トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

クロコノマチョウの羽化

2019-10-31 | 小父のお隣さん
 上の池の葦が茎だけになっている。その中、わずかばかり残っている葉の上にクロコノマチョウがいた。直下の葉裏には蛹の抜け殻が見える。羽化したばかりのクロコノマチョウだった。
 周囲の残っている葉裏には透明感のある薄い緑の蛹が下がっているがピントが背景にだけ行って合焦せず撮影を諦めた。アカボシゴマダラの蛹より透明感も色合いも美しいと感じるし、なにか宝石のようにも思える蛹で、小生的には「この蛹だーい好き!」なのである。
 10月も終わらんとする今日この頃、成蝶になるとはこのまま越冬体として春を待つのだろう。庭のジャコウアゲハの蛹は羽化せずに蛹で越冬する公算が確実だが、貝掘り熊手や植木鉢の外側にあっては正直、迷惑な・・・・・。

除伐やむなし・・・地拵え

2019-10-30 | 今日は真面目に
 テングス病真っ盛り  ➡   伐採  ➡   処理
 「テングス病発症樹」は本来ならば焼却処分すべき除伐材なのだが野焼きは出来ず清掃センターまで持ち込む運搬手段もない。結局は集積し朽ちさせるだけなので感染源の閉じ込めにはならないのだった。
 突端部の肩に植えた品種名のあった桜なのだがテングス病が発生して久しい。というより苗木の時に既に感染していたと思われる成長だった。視認できる病巣部も年々拡大し、花も鑑賞になるほどもなく、今になって除伐した。

 顔も知らない人が無断で植え付けていった栗の苗木も「当座、植樹の予定なし」の状態だったから下草刈りだけ行っていて実ったのは柴栗で、これも3本とも除伐する。大きく樹冠を広げるようになり四つ溝柿の日照を遮るようになったためでもあるけれど、もともとは想定外の樹種なのだ。周囲のコナラや大きく育ったヤマグワも除伐して少し広くなった突端の平坦地にはクルミを植え付ける。オニグルミは十本足らずあって既に実をつけているけれど、堅果では拾う人もおらず、むなしく落下するだけだ。
 それでは誠に侘しく、在来種ではないけれど菓子クルミを導入することにした。里山とは言っても里地に近い環境だしリンゴ園もブドウ園も至近にあるから反則でもなかろう。
 すでに定植可能な苗木と今年発芽させた幼木6本が定植を待っている。

 伐倒は簡単でも刻んで集積に手間がかかる。それが終わるまで植え付けを伸ばすと落葉期になってしまうから処理前だが定植場所だけ空けての始末である。
           ➡      ➡   

二頭飛来した

2019-10-29 | 小父のお隣さん
 28日、帰宅しフジバカマの横を通り抜けようとしたときアサギマダラが飛び立った。それも二頭である。さっそく3枚撮影したのだが焦点は背景にあり肝心のアサギマダラになくて消去した。ピンポイント焦点にしても背景にピントがいきやすくてストレスフルなカメラである。結局、二頭写っている写真はボケて使えず、カメラも呆けてしまった。

 今日の朝刊に近在山間部の飛来地のニュースが載っていて、そこでは16日に初飛来していたとの事。それから一週間後に自宅で飛翔を見た、ということになるのだが、自宅より海側のフイールドではまだ視認はしていない。
 それでも自宅で初見してから四日後に二頭の飛来があったから小生的には大満足で、フジバカマの群落横のキジョランに産卵があるかどうかが目下の関心事である。

おしり齧り爺・・・不十分の顛末

2019-10-29 | 小人閑居して憮然
 「おじり齧り爺」なんて表現をすれば「なんとスケベーな!」とひんしゅく轟々の巷・世間様になってしまう懸念はあるものの、小生の信念は「間違ってはおらぬ!」なのである。非難もひんしゅくも村八分も冤罪だと判っているからである。「おしり齧り」と言っても、どのおしりを齧ったかを問うてみれば「なるほど!」と手のひらに握りこぶしを落とせるだろう。かようなほど単純明快・真実一路、清廉潔白な小生であるのだった。故にこの際「おしり齧り無視」にしてもらいたい。

