トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

植生と蝕性…

2023-09-30 | 小人閑居して憮然

 ホント紛らわしい。嬉しがらせて泣かせて消えた…歌謡曲の一節ではないけれど水域から法面へと厚く這い上がっていた夜這い草を抜去したら現れたのである。「何でこんなところにカンアオイが?」と一瞬は思ったのだが環境的に紛れ込むはずも無し育つ場所でも無いのだ。で、しげしげと白いゲジゲジ眉を寄せて観察の結果はドクダミだった。それにしても一見ではそう思いたくなる姿なのだ。人為的にも人工的にも手を加えた草本ではないから個体や環境要因に起因し易い要素もあるのだろうと考えてみたけれど深くは追及しないのが村社会の掟でもありそうする事がストレスなく生きていく事に繋がる。

 その反映のひとつが「みんなで行えば怖くない!」の傾向なのだろう。多くの少年たちを被害者として増産したシステムも然りなのだが誰も叱りも糾弾もせず野放しほぼ公認、暴利をむさぼって現在に至る。思うに越後獅子とか舵子などのような奴隷的児童労働と同種だ。筋は異なるがスマホやPCに日々送り込まれてくる大手や知人を装った偽メールの席巻も社会の根源悪のひとつなのだろう。ニューヨーク市の取り組みだったか「壁の落書きは犯罪を増大させる」との視点で落書きを消す活動が効を奏したと言う報道の記憶があるのだが前述の嘘情報の氾濫は「嘘つきは泥棒の始まり」どころか「犯罪」そのもののトラップである。取り締まりも規制もせず大っぴらに容認しているとしか思えない背景は一体何なのだろう。巡り巡って袖の下の効果かい⁉。

 まあ、考えるまでも無く行政府の中もあの名優にしてナイスガイの鶴田浩二が歌った「傷だらけの人生」の一節「右を向いても左を見てもばかと阿呆のからみあい」して民草を煙に巻いている日常ではそもそも民草の健康や生活を守ろうとするより自らの利権と糊塗に忙しいのだろうね、と妄想するしかないのだ姥捨て山の棄民には…。そんな事だからドクダミ様の様子は人畜無害、コスプレと捉えて一見落着す。

     

 


*夜半の月かな

2023-09-29 | 感じるままの回り道

             お百度か月の灯りにカネタタキ

            熱帯夜月天空の冷気なり

             名月や切株いくつ音はいくつ

             月明かり畳目に見る丑三つ

             秋立ちぬ大気蒸す蒸す月冷涼

             夜半不浄水音のなか月覗く

             目覚めれば背中湿おる十三夜

             ステテコを作務衣に替えつ窓の月

           

             

             

             


泥水池2の植生調整

2023-09-28 | 水辺環境の保全

 ここの水域を覆っていたのはウシノヒタイとチゴザサである。ミソハギも大株に育ってしまい水面面積の減少に関与してきたから抜去し移植しなければならない。ウシノヒタイは半畳ほど広がっている様に見えても株元を捕まえ引きずれば容易に全体を陸に上げられる。そもそも水中根は泥土まで入り込まないから抜去は楽なのだ。それに引き換えイネ科のチゴザサはランナーを横にも縦にも伸ばし他の植生の間にさえ忍び込んでいく、いわゆる夜這い草と言われるだけあってしぶといのだ。

 株元を押さえたつもりでもランナーの節々から発根して泥中に根を張りその上千切れ易い性質から親元を引き上げても育った子株や孫株の残りが目立つ。ウシノヒタイは鍬を打ち込んで曳き獲るのは容易だけれどチゴザサはクワの刃をスルーする事も多くて結果的には手取りになるのだ。この手抜き、下を向き四つ這い姿勢のままなので眼鏡に汗が溜まり視界が歪みぼやける。かといってゴム引き手袋の泥だらけのまま眼鏡を外す訳にもいかず「我慢・我慢」で抜き取りを続けてしまう。泥だらけのゴム引き手袋は脱げ難いし脱げても泥水で両手を洗ってタオルで拭いてから眼鏡を外すと言う段取りになるから面倒この上もない。その上、泥に染まったタオルは洗濯しても素地の色が戻らず泥入りに染まったままだ。こうなると洗濯をしたのに綺麗には見えず何枚かまとまった時点で漂泊が必須である。

 それはさておき、割と手早く片付いたもののさすがに33℃となると先に進みたくない。胡粉と膠を購入するために市街中心部に行くことにして撤退した。自分で作業し撮影した写真なのだが見れば見る程リザーブ水路に見えてしまう。泥水池2そのものより2と3の接続水路が中央部で大部分を占めているからそうなのだが何度も見返してしまうほど似だカットになってしまった。


