トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

台風前の一仕事だったが…

2017-09-20 | 感じるままの回り道
 大型の台風襲来が予想され、当然水辺の出水増水は予想できたから、急いで泥水池下流部の沢、落ち込み部のドジョウを回収した。

 増水すれば流されるが、流れ落ちて本流へたどり着けない。沢をまたぐ道路の下を土管で排水しているのだが、ここに流木や枝葉が堆積し増水時には道路を越流する。この時の水深は身長程にもなるから流下したドジョウは底部に留まってしまうはずで、そのまま水位が下がれば干上がる運命が待っている。

 それがもったいなくて増水する見通しの時はドジョウを回収し上の池に放してきた。今回のドジョウは5㎝程度の小魚もいて、順調に繁殖している事が分かる。水域にカワセミが周年飛来するようになったから餌の確保と言う意味合いもあるけれど、水底魚のドジョウが呼吸のために水面に上昇する機会など少ないだろうに、メダカやカエルなども捕食しているのだろうか。

 今回、捕獲した中に一匹だけホトケドジョウがいた。これは上の池に放流せず自宅の池に入れた。二枚貝の繁殖に役立てるためなのだが、マシジミは繁殖したけれどカラスガイとバカガイは未だ実現していない。
 タナゴの繁殖には「まずカイより始めよ」と先人の言う通り、カイを欲していても繁殖実現の前に小生がカイらぬ状態になりそうで、「敬老の日」でさえ粉塵まみれで終わった。

 「軽老」➡「カイらぬ」➡「ホトケ」➡「粉」、これはもう紛れもなく「般若新魚」の世界観で、まあ、なんといったって弱肉強食の社会な上に生老病死は根本原則だ。
 しみじみと思うのは「カラスなぜ鳴くの」の一節は「バカァバカァ」と連想できるし、それは自宅の池の中にある。要約すれば耄碌や物忘れが酷くなっても、このような真理眼は失われてはいない、に尽きる。(スキルが欲しいのに尽きるが出てしまった)