 先日、葉唐辛子の佃煮を作る際、最後に抜き取って「葉唐辛子の油味噌」を作った株はすべてシシトウだった。何本か尻齧りをしてみたら辛くないので「もったいない」と思い、実を外して野菜室に入れておいたのが10日ほど前の事である。天候不順で蟄居状態、思い出して「シシトウの油味噌炒め」で作り置きの惣菜を一品増やすことにした。茄子の油味噌炒めの方が好きだけれど茄子は高い。そんなにアフアフ食べるほどの懐具合ではない「撚金世代」、高齢破産直前の台所は火の車なのである。
 ここは野菜費ゼロとして冷蔵庫に残っている赤味噌を使い切る算段をもしたのだった。ただ心配なのは赤味噌(八丁味噌)は小生は苦手なのである。味醂や砂糖、鰹節などをも参加させなんとかご飯のお供に揃えたい。

 さて、そこからが「おしり齧り爺」になるべくしてなった瞬間なのだった。洗ったシシトウのおしりを齧り辛みを確認し辛くないのだけを選抜する。選抜甲子園は春まで待たねばならないが「選抜こうしよう」は現在進行形であった。このおしりかじりで選抜しないとご飯のお供にした時「大当たり」を引いてしまう恐れが十分あるのだ。しかし10本ほど齧ってみたら辛いのは1本も無かった。そこで齧りは省略し500gを調理する事になった。

 かの「調理室激辛カレー事件」、胃痙攣を起こされ顔面をも腫らし、次々と犯罪行為が露呈するのに謝罪の席も氏名写真の公表も無しの上、免職もなしで庇護される実態とは何だろう、管理者側にはさらに隠蔽したい事があるに違いないと、小生の聞き舌は感じたのだった。小石でフロントガラスを割った当人の氏名や映像は四六時中全国放送されていたのに・・・だ。基準が分からない小生であるが隠蔽指向であることは木久扇師匠ですら理解できるであろう。

 さて、無用の脱線はさておきレンジでしんなりさせてからフライパンで炒める。赤味噌を味醂で溶きシシトウに回し掛けして火を通して調理終了。味噌の味は味醂のせいか悪くはなかった。シシトウの味はどうかと口に入れたらやや硬い。収穫時期が過ぎたものだから多少はOK牧場だったのだが急に辛みが来てシンクに出してしまった。次の物も次の物も辛く3番目はむせ返る辛さだった。「なんでこうなるの!」と手のひら返しのシシトウの仕打ちに咳き込み涙を滲ませたものの解決策は無い。すっかり業を煮やして全量ゴミ箱へ直行させた。
 あーあ、安物塊の銭失い・・・。この件、調理室でなく台所ですから自業自得・犯罪性はありません。ましてや家庭内暴力でもないのであります。念のため。

          レンジでしんなりさせた   ➡    赤味噌で油炒め

水源地のカジカガエル?

2019-10-28 | 小父のお隣さん
 水源地で強制送水のためにホースを展開させていたところカエルが跳んで出た。アカガエルではなく黒色に見える肌である。恐らくカジカガエルだろうと推測した。昼間作業をするだけなので夜間の鳴き声は聞いていないし、日中の鳴き声の記憶も無い。それでもカジカガエルと思ったのは5月に法事で帰省した折に鎮守様の沢で見て撮影もしていたからである。写真の比較はしていないけれどカジカガエルで良いだろう。

 カジカガエルではないニホンアカガエルの腹部が膨らんだ成体はチョコチョコと見ている。腹の中は卵でいっぱいなのだろう。来春の産卵が楽しみだ。すでに産卵実績のある区域は環境設定を終えている。カエルやトンボ、チョウや蜂などの産卵を楽しみにしているとは、まあ変人変態に近いように思えるけれど、人間そのものもバッタのように「不完全変態」の種ではないかと思えるようになってきた昨今、「頓で日を経る待つの無職」でもいいではないかと居直ろう。