泥水池1の植生調整が終わった

2023-09-27 | 水辺環境の保全

 植生調整に入り二日目、朝の予報では「弱い雨の後は一日曇り」だった。これは「助かる!」と出かけたものの小雨も無くピーカンとは言わないまでも強い日差しの1日になったのだ。水域内のチゴザサをあらかた抜去し幾株かのミゾソバを池の水際に移した。こうする事で水面を広く開けて置けるし次回の抜去時には混在しないので邪魔に感じなくなるだろう。密集させず分布させた方が生息環境としては安全なのだろうが処理したい植生と混在させると手間が増えるのだ。それを厭うようになったと言う事は「老化した」そのものなのであろう。

 抜去したチゴザサは泥付きのまま放り上げたのだが乾いたころを見計らい集積し場外搬出しないとおっつけ威之志士様の絶賛跋扈蹂躙の現場になるのはお約束だ。とりあえずは陸に上げて干乾びさせてから集めるつもりだけれどその前に威之志士様の跋扈蹂躙に遭うかどうかは神仏のみぞ知る。水域内を歩きながら思った事は「泥の堆積が進んでしまった」という事に尽きる。設えた当初から泥浚いはしていたが当時は長靴に水が入るかどうかの瀬戸際の水深があった。現在は長靴の半分程度まででしかない。他の水域も含め泥浚いをしたいけれど既に泥上げ場所が無くなっているし高齢化低年金化の現状はおいそれと融通が利かなくなった。もう「老いそれ!」そのまんま・・・。


イースターエッグの試作 11

2023-09-26 | 何よりの楽しみ

 久しぶりの工作だったからなのか暑さの作業を厭うてなのかまあ、台風の影響で天候不順も幸いし工作の時間が突然と増えてしまった事に加え作業しながら妄想が現われるゆえに材を変えながらスッタモンダで今日に至ってしまった。とりあえず一件落着として塗装まで済ませてみたものの気に入らない箇所が多すぎる。砥の粉で目止めを施しパテで傷を埋め表面を滑らかにしてからアクリル絵の具を塗付したものの全てサンドペーパーで削り取り木の素肌を出したのだ。

 というのも下地塗装はしたもののパテの処理部が明らかに見えている。それを防ぐために数回の塗り重ねも行ったのだが透けて見えるのだった。この事実が気に食わず手間暇かけて塗装した塗料を全て取り除き更に傷の部分までをサンドペーパーで削り美人肌に作り替えた。台風の影響下でフイールドには行かない3日間を要しての作業になった。結果としてすべてでは無いもののパテで埋めた部分は消去されお尻の部分の気に喰わない曲面も修正してようやく解放されたのだった。

 これと前後して試みとして荏胡麻油でオイルフェニッシュしてみたものの桐材もヤナギ材も汚らし気に見えるだけであり塗装からは排除しなければならないのが明白だった。写真右下の部分の薄茶に見える卵形がオイル仕上げの物である。次の作業は改めての下地塗りなのだけれど手塗りにしようかガンスプレーを使い綺麗に仕上げようか迷う処となった。まあ、出品までは5カ月あるから急ぐ事でも無いのだが悪い事に更なる妄想が出現したのである。それは「卵の尻側にナットを埋め込み起き上がり子法師に仕立ててみるか⁉」と言う事であり、そうすればまた別の遊び方が考えられよう。

 そうなってしまうと「新たに削り出そうか現在の物を掘り抜こうか⁉」の選択が出て来る。既存品で試作するとなると全て手作業で刳り抜くしかなく新たに削り出すのなら重りを埋め込む穴はドリルで開けられる。「んーっ!」と少々悩ましくなってきた。かくして粉塵まみれのきな粉餅状態、執着地獄は続きそうなのであった。

     


**相見互いに

2023-09-25 | 感じるままの回り道

     ん十肩腰も痛けりゃ湿布貼る縦に貼ったり横に貼ったり

     腰痛や縦に寝れずに横に寝る左でエビ寝右でエビ寝と

     ニンニクを喰わずにいても加齢臭上もぷんぷん下もぷんぷん

     丹田も無き輩ども空気読む右へ行ったり左寄ったり

     オトシブミ青巻き紙に黄巻紙あっちに転がりこっちに転がり

     落し紙雑誌だったり新聞紙しばし読みつつしばしもみもみ


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「アカボシゴマダラ脱皮殻」

2023-09-24 | 蝶の食草園

 林道横の擁壁にある水抜き穴、この穴からエノキが生えているのだが伸びるたびに切り取られ大きくなれない。まあ、大きく育つ環境ではないものの昨年から切られずにいたので越冬幼虫から成虫になるまでを見せてくれた。夏の間までポチポチと幼虫の姿があったのだが今夏の余りにも猛暑ぶりに観る事も減っていた。それも9月に入るとチェックが復活し時折は「こんにちは!」とまでは言わないものの姿を探す。

