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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

猛暑の夏はジンベエでしょ!

2025-08-22 | 何よりの楽しみ

 猛暑日一歩手前の日々連続ではもうお手上げ、万歳万歳である。完全なる毎日が日曜日ともなれば、この世の地獄を味わう事になる。生まれも育ちも魚沼の雅な水飲み米作農家が出自ともなれば男児三歳にして学問を欲し「疾如加齢、徐如孤老、侵掠如詐欺、不動如屍」とまあ、孫子にも精通するのは当たり前だとしても明るい昼間からグダグダ続くのは遺伝子が許さない。と言えばA(Ⅽ)に相当してしまうけれど暑さより何もすべきことが無い方が心身に障る。

 そこで、頼み込んできた人物は何処の誰かか知らないのだが新聞配達の兄いが仲立ちになり頼まれたのが「動く魚」の製作だった。縁台工作で「動く魚」を作っていたのを夕刊配達の折々に見ていて話を交わすようになり結果的にはお姉さんの週末食堂に飾る木の玩具として進呈した過去があったので、恐らくここからの繋がりなのだろうと推測している。それはともかくとして熱中症警戒アラート発表中の日々にいささか飽きてきて工作をする気になったのである。

 今まで作った型紙を基準に製作すれば魚体は苦もなく手間暇かければ完成するものの、同じものでは気乗りがしない。そこで浮かんだのが先般、亡くなった水族館のジンベエザメを思い出して形にしてみようと考えたのであるが、ところが描画やデザインのセンスのない孤爺ともなればスタートから躓く。躓かないように一所懸命に足指のグーチョキパーをやってみたところで遅々として進まなかった。それでもネットの写真を参考にデッサンを重ねて何とか下図がようやく完成した。

 ところがどっこい、はたして出来上がる物なのかどうかは「やってみなけりゃ判らない!」のであってボツ覚悟でこの日、ようやく本体になる三枚の板を切り出せたのだ。今までだと厚板一枚から全てのパーツを切り出せたのでパーツの数も少なくて済んだけれど、今回のジンベイザメは横幅があり糸のこ盤で一体物としてパーツを切り出せない。で、結局は三枚の板材で構成したパーツを用意しなければならなくなったのであるが最終的には三枚一組の節にまとめるものの3倍の部材点数になってしまった。

 出来上がれば「売ってください」の伝言も聞いているが類似の市販品を参考にすれば数万円は確実で、求めた人の想定価格までは知らないものの恐らく数千円程度だろうし、手間賃にもならない価格で売るよりは子どもの施設に進呈した方が気分が良いだろう。もともとそのような発想で製作していた玩具なので、てな事もろもろ妄想しつつ汗を掻き掻きどうなるのやらジンベイの結果は・・・。まあ、ジンベエと言えども涼しくないのは確かなのだった。

 


今日のエッ!品「こねないパンってどんなもの⁉」

2025-07-16 | 何よりの楽しみ

 パンより麺類がお好みの孤爺ではあるがまだ好奇心は失われてはおらん。そこで「こねないパン」とやらを作ってみる事にしたのだ。検索すればものの小一時間で出来上がるレシピもあるが発酵に数時間を費やすレシピもあった。孤爺としては軽薄短小早漏、いいえ軽薄短小騒老であるからして小一時間の方を選ぶに決まっておる。ましてや孤爺の人生「コネなし」の裸一貫、臣実一路を通した者の負であるからしてややこしいのは好かん。年金生活はかくして素寒貧、頭頂は素間貧てなもんや三度笠・・・。

 さて、レシピをプリントしキッチンの目の前に張り付け材料を揃える。ここまでは順調だったが混ぜ合わせる時に大ポカをやってしまったのだった。もう後の祭り「複材元に戻らず」であって万事休すと思われたものの「パン事窮す」ではメンツが立たんし沽券に係わる。禿げ頭をナデナデすれば母からの愛情注入と同様に元気は復活するのであった。そこで得た解は「コネコネする事に尽きる」であって、こねないパンは最初から躓いたのである。まあ、コネなしの人生を生きて来た孤爺としては晩年になってコネコネあるのは運が向いてきたともいえるから何とも祝着至極ぞ。

