青い目をした鬼ん場は
アメリカ生まれのヘリ暴徒
アメリカ生まれのヘリ暴徒 :青い目の人形
青い鳥 小鳩 なぜなぜ青い 葵紋消えた :青い鳥小鳥
青い小鳩は何処へ行く
青い小鳩は何処へ行く
小鳩の居ない過去を目に
散る散る皆散る 何処へ行く :青い小鳥
青い目をした鬼ん場は
アメリカ生まれのヘリ暴徒
アメリカ生まれのヘリ暴徒 :青い目の人形
青い鳥 小鳩 なぜなぜ青い 葵紋消えた :青い鳥小鳥
青い小鳩は何処へ行く
青い小鳩は何処へ行く
小鳩の居ない過去を目に
散る散る皆散る 何処へ行く :青い小鳥
29日は思わぬ寒気で午後は霰と雹交じりのビックリした気象状況になった。一夜明けたら快晴だったが、三月としては26年ぶりの記録的な最低気温だそうで氷点下、裏山は真っ白で降雪なのか霜なのか判然としなかった。それも昼までの風景だった。
しかし風は冷たく、一枚羽織らないと作業はしたくない気温となった。それでも3月も晦日になると桜は花盛りで「あんなところにも!」と思えるほど、山腹のあちこちに桜の花が認められる。
そんな中、拠点下の台地では大人のグループが三々五々寛いでいた。ゲームをやっているのか数人で背中合わせになってジッとしているのが見えた。ゲームでなく寒くて温だまりを感じていたのだろうか。
おじさんたち二匹は竹切りとコンクリート塊の移動に汗をかいていたのだが、楽しみ方も色々だ。
甘柿の南側で枝を柿の上に広げていたカラスザンショウの大木の片枝を落とした。斜面に生えて主幹自体も斜めだから手をつけなかったのだが、枝垂桜の主幹を仕立てるのに脚立を運んだから、近くのついでに試みたのだ。
脚立はなんとか下の枝にもたれさせて安定させれたから、後は高枝切りでゴシゴシ引いた。枝が折れ曲がって脚立を直撃し転倒させられる可能性もあったが、なんとか無事に終了した。
これで柿の木はシーズン中、日光を遮られることなく甘い実を着ける事に専念できるだろう。とは言え、ほとんどがカラスの口に入ってしまうのが例年の実態だ。
枝垂桜も主幹を立てていなかったので気になっていたが、ようやく2本とも支柱を立てることが出来た。タラノキにも「繁殖用母樹」の札を付けロープをまわした。これは効果があるといいけど、山菜採集者の実態から半分は期待していない。
昨年に掘り上げた溜池の回りにセリを植え込んでいたのだが、昼前に筍掘りから帰る夫婦とすれ違った。奥さんは握った手を上げてセリを見せてすれ違ったのだが、それは件の場所で採集したセリだった。現場にはご丁寧にも白い根だけが千切り棄てられていた。「葉だけ摘まんでくれれば再生するものを…」と思うのだが、里山と生活関係のない人たちには「持続的利用」などどうでもいいことだろう。こういう出会いは賽の河原で石を積む童の気分になる。
ヘルメットを被ると蒸れて汗だくになるから、汗取りパットの効果も高めるため坊主頭なのだけれど、今回は問題発生だ。
散髪して出来具合を確かめるため鏡をかざしたのだが「ギョッ!」としたのだ。模様が入っているーっ!?
悪い病気か「悪魔祓いが必要か?」悩んだが原因不明だ。結局、夜間に目覚めて「ファイナルアンサー!」と脳裏に答えが浮かんだのだ。
しかし「謎の光頭部」、「卑猥なTバック」ではイケメンのダン爺が台無しと言うものだ。これでますます人間社会と隔絶したくなる。何といったって「頭部にTバック」では変態小父さんそのものになってしまうだろう。人前には出られない。
理由はビオトープを整備した結果だ。土堀りに終始した弥生三月の成果と言ってもよいだろう。ここに問題の根源があったのだ。
端的にいえば、ヘルメットを被らなくて良い作業が続いたことによる日焼けだった。メッシュの作業帽だけで、ここ一ヶ月を過ごしたためメッシュを通して帽子の痕が焼きついてしまったというわけである。 「髪は偉大なり!」だが、これは「陳列罪」なのか「被服罪?」なのか悩みは尽きない。
『シジュウガラ恋歌高くさえずればコジュケイも鳴く耳に煩き』
『瑠璃色にフグリ花咲く陽だまりを眺めし立てば胸に春満つ』
『里山に春着たるなり啄木鳥のドラミング鳴る黄砂の昼に』
『群落を作りタチツボ蒲公英は彼岸のごとく咲き誇りける』
『寄る我の姿見やればヒヨドリの甲高き声仇に近し』
グミの木だろうと見当をつけていたが徒長枝が山なりに伸びてくる姿に「???」で数年過ぎて、ボサッたいから「広葉樹と交代させようか」と思案していた時に赤い実を見つけたのだ。