 既に脱皮して成虫になっているはずであろう個体の終齢までは見たのだが蛹の状態は見損なってしまった。終齢幼虫の次は脱皮殻の状態である。蛹は葉の色に似て判別し難いけれど脱皮殻は白色で目立つ。目立っても既に生命体では無いし捕食者もいないだろうからバカボンパパの言い草を真似れば「それでいいのだ!」。「昆虫スコイぜ!」の本家のご隠居が鬼籍に入ったが本家本元は恩讐を越え傾奇者らしく復活して欲しいものだ。番組のファンは傾奇中身があってこそのファンなのであり替わりは無い。反面教師としてもよゐこの教材になるのに早い話、業界の「大人の事情」か…。猫八に言わせれば「馬鹿だねぇー」だねぇー。家の外壁で風雨に晒されているジャコウアゲハの脱皮殻は風化もせず何年もその姿を留めたままだ。アカボシゴマダラの脱皮殻も風化し難いのだろうと推測するけれどくっ付き場所が葉では秋には落葉するから埋もれ消えるのだろうなあ。

 早い話、打ち切りになった番組も脱皮殻みたいなもんだと小生は思って見たけれど一所懸命では傾奇者にはなれん。一緒賢明でなくては・・・。

    


泥水池1の植生調整

2023-09-23 | 水辺環境の保全

 晩夏と言うべきか初秋と言うべきかそれはともかくここにきて夏草の繁茂成長が著しい。一日二日見ないでいると一層鬱蒼としてきたのが見えてしまう。そんな事で自宅の周りもお化け屋敷状態で「草抜きしなければ…」と思いつつ帰宅すれば暑さの盛りだしフイールドをお休み日は天候不順でもう足の置き場も無い。お隣さんなど迷惑この上ないのだろうなあ。

 さてそれはともかくフイールドの水域も水面が縮小してしまったように草勢に席巻されている。席巻して来る草本も同じではなく設えた当初は葦やコナギが大勢を占めていた。これらを抜去除草の繰り返しで衰退には至ったけれど最近の優勢種はチゴザサなどのいわゆる水田雑草と言われるイネ科の草本なのである。水域の葦は場所によっては根絶させず環境的植生として残してあるけれど現在「我が世の夏」を謳歌しているチゴザサともう一種のイネ科、これは名前が判らず花穂が上がるのを待ってからS先生に判断してもらう心算なのだが、この草勢もすさまじく一株で2m以上もランナーを伸ばして水面を覆ってしまう。とは言えその株を抜去してしまえば水面は大きく開くのだから楽と言えば楽だけれど葉縁が細かい鋸状で触れる場合は素肌を出せない。油断すると赤い筋が皮膚に出来てヒリヒリと痛痒くなる。

 それはともかく泥水池1はチゴザサ主体なので厄介さが異なる。こちらも「夜這い草」と言われるほどランナーを伸ばして侵蝕して来るのだが節々で直ぐに発根定着するから抜去に手間がかかる。何よりもすぐ千切れてしまうのだ。そんな事から水域の席巻王者として現在は絶惨席巻中なのである。範囲も広いしと三本鍬で引き抜くつもりであったものの刃の間をすり抜ける株も多くて最終的には手抜きで対処せざるを得なくなったのはいつも通りの「お約束」である。

 「お約束」はそれだけでなく汗と泥水でヨレヨレになった衣装とご尊顔、まあ、人の来ない残暑のフイールドでは気にする事も無いのだが泥汚れは洗濯機で一緒に洗えない。白物が薄汚れてしまうのである。既に白いシャツなどは着る機会も無いけれどタオルや肌着には白物がある。二度洗いは面倒だから色物に混ぜ込んで洗うけれど薄色の物は時折は漂泊しないと雑巾色に染まる。

 