 さてさて、まずは失敗のその内容「混ぜ合わせる」のに早とちりをしてしまい「水・イースト菌・砂糖・塩」ではなく粉と水を最初に混ぜてしまった事だった。そうなるとイースト菌の均一な混入が難しい。で結局はコネコネとせざるを得なかったのである。もう一点の失敗は「耐熱容器」の表現に縛られたことによる。いつもはバットに広げて焼くのだが「耐熱容器」の表現に縛られグラタン皿を使ったため厚みが増して中まで熱が通り難かった。

 それでも膨らみは今までのパン作りより順調で、なんでこの違いが生じたのか理解できていない。出来上がりを食してみればやはり厚みが大きかったのが理解できたが捲土重来、次回はもっとうまく出来るだろう。夕食で食べるにあたり卵にモロッコインゲンを刻み入れ、味付けに「ウメとリンゴのジャム」を入れてみたのだが、これは大失敗だった。加熱を十分にしてもどうしても固まらずまとまらない。その上、ウメの酸味で旨さは半減して「コリャ駄目だわ!」でサンドイッチは断念し素パンを食べた寂しい労後の夕食のなのであった。


今日の素労風努「ゴーヤのキュウちゃんで号泣だあ!」

2025-06-24 | 何よりの楽しみ

 「キュウリのキューちゃん」を作っての残り液、捨てるにはもったいないし既に閃いたレシピが妄想中で明日まで待てない。結局、夕食間近の時間なのに雨降りの中、スーパーに行ってゴーヤを購入して来た。孤爺は待てないせっかちな人間なので「思いついたら沼突入」と機動隊紛いの行動力が出る。夕食はインスタントに立ち食いして「号泣物」に取り組んだのである。勿論、試作だし初物・・・。

 残り液なので新たにお酢、味醂、砂糖を気持ちばかり加え液の濃度を上げる。ゴーヤが主体だから沖縄特産の調味料「てーげえー」も小匙1杯加える。更に鰹節と出汁昆布も加えて調味液を用意した。ゴーヤ2本で600gあったから少々量的には多い感じもしたのだが、その対応は浸潤した折に液の温度が急速に下がるから温度計を差し入れつつ90度まで液温を上げた。これでゴーヤの生感が薄れるだろう。キュウリと異なり塩振りしないからその代わりだ。

 ゴーヤを漬け込んで90度まで上げた事でしんなりして尚且つ調味液の浸透も促進されたようだ。常温まで下がってから液だけ加熱して再度の漬け込み、これは朝まで放置して完成した。調理途中にも度々味見していたが、キュウリとは異なりゴーヤの特徴が味わえる一品となった。ここでまた妄想が始まる。「バターで炒めたら号泣どころかほっぺが落ちるかも…」。だけど孤爺宅にはピアノも無いけどバターも無い。年金出たから購入しよう!。バターなど何時以来か記憶には無いが「こねないパン」が雨の日対応で思案中だから余る事は無いだろうな。

     

 


今日の素労風努「キューちゃんを作ってみた」

2025-06-20 | 何よりの楽しみ

 グリーンカーテンに今までは雲南百薬やゴーヤを用いていたが今期は胡瓜にした。たかだか3株なのだが生産性がよくて冷蔵庫に溜まる一方なのだ。お味噌をつけて丸かじりしたり甘酢漬けにしてみたりしたところで消費量は知れたものだから結局は庫内で崩れてしまうのがオチだった。そこで一念発起し多少は保存性のあるいわゆる「キューちゃん」を作る事にしたのだ。こういう場合、ネット社会は便利で検索一発でズラズラと作り方が並ぶ。中には広告収入だけが目当てとしか思えないサイトも多いのだが堅実な作りをしてアップしている中からレシピを選ぶことになる。

 今回のレシピは「キュウリ1kg」で用意されていたが孤爺は半量にして採用し、さっそく調理開始だ。キュウリの薄切りは包丁でなくスライサーを使ったのだが昔々、ショウガのスライスに使った折り、小指の先端部を切り落とす直前まで行った事があり、今回は最後だけ包丁でスライスである。あらかじめ用意しておいた熱い浸潤液に塩振りして水分を出したキュウリを漬けおく事2回。出来上がりは市販品に負けず劣らずの美味しさだったが塩振りの塩分が残っているためか孤爺には少々しょっぱい感じだ。これはそのまま食すだけでなく微塵にして納豆や卵焼きなどに含ませれば用途は広がるし調味料代わりになるだろう。市販品ではとてもこんな使い方は出来ない。

