トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

アサギマダラ初見

2016-08-31 | 小父のお隣さん
 隣沢取水地の河床整地をしていた時、アサギマダラが河原に降りた。今季初見である。当然、撮影しようとケータイを出したが、トンボもそうなのだが出初めは神経質で接近させてくれない。距離4mではケータイの最大倍率でギリギリだ。
 最大倍率では画角が狭く被写体を捉えにくい。もたもたしている間に飛び立つ。こんなことを数回繰り返しているうちに沢のカーブで見失ってしまった。
 飛来初期の頃は林縁で見かける事が多いのだけれど、河原で石伝いに飛翔していた理由は分からない。吸水でもない動きだった。

さて一番に早いのは…

2016-08-31 | 感じるままの回り道
 フイールド駐車場に到着するとドアを開けないうちから群がって来るのがウシアブである。ウシアブのお目当ては温まった車のタイヤやボディの様で、恐らく温度を感知して寄ってくるのだろう。目当ては車だから、なんて油断していると衣服の上から咬みつかれる。これが結構痛いのである。
 「咬まれぬ先のビンタ」と言う通り、寄ってたかってくる個体を一匹ずつ片付けるのも日課のようなものだが、少年期から続けているお約束を放棄できない。
 まだ農耕牛で作業していた少年期、牛には多くの虻が集まってくる。牛も尾を使ったり皮膚を振動させたりして防戦するのだが数で負けてしまう。そんな時、父はハエ叩きで軽く叩き落とし翅を千切って投げ捨てる。思うに「蟻の餌になれば良い」との思いもあったのだろう。
 それを見て育った小生だから虻となると迷わず「お約束」とばかり踏襲してしまう。今日は動けなくした虻5匹をしばらく眺めていたが蟻は寄ってきて体に上ったりするものの曳いていく気配は見せなかった。
 触ってみれば判るけれど体腔内は空っぽに近く、美味しい食料にはならないだろうの雰囲気がありありで、苦労して巣に曳いていっても苦労の程は無く、危ない危ないと思ったに違いない。山野に居るアブ、蛭、サシバエ、ブユ、蚊、ダニなど吸血生物はどれをとっても似たようなものだが、アブ、蚊、サシバエ、ブユなどはトンボの大好物みたいなところが「蜻蛉さん、好きです!」の一因か…。

柿の木の被害

2016-08-30 | 小人閑居して憮然
 先日、イノシシによる幹や枝の被害を受けないようにと四ツ溝柿の摘果をしたのだが、今回見回りに行って、それでも被害を受けてしまった事が判明した。摘果し樹下に放置した青柿すら1個もないから全て食べたのだろう。渋柿の未熟果ですら食べてしまうなんて大食漢なのか飢えているのかわからない。きっと便秘で苦しんでいるだろうと怨念を込め希望的妄想をした。
 枝の被害は着果していた3本すべてで、手が届かない部分に未摘果があって、それを狙ってのことに思えた。視力は良くないと聞いているが嗅覚だけで把握できるなんて思わなかった。
 まあ、野生だから当たり前か、小生の認識が甘い。もっと渋くならねばねば…。

今日のトンボ「オオアオイトトンボ」

2016-08-30 | 小父のお隣さん
 食草園の日陰にオオアオイトトンボがいた。普段、目に留まる環境では無く、この時期だと林内で確認できる機会が多い。それでもシーズン終わりの頃には日向に出てくることが増えて気温の低下が身に堪えるのだろうと思っている。とはいうもののマユタテアカネと同様に今季最後を争う種でもあるのだ。
 このイトトンボは翅を閉じないから小生でも、まあ間違わない。

保育園行ってない…

2016-08-29 | 遊び子は
 小生が子育て世代だった頃も保育園は不足していて、産休は産前産後で6週8週だったか通しで8週だったかかの遠い記憶になってしまった。もちろん育児休暇などは無かった時代だし、無認可保育所や職場、保育園仲間でカバーしあいながら乗り切ってきた。それが未だに不足しているし、教育制度だって小生が義務教育世代だったころから「中教審答申」などあっても腰が定まった時期など有りはしなかった。行政は気楽だね…。
 愚痴はこの程度にして、少々気になっているのが育児環境だ。小生が子育て真っ最中の頃はご近所も同じ状況で子ども同士遊び友達になっていた。