**新涼の頃

2023-09-22 | 感じるままの回り道

          夜半の月畳を射れば脚延ばし足は月見に我は傾聴

          枯尾花猛暑に耐えて蒼々と枯れる気も無し今盛りなり

          鳥の音は消えて谷間は蝉しぐれトンボ踊るや音符のごく

          風立ちぬ稲穂そよげばウスバキは風に向かいてスクラムを組む

          待ちかねてアオマツムシは歌い出す夕焼け小焼け望む庭木で

          コオロギは哀しく鳴かぬ今宵また涼し涼しと休むことなく


イースターエッグの試作 9

2023-09-21 | 何よりの楽しみ

 出来上がった卵型を磨くためには回転させながら磨くのが綺麗に仕上がる。そこで柱の端材を削り磨き専用の治具を作ってみたのだが古い杉材なのでひび割れも多くて心配だった。数をこなさねばならない磨きなのでやはり専用の治具を作るべきだと考え直し、たまたま卵の外径とパイプの内径の適応性がありそうなので作ってみる事にした。ついでだから旋盤の横軸回転と回転刃物砥石台の縦軸回転の双方に使える方法にしたのだが結果的には砥石台取り付け用のネジが逆ネジ仕立てでこれはホームセンターでは手に入らず難なくオジャンになった。

 旋盤での保持は三本爪チャックで固定するのが簡便だけれどチャックの出っ張りが危ないので円盤に固定する方法にしてみた。材料は全てリサイクル、という訳にもいかず50φの管端面キャップは購入である。これに合う心算の塩ビ管が緩くて駄目だった。廃品の縦雨樋が丁度ぴったりと収まるので黒い塩ビ管の外径を少しだけ削り押し込んで一件落着する。卵形の寸法やフォルムが一定ではないので大きいサイズから小さいサイズまで対応できるように3種類ほど用意した。管端面キャップは回転円盤に固定してあるので卵の外径に合わせてスリーブを差し替えるだけで対応できる。

 普通にある灰色硬質の塩ビ管でも可能だけれど黒く肉厚の水道管の方が柔軟で保持力に勝る。その性質で加工する時は保持し難くてそのための加工用治具まで削る羽目になったけれど終わって磨きに入ると手間暇かけた甲斐があったのだ。エッグの外径やシルエットの差は無視してほぼ一種類のスリーブで間に合ったのだ。これで塗ってから磨きまた塗り重ねる工程がらくになるはず。

      


ヨトウムシの糞と成り果てぬ・・・

2023-09-20 | 小人閑居して憮然

 環境植生の一種として試行導入してみたミズアオイだったが「大好物で食害されやすい」と言われていたオンブバッタではなくヨトウムシの食害が酷かった。1回目は葉柄を残して食べ尽くされたのだが葉柄の中にも食べ進み結局は全滅した。それでも再生して8月末には青々と小振りな姿での再生ではあったものの囲いの中は新葉で埋まったのだった。「これなら開花まで育つかも知れない…」と「まだ見ぬ花の数算用」したのが運の尽き、その後、あれよあれよと再びヨトウムシに食害されて遂に写真のような枯田圃となったのである。

 さすがに夜盗虫と言われるだけあって食害のスピードは速い。最近は夜陰に紛れて果樹園や農作物を大量に荒らす二本足の夜盗虫も大量発生しているようなのだが「一年一作」を棒に振るような行為を行う虫には何としても殺虫剤が必要であろう。取材への受け答えが優しすぎる。さて囲いの中のミズアオイには防除の算段も考えたものの殺虫剤を散布するのはフィールドの理念に反するし「花を見る」のは余禄であって目的でも無いと思いなおし成されるがままに終わったのであった。既に九月の後半に入ったし株元を観察しても新たな再生の兆しは無理だろうと思えた被害のひどさだった。採種した母池の兄弟はこんな被害を受ける事も無く開花していたので「この差は何だ!」と考えたところで判るはずも無い。

 ヨトウムシなど母池周辺の環境にも普通に生息している種であるから本当に理由は分からないままシーズンは消えたのである。写真右下の緑はコナギなのだがコナギは食害を受けず育っている。S先生にお話ししたところ「だからコナギは大発生するのですね…」との感想だった。この環境を設えた当時、何年もコナギの大繁殖で抜去除草に労を費やしたのだが現在、抜去除草し続けているイネ科の繁殖種に比べれば労も容姿もかわいかったなあ。まあ、負け惜しみながら今回のヨトウムシの糞は田圃を肥やす材料になった事だろうて。

    

 


マイ ベイビーボロボロ…

2023-09-19 | 小父のお隣さん

 歌い出しが表題のような感じのポップスは誰の歌だったのかバンドで歌っていたような記憶もするけれどもう朧で写真のアオスジアゲハの様にボロボロになってしまった。ボロボロと言えばアオスジアゲハが長らく止まっている自転車のサドルも風化して表面樹脂は千切れている。どうしてこんな場所で休息しているのか不明だが庭の「夏草や若きみぎりの夢の跡」たる茫茫の上をもう一頭のアオスジアゲハが舞っていた。ここで「ぴん!」ときたのだ「そうだ!京都に行こう」ではなくて「ホトトギスに産卵に来ている」のだろうと。