二本の木に、たった三粒だったが紛れもなく「グミの実」だった。伐らなくて良かった。そこで思い至ったのが「ツルグミ」だ。自生しているのは資料で知っていたが確認は初めてだし、まして実を食べるのも初めてになる。実の大きさもクローバーの花穂に負けていない。
図鑑によると「夏の初めごろ熟す」とあったが、今は春の始まりだ。でも木姿はツルグミに間違いないと思える。
グミ類はアキグミ、ナワシログミ、ビックリグミ、マルバグミと口に入れてはいるが、味わいはビックリグミに似て渋みのない穏やかな味覚だった。最初の二粒の種子は吹き飛ばして「しまった」と思ったが、最後の一粒は大事に持ち帰ってポットに播種しておいた。
親株の周りには大小五株があったから、そこまでしなくてもと思いつつ多少のお遊びをしてみたい。
台所の目隠しにナワシログミを植えているが、これは今、赤くなっている。毎日ヒヨドリがついばみに来るから完熟果は口に入らない。以前はジャムやゼリーを作ってみたのだが次も食べたい味ではなかった。今日の三粒は好感をもてたが豊産性でないのが惜しい。
やっと晴れてくれた。もう終了としたはずのビオトープに今日も半日の手間を掛けることにした。昨年の定額給付金で購入した食樹でバタフライガーデン「食草園」を林内の空間に設えたのだが、管理が行き届かないから一部の樹木を移し替える事にしたのだ。
移動させたのは「コクサギ」と「アワブキ」なのだが、ついでにヒメクルミ、トチノキも植えつけた。これで空間が少しは賑やかになった。棚田跡の一番下の面だから、水位が高くて植栽する部分は土を盛り上げねばならず、一輪車10杯を運ぶはめになった。
それはともかく、昨日までの降雨でキクラゲが手ごろな大きさまで育ってくれた。コナラとクサギの枯木から採集したが、樹種の違いが色合いまで影響している。
考えてみるまでもなく、毎日が行き当たりばったりで非社会的な「いい加減」であるのをつくづく思う今日この頃である。ビオ豆腐状態だ。
イタドリの上に葛の蔓が蔽ってしまう棚田跡を先日に刈り払ったが、そこには赤いイタドリの新芽が目立つようになってきた。
ここはソーセージの太さもあるイタドリが生えてきて、シーズンには一本くらいはかじってみる場所でもある。例年「イタドリのお漬物を作る」という年配のご婦人が採集に訪れる場所でもある。
中に踏み入ってみたが、まだ親指程度の芽のものが多く、太目の新芽はこれからのようだ。その中に黄色い部分を見つけて、枯葉を除いてみたらキノコだった。
見た感じは「ニガグリダケ」の仲間だろうかと思ったものの、食用にならないのが前提のキノコは図鑑に当たって名前を確認する気もなくなってきた。とりあえずはイタドリの初物、初物。もう一週間くらいだろうか…。
『花八手霜の花かと思いたる』
『間引きして萌え始めたり木々の下』
『落葉掻き転がり出でし春キノコ』
『卵塊は鬼ご用達トコロテン』
『ガマのたり卵引きずりのたるガマ』
朽木の集積場に見慣れないキノコが6本笠を広げていた。「君の名は?」と訊ねたところで答えてくれる訳でもないけど、表面の黒い薄皮模様が面白くて撮影した。
科の見当すらつかないから図鑑をみるのも気乗り薄で、結局似た写真すら見いだせなかった。キノコに関心があるわけでもなく身近な題材で少々寄り道と言うところだ。
笠の黒い部分は日焼けした皮膚が剥がれ落ちるような雰囲気もあるが、成長に合わせて広がるような所見もあるし、なんだか変な模様である。裏側のヒダの部分は薄茶色で、なんとなく古びた印象だ。
キノコ類をみての第一印象は「食べれるか?」だけど、概ねは「食不適」か「有毒」と思って差し支えないのがフイールドだ。猛毒キノコでも昆虫によっては食べているものがあり、生命力や食材に対する適応性の広さには感心させられることも多い。進化適応の歴史に思いを馳せる、と言うと少々大げさになるけれど、ミクロもマクロもマグロも難しい世界だ。
雨続きでフイールドはお休み。それは良いのだが思いがけない花冷えで身の置き所に困った。
予定通り、山峡の日帰り温泉にでもと思ったのだが、雨の林道を走るのは気が進まない。そこで安直に映画を見ることにしたのだけれど。
アカデミー賞を獲った「ハートロッカー」がリアリティーを追求した作品と小耳にはさんでいたから期待して出かけたのである。ドキュメンタリーではないのは承知だがいささか期待はずれだった。
どうも賞を獲った作品だと言う感激がない。「リアリティーを追求」した作品だとすると、主人公がアフガン、イラクと爆弾処理に当たり900個近い爆弾を処理してきた・・・と言う内容は現実離れしたように感じた。その任務の生存率は高いのかどうか知らないが、やっぱり映画か。そんなところだ。