 無学ぶりをさらけ出すので恥ずかしい限りなのだが引用文「飛んで火にいる夏の虫」は芭蕉か誰かの俳句の一節と思っていた。確認したら単なることわざの類だった。それにしても初句5文字があるような気がしてザワザワする。
                
                    

大ナメクジの交接

2019-10-27 | 小父のお隣さん
 除伐した柴栗の幹に大ナメクジが契っていた。ナメクジだけでなくトカゲ類もどういうわけかこんがらかってしまう態勢をとる。理にかなっていると言うべきか「そういうものだ」と言うべきなのか小生には如何とも言い難く「へーっ!」てなもんや三度笠なのである。
 ナメクジの生理や生態など点で知らない小生なので「交接」と表現するのが正しいかどうか判りもしないでタイトルをつける。 

カビる前に脱穀

2019-10-27 | 今日は真面目に
 秋晴れが続かなくて猪様除けの囲いの中は風通しも悪いおしくらまんじゅう状態で、これでは乾燥など期待できないし黴臭くなってしまうのは必定であった。
 代表にその旨伝えたら、いったんは自宅の車庫に避難させたうえでこの日、脱穀をするという。先々の天候回復も望めない予報では稲藁の乾燥など期待も出来ないしカビ臭がお米につく前に精米し配布してしまうのが無駄がない。

 てなことで会友3人で脱穀作業とあいなったのだが、足踏み式脱穀機で最終的に作業をするのは小生だった。百姓生まれの百姓育ち魚沼産であれば致し方ない。痛し痒しである。稲束の湿っているのが多くだれてしまい脱穀作業もやり難かった。そのうえ稲穂の脱落が多く量としては「もったいない」と思えるほど千切れてしまった。3人でより分け拾い集めてみたがほどなく万歳三唱で放棄、箒で清掃して終わった。
 モミの量は30Kg入りの紙袋に1袋と三分の一ほどの量だった。籾摺りと精米は県下3カ所ほどある農協の精米所で行うけれど市内ではないからドライブせねばならない。精米して3カップほどが分配されるだろうが、さてお味は・・・。

                      

オーバーフロー部の再調整

2019-10-26 | 水辺環境の保全
 水見回り。泥水池4,3,2に水が無く底が出てしまった。メダカは生存出来はしないだろうがヤゴはまだ乾燥していないから大丈夫だろう。先に回ったトンボ池への分水は十分吐出されていたから先日の設えの影響に違いない。
 そこで泥水池1のオーバーフロー部を確認したらまだ僅かに高くすべてがトンボ池への集水桝へ落ちていた。オーバーフロー部を改修したことで水抜けがピタリと止まって、それは長い目で見れば構造安定化に寄与するのだけれど、微妙な水漏れも防いでしまったためにダイレクトに水飢饉になってしまう下位の池を作ってしまう事になったのだった。

 修正は車載の手斧を取ってきてカッカッと削りを5mmほど行い水が流れ出したのを確認して終わる。もう5mmほど削ればOKかと思いつつも削り過ぎれば仕切りの梁材を持ち上げて修正しなくてはならなくなり、そうすると緩んだ下部から水漏れが早晩発生することになってしまう。面倒だけれど数回に分け微調整で適正高さまで削るのが安全なのだ。

 泥水池2以下が干上がる  ➡   修正前、オーバーフロー無し  ➡   溢れさせた

葉唐辛子の油味噌

2019-10-25 | 何よりの楽しみ
 「耕転するから抜いてちょうだい」と言われ菜園の抜き残りのシシトウの株を5本ばかり頂いた。すでに700gの「葉唐辛子の佃煮」を作り冷蔵庫に入っているし、同じものでは芸が無いから「葉唐辛子の油味噌」に切り替えた。
 油味噌が正しいのか舐め味噌が正しい呼び名かは忘れてしまった遠い記憶の彼方で生きている名称である。小生的には「舐め味噌」がしっくりするけれど、すべてが都会風になってしまった浮世では「舐め味噌」ではあまりにも下品に聞こえる。体裁と対面をおもんばかって「油味噌」としたのだけれど、要は「美味しければどっちでも良い」のである。所詮、小生が楽しむ一品でしかない。