 夏草に埋もれつつも何本かのホトトギスは茎葉を見せているから間違いないだろう。何時も思うけれど自宅のホトトギスには産卵し幼虫は育つけれどフイールドでの幼虫は殆ど観る事が無い。ホトトギスは林道わきの湿った薄い土溜まりや擁壁の苔の中に多々生えているものの探してもまず不発に終わる。アゲハ類の食草にコクサギ・キハダ・ユズなども植栽したもののキハダへの産卵行動は樹冠部で散見したけれどコクサギでの繁殖は実績ゼロなのである。S先生にお尋ねすると「他に食草は多々ありますから…」というものであった。市街地の方が食草や食が少なく点在している結果、其処に集中するのだろうと言うお話だった。それで納得なのだが指はくわえてしまうのが実感。そこで妄想が湧く「自宅の庭でコクサギを植えて確認!」やるかやらないか、それが問題だ。幸先良くても竜頭蛇尾先行きがなあ・・・。


今日のトンボ「えっ!えっ⁉のぶら下がり…」

2023-09-18 | 今日は真面目に

 泥水池1の植生調整を半分ほどまで済ませエネルギー切れで陸に上がったのだがほどなくしてヤンマ型の飛翔があった。日陰になっている法面のあたりを周回往復するので「産卵体!」と思ったのだがシオカラトンボがアタック掛け通しで降りてくれない。しかし飛翔する翅の色合いが薄茶でマルタンヤンマでは無いのは明白だったけれどオニヤンマとも思えず「ヤブヤンマだろう」と観ていたのだ。

 ところがこのヤンマ、威之志士様の跋扈蹂躙によって崩され倒されたイヌビワの茎にぶら下がったのである。もう「えっ!えっ⁉」と思うばかりであった。「ぶら下がりはオニヤンマの十八番ではないか?」オニヤンマにしては翅は薄茶に染まっているし、そもそもオニヤンマの産卵体はこんな環境を好まない。結局はモヤモヤしつつの帰宅であった。小生は「虫屋」でも無いし愛好家でも無し、撮影したくて立ち寄っている訳でも無くたまたまの通りすがりに目にしたのを写して来ただけなので幅も深みも育たないのであるがやはり何時もとは異なる事柄は無視でき難い。とは言えそこは低年金高齢者であるがゆえに近い記憶はすぐ忘れる。短期記憶は定着し難いのであるから持って3分かあ。まああの、別のぶら下がりの小用はもう少し持つのだがみんな短くなったわい。


**涼夜恋しや

2023-09-17 | 感じるままの回り道

        敷き茣蓙を敷布に替えて寝る布団母のぬくもり想い月見ゆ

        長月や残暑の続く日々なれば今日の残照明日の惨暑

        日盛りに沢水被れば人心地つぎの作業にまた思いはす

        秋の朝つばくろ鳴かず影も無しすでに渡りか心寂しき

        秋の昼網膜はただ群青に溢れ目じりに一筋走る


沈泥池の抜去除草

2023-09-17 | 水辺環境の保全

 水域の草勢が加速度的に激しくなった。既に水面を覆いトンボが飛翔しなくなった空域も出て来たのである。水が入ってくる長靴の新調はまだならず苦渋の選択でパンク修理用のパッチを貼り付けて凌ぐ。どの水域も手を入れる必要がでてきたものの残暑はまだまだ厳しくどうしても尾根の影に入る水域が先になる。で、この日は泥水池への絞り水から砂泥を分離させる沈泥池内の抜去から始めた。先日の泥水池4と5の除草時に4本鍬の先端部が脱落してしまい補修が済んでいないので3本クワにしたのだが刺さりが悪いし深くは刺さらないしやはり4本鍬の使い勝手が良い。

 結局は株元を掴んで遊動させて抜根する。植物体の長い部分は2mにも及び、これが周囲の草叢と絡み合っているので引くのも難儀だった。茎本体は縦横無尽に絡んで育つし葉の辺縁は摩擦の多い形状なのも相まって「引きずり出すゥ!」感覚だ。この日の作業予定はシェルター水路まで終えるつもりだったけれど33℃の気温下でのせめぎ合いに負けた。トットと帰宅してのシャワーが「とってもシャワーわせ!」だったわい。それでトットシャンとしたのであった…。