 最後に残った浸し液がもったいない。そこで閃いたのは「あれ!」である。きっと美味しい、かつ旨いお惣菜になるだろう。


雨の日の沼は泥沼、足が抜けない執着地獄・・・

2025-05-29 | 何よりの楽しみ

 もういい加減でワッパカにしたいのだが我が体内に巣食う虫に操作されて止められない。カマキリに寄生するハリガネムシは成熟すると宿主を水辺に誘導させる能力を持っていると聞いているが我が体内にもハリガネムシならぬオハリコムシが寄生しているやも知れんけれど水辺に誘導はせずミシンに誘導する能力があるようなのだ。この日、前日夜半からの大雨警報が出ておりフイールドへの出勤は出来ないと判っていただけに虫の発奮は強かった。午前三時、小用に起きたけれど寝付かれず、結局はミシンの前で大用を開始する手太楽と相成ったのである。

 タスクは「集大成として縫い目をテープで隠した上質感のある帽子」それも「男児、女児、ママをイメージしてつくる」のにあったのだ。まあ、全ては端切れからとなるので不足が出ないよう、また余って無駄にならないように心がけた結果はほぼ満足したものの帽子の縁かがりに使うバイアステープが5cmほど足らず別色を加えなければならなかったものの、それほどの違和感は無くまずは上出来!。

 子ども用はキャラクターデザインの端切れを用いたのだが作ってみると幼児向けの雰囲気になって小学生程度を対象とすると幼い感じもするがまあ、細かい事は考えず、これで漸くやが体内のオハリコムシも満足されたようである。このデザインでの帽子製作は20枚に及んだけれど姉に送り付けた分は茶のみ友達が貰っていったそうでとりあえずは役に立って祝着至極であるものの執着地獄の結果でもあるから少々複雑だ。

 とは言え手慰みが消えてしまい妄想のバージョンに切り替わりそうなのだが人生、病あり他人ありであって全ては動的平衡の中で時を重ねるのである。つらつら妄想するに「テレビはつまらん!手慰みが面白い!」と言う感覚は生まれも育ちも雅な魚沼の水飲み百姓に出自があるからだろうと推測している。朝星・夜星・昼は梅干しの生活で繕い物など日常茶飯事かつ夜鍋仕事でもあったのだから、その遺伝子がまだ活きている。姉に帽子を送りつけて大いに呆れさせてしまった。まあ、孤爺はとうの昔に呆けておるが・・・。で、片付け始めていたら絽の生地が出てきてしまって「これで二枚合わせで真夏の帽子!」あーあ、やっぱりまだオハリコムシは寄生中みたいである。

     


執着地獄は泥沼とも言える⁉

2025-05-23 | 何よりの楽しみ

 発端は麦わら帽子は嵩張るしヘッドフォン装着に不便だったから夏向きに麻布で緩めのチューリップハットなら対応できるだろうと残り布で作ってみたのだった。確かに夏用着物を洗い張りした布地は風通しも良くて快適だった半面、直射光を通すので頭頂部が熱くて少々不快に感じる。まあ、炎天下に出かける算段はしないものの他の生地と異なる風合いの生地で比較して見たくなったのがそもそもの間違いで「執着地獄&沼ハマり」と相成ったのである。姥捨て山では災の河原の砂礫掘りは特別事業だったものの通常は自転車操業・水商売を奴隷の如く行わねばならず、これはこれで泥沼なのであった。帰宅しても執着地獄が発生してしまうと「苦労のあげく定年を迎えたのに人生とは何ぞや⁉」と心まで堂々巡り道に入ってしまう。ここで学のあるところを披露すると「リングワンデリング」と言えるのであってこれも疲労困憊のあげく完敗に至る道筋でもある。で、ここに至るとほぼ結末は献杯!となるのがオチなのだ。

 さて馬鹿・耄碌はほどほどにし何種類かの風合いを見るため購入生地で揃えると年金生活孤爺の食生活が崩壊する。そこで廃品回収に出す予定の衣服をパーツに解いて使って見たのだった。小千谷縮の生地で作ってみたかったものの切り売り10センチ当たり1,500円もするので似たような麻の生地で代用してみた結果は執着地獄かつ沼にドはまりして写真の通りの数を量産してしまったのである。半分は新商品見本として送付し郷土の織物製品の販路拡大に寄与するだろうと妄想も爆発したのである。郷土の伝統重要産業でもある麻織物の派生商品は定番ばかりで魅力がないし本来の主力製品は高額で需要は減り続けているはずだ。其処に孤爺の妄想発想で日常使いに適う「可愛い・お手頃価格」の商品が出来れば収支の改善は可能だとまあ、耄碌ここに至り、病膏肓に至り爺我自賛とどうにも止まらない・・・。

