トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「マユタテアカネのメス」

2020-10-31 | 小父のお隣さん
 「今日のトンボ」も休載期間に近づいた。既にマユタテアカネとオオアオイトトンボの二種しか見かけなくなったフイールドでは、そうそう話題も出てこない。
 マユタテアカネは降霜後も元気なトンボだけれどオスばかりしか目につかない。連結体でのメスは撮影出来ても単独の撮影は機会が無かった。それが今回ようやく撮影出来たのだ。気温が下がり、比較的暖かいところで体力を温存させたい時期になった事もプラス材料なのだろうけれど、はい、その中の1枚。マユタテアカネのメスをアップしたのは恐らく初めてである。

 トンボ以外まで広げると、オスが着飾る種やメスが着飾る種などあるけれど、我々の種はメスが着飾るように思える。種としての生存戦略によるものか、はてまた社会を構成する生物だからなのか分からないものの、ミツバチが目立つのはメスだし、蟻もそうだかどうだか…、とにもかくにも種としてのヒトのオスは影が薄い。小生は更に頭部が薄いが、おっつけさらさらになるのだろう。

           


伐採樹の曳き落とし

2020-10-31 | 今日は真面目に
 先日に用材として使いたくて50年生のヒノキを1本伐採したのだが、崖地にもたれてのまま未処理だった。これを下に落とさないと使えないので資材一式を一輪車に載せて現場に行った。崖にもたれている幹は上部にロープを掛けチルホールで曳いて倒した。崖の上のポニョ、いいえ、崖の上の上半分は枝を払い幹だけにしてからチルホールで曳き落とした。
 文章はこれだけだから簡単に終わったように思われるだろうが幹中央部の1本でさえ足場が悪く、その上ロープは上部に掛けなければならず苦労したのだった。

 崖の上の上半分も引き落としたいのだがチルホールのワイヤーが届かない。そこで牽引ベルトの長いのを幹に巻き付け不足を補おうとしたものの、ワイヤーフックを上から引き揚げるためのロープを投げても崖っ縁に届きにくく汗をかくほど投げたのだった。それでようやく尾根の末端から踏み分け道を歩き現場で接続したのだった。
 この時は枝払いしておらずチルホールで曳いても枝が踏ん張って動いてくれなかった。結局はチェーンソー携え再び現場で枝払いをしたのだ。独り作業は効率が悪く手間暇ばかりで、これが嫌だと作業は出来ない。

 二本とも下に落し並んだ。玉切りは用途を考えてからするが、ちなみに樹高を計ってみたら上半分が10m、下半分と半割にした幹の部分と桶にした木元の部分で8m、崖の上には梢の部分2mがあるから樹高は20m前後の50年生ヒノキという事になろう。
 チェーンソーの切れ味が落ちていないので、もう一本の斜傾ヒノキも伐採しようかと思ったものの。さしあたり用材の使い道が思い浮かばないから後回し。本音はくたびれたので帰りたい…。

     中央部を曳く  ➡   上半分を曳く  ➡   二本落した


たまには撮れる

2020-10-30 | 小父のお隣さん
 鳥類の撮影はカメラの適性もなく趣味も薄いので写す行動は稀なのだが、といえば聞こえが良い。実際は写せないし機会も少ないし鑑賞に堪えないレベルでしかないから写そうと思わないだけなのだ。
 ところが今日は水見回り中に飛び立ったカラスと鳩の中間ぐらいの猛禽が去らずに枝に降りた。「これは写せる」と慌ててカメラを出したのだけれど平常心が無いのは如何ともしがたく何とか種を判別できそうなのは1枚だけであった。普段なら遠くに飛び去るのだが、どういう訳か近くの枝で少しばかり留まってくれた。自分ではハヤブサと思ってみたが、写真の出来は「ボツ」水準である。
※ 後日、Sさんから「オオタカ」との教示があった。図鑑「野鳥」のイラストを参考に判断したのだが、絵と写真が似通っていたのはハヤブサだった。オオタカは色も淡く斑紋も薄く小さかったので選ばなかった。要は「知っていない」に尽きる。