 葉をむしり取って300gあった。前回の株は伏見甘長で変形した辛い実が多かったものの、今回はシシトウの実が多い。端を少しばかり齧って味見したら辛くはない。それで株ごとに味見をしシシトウを小笊一杯ほど採れた。これはこれで丸儲けである。
 さて、葉は一度洗って電子レンジでしんなりさせてから微塵にしオリーブオイルを敷いたフライパンで軽く炒めてから西京味噌を入れた。これは夏の頃「長生き味噌汁の元」を作る時に用いた白味噌の残りなのだが、合わせた八丁味噌も残っているものの出番が来ない。どうも八丁味噌を美味しく感じない小生なのである。

 味噌と十分に混ざってから削り節と砂糖を加えて弱火で煮詰める。西京味噌は甘口に感じたのだが、砂糖を入れたことで更に甘みが増した。塩味が不足したようにも思えたがすでに西京味噌は無い。出し汁を加え味を好みに整えた。適期に火を止め冷ましてから保存瓶に入れ冷蔵庫に。これを新米ご飯に乗せれば西京の、いいえ最強のお供となる味わいに出来上がったけれど、佃煮仕立てより葉唐辛子の味が弱まってしまった。まあ、葉唐辛子の味を楽しみたければ佃煮で、ご飯のお供として優先するなら油味噌でと、手を変え品を変え小生の御膳は贅沢三昧な実りの秋となった。

          しんなりさせて微塵切り    ➡     炒めて出来上がり

ようやく飛来した

2019-10-24 | 小父のお隣さん
 今期絶望と思っていたアサギマダラ、ようやく我が庭に1頭飛来した。フジバカマの開花最盛期も終わろうとしたタイミングである。フイールドのフジバカマは花期も終わり葉も傷みが目立ち枯れ行く時間に入ってしまった。これでフイールドでのアサギマダラを見る事は絶望状態で、成蝶が飛来しなければ産卵も望めないわけで、キジョランで見る幼虫も絶望となった。

 アサギマダラだけではなくアゲハなどの大型チョウ類の出現数も少なかったし、夏以降の極端なトンボの減少はやはり異常な感じが消えない。    以上

             

                   沈黙の春来る前に寂し秋

ヒシが消滅してしまった・・・

2019-10-24 | 小人閑居して憮然
 泥水池4にはヒシがほぼ水面を埋め尽くすまでに繁殖してヒシの実も出来ていたけれど実が熟すに従いヒシの間に水面が現れ、それがしだいに広がって10月後半にはほぼヒシの株は10株程度にまで減った。

 フォークソング「花はどこへ行った」のように「ヒシはどこに消えた?」と言ってみたところで何も変わらぬ。威野志士様なら葉っぱまで処理しないし、ましてや鋭い棘付きの実である。でんぷん質の多い栗の実に似ているといっても食害まではしないだろう。水路が出来て広がっていったのを見ると二本足の山荒氏に間違いないのだ。人目につかぬように実だけ離して盗り去る手間は持ちいず、ロゼット状の本体ごと持ち去ったに違いない。周辺に実を外した株の断片もないのだった。
 水底まで根を伸ばしているから出水しても浮かんだ上部が流れ去る事も無いし、そもそもオーバーフローを越えなければならないのだから無理がある。

 まあ、山域に限らず「欲しい物は物盗み去る」輩の多い事よ・・・。畑地の作物や無人販売でさえ持ち去る連中が相当数存在する話も耳に入るが、私有地でないフイールドでは罪の意識など無いだろう。あからさまに「市民税払っています」や「県民税、おさめているから」とうそぶく輩は多いのだ。
 ヒシは水域に拡散させたくない植物でもあるがチョウトンボは居ついて欲しくて自然拡散できない泥水池4で管理していても種子を上部の水域に投げ入れる人物もいて、発芽して姿を確認できる頃に除去する株は今期もあった。ウシガエルのオタマジャクシを投げ込まれるより駆除は楽だけれど盗掘・盗人や掻きまわす輩は絶える事が無い。それに耐えて作業を続けるのも結構なストレスではある。
 まあ、環境教育団体と標榜広報していても活動フイールドを痛めつけて行くだけのNPOも存在するのだから個人をあげつらってもしょうもない。