 でもって、写真の数プラス車載したままの二つが出来たのだがまだ試作したい生地があって、それは東南アジアの伝統生地なのだが薄すぎて、どう縫製するか決定打が無く悶着状態である。それは別にして、よくもまあ作った物だと我ながら感心するしかないのだけれど、これでまた結果的に肩の痛みが再発する可能性があるものの、気温が上昇する季節だから11月の様な事態にはならないだろうと高を括っているのだが完治はせずまだ鍼治療続行中なのだ。ミシン針に苦労して糸通しを続けたあげくは鍼治療では「なんて骨体・・・」ハア…。

     


今日のエッ!品「余りシロップでの佃煮もどき」

2025-05-17 | 何よりの楽しみ

 夏ミカンとレモンのピールを作ったのだが鍋の底に1カップほどシロップが残ってしまった。加熱を続けて全て纏わせる処理も考えたが焦げ臭がつくのを恐れて断念した。その代わりと言っても何なのだがシイタケと昆布を煮含めて「佃煮もどき」と言うか「ピール紛い」と言うべきか一品を作ってみた。干しシイタケも昆布も軟らかくするのに煮てしまっては旨味成分が溶け出て美味しさが半減する。そこで簡単に蒸して軟らかさを復活してから残渣物でもあるシロップの残りに投じて煮込んでみた。

簡単に蒸し上げる  ➡  残りのシロップで煮付ける

 ピールにするには異なる素材なので数日掛けての煮立てと冷却は考えずコトコトと時間をかけシロップの無くなるまで加熱した。出来上がってみれば紛れも無い佃煮に見えるものの口に入れてみれば甘さと苦味が同居している視覚情報と味覚情報の食い違いありありのエッ!品になっている。塩味は全く加えてはいないが苦甘い、何とも初めての佃煮⁉になったのであった。これを「好みかどうか」で判断すれば、好みとしてはもろ手を挙げれないけれど苦味を別にすればお惣菜としての一品間違いなしだろうがまあ、強いて作るほどでもなく残ったシロップを無駄にしなかっただけだなあ…で二重丸。しかし、安い出汁用の昆布がかくもふっくらと軟らかく仕上がるとは思いもせなんだわい。

     


今日の素労風努「夏ミカンとレモンのピール」

2025-05-11 | 何よりの楽しみ

 姥捨て山にある鳥のウンコから芽生えた柑橘樹は大きな果実を実らせるようになった。しかし元々はアゲハ類の産卵樹として温存している樹なので採果までは考えなかった。しかしカラスに突き落とされるままではあまりにももったいないのでバケツ1杯ほどを収穫して食べていた。皮は入浴剤として使ってはみたものの無農薬だしピールを作ってみる事にしたのだ。柑橘のピール、後味の苦味が癖になってしまうが、山菜の苦味と共通する魅力があってまあ、味力と言った方が正しいかもしれない。

 レモンは4個分    夏ミカンは500g

 さて、夏ミカン?は品種不明の野生種、レモンはご当地産である。輸入品なら安いものの農薬が気になって購入できなかった。まずはレシピ通り毎日煮立てて5日間、そのあとは乾燥一週間となっていたけれど「待てない性格」の孤爺としては扇風機の風を2日間当て間の日中1回だけ陽に当てた。まあ、これで想定される水分量に達したと都合よく解釈した。出来上がった皮はテカピカで齧っても目ん玉がハートになりそう・・・。これが老いらくの濃いの味というものなのだ。濃いの病は治らないが塩分は控えたい。そう、受診時は自宅より血圧高くなるし、何でだろう何でだろう。これが受難というものかなあ。

 シロップが滴るのでペーパータオルを敷く ➡  風乾一晩後はネットに直接

 一般的にはグラニュー糖をまぶして完成なのだが同じものではつまらないからそのまま食すつもりだったけれどべたつきがあって不愉快になる。そこで理解できたのは「グラニュー糖をまぶすのはべたつきを取る意味もあったのか…」と言う事だった。甘いのに更に糖をまぶすのも芸が無いので抹茶とアーモンド粉末とインスタントコーヒー顆粒をまぶした3品を試食してみる。