 現在はと言うと、新たに分譲新築に引っ越ししてきた世代と借家になった家に越してきた世代が子育て世代である。その中で保育園、幼稚園に通っていない子どもの日常に気になる点がある。専業主婦で子育て世代の外遊びが無いのだ。車で外出する時くらいしかお目にかかれない。世代も異なるからご近所付き合いなど思ってもいないけれど、各々の家庭の幼児に共通するのは「よく泣く、泣き続ける」と言う事である。通りを隔てても把握できる日常もある。
 
 幼児虐待とは全く無縁の状況で大切にされているのは理解しているのだけれど、その原因も明確だ。昼夜年中、空調の効いた室内が生活空間の全てみたいで、専門家ではない小生でさえ「子どもは息が詰まっている」と察しはつく。保育園、幼稚園にかかわれない専業の親子関係では孤立と言う別の問題が顕在化してしまっているのが読み取れるし発達課題が空白になってしまった部分も多いはずだ。

 種としての子育て環境は「集団」が必須と言われながら、そんな理解さえ定着していず、育児支援制度などあっても行政にどれだけ意気地があるのか「育児知らん制度」みたいに実態は皆目皆無に近いのではと思うこの頃である。
 まあ、室内で母子だけで過ごさねばならない日々は「隔離」に近いだろうから「働けないから保育園を」では済まない国家の大事が隠れているのに、昔から「皆様の○○」と必死こいている輩、嘘も方便か見当もつかないのか、これは国民の一大事じゃ…。

ヤマアカガエル成体?

2016-08-28 | 小父のお隣さん
 上の池への送水吐水量の確認に行った帰り、林道の擁壁を前にして静止しているカエルが居た。タゴガエルかと思ったのだがスマートすぎる。どうもヤマアカガエルのようだ。こんなところをウロウロしているようでは、おっつけ猪の餌食である。体長は50mmはあったから成体に間違いないが年齢などは判るはずもなし。
 カブト虫、蛇、カエル、バッタ類からトンボの飛翔数までこの夏は異常と言って良いほど姿が無い。猪の被害は農業被害ばかり注目されるが環境や生物層にとっても恐らく絶滅への転機と言って良い程の被害をもたらしているはずだ。
 
 この日から数日後、隣沢の取水部保守に出向いた折に子カエルに出会う。8月も終わりにこのサイズで、ツチガエルなら理解はできるがこの種ではびっくりでもある。さて、そこで疑問、隣り合う沢で見つけた大きさの異なるカエル、はたして同種なのか、アカガエルののかタゴガエルなのか、見れば見るほど、出現すればするほど迷宮に入り込む。

         この大きさ      こんな顔

油断大敵、モード切り替えに難

2016-08-28 | 水辺環境の保全
 刈り払いが一段落し、水辺のコナギ抜き取りに入った。刈り払い作業や木工工作と連日やってきた身体の使い方は抜き取り作業とは異なるのは承知だから出発する前にストレッチも行ったのだが着手時点で失敗してしまった。「魔女のひと突き」を喰らったのである。
 手始めにコナギの除草から始めれば良いものを、一度除草した生き残りのチヂミザサが座布団ほどに広がっている。これをゆさゆさと動かし基盤層から外そうと曳いていた時に来た。根は泥をたっぷりと抱え込んでいたがコナギの処理の心算だから鋸鎌も持っていない。分割しにくいから一体で処理しようと甘く見たのが誤りの原因である。そのうえ、いの一番では身体の備えも不十分だった。
 帰宅するのも悔しいし、腰を伸ばせないけれど四つ這い姿勢なら何とか泥水池1枚は済ませられそうだから片付けてみた。
 帰宅しサポーターを装着したが汗で不快、動くのも何とも情けない姿勢で、夏休み到来となった。右のふくらはぎも違和感が出ているから古傷を痛めたのは間違いないだろう。
 意識していても身体のモード切替には時間を要するようになったのを実感するホット過ぎる真夏日だった。
            ➡  

