トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

新規のバードフイーダーを設置した

2021-12-31 | 何よりの楽しみ
 午後の手慰みにボチボチと作っていたバードフイーダーがようやく完成し設置も出来たこの日、今期最低気温の氷点下を記録し寒いと言うより「冷たぁ!」の朝だった。降霜で真っ白になったフイールドの一画、食草園に設置したのだが昨季のバードテーブルが残ったままなので撤去して後釜として新作を建てたのだ。

 昨季に給餌したのはいわゆる「撒き餌」と自家製のファットボールだったのだが両方とも歓迎されず冬の風雨にさらされて消えたのだった。理由は皆目不明のままで、今回は「撒き餌」を止め「ヒマワリの種子」一種で試みる。これだと「カラ類」だけになりそうとS先生はおっしゃっていたものの、昨季の経験から「来てくれるかどうか・・・」とまあ、期待はしない事にした。
 そうそう度々給餌ボトルに補給も出来ないので最初は500mlのボトルで作っては見たものの倍近い900mlのボトルに変更した。ヒマワリの種子が大量に流れ落ちないよう、啄んで軽く取り出せるような落下口サイズの資料など見当たらなかったので、つまりは「いい加減」に孔を広げたけれど、まずは大丈夫そうなので小鳥がエサ取りに来てからの結果で判断しよう。

 ボトルタンク複数用意しておけば空になった時の交換は早いし落下口の孔を変えれば粒子の変化にも対応できるのがミソなのだが、そこまでやり替える事も無いだろうが今のところの予想だ。落ち葉を片付け固定する穴を掘って籠の天板で水平を出してから支柱の周囲を踏み固めて完成した。
 ボトルの装着も済み、後は千客万来を待つだけなのだがコロナ禍の今日、密を避けて飲食に来てくれるかどうかはお客様次第なのだ。バードフイーダーを設置するのは「環境に悪影響が・・・」なんて意見も知らない訳ではないものの程度や設置環境、はたまた維持管理等々の複合的要因の結果なのだろうと小生は思っていて端的には「動的平衡」、そんなもん…。

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*今日の一句「望郷」

2021-12-31 | 感じるままの回り道
                 十三の膳を並べて手打ちヘギ

日溜まりを広げる

2021-12-30 | 今日は真面目に
 トンボ池北側の斜面は日当たりが良い。斜面下の通路は早春からタンポポやオオイヌノフグリなどの開花が見られる場所で北側斜面が風よけにもなってトンボもここで終見日となるのである。その東側はナラ枯れ病に侵され倒れてしまったコナラの50年生を越える幹と枝の処理場になって久しい。この環境でもカミキリムシや玉虫、あるいはクワガタなどの発生源になるけれど、それはこのままでなくとも良いのであって、日溜まりを広げる目的で再集積を行った。

 積み重ねてあった太枝の部分を幹の東側に移動して積み上げ得られた面積は4畳半ほどはあるのだろうが朽ちた材や伸びた野草を刈り取って更地にした。これだけでもすっきりするけれど、これから春までの間に野草の芽生えがあるはずで陽だまりで野草の開花が伴えば早春のチョウがいち早く見られるという思惑が現実味を帯びて来る。

 大雑把に残った朽ちた材の破片を造林鎌で掻き寄せていたらヒキガエルが出てきた。土の中ではなく腐食物の中に潜りこんでいた様だった。取り上げて確認しても傷などを与えて無かったから幹下の腐食物の下に掘り下げ移動させて枯葉などを厚く被せて始末する。
 この日の気温は3℃ほどだったが晒されていた時間は長くは無かったから大丈夫だろうと勝手に解釈。まあ、産卵期にはよろしく!の相手であるのだ。

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*今日の一句「望郷」

2021-12-30 | 感じるままの回り道
                寅年の三兄欠いてまた晦日

姥捨て山のポッコリコンモリ⁉

2021-12-29 | 今日は真面目に
 この日が落ち葉掻き最終日と決めた日。都合4回ほど落ち葉掻きしたかも。前の回までは斜面や林道沿いだったからポッコリコンモリ出来るはずも無く熊手で掻き寄せ掻き寄せ集積して終わった。今回は原っぱ部の平坦部だし樹木はクヌギが大半なので落ち葉の量は半端ではない。掻き寄せ掻き寄せしながら移動させるには量が多すぎていわゆる「お寺の引っ越し」なのだった。でもって適当に盛り上げてから一輪車で運ぶ事にしたのだ。