 抹茶は濃厚な苦味がピールの苦味と相まってパンチのある味わい、アーモンドはほぼピールの味だけだが栄養価的にはアーモンドの健康成分が摂れるだろう。インスタントコーヒーは顆粒でなく粉砕してまぶした方が味わい深くなっただろうけれど抹茶に劣ったもののコーヒー好きには好まれるかも知れない。五月から姥捨て山に携行する飲料は梅干し入りの常温水になる。当座はこれにピールを合わせて置けば熱中症の予防効果は出るだろう。しかし調理した本来の狙いは「自宅でのお茶菓子」のつもりなのであった。一方、一片か二片ほど齧ればお口の満足感はあって、これはこれで重宝しそうだ。

     


今日のエッ!品「魚沼産ヤマウドを賞味する」

2025-05-02 | 何よりの楽しみ

 雨の日の孤爺ともなれば身の置き所は無し。腰痛が出て立ち上がりが特に痛むので可能な限り座らないように心がけているのだが、これが小学生の頃への回想に繋がってしまう。まあ早い話、担任に立たされる事が多かったのだが概ね廊下か職員室がお決まりの場所で職員室では残留している諸先生方は「ニヤッ!」とするだけでほぼ無関心。老化してしまった現在は立たされる場所は概ね台所と相場が決まっている。

 そんなわけで手慰みと口寂しさを満たすために次兄が送ってくれたヤマウドを調理してみた。今までは「酢味噌和え」がほとんどだったのだが今回は趣きを変えて「チーズ胡麻タレ」にしてみた。炒り胡麻を溶けるチーズとオリーブオイルに混ぜて食してみたのだ。まあ、旬の山菜の美味を味わうには手が込んではならないのは承知なのだが、たまには浮気もしたくなるもののチーズ・胡麻・オリーブ油の構成では濃厚になり過ぎだった。

 そこで更に浮気の虫が蠢いてしまい、結果としては「キムチまぶし」と「塩辛和え」で食べて見る。写真左が三陸産の「塩辛和え」で右側が「キムチまぶし」である。「和え」と「まぶし」は「どう違うのか?」と質問されても耄碌した身には答えようがない。要は「芸術は爆発だ!、調理はビビビッ!」なのである。写真では似た物同士にしか見えないが食してみれば違いは歴然!ご飯は二膳、満腹参禅となったのである。早い話「食が進む旨さ」なのであってまあ、「食べて見なけりゃ分からない…」のである。キムチもシオカラも合わせた事で塩味が薄くなり、結果的には食べ過ぎ注意になる出来上がりだった。熱いご飯にこれだけで行けてしまうから毎回、食する物でも無いなあ、が食後感で、もっとも季節の一品なのであるからして「食べれば終わり」だから食べ過ぎは無いか・・・。

     


今日のエッ!品「フキノトウのチーズ味噌掛け」

2025-04-22 | 何よりの楽しみ

 魚沼の次兄からフキノトウが送られてきた。春秋の山菜採りは「歳だから行かない」と言いつつも気持ちだけ送ってくれるのである。雪深い場所だから当地とは一月以上の差があるから、遅ればせながらの賞味となった。いつもフキ味噌仕立てで終わっているから電話の折りに「変わった食べ方」を尋ねたけれどてんぷらや酢味噌和え、三杯酢等々で孤爺の思考の範囲であった。

 少しは変わった視点でと赤みそをオリーブオイルで練って溶けるチーズとまぶし蒸してアク抜きしたフキノトウに掛けチンしてみたのだ。口に入れた第一印象は「フキピッツァ」だった。勿論、ピッツア生地は無いけれどチーズが固まってまとめたフキノトウが生地の食感なのだ。予想外の旨さだったがフキノトウ自体、アフアフと食する物では無いし、残りのフキノトウは大人しく三杯酢と酢味噌和えで2日に渡り楽しんだのは言うまでもない。

     


