎は死して皮を残す」とのことだが「竹は伐られても厄介を残す」なんちゃって!。ごめんね竹ちゃん。
トンボ池の造成も終了して侵入竹の除伐を始めようと思ったものの、この夏のオオスズメバチの営巣場所を確認したところは、全て除伐した竹の集積した下部にあったのを思い出した。
原っぱを取り巻く斜面にも竹の集積した箇所が連なっている。原っぱを通る遊歩道脇の巣は9月に処理したところだ。
もう営巣のシーズンは終わったが、来シーズンのリスクを下げる為に、原っぱに近い4ヵ所の集積材を窪みに再集積することにした。集積した断面は概ね1㎡、竹の長さは4メートル前後のもの4箇所を、会友のO氏と運び込んだ。結局、食後も1時間ほど作業を続け、ようやく完了する。
写真手前が再集積した古竹、奥が元々集積してあった場所であるが、見た目もすっきりとして、窪みも埋まってリスクも多少は減ったと思う。この一帯は、最近幼児を連れた母親のグループなどが度々訪れるようになったから、余計な手間だったが「転ばぬ先の杖」だ。
すっきりして、孟宗竹に蹂躙される前の茶畑跡の段々が美しい。ここにはシナノキやムクノキなどを植樹する予定もあるけど、はたして苗の支給があるかどうか…。
遊び子は多動なれども四つ這いの姿勢はとれず額摩り行く
手に蛸を作りしほどに遊び子はターザンロープで今日も遊泳
山肌を両手つきつき上がる子ら多動おさえて手足を一途
一列で山道なれば先行けぬ多動の見えぬ隊列のさま
脚一つ椅子に座りし多動なる子の背は伸びて紙芝居みゆ
水草を採集移植するために鞍部にある溜池1へ到着して唖然とした。周囲の平坦地は猪が穿り返してボコボコ状態だった。
ここも耕作放棄地でアズマネザサが密生していて潜り込めないほどの藪だったところを刈り払って草地に誘導中の場所である。
刈り払ったアズマネザサは集積しないで朽ちるに任せて数年、昨年辺りから原形を留めない腐食質になってきたから、猪様には格好の餌場になっていたのでろう。もう歩くのも難儀、整地する気にもならない。
周囲は木々に囲まれた別天地だったのに…、人の気配が更に少ない場所だから、猪にも別天地と言う訳だ。背負い籠の水草の株が重かった。そう言えば、昨日の当地の新聞に、フイールドに仕掛けてある猪用の罠が繰り返し悪戯される被害にあって困っている、という記事が掲載されていた。仕掛けなおしても再三再四セットを無効にされるのだそうだ。
悪戯と言うより確信犯に近いが、この手の輩は天上天下、遍く生息している有害鳥獣だけに打つ手はない。
カタバミの虫を探せば我の目に種は弾けて溢れる涙
木枯らしは過ぎて小春の日和なりヒョウモンチョウは日向に温む
日照の回復したる林床にスミレ一葉見つけし我は
春来ればスミレ群落出でし場所秋草刈るもスミレのように
11月の月例会で造作した排水路の具合を確認した。上部からの氾濫水は全て新設の排水路により沢筋へ流れ落ちている。トンボ池と排水路の間にある二面の棚田跡の平地は綺麗なままだった。
これで棚田跡の不必要な浸食を抑えて、安定した草原に誘導できるというものだ。トンボ池も氾濫水により浸食や土砂の流入が減少するから、安定した環境を維持できるだろう。池が満水になってオーバーフローから排水されているので、メダカが流出してはいないか気になったのだが、桟橋の日陰の部分に集まっているのが見てとれた。
こちらの動きに応じて「ポッ」と水中に潜ってしまう。10匹は数えたから、メダカにとっても元気に生活できる環境になっているのかもしれない。たかだかメダカやヤゴの生息場所のために大仕事になってしまったが、両腕の筋肉痛が思い出す「よすが」だなんて少々情けない。
11月初頭と言うと、まだ当地は紅葉には早いが、薄暗い林縁をひときわ鮮やかに彩ってくれるのが、センリョウの実とサラシナショウマだ。
11月に入って早々に、もう真っ赤に熟した実をつけている。どうも例年より着色するのが早いように感じたのだが、正確な記録はしていないので誤りかも知れない。
サラシマショウマは花穂が大きいから薄暗い林縁でよく目立つ。初夏のヤマブキショウマやオカトラノオも白い目立つ存在だが、サラシマショウマの個体は少ないのだ。これは山菜として採集される対象だったのが理由かもしれないけど、さすがにこの頃、これを食する人達はいないだろう。
サラシマショウマも11月下旬になると既に実をつけて更に穂を垂らしている。
一日降り続いた雨でトンボ池は満水位になった。満水位になってみると堤の高さはそれほど高く感じない。もう少しかさ上げするか、水位を下げるかした方が良い様に思える。
水の取り入れ口はオーバーフローより10cmほど低かったが、玉石で堰をつくり水を貯めたから、今の所は順調に流入している。しかし出水のたびに抵抗を受けるから、堰がなくても取水できる上部に移設の必要があるだろう。でも塩ビ菅数メートルを埋設しなくてはならないから躊躇がある。
なんやかんやで、土むき出しの堤を眺めていたら、もう少し移植をする気分になった。彼岸花は大土手の斜面に、セリは導水路の水辺と泥水地に、シャガは日陰になる導水路への流入口付近に植え込んだ。オオバコは穂ごと切りとって通路になる土手の上面に振り播いた。
穂は未明までの雨で濡れていて、ゼリー状の粘液が顕わになってベタベタと気持ちが悪かったが、不思議なことに両手とも、その後ツルツルピカピカなのだ。保湿効果というか美容効果があるのかもしれない。一攫千金のチャンスである。