迷惑な寄生取水

2016-08-27 | 小人閑居して憮然
 首都圏の水源たるダムの貯水率が台風のお蔭すら被らないのでは、安定給水の危機管理が出来ているなんて到底思えない現実である。こんな状況で五輪なんて可能かい、と思うのは小生だけか…。

 首都圏の給水責任は小生には皆無だが泥水池への給水責任は勝手連として自称存在する。それで色々な保全保守作業を重ねてきたのだが、ここには加わらず水だけ取りたいだけで対応する輩も実在する。土砂崩れで取水設備が沢もろとも崩壊した後、河床の安定化作業と取水機能を回復させるのにどれだけの労力を費やしたかは思い出したくも無い部分だが、その河床安定化と取水機能の維持に文字通り「水を注す」事を憚りも無く行う者がいるのも、また現実だ。
 
 そのひとつが河床安定化のため谷止工として施した丸太の下部を穿ち穴を開け、自分たちの取水升に導水した個所。もう一つが取水升のオーバーフロー水を砂泥の掃い出しに利用した排砂路を締めきり取水している個所。前者は河床の安定堆積を阻害しているし、後者は集水升への土砂堆積を早めてしまう。こういう行為を「水さえ取れれば」で寄生してしまう感覚には恐れ入るだけだけれど、迷惑千万とは言え勝手に撤去できないのが血圧上昇の原因である。

 このままでは埒が明かないから排砂路の部分は新たに排砂路を取り付けて、文字通り埒を開ける事にする。河床の部分は台風の出水で平らかにしてもらえるだろう。無難第一、それで良いのだ…。
            河床安定を阻害    排砂機能を阻害

ちょこちょこ行う下草刈り

2016-08-27 | 今日は真面目に
 刈り払いも気合を入れ行わねばならない場所も、まあウオーミングアップ程度で行える場所もあって、それぞれ適期作業が行えれば十分なのだが水辺の断水などが発生すると後回しになり、それはそれで酷い風景になってしまう。
 今季は送水が順調なので比較的刈り払いも規則的に行えるけれど、これはこれでご老体を鞭打つことになる。勝手連だからぼやく訳にもいかぬが、暑い盛りのちょこちょこ行う下草刈りはご馳走みたいなもので「早く帰れる」。
 連日の真夏日の中、トンボ池隣地、今季植栽樹下、食草園など4か所を軽く済まして後帰宅とした。定例作業が順調ならこんなサイクルが可能だ。まあ、魔夏日続きでは丁度良いのだ。
       今季植栽地  食草園   トンボ池隣地

キジョランの植え替え

2016-08-26 | 蝶の食草園
 S先生が播種育成したキジョランの苗を譲ってくれた。フイールドに定植したキジョランはどれも生育が悪く、同じ母蔓からの我が家のキジョランも5年以上経過しているにも関わらず1m程度しか伸びていない。以外にデリケートな植物と思うようになってきた今日この頃なのだ。業を煮やして再度移殖した株の中には急速に成長しアサギマダラが産卵し幼虫も越冬できた株もあるから環境を見極める眼力がまだまだ不足なのだろう。

 頂いた4株はペットボトルの下半分を鉢にし養成した株だったが根鉢の大きさに比べ太くしっかりした蔓を伸ばしていた。育成のプロなのだから比較は無理としても、割合水分の多い土壌環境を好むように思える。
 さて、頂いたポット苗は定植できる大きさなのだが根鉢が小さすぎる。植え替えし巻き根を放射状に伸ばしてからでないと定植しても枯れてしまうだろうから、自宅で晩秋か来春まで養成する。定植時期は根張り具合によるが、定植予定場所には鉢替えに使ったフイールドの土を入れておき猪の掘り返し被害を減ずる事前策も必要になってくる。