 もう1枚は一昨日に鳴き声を聞き、昨日はオスの姿を見たジョウビタキである。鳴き声で気づいてカメラを向けたのだが、これも使えるのは1枚だけだった。なかなか姿を認められないメスのようだ。まあ、こんなこともたまにはあるのだ。

          

 

棚田米の脱穀

2020-10-30 | 今日は真面目に
 今期の棚田米の脱穀にようやくこぎつけた。稲架の幅いっぱいにまで稲束で埋められなかったから収穫量は少ないと予想していたものの、脱穀した量だけ見れば平年作であったと言える。

 稲束が少なく思えたし、二つ池の護岸木交換の作業も日程に上げていたから脱穀作業をする予定ではなかったものの「結局は丹兵衛どん」で小生に足踏み式脱穀機での作業が回ってくる。で結局はギッコンギッコンンとこぐ羽目になったのだ。唯一の農家出身者だから当てにされているのだろうけれど、いかに田舎であったとしても既に少年期の脱穀作業は電動式で行っていたし足踏み脱穀機など使った事も無かったのだ。その意味での経験値は横一線なのだが、なぜか小生一專になる。

 片足でこぎつつ両手で稲束を動かしての脱穀作業は、ことのほかくたびれる。途中、休み休み作業を行い11過ぎにようやく終了した。結局、池の補修作業は出来なかった。
 この後、県下に二カ所しかない有料籾摺り機まで運び精米までする。籾の総量は一輪車1杯程度で30kg程度はあるだろうと言うのが代表の見積もりだった。出来上がれば田植えと稲刈りに出たボーイスカウト隊員の家庭に分配すれば今期の稲作は終わる。

             ➡    脱穀量


棚田部、堤の補修

2020-10-29 | 水辺環境の保全
 今期は特に酷く、既に棚田の周りは耕起されて草も生えていない。それだけならまだしもで、上端面や水際の肩部まで崩し広げるから水面の高さと同等に成り下がってしまった。降雨で出水すれば越流しかねず、これによる浸食は結構、被害甚大になる。補修する土砂を採取する場所もないフイールドなので越流破壊は何が何でも避けないと小生の体力では維持できなくなる。いわゆる「小事は大事」なのだ。

 てなもんや三度笠、で凍結前に泥土だけれど補修した。前述のごとく用土が無いから棚田の泥土を浚って盛り上げ乾燥させるだけだ。晴天が続くこの時期にやっておくべき作業でもある。本来は田圃の泥土を掘り取るなど行いたくは無いけれどやむを得ない。そうでもしなければフイールドは病んでしまうだろう。
 水際線に多く生えていたミゾソバ類は茎が長く倒れ気味でこの根土ごと絨毯のように捲って田んぼに落とすので高さの減りも堤の痩せも早いのだ。これをそのまま引き上げても植物質の多い体積なので結局は腐食し威之志士様が掘り返すことになる。捲られた根土と葉茎は鎌で分離させ排除しないと更に誘引する要因になる。

 泥土を浚うよりこの処理に手間暇時間を要し、作業範囲や見た目の量より作業量は多いのだった。泥盛りした当初は足跡も付けないが乾燥するに従い足跡を付けるようになり、最後は掘り起こし崩してしまうのがお約束でもある。それを少しでも遅くするために忌避剤としての効果は数日間だけなものの竹酢液を散布しよう。絶える事のないイタチごっこ、いいえ威野志士ごっこでは、自らの精神衛生を図るための鬱憤忌避剤でもある。

                ➡   

マーキング体、初見。マーキングなのか落書きか…

2020-10-29 | 小人閑居して憮然
 日曜日、フイールドでアサギマダラの産卵を鑑賞していて昼の時間になっていた。でもSさんに誘われて郊外のフジバカマを見に行く事にした。市内市外を問わずフジバカマの花壇を用意してアサギマダラの来訪を楽しみにしている箇所が複数あるのはニュースなどで承知していたが、至近の市内でさえ訪れた事はない小生なのだ。まあ「他人の物など見たところで・・・」という気持ちがあった事は否めない。身内が大切なのである。