分水量の微調整

2019-10-24 | 水辺環境の保全
 泥水池1のオーバフローを改修して水位の微調整が必要なのだったが30mmほどの降雨があってより自然状態になってくれた。水見回りの時に確認すると新しく添えた梁材の堰がまだ僅かに高くトンボ池への分水が勝っている。この分水量は堰の高さとトンボ池への分水オーバーフロー部との高低差で調整する仕組みなので堰の数ミリ単位の手直しが必須だった。

 基盤層に固着安定させた堰の高さは変えられないので、ここは手斧の出番となった。頂き物の手斧ではあるが、この時とばかり活躍できるのだ。しかし削り取りは数ミリだけなのであっけなく作業は終わる。また2~3日後に分水の塩梅を確認し調整すれば済むだろう。作業量としてみれば大した量ではないものの、この手斧があるかないかでずいぶんと手間の差がでるし調整の簡便さがもたらされる。手仕事は道具次第を実感する作業でもあった。

          据え終わり後、分水量を確認   ➡    手斧で堰の高さを調整

     

今日のトンボ「凶のとんぼ、かい?」

2019-10-23 | 感じるままの回り道
 久しぶりにS先生がフイールドに見えた。小生手作りの巣箱の感想を伺ったりしてあとは立ち話・よもやま話である。その中で「トンボの数が少なくなった」という印象を語られたのだが、それは小生も気が付いており、夏ごろからS先生に漏らしていた事でもある。
 農薬を含んだ流水が入る谷地でもなく、そこで発生するトンボの数が抑えられる理由は不明なのだが、県内のトンボの観察地を周回しているS先生によれば「県内の有名地も同じ傾向」なのだそうである。先生も理由については判然としないという。農薬による食物連鎖や生物濃縮が底辺にあるのかと疑いは出来てもエビデンスは無い。結局は果実と同じ「成り年・裏年」みたいなもんだろうか、という話も出たのだったが、小生的にはここ十数年の中で今季だけバッサリと数が少ない。単なる自然周期の振れによるものであってほしいが聞いた事も無い現象でもある。

 写真のトンボは翅端斑があったからリスアカネだろうと判断したけれど、マユタテアカネにも翅端斑のあるタイプが存在すると知って、小生の種別判断はますます混迷、耄碌痴呆の領域に突入している。
 これら正直誠実に申せばそれ以前よりの症状であるけれど、一応は恰好をつけたい欲求は健在なのだった。ここでも疑問が生じる。「なんで業のような領域だけ真っ当なのだ」と…。

 例えれば業の権化のような永田や霞が堰の魑魅魍魎、泥中生物の様にはなりたくない。まあ、病ん某、忍某、頓某等々、一般社会ではありえない人材登用がまかり通る。だからこそ凶の頓某が紙面を賑やかすのであろう。「下々の将来、真っ暗闇でござんす」と永田某は気にもせずとも鶴田某は虚無の世界で思っているに違いない・・・。

10日ぶりに通水させた

2019-10-23 | 水辺環境の保全
 22日、予報より早めに雨が上がった。昼飯をやや早めに食べてエンジンポンプなどの機材を積み込み水源地に向かう。午後からのご出勤はまずしないのだが、断水10日目ではそうも言ってはいられない。
 前日に林道上の倒木処理はされていると期待しての行動でもある。林道の更に入ったところにも倒木1本あるのだが、こちらの処理をしてくれたかどうか定かでないのでチェーンソーも積載したのだった。
 