ヘキサ・スフェリコンのバリエーション

2025-03-31 | 何よりの楽しみ

 「孤爺、時々栗栄太」なのである。幾何回転体を乳幼児向けの木製玩具として作り配ったりしてきたがヘキサ・スフェリコンは転がすのに条件が狭くて乳幼児向けの転がし玩具には不向きだった。それでも制作を楽しむ側としては形状に工夫の余地があるのが見え隠れして、ついつい手を染めてしまうのであった。だからと言って用途もある訳も無いのだがまあ、孤爺も時折はクリエイティブな遊びも手慰みもひつようなのであった。そんな事で色々と展開してきたヘキサ・スフェリコンを一堂に会してみたのである。

 まずは立体形。これは杭棒を半割にして接合して不要部分を削って作った。

 これは円柱半割にして蒲鉾形状を合わせた物。直径と幅は正六角形で求める。

 軽量化を図り慣性力を減じてコース逸脱を少なくしようと試みた。接合面少なく薄板で補強。

 木製だと旋盤加工が必要で、省力化で塩ビパイプを流用。薄肉と厚肉で六角板は中子で強化材。

 左上が好みのタイプ。右は薄板4枚で組み込んだタイプ。中子は菱形になる。下の写真に見える。

     

 ヘキサ・スフェリコンの性質上、曲がり方が極端のため運動エネルギーの消耗が激しく連続して転がすのは難しい。そこで緩い斜面を利用するのだが斜面の角度や置き方やで転がり具合が異なり易い。やはりイライラさせられるヘクソ・スベリコンだった。並べてみれば同じ系統とは思えない違いに見えるが人間に例えればまあ、人種の違いの様なもんか⁉。中身は一緒だ。


今日のエッ!品「そば粉の胡麻クッキー」

2025-03-27 | 何よりの楽しみ

 雨の一日ともなれば朝食後には睡魔が襲ってくるし、なんとか乗り切っても坐してテレビの前では何とも情けない。お茶やコーヒーでもと用意したって空茶や空コーヒでは口寂しい限りである。かといって雨の休日に店に出向く気にもなれずまあ、手順や段取りの悪さを露呈している限りなのであるけれどそれはそれ、間違っても他人様にご迷惑はお掛けしていない行為・行動であるからご容赦頂けるであろう。全ては自分に帰するのである。

 そんなもんで多少は動かねばとキッチンに立った。家の中での立ち仕事と言えば家事と逝時位なものでそんなに選択肢はないのである。で、冷蔵庫内の残品を集めてクッキーを作る事にしたのだが賞味期限ならまだしも消費期限切れがほとんどだった。だからと言って自己消費物なので問題は無いのである。今回の消費期限切れは昨夏が期限のイリゴマと蕎麦粉であるが、いつも通りの「ビビビッ、ドドンパッ!」の手太楽なのでテキストを見ても参考になるものも無し、そこで簡単細工で済ます事にした。

そば粉 200g   炒り胡麻 40g  キビ糖 40g  バター 40g  卵 2個  塩少々  ヨーグルトである。卵とバターは粉がそば粉なので「繋ぎ用」で、ヨーグルトは固さ調整用である。まずは卵2個を良く泡立てておきつつ、一方の粉体はバターを投じて手で揉み摺りしつつまんべんなく混合した。後は両者混ぜ合わせて伸ばし焼くだけである。焼いてみればビスコッテイのように二度焼きする手間も無く「すぐ食べたい」時には重宝する感じだった。

 まとまりを調整 ➡  トレイに乗せて伸ばし切れ目を入れる。気合が無いので雑な切り口になった。

 テキストとして参考になるものが無かったから比較は出来ないが食べて見れば「甘味控えめの噛みしめれば胡麻風味が薫り、後味にソバ香感がある」エッ品となったのである。そんな事で軽い感じだからついつい食べ過ぎてしまう恐れのあるクッキーになってしまった。似たような味は胡麻たっぷりのカンパンかなあ・・・。今回は白胡麻だったが黒胡麻を使えばもっと目立っただろう。食べていて思ったのは「こんなに簡単に胡麻を味わえるなら胡麻たっぷりのお煎餅を買わなくても済む」と言う事だった。

 まあ雨の一日、こまごました事は無しにして胡麻塩頭で胡麻クッキーを齧れるなんて優雅であって侘しい・・・。お山の池のほとりで「山の寂しい湖に ひとり来たのも哀しい心 肩の痛みに耐えかねて 独りさ迷う、ナンチャラカンチャラ」人生のいかなるシーンも歌にあるのだし、生きとし生けるものは全て死ぬまで生きるのである。自転車操業であってもビバ!水商売。