 最初は市外の予定だったのが、思わぬ産卵鑑賞で時間を潰したから至近の市内に変更し出かけた。現地ではお目当ての花壇が消失していて「残念!さぶらう」事態になったものの、少し足を延ばした横道に群落を見つけアサギマダラを見つけて、急遽Sさんを呼んで、一件落着。
 3~4頭が飛翔していたが、この中の3頭にマーキングがあった。小生はマーキング体は初めて見たことになる。自宅でもフイールドでもそこそこのアサギマダラを目撃していてもマーキング体は無かったのだ。

 吸蜜している時間があるからマーキングの内容は読めるけれど落ち着かない。どちらにしても撮影したから自宅PCで大きくしてみた。日付はどの個体も当日のもので、恐らく午前中にマーキングされた個体なのは日付と地名で理解できる。しかし理解できないマーキングもあった。それは地名では無く、どうも個人のアドレスのような文字列だ。個体ごとに文字列は異なるから「移動経路をまとめている輩」ではないだろう。これではマーキングに名を借りた落書きで、こういう輩はどこにでも居るというのを更に強く感じた次第であった。3頭にマーキングが見られたが個人名らしい横文字はアップするに相応しくもなく腹立たしいだけだから消去に値した。

 

         

ジョウビタキ、入ってきたみたい…

2020-10-28 | 小父のお隣さん
 懐かしい、というより待っていた「ヒッヒ」という鳴き声が聞こえる。ジョウビタキの鳴き声に間違いないと思ったものの「カッカ」という音が聞こえず姿も見せないのでは確認の仕様が無かった。鳴き声の一節だけで理解できるほどの耳も無く、視認か「カッカ」という音を聞かねば断定できない小生なのだ。
 飛来してしばらくは姿を見せないのが概ねで、そのうちに警戒を解いて近くでも鳴くし、「送り狼」ならぬ「送りジョウビタキ」なんて行動も普通になってくる。勝手に姿を認めて「ギャーギャー」と鳴くヒヨドリよりはたんとたんとましである。その昔、雅の人たちの間ではヒヨドリは人気だったとか、小生にはその気持ちが全く理解できない。

 さて外来種のソウシチョウやガビチョウなどの鳴き声も、その都度教えてもらってはいるが記憶には留まらないから比較も出来ないし特徴もつかめないのである。とは言えカッコウやウグイスは良ーく判るし、「野鳥の声」CDの解説で「ヒバリやツバメの長いさえずりを覚えるのは難しいものです」なんて言い草があったものの、小生的には「これほど易しい類は無い!」というのが感想である。いくら長くても類似のさえずりは「無い!」ので間違えようが無い。小生でも判るのだ。

※ 帰宅後、鳴き声を聞いたが姿までは確認できず。翌29日、フイールドで視認した。28日飛来間違いなし。

アキグミはコリの味・・・

2020-10-28 | 感じるままの回り道
 コリといっても古里なので現在進行形の肩凝りではなく古い記憶の彼方である。フイールドの片隅にひっそりと育ったアキグミが熟していた。昨年も結実していたが青く硬いまま育たず散ったのだった。「子曰わく、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。」との一節を想ったものだったが今期は稔ってくれた。
 ヒヨドリに喰われて小生に口には入らない果実と思っていたのだがこの日は啄まれた形跡はない。思い返してみるとナワシログミもツルグミも最初に結実し熟した年は被害が無くて口に入ったのだった。ナワシログミで果実酒を作ろうと自宅裏手に育てた株もそうだったしフイールドのツルグミ挿し木苗から育てた株もそうだった。しかし翌年あたりから完熟しない前にヒヨドリに荒らされ、ネットを掛ければわずかな隙間を見つけて完食される手太楽で、数年後には業を煮やして除伐したのだった。

 このアキグミも恐らくそのような経過をたどるのは間違いないけれど、とりあえずは様子見である。少年時代畑地を越え水無川の周囲の荒れ池にわんさと繁っていたアキグミとアケビは喰い放題だったので秋になると通ったものだ。
 当時の記憶では「酸っぱい、渋い果実」の代表格のように思っていたけれど、今回食べた果実は意外に甘く渋みも薄かった。まあ、郷里野生の品種では無いからそうなのかもしれないけれど、アキグミやクワの実などは少年時代の記憶に直結している果実でもある。

           

「やって良い」ところはやらない!