 「人は無い物を欲しがる」なんてフレーズをどこかで聞いた記憶があるものの既に崩壊し始めた我が脳味噌は記憶の糸口さえ引き出せなくなっている。ちなみにこの言葉を小生に当てはめてみると「姥捨て山ポッコリコンモリ」は我が願望かもしれないと深層心理学者から指摘されるかもしれないもののそれには今回は触れない。
 人間、弱みや劣等感には触れたがらないのも真理なのである。しかしなあ、いくつかのポッコリコンモリを眺めそれを集積したボッコリ山を見上げれば嗚咽が漏れそうになるのも間違いなく「この世の朝、早も過ぎてたそがれの頃とをなれば・・・」とフォスターの名曲を口ずさんで堪えるのであった。この我慢・辛抱・忍耐は日本男子としても雪深い郷での生まれと育ちである者としても矜持であろう。とは言え「あのブドウは酸っぱい。あっちの水は苦い」として落ち着くのが日常だ。天は自ら助くる者を助くのであるとは知られたフレーズだが、自ら助くる事を出来ない者は「この食事は酸っぱい。この水は苦い」のまま落ち葉になるのかねえ…。
 むかし「おどるポンポコリン」なんて乗りの良い歌があったが「踊るポッコリコンモリン」では成人向けになってしまいかねないものの姥捨て山のポッコリコンモリンは、なんか土饅頭にも見えてくる。まっ、関係はないか・・・。
 
 阿呆馬鹿丸出しは横に置いといて今期の落ち葉掻き集積は例年になく広範囲に行った。落ち葉堆肥の使い道が「バグズ・キッチン」に施したいためもあるがまあ、ほんのり気は心SDGsもどきでもある。裸木と落ち葉を眺めていると青葉を茂らせ結実させ落ち葉となり地に還る、これも大いなる輪廻の結なのであったと思わずにはいられない。究極のSDGsなのだ。

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*今日の一句「望郷」

2021-12-29 | 感じるままの回り道
                 湯掛け飯シオカラまぶし昼餉とす

落ち葉掻き、そして敷き詰め

2021-12-28 | 蝶の食草園
 この日も降霜があり氷結していた。伐採してある幹の加工をしたいのだが落ち葉も気になって3回目の落ち葉掻きを林道で行った。隣接グループが定例会の折りに林道上の落ち葉を道路わきに排除したのだが、そのやり方が雑と言うか思慮が無いと言うべきか導水路の中にまで落としてくれた。こんな行為はすべきでは無い事ぐらい分かりそうなものだと憮然とするけれ終わってしまった事なのでどうしようもない。まあ、路面上から排除できれば目出度し目出度しなのであろう。

 その中の道路脇の草地に追い払われた落ち葉を搔き集めて一輪車で食草園まで運び林床に敷き詰めた。棚田跡で水位は高いし粘土質、根を張れる土壌の厚さも薄い場所なので積極的に腐葉土を涵養した方が良いだろうとの思惑からである。木本類はそこまで気を使わなくても良いのだがキジョランだけは別格扱いにしていないと成長が悪く機嫌を損ねやすい。今までは牡蠣化石層を崩して客土していたがこれからは落ち葉で腐葉土層を創出し成長を促したいと思っている。
 こんな手太楽、毎日が日曜日の姥捨て山棄民だからこそ許される特権であろうが徒歩々…でもある。

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*今日の一句「望郷」

2021-12-28 | 感じるままの回り道
                三升餅搗いて汗拭く暇も無し

刈り出しして1年

2021-12-27 | 今日は真面目に
 東奥の斜面、昨季に境界樹だった大マキの樹列を大量に伐採し地拵えの結果、明るくなった斜面には「刈り出し」したように数本の柑橘樹がある。全ての樹形が箒を立てたように光を求め上へ伸びた形だったから結実していても日光不足で酸っぱい果実ばかりだった。
 刈り出して丸1年、そろそろ落下もあるだろうと見に行ったところ10個ほどを拾うことが出来た。樹形は昨季とそれほど変わらず結果数もほどほどだったから目に見えた効果も無かったのだが帰宅して試食してみたところ、これが何とも爽やかな味だった。甘味は少ないし酸味も少なく物足りないと言えば物足りない味わいだけれど爽やかな味になっていたのは間違いない。