 水源地の林道をさかのぼる入口で管路最低地点の排砂バルブを開き、管路流末方向のバルブを閉じておいた。これによって取水口より最低位置の排砂バルブまでの排砂がスムーズに行われるはずなのだ。この作業をしないで全管路強制送水してしまうと、この前半分管内の砂泥は流末吐口方向に送られてしまうし、そうなると前日に行った後半部の排砂作業が無駄になってしまう。
 今回、初めて流末吐口からと取水口からの2方向から管路の半分づつを清掃する事になる。このバルブ処置を行ってから取水口からの強制送水をしようとしたところ取水口管内にも土砂が詰まっており注入のためのホースを挿入できかねたのだが、緩い水流を注ぎ入れているうちに管入口の詰まりは解消し所定の長さを挿入でき送水開始である。

 挿入されたホースの噴出も無いのでポンプを稼働させたまま最低位置にある#1のバルブまで下る。バルブより下流の流れが見える地点で濁りが見えたから排砂は順調なのだと理解できた。バルブ位置で待つこと15分、ようやく濁りが取れたけれどあふれ出す水流に手を入れれば細かい礫が排出されている。さらに待つこと15分ほどで砂粒に変わり30分超の強制吐水で管路前半の清掃が終わった。ここで流末吐口方向へのバルブを開け排砂バルブを閉めた。これで砂礫の混じっていない水流を流末吐口へ送れる事になる。

               排砂バルブを全開      排出された砂礫、10リットル程度

 取水升現場に戻ってエンジンの回転を少々上げ送水圧力を高め運転する事さらに20分、ようやく強制送水・排砂の始末が出来た。取水地から撤退し流末吐口まで戻り吐水確認をした。直後は断水している状態になることも多いのだが今回は毎分16リットルを吐水、70%ほどの復旧である。最大吐水量に達しないのは管内の空気溜まりにより管径が絞られた可能性もあるから一昼夜経過すれば定常水量に戻るだろうと期待し、翌日に再計測する。

※ 明けて23日、吐水量測定したら毎分27リットル出ている。今までの最大値は24リットルだったから3リットルの上乗せになり新記録である。これも双方向からの強制排砂で管内が新品同様の堆積物無しになったからだろう。手間はかけるものだと言うのが実感。

葉唐辛子の佃煮 2

2019-10-22 | 何よりの楽しみ
 先日、試作で200gほど作って食べきってしまった。この日一週間ぶりに山に来たMさんが「取ってくれよー」とも言うので抜き取って自宅で葉を摘んだ。株7~8本を抜き大まかに葉を取る。計ったら700gほどだった。1㎏以上採取できるかと思ったのだが意外に少なかった。
 シシトウの実もたくさんあったのだけれど齧ると辛い物ばかりで実は断念した。苗はシシトウと伏見甘長を並べて定植したためか自然交配して先祖返りしてしまったのだろう。狭い菜園では普通に起こす顛末ではある。欲張らず単一品種なら食べきれないほど収穫できたはずだ。まあ、今回も食べきれず捨ててしまう羽目になったので似たようなもんか。他人事なので気楽である。

 さて佃煮作り、レンジでしんなりさせゴマ油を敷いた深鍋でさっと加熱し出汁と味醂と砂糖で煮る。試作の時のように水は加えなかった。水気が多くて煮詰めるのを断念してしまったからだ。今回は量が多く長く保存しなくてはならない事もあり水気を控えたのだ。
 菜箸でかき混ぜながら水気を飛ばし適期に火を止めた。空き瓶3個に詰めて小瓶二つは冷凍室である。大きい保存容器は冷蔵室で毎食楽しむことが可能だ。郷里の新米があるうちはご飯のお供で幸せを堪能できる。実りの秋である!。
 しかしながら葉唐辛子の佃煮を好む年代は小生らで終わりだろう。家庭菜園で野菜作りを楽しむ人たちは多くても葉っぱなど見向きもしないに違いない。小生にとっては郷里の定番だったし「おいしい!」と思える一品なのだが・・・。

         葉を取った残り  ➡   煮詰め中  ➡   完成