2020-10-28 | 小人閑居して憮然
 常々、「くそ!どうしてなのだ!」と止むことのない鬱憤。けんおじさんが鬼籍に入った今は「脱糞だ!」は止んでしまったのに、これでは病んでしまいかねない。
 というのも威之志士様の跋扈蹂躙の日々、やられるところとやられないところは明確なのだ。やって良い場所は跋扈蹂躙せず、やってはもらいたくない生命線や急所な場所ほど狼藉を行う。それも水辺の湛水構造の肝心要の場所が執拗に狙われ破壊されるので、折々に補修を加えていても尽きる事のない手間なのである。

 「エントロピー増大の法則」にのっとっている、と言えば正しくそうなのだが、一方では「威之志士様増大の法則」も断固として維持されているから小生が諦めるしかないのだろうが「判っちゃいるけど止められない!」のだった。「生き続ける活動の結果としてエントロピー増大があり、それを捨てているのが生命活動である」という解説を想えば、まさしく水辺は「生きている」のであって、まあ必要不可欠で、スイスイスーダラダッタとはいかない日々でもあるのだ。ああ古き良き時代は去ったのであった。

 写真で一例を示せば棚田部のオーバーフローからの水路北側は梅畑なのだが全く掘り返しは無く、水路の方に盛り上げた浚渫土さえ足跡も付けていない。然るに水路南側は堤から畔から法面からトラクターで耕起されたかのようにペンペングサも生えない有様まで崩された。あろうことか大株に育ったフジバカマや育ちつつあるフジバカマの株など、育成していた植生までが影も形もなくなった。豚熱頂礼豚熱頂礼、いいえ豚熱招来豚熱招来、両の手を合わせ拝みたいけれどン十肩では拝みも出来んて…。

            

三角池、早速の泥浚い

2020-10-27 | 水辺環境の保全
 帰り際に三角池を覗いた。思っていたより絞り水が出てくる穴からの砂泥流入が多くて、このまま放置すれば冬になる前に水面が失われてしまうだろう。数センチしかない水深の中にズングリ体型のヤゴが水を噴出して前進するのが見えたから泥浚いしてから帰宅する事にした。

 中央から掘り下げて水を集める。そこに生物も流入するかと思ったものの大型のヤゴは動くわけもなく泥の上で足だけ動かしている。手に取ってみると5cmほどもある大型種だから、今期の産卵子ではなさそうだが、平たいヤゴは今期の産卵種だろうと推測した。少なくとも2種はいる。生存に必要な餌としてメダカを放流しておいたが、S先生は「泥土があればユスリカの幼虫が発生して餌には困らないはずです」とおっしゃったもののアカムシなどは確認できず、かわりにヨコバイが結構、泥の上にいた。これも餌にはなるのだろうが「エビなどは殻が固くて餌には不向き」とも話していたから、さてどうだろう。どちらにしろ生息成長しているのは間違いない。

                 ➡   

流下魚の回収

2020-10-27 | 小父のお隣さん
 冬季に入る前に上の池から流下した魚を戻すために落込み部2カ所に仕掛けを投じた。引き上げるまでの時間は二つ池の補修作業だ。
 仕掛けを投じて2時間余り、帰宅前に仕掛けを回収し、アブラハヤ3、クチボソ3の合計6匹を得る。アブラハヤは一昨年以前に放流した個体だと思われるが放流以降、確認の仕掛けには入っておらず、絶滅したとばかり思っていたのだ。この水域は母川のY川とは涸沢で繋がっているだけで、途中は何カ所も落差がある構造だから魚類の行き来は不可能な環境だ。故に放流魚だけだと判断して差し支えない。
 その上、泥土の底ばかりで水流も無い水域だからアブラハヤが生息し易い環境ではないのは確かなのだ。それが数年目に魚体を見たという事は小生的には晴天の霹靂に近い。