 今後、数年を掛け枝も広がり光合成も多くなれば昔の品種ではあるけれど、それなりに味わえる柑橘になりそうだ。写真は夏みかんの樹だが他に3本、温州ミカンが3本、ユズが2本とまあ、肥料などを与え手入すればそれなりの収穫が見込まれる。ユズはお風呂に、温州ミカンは生食で、夏みかんも生食になるだろうか、とにもかくにも楽しみが増した。

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今日のエッ!品「きな粉とヨーグルトのクラッカー、ゆかり入り」

2021-12-27 | 何よりの楽しみ
 クラッカーはスイーツなのかお菓子なのかそれが悶題なのだが、ここは真実一路食べるために専念する。以前より「きな粉のクラッカー」を作ってみたかったのだが、この日ようやく達成できたのだ。
 きな粉にヨーグルトを入れ粘度を調整しては見たものの「焼いて固まるか⁉」と懸念が出たから卵を1個入れてみた。案の定、緩さが出てきてきな粉を更に投入したのだ。作ってみて理解できたのは「卵1個」でも生地の固さに大きく影響する。「入れるか入れないか」でいつも悶々とするのだった。

 今回は生地を伸ばし収める枠を使ってみたら丁度収まる量だった。枠の周囲には4cmごとの印があるから、ここを目印に包丁目を入れておけば焼いた後には綺麗に割れる。生地が緩くて型どり出来ない塩梅でもクッキングシート上で延ばせば、そのまま滑らして深皿に収める事が出来るようになり楽に感じる。生地の調整が曖昧なので、いつもこの段階で四苦八苦していたのだが、これで解消した。

 焼きはいつも通り170度15分で終わり。焼き上がりも冷えてからも残存水分量が多いのでシットリ感がありパリッとしたクラッカーの口当たりが無い。二度焼きすれば大丈夫と思ったものの、そこまでする必要もない自産自消の産物である。
 やはりクラッカー特有のパリッとした噛み応えは小麦粉を混入しないと出ないのが理解できた。芋にしろ牛乳にしろ、トマトにしろ原材料単体では二度焼きしても粉が入ったパリパリ感は無理だった。

 今回の代物「きな粉にヨーグルト」これにゆかりを加え塩味と紫蘇風味を得たかったのだが塩味が出過ぎてしまった。店頭には紫蘇だけの商品が無くなり「混ぜご飯用の塩入」だけになったので仕方が無い。ドリンクとしての「きな粉にヨーグルト」は健康飲料と喧伝されているようだが流動体でなく固形物で咀嚼し唾液を出す方がより一層、健康食品になると思った今日のエッ!品である。そう、ベビーの涎はお口の健康を守っているし爺爺の涎は食欲か好色か本人でも分からなくなった年の瀬なのだった。いいえ、歳のせい・・・。

           

*今日の一句「望郷」

2021-12-27 | 感じるままの回り道
                 首縮め凍み野沢菜の朝餉かな

野鳥の異変⁉

2021-12-26 | 感じるままの回り道
 庭のフイーダーにミカンを入れ始めて二週間が経ようとしているが飛来が極端に無いのだ。今までだと三日もすればガラス越しに姿を認められるのだけれど、まだ一羽たりとも見ていない。しばしば飛来し取りつくが「ギョエー」とか怒り啼きして去るヒヨドリさえも姿を見せないし鳴き声すら近所から届かない。
 自宅にいない時なら見なくて当たり前なのだが、暮れの大掃除とかやらで障子張りや拭き掃除で在宅中なのに姿を見ないのである。これを異常事態と言わず何と言うべきか。

 思い返せばフイールドの駐車場へ到着した折々に、カシラダカやカワラヒワの群れが地上で採餌しており一斉に飛び立つのは冬季しばしばだったにもかかわらず今期はまだ一回も見ていない。カラスザンショウの実が落ち始め散乱しているにもかかわらずだ。どうして採餌する姿を見ないのか理由が分かるはずも無いけれど、小生の行動範囲の中での知見なので普遍性があるとも言えないまでも「何かおかしい」とは感じるのだ。

 こんな状況ではフイールドに設置したヒマワリ種子の給餌台へもそうだしバードバスの利用もそうなのだけれど利用してもらえるのはおぼつかなくなってきた。穿った見方をすれば新型コロナウイルスが野鳥にも影響し活気を削いでいるのかも、と妄想してしまう今日この頃なのである。「早く来い来いお正月」より「早く来い来い野鳥たち!」とオイチョカブならぬ来い来いの恋路で秋波を送ってみても姿が無いのではすべてが水泡に帰す可能性は大きい。人生なんて人生なんて努力や希望や準備が報われるとは限らないのだった・・・。
 あーあ、老骨に凍み入る最強寒波のご来朝。そんな折々、小生に優しいのはヌクヌクの布団の中だけなのであるが、起床する前に胎児の姿勢をとってしばしマインドフルネス、ようやく傷心が癒え喝を入れ起きるのだった。