 


今日のエッ!品「マイブームはスープなのである」

2025-03-17 | 何よりの楽しみ

 コマーシャルでは「一流料理人が推奨する即席味噌汁」なんてものも含めインスタント流行りだけれど、そうそう続けて欲しい味でも無く飽きの来るのが早い。やはり拙くても折々に作る味噌汁の方が飽きは来ないのである。まあ、レシピなど何もない目分量の成行き献立でもあるから味に飽きが来るはずもなし。基本的な性向としては「あるものを食べなければならない」没落平安貴族の生活のような育ち盛り盛りを通った孤爺としては食に「云々」はないのであった。南瓜バッカリ、芋バッカリの様な収穫期の「バッカリ食」から水増し、材料増しの「増量食」やら「湯っ掛け飯」等々、貧しきお膳と言えどレシピは母や祖母の腕の見せ所、多様だったのである。

 さて、そうは思いつつも毎回毎回作るのもいささか面倒に感じる時もある。特に今期は正月から災の河原の砂礫掘りが続いていてその単調さと労力の蓄積にいささか疲弊感も覚える今日この頃なのだが、そうなると食事と睡眠が大切な要素となるのは間違いないだろう。その睡眠は昨年以来のん⁉十肩の結果、夜中の疼痛で度々目覚める結果となり、その傾向が続いている。悪い事に眠れぬまま聞いていた深夜放送が意外に面白くて更に覚醒してしまう悪循環となった今日日での頼みの綱は食事で摂取する栄養だけになったのである。

 そこでつらつら考えたのがスープを作り置きしておく事であった。味は付けず素材のままのスープと言うか煮込みと言うかまあ、どっちでも構わぬ、出る時は同じになるからであって「いかに必要な養分を消化吸収させるか」が無い知恵の絞り処なのだ。作り方も基本の材料は似たようになるし、煮方もコトコトと煮たり圧力釜で炊き上げたりと気分次第・時間次第の節操のなさであるけれど、基本は爺我自賛で構わない事だから老後の自由は横臥してしまう前に凌駕せねばなるまいて。そんな事で今回も圧力鍋で作ってみた。日に二食分としても3日で消費する量だから冷蔵庫保存で痛む事も無いだろう。

 この日は大根スライスに塩を振り水分を少なくしてから千枚漬けのレシピに糀を加え漬け込んで置く。作り置きしているスープもどきは調味料は入れておらず材料の風味だけで食するから副食に魚の開きや漬物、あるい振り掛け等々、少々塩味がある方がご飯が進む。とはいっても盛り切り一杯の定食なのだし品質の良い米なら古米でもご飯だけでも美味しいのだから。まあ、考えてみるまでも無くお米が一番の贅沢品だなあ・・・。

 思い出したのは母から聞いた話なのだが、孤爺が母に背負われつつ片手にお握りを持っていた時に当時、買い出しに来ていた何処やらのおやっさんが羨ましそうに長らく目を離さなかった事があったのだとか。また引揚者の千葉の叔母さんは実家からコメ袋を背負って帰宅途中、大宮駅で検閲に逢い、線路横の側溝に米を投げ捨てた話も聞いた事がある。当時ならいざ知らず今時、米騒動・コメ不足なんていかに農政に係わる公僕が仕事を軽く見つつ怠けていたのかが判る。一方商品券配る余裕があるなら子ども食堂にでも落としたらどうだ。情けない輩ばっかりになって馬鹿ばっかりよりバッカリ食の方がまだましである。

     


今日の素労風努「フキ味噌捻作り⁉」

2025-03-11 | 何よりの楽しみ

 この日、小雨が落ちてきたから水見回りして帰宅と相成ったのだが巡回の折りに目についたフキノトウを採集して来た。通常は景観植物として植栽したのであるから採集はしないけれど、正月以来の災の河原の砂礫掘り三昧の日常では多少は目先を変えてみたいのであった。採集量は150g、フキ味噌にする心算の材料なのだがフキ味噌の作り方もレシピも様々ある。今回は少々捻くれた作り方をしてみた。まあ、雨の日の手慰みで結果、旨いご飯のお供が成れば良いのである。小生、どうも「美味しい」表現は好きでなくやはり「旨い」が胸に落ちるのである。「美味しい」は食物に対する表現に思えないし「老死へ」なんて連想はしないものの「旨い」方が口に出してもストレートに思える。「美味」は味ではなく「美見」の感じ方であるのだ。まあ、捻くれ者でかまわん。