 合わせて頂いたグァバの実生苗は4寸鉢に五本入っていて分割が難しい。鉢から抜きジェット水流で土を洗い飛ばし根だけにしほぐして独立させた。上部は半分に切り詰めロングポットに用土半分で植えつけた。根が伸びて下から見えるようになったら更に土を増し十分に根が回ったところで定植するが今季は無理だろう。
 
         ポット苗、左端が自宅のキジョラン   鉢替えした養成株

気遣いが荒廃を生む人の陰…

2016-08-25 | 感じるままの回り道
 猛暑で中断していた刈り払い、予報の最高気温は32℃だったが雲も出ているので数日ぶりに作業に入る。
 この日は拠点西側の棚である。今季既に3回の刈り払いを実施している場所なので刈り高も少なく、中断後のウオーミングアップには丁度良い作業になった。既に刈り払ってある下の棚は枯れていて「作業を済ました」と言う実感が湧く。刈り払った直後は新鮮な緑色のままだから見た目で「刈った」と言う印象は薄い。
 
 この棚はおチビちゃん達の遊び場に用意した場所で、周年利用があるから低草地で維持しているのだけれど、そろそろ実生樹からでも育てなければなるまい。いつまでも遊び場所という設えで維持していると、ここが入り口になり山荒氏が増えてくる実感があって、特に水辺が踏圧ストレスで植生や法面、水際の荒廃が大きいのである。近在にこのような環境は無いし箱庭程度の大きさだから当然の帰結でもあるが、そのうえ地上・地中は猪が闊歩蹂躙、水中はウシガエルの鯨飲では生物保全など絵空事に直結だ。

 特定はできないものの、ヒキガエルのオタマジャクシを飼育で持ち出すだけならまだしもウシガエルを放した輩が居て、これによる生物被害は想定できないほどだ。雄一匹だけであってほしいと願うものの、もう因果としか言いようが無い。何時も実感する事は保全活動なんて「三途の河原の石積み」あるいは「風前の灯」に等しい。自宅の敷地をユートピアにする方が正しいのかもしれんが猫の額ではねぇ…。
                      ➡     

二枚貝飼育事始め 4

2016-08-24 | 今日は真面目に
 二枚貝に安定して給餌できる方法はないものかと「休むに似たり」の思案数日、自分なりの答えは「微生物発生槽」を設置し自動給餌すればよい、と言うものだった。そこはせっかちな性分の小生、さっそく池の中ほどにミソハギを植えていた容器を使ってみる。ミソハギは水漬けでなくとも構わないのだ。
 容器は、既に廃棄したウオータークリーナーの濾過槽で、この濾過部分は残して再利用していたのである。ミソハギの場合は容器外周のスリットは問題にならなかったが、腐葉土を入れるとなると隙間から拡散しかねない。堆積状態の上に数センチの水位が欲しいので、池の水位より数センチ下になるよう園芸ネットをまわした。
 山から持ち帰った昨秋の枯葉堆積物を卵の殻、死んだ二枚貝の貝殻ともども混ぜ合わせ積み込み池に収める。分解を早めるために「えひめAI」の沈殿物とビール酵母を注いで終了。びっくりしたのはこの直後で、乳白色の沈殿物溶液は腐葉土の中に沈んで言った後、水流によって滲み流れ出てきた。これは腐葉土の中に水が通っている証でもあるが、この漏れ出した液体めがけタナゴとメダカが群れてきたのだ。タナゴなどは興奮状態で外殻にアタック攻勢みたいな行動もしている。
 しばらく眺めていて欲が出た。肥料の「コウモリの糞」も加えたがやり過ぎかなあ…。

 この結果を見れば、えひめAIの澱もビール酵母も小魚はエサとして認めてくれたと思って良いだろうし貝にも悪影響はあるまい。ただ、ミジンコなどのプランクトン類や珪藻等の生産状態は皆目不明のままでいくだろうから、時折は生存確認をせなばなるまい。「将を射るために馬を射る」そんなところ…。この猛暑下、我が家の手乗りタナゴandメダカは元気である。
       微生物生産槽      下流部分に集まるメダカとタナゴ
 