                  相手されない恋路の秋波
                           野鳥と言えども爺は嫌 ハアコリャコリャ
                           

*今日の一句「望郷」

2021-12-26 | 感じるままの回り道
                 芋穴のユウレイグモは最微速

今日のトンボ「今期の総括」

2021-12-25 | 小父のお隣さん
 暮れともなればフイールドのトンボは完全に消え失せた。日々毎日生存確認をしてきたわけでも無いが12月12日にマユタテアカネとオオアオイトトンボの二種は飛翔していた。15日になるとマユタテアカネだけとなり、それ以後の確認は無かったから「終見日は15日」で良いだろう。「総括」と言う単語や「金木犀の香り」は記憶と癒着してしまい生涯離れる事は無いだろう。そうだからこそ「総括」は使いたくない単語なのだが年に1回くらいはやむを得ない。

 今期、最初の出現はダビドサナエが4月6日で4月中にアサヒナカワトンボ、クロスジギンヤンマ、シオカラトンボ、シオヤトンボを確認できた。出現していた可能性が高いのはコヤマトンボやハネビロエゾトンボなどだが飛翔体だけで撮影が出来なかった以上、小生が確定できるはずも無く残念な結果である。
 例年になく少なかったのはヤブヤンマとクロスジギンヤンマだが期待していたミヤマカワトンボやミヤマアカネは飛来しなかった。ヤブヤンマの理由は不明でもクロスジギンヤンマ減少の理由は明らかで出現期前の冬、極端な雨量減少で雨水に頼っていた三日月池が座布団1枚ほどの水域を残して干上がったのだ。「発生は無理か⁉」と思った通りになって羽化量の物差しになる抜け殻の目減りは甚大だったのである。

 それでもトピックはあるもので、林接池を造成した結果に違いないタカネトンボは定着種として増え産卵する姿も撮影できたしサラサヤンマも撮影出来たのだった。オニヤンマも例年になく飛翔数と産卵行為を見せてくれた。
 タカネトンボやサラサヤンマは飛翔していくだけで止まってはくれない。S先生のように飛翔体を見れば判定してしまう鑑定眼など無い小生がぼやいていたらわざわざ捕獲して撮影させてくれた。小生も捕虫網を持てば捕獲でき撮影個体も増えるのは分かりきっていて近くの専門店の所在もチェックしてはいるけれど購入までには至っていない。自ら捕獲して撮影するのは少し違和感を生じる。小生は「じょんのびの地」として生息環境を整え「おいでやす」を基本としてきたのだ。それが「里山栗栄太」の矜持である。
           タカネトンボ        サラサヤンマ 


 ご当地ではないものの誘われて出向いた折りにはオオヤマトンボとネアカヨシヤンマを見る事が出来たけれど小生の活動フイールドとは異なる環境下でもあって「別環境下では異なった種が居る」とまあ、当たり前の感覚。フイールドでお迎えするほどの感慨は薄いし今後も間違ってもフイールドでは飛翔しない種なのだから期待もしない。
 猫の額より大きいフイールドでもトンボの生息環境として評価すれば整っているとは断じえない。フイールドで確認できた種は大まかには定着繁殖種と飛来記録種に分かれるけれど双方を合わせ40種が当面の目標で、S先生によれば「不可能ではない数」との事なので、それをよすがに水商売・水見回りが続く。

 まあ、何と言うべきか「窮鳥懐に入れば猟師これを殺さず」とは多少異なるものの、身近で散見できる種の方に愛着が湧くし「次はどうなる⁉」と期待も膨らむのであった。水が温み来季出現するまでの間、氷盤の下のヤゴに思いをはせながら凍え悴むご老体をいたわりつつ水辺の保全に努めねばならない。こういう事は世間と隔絶された姥捨て山の孤老でしか行いない行為だろうし、その故あって生息環境も風前の灯でもある。色即是空空即是色・・・。

                  氷盤したなる泥中ヤゴは
                  飛翔夢見つ泥布団 ハアコリャコリャ

*今日の一句「望郷」

2021-12-25 | 感じるままの回り道
                 箱膳の食も暗けり雪囲い