 クチボソは体長60mm前後の立派な成体だ。これをこのまま落込み部のツボで生息させていても繁殖には寄与させ難い。集団を好む魚種でもあるから、ここは上の池の群れに帰すべきなのだった。過日、上の池で生息確認した折、47匹を数えたが、それにこの2匹を加えれば49匹となる。仕掛けに入らなかった個体も考えれば50匹の生息は想定可能だろう。今夏の繁殖で恐らく「個体数倍増」といっても良いかもしれない。

 上の池に6匹を戻してから「しまった!」と思ったのは「アブラハヤを戻すべきではなかったか⁉」という事だ。クチボソが生息していなかった以前ならともかく。クチボソが入った現在では卵を食べられる可能性があるからだ。迂闊だった。こんな手太楽だから結局はうだつの上がらない人生だったのである。それを今更戻そうと思っても無駄で、故郷で言う「結局は丹兵衛どん!」なのである。故事来歴は知らない。

今日のトンボ「手乗りトンボは久しぶり!」

2020-10-26 | 小父のお隣さん
 降霜頃から急速に寒くなって既に最低気温一桁を記録した。水見回りでは気温が低いのを嫌というほど思ってしまうが、あの先日までの猛暑は嘘のような日々になったのだった。
 フイールドのトンボもその種を急激に減らしてシオカラトンボでさえ姿が無い。ハネビロエゾトンボやミルンヤンマらしい飛翔体を降霜後に視認しているのだが、もちろん判定は無理だ。これからの注目は生き残りをかけ、どの種が12月まで到達するかと言うような塩梅だけれど、既に東西の両横綱、マユタテアカネとオオアオイトトンボしか姿が無い。

 気温が下がれば早朝の水見回りでトンボの視認は無く、暖かさを感じる10時過ぎくらいから姿を見せるが、繁殖行動は行っても概ね日向ぼっこが多くなる。そんな時に佇んだりしゃがみこんだりしていると一旦は舞い上がったトンボが戻ってきて日当たりのよい小生の体に止まる機会が増える。トンボ最盛期でもある機会だけれど、この場合は「温もり」よりも「止まり場所」でしかない。
 見慣れたトンボでも、しげしげとゲジゲジ白髪眉を寄せて見つめると結構かわいいのだ。まあ、孫代わり…。写真のトンボではなかったが人指し指えを立て待ってみたらスルーされた。すぐ中指を立ててやったわい。去るトンボは追わずである。

            

                 秋寒や温もり得るは肌が良い


水桶の更新

2020-10-26 | 今日は真面目に
 フイールド駐車場蛇口下に設えた水桶、流し台みたいなもんだけれど砥石を使う時や泥長靴や道具を洗う時には重宝する。無くても構わないがあった方が断然便利な一品なのだ。最初に設えたテーダ松材の物は腐食が進み交換時期になっていた。取り換えたくても用材が無い。ある程度の大径材でないと使えない。ステンレス製の研ぎ台が手ごろな値段でホームセンターにあるものの、そんなものを置いておけば数日経ずに持ち去られてしまう事、間違いなしなのだ。

 今回、大径木を伐採し半割して渡しに使いたくて傾斜木を倒した。胸高直径40cmほどで年輪を数えたら55あった。木元の50cmほどを用いて桶にしてみた。今回はヒノキなのでテーダ松製より長持ちするだろう。恐らく小生がフイールドで活動するより長持ちするはずだ。

 伐採したヒノキ材は思っていたより太かったから半割丸太橋と泥水池の傾斜水路の水樋に加工しよう。丸太を段々に敷設した現行の落ち口よりは維持管理が楽になるかもしれない。

         太い木元で材をとる    ➡    交換した  

アサギマダラ産卵!