8月定例会

2016-08-24 | 月例会
2016/08/21(日)9:30~13:00
 会員 7名
 活動 駐車場脇排水路復旧作業約20m

 本日も最高気温33.9℃を記録した。暑い盛りなので日蔭作業を選択し駐車場脇の山側からの絞り水排水路を復旧させる。ここは小生が整備していたのだが手が回らず月例会に回した作業でもある。
 道路が濡れていても支障はないように思えるが、道路を越え駐車場を常時湿らせる事になると猪が好んで掘り返すし、車が乗り上げ泥濘にしたりと用を成さなくなってくる。
 絞り水とは言え浸食作用もあるし猪が掘り返したりで溝が埋まってしまった。着手順位としては高くは無いけれど保全作業としては必要な内容でもある。
 小生はと言えば、5日前に泥水地の草抜き作業でぎっくり腰発生、ようやく外出出来る状態になったばかりだから水見回りだけで不参加とした。

        右側電柱周辺が猪の掘り返しが酷い ➡   復旧終わり

今日のトンボ「オニヤンマのチョンチョン」

2016-08-23 | 小父のお隣さん
 環境域の小ささからオニヤンマ自体の個体数が少ないので飛翔を確認しても撮影出来る機会は例年あるかないかと言う程度だ。今回は上の池への吐水口の水量確認に行った帰りに林道わきの雨水や絞り水が流れる側溝で産卵中と遭遇したのだ。記憶を辿ってみると、このフイールドでの産卵行動は初見に違いない。
 
 その体勢は「垂直打産卵」で、郷里の表現だと打産卵は「チョンチョン」なのであるが、これがあれと同音同義語になってしまうので使いにくい。今回距離2m程まで近づけたけれど、これ以上は危ないから立ち位置で撮影した。通常のオートだと背景だけで存在すら写らなかった。良くても頭部眼球だけかろうじて判明…なんて映像では怪奇現象になってしまいかねない。後から気が付いたのであるがオニヤンマのぶら下がって止まる習性と同じ体勢だ。ほかの種もこの共通点は成立するのだろうか…。
 
 それはともかく1枚でも欲しかったから考えたのは高速シャッターである。ところがデジカメでなくケータイでは心もとない。それでもメニューを見たら「スポーツモード」があり、これで撮影したところトンボ本体が確保出来た。「ヤレヤレ」と思ったのも束の間、翅は高速運動中で写らないもののバックのウラジロに止まっているように見えてしまう。
 その中で止まっているようには見えにくい1枚をアップした。小生には貴重なカットだ。

ローマは一日にして成らず

2016-08-22 | 感じるままの回り道
 拠点西側段々の2段目を刈り払いする。何時かは林にと思い続け刈り払う事10年、アズマネザサを刈り払った後に実生で芽生えた木々も育って疎林風になってきた。
 日蔭になってきた場所の草勢は衰えてくれるが、ネザサとヌスビトハギは頓着なく繁茂するから親の敵と思って対峙していないと手の付けようがなくなる。連日真夏日の直射光下では半日作業でも「パス!」の気分。おおむねタンク一杯分一時間程度の作業でお引き取りだ。

 切り上げる前に首のタオルはぐっしょりだし下着まで濡れている。フィールドで着替え全裸になる訳にはいかないから家でシャワーを浴びた瞬間は至福の一瞬で、至福感なんて安いものである。古来「苦あれば楽あり」なんて申すが、達成感や至福感、悟りや恍惚感なんてものは楽しい・快適な時間や空間の中からは生じない。これは小生の実感でもある。

 ひるがえって刈り払われる立場で考えると再萌芽出来た瞬間は「金メダル!」なんて感覚になっていそうだ…。10年刈り払いを続けても消滅しない笹や竹にはうんざりだが、五輪目指して生活や青春の全てをつぎ込んでいる青少年諸君も素晴らしい。「後生畏るべし」は再萌芽し続ける竹や笹にも言えるが「勝敗は己の中にある」を目の当たりにした五輪でもあった。

          刈り払っても刈り払っても活きる笹