 さて、まずはアク抜きだが今回は蒸して行った。炒める時もオリーブオイルと使い道が無くて残ったままのバターも加えて消費を加速させる。炒め始めて気が付いたのは刻まないでフライパンに投入してしまった事だ。仕方が無いので炒め上がってから微塵にしたけれど結果には影響はしないだろう。この微塵に味噌と味醂を加え再び炒め直して完成!、としたいところなれど「もうひと手間!」とホイル焼きで焦がしの風味付けをしてみる。グリルの中火で15分ほど加熱したのだが、何せ初めての事だから火力が強かったようで12分で自動停止してしまった。

  蒸してアク抜き ➡  今回の材料 ➡  炒め終わり

 まあ、「開けてビックリ玉手箱」にはならんかったが焦げ付きの廃棄分が多くなって、これは非常に惜しい気分である。ご飯のお焦げならいの一番に胃の腑に落とすところなれどフキ味噌のお焦げはゴミ箱に落とすしかなく「あーあ、もったいない!」。それでも好物にありつける胸の高鳴りは消えず、客観的に見れば色恋沙汰ではなく春なのにフキ味噌に高鳴っているようでは情けない感もあるのだが、これが孤爺の人生でもあるのだ。早速、熱いご飯に載せて噛みしめる。寂しい孤爺の人生においても幸せな瞬間もあるのだった。これだけで夕食に出来たほどだが、先日に作った「大根の千枚漬け糀入り」を副食として更に幸福度が増したのであった。イチゴサッテモウシタモウシタ・・・。より「鍋の底ガーラガラ」の方が今回の閉じ方としては上手い!、はずである。


今日のエッ!品「拙速なビスコッテイ」

2025-03-02 | 何よりの楽しみ

 ビスコッテイはパンの類いなのかお菓子に属するのか未だに理解できない孤爺なのだがどうであろうとも腹に入れば皆同じになるのはこの世の道理で常識なのである。気温が低くて肩の疼痛発症を避けるためお山詣では自粛したけれど何分、三度の食事だけでは何とも唇が寒い。茶を緑茶にしたりほうじ茶にしたり生姜紅茶にしたりしたところでお腹は茶プ茶プになるだけで口寂しいのは相変わらずだった。そこでココアに変えたりコーヒーに変えたりしたものの満足感は零なのだった。コンビニにでも出かけて「お茶菓子でも…」と思ったのだが気温は7℃程度では出かける意思も芽生えず散々と家の中で魂の彷徨遍歴の結果、ようやく三時のおやつにビスコッテイを用意する事にしたのだった。

 とは言え事前準備も計画性も無い毎度の手太楽で混ぜ合わせるドライフルーツの用意が無い。無くても構わないのだが庭に撒くつもりでシンクの上にぶら下げていた「小豆茶」の出がらしを入れてみた。もともとは小豆であるし、本来は全粒、腹に納める食材なのだからビスコッテイに入れて何が悪い!。本当に悪ければ官憲が獲り縄を持ってくるだろう。悪ふざけではなく更についでに「生姜紅茶」のパックの中身も混入させたのである。これで孤爺人生初、本邦初、世界初のビスコッテイが出来上がるのだ、と奔放さはまだ失ってはいない青春時代に戻った孤爺なのであった。

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 焼き上がってみれば「良い色合い・良い香り!」もう❤な気分で齧ったのだが、時刻は既に夕食時間で三時のおやつには間に合わなかった。まあ、残渣入りであっても香りも色合いも良い。口に含めば甘さがほろ苦い青春に回帰させるようだったのに思わぬ伏兵がいたのだ。それは小豆の粒子で煮え難い小豆の粒子を焼き上げてしまったから固くなって歯に当たる。健康な歯には問題ないのだが予約日待ちの患部の歯にはちょっと辛い粒子の固さだった。残渣物さえ活かすSDGsの試みはあえなく散々な手太楽であった。それでもまあ、歯の間に有る食物を意識しつつ嚙み砕き呑み込むので、お陰様で誤飲の事態は訪れなかったのは祝着至極であったわい。