2020-10-25 | 小父のお隣さん
 朝、玄関ドアを開け一歩踏み出したらアサギマダラが飛び立った。ウッカリしていたがついついフジバカマが目の前にあるのを忘れている。今期最初の訪問だったのに、まあ例年そうなのだった。
 それはさておき、フイールドのキジョランに産卵しているのを初観測した。たまたまS先生とクヌギに止まっていたウラギンシジミの話を聞いていた時で、横方向のキハダの向こう側にチョウが飛んだような気がしたので、「もしや⁉」と思い覗いたらアサギマダラが産卵に訪れていたのだった。飛翔も卵も幼虫も蛹もフイールドでは見ているのだが産卵シーンだけは見たことが無かった。

 S先生もそうそう立ち合えている訳でも無いだろうし、ともかく産卵シーンを楽しむことにして離れていたSさんも呼び寄せ3人でご鑑賞となったのである。この時点ではキジョランの上部でしか産卵行動をせず、それでも葉を移動するので写しやすい位置での撮影も出来たのだった。
 写真をみるとキジョランの蕾も見えるので今期の結実は期待できそうな気もする。自宅のキジョランは何年も開花していたが結実する事は無く、業を煮やして食草園に移植した一株は今期結実している。しかし表土を威之志士様の跋扈蹂躙に遭い続けて直近まで掘り返されてきたので熟すまで蔓を維持できるかどうか心もとないのだ。

 一通り産卵した様子で飛び去った後、キジョランの地上近くの葉裏を調べたら一葉一卵、チョコチョコと産卵していた。すべての卵が蛹にまでならないものの1体くらいは透き通るような緑の蛹を見たいものだ。

          

古里は遠くに在りて思うもの、そして噛みしめ想うもの…

2020-10-25 | 何よりの楽しみ
 実家から魚沼コシヒカリが届いた。とりあえずはこの日のために保存していた魚沼産フキノトウのフキ味噌で頂いたのだったが日を置かずに次兄からアケビが届いたのだ。それを種と果肉を外すためにクチュクチュしていて思いついたのは「そうだ、魚沼産てんこ盛りで豪華一膳を頂こう」と言う事だった。これこそ究極のグルメ、贅沢の極致で満漢全席に勝るとも劣らない、三ツ星フランス料理フルコースなど屁でもない、のである。
 当人の成長過程の中で身体を作り記憶に留められた郷里の郷土料理「古コース」を眼前に置かれれば、好みや嗜好の前には格付けなど何の役にも立たないし、評判や人気物は薄氷みたいなもんだ。一品一品は貧しい暮らしのお惣菜でしかないのかもしれないが一方では宝珠の一品に近いという想いがする。

 食材は新着の新米とアケビ、保存してあるのはフキ味噌、干しゼンマイ、エゴ草、葉唐辛子の佃煮である。これで主食とお惣菜、フルーツは間に合うが汁の実が不足だった。できれば、あの大好きなキノコ「アマンダレ」があればエライコッチャーエライコッチャーと踊りだしたくもなるものの無理というもので、「オボロ豆腐」も手に入らない。これは絹ごし豆腐を崩せばそれらしく見えるだろうから作ってみる。自家製醸造味噌は無いけれど「澄まし汁」だから大丈夫だ。
 そこで再び思ったのはアマンダレではないけれど郷里に工場があるキノコが当地でも販売されている。笠の開いたナメタケを用いればそれらしく見えるだろう。姥捨て山の帰路、スーパーに立ち寄ってみる。さあ、キノコが良いか豆腐が良いか悩むところである。ざっと思い浮かべるとお爺に必要なたんぱく質が無い。これは「棒タラ」の煮しめを使えば完璧なのだが手に入る訳もなし。じゃあ「車麩」にするかと妄想だけは限りなし。

           
 
 フイールドからの帰宅後に全品揃えるのは素人の小生には無理なので、ゼンマイの煮物とサラシエゴの味噌漬けは前日に用意した。
 さて上掲の写真上列左から食用菊の甘酢和え、葉唐辛子の佃煮、デザートに魚沼産アケビ、魚沼産ゼンマイの煮物で中段真ん中が新潟産サラシエゴの味噌漬け、下段左から実家の新米と小豆のご飯、魚沼産フキ味噌、椀はおぼろ風である。これに車麩と刻み昆布の煮物を添えたかったのだが一食分としては量が多すぎるから止めた。
 食べ終えて満足した後は「墓参りにも行けなかったし・・・」「兄弟姉妹も老いたなあ」とまあ、前向き思考にはならず読書しながら寝落ち・・・。目覚めれば威之志士様の跋扈蹂躙にあった畔や堤を凍結する前の修復が待っている。