トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

キアゲハ初見

2019-03-31 | 小父のお隣さん
 3月も終わりの今日キアゲハの飛翔を見る。初見である。フイールドの気温は16℃、この16℃程度の気温は既に多々出現し20℃を超えた日もあったのに今日が初観測日となった。
 生態などとんと存じてはいないけれど積算温度や太陽高度の総合的な結果なのだろうと言う推測くらいは出来る。
 とにもかくにもアゲハチョウが飛翔し始めたと言う事は「春本番」だろう。桜は平年より「3日遅れの便り」だった。

シェルター部オーバーフローの改修

2019-03-31 | 水辺環境の保全
 シェルター部から泥水池1へのオーバーフローの改修に着手した。昨季拡幅し堤も高くしたもののオーバーフロー部は手つかずだったのだ。この部分も猪の掘り返しに荒らされグズグズになってきた。高さも減った事も乾燥しない一因なので両脇に護岸丸太を据え塩ビ管の水路を埋め込み高くする算段だった。

    ➡    
 放置品の塩ビ管を用い上流側になる片面に厚板を取り付けた。これは管の外周に沿ってカニやイモリが侵入し漏水につながるのを防止するための策である。ここを自宅で加工し翌日に風倒木から護岸用の材を2本切りだして運び用意は整った。
 今まで使用していた半割丸太製のU字溝を撤去しかさ上げ、塩ビ管を据えてみたがうまくいかなかった。その理由は既に水面下に埋もれてしまっていた護岸丸太が邪魔をしている。取り外すとなると堤の両脇を掘り取らねばならず、既に固まっている中央部まで崩す事になる。

 結局、作った塩ビ管のオーバーフロー部は使わない事にして従来の木製の樋を据えた。それでも数センチ水位を上げられたし堤も高さを増して急な増水にも越流も無いだろう。新たに築いてあった堤の高さは十分だし水位をまだ10㎝は挙げられるけれど、長靴で立ち込めなくなるから今の水位が限界だろう。

             準備完了   ➡     完成

出来るかな、美味しいミカン「はるみ」で醸造酢・・・1

2019-03-30 | 何よりの楽しみ
 何を血迷ったか「美味しいはるみなら美味しい御酢が出来るはず」と信仰の世界に踏み込んでしまった。楽しみながら食べようと冷凍していた果実3.5kgを全て捧げたまう事と相成った。冷静に判断すれば冷製ミカンはもう1ヵ月以上は楽しめるはずだったのだ。なんて事だろう「点損降臨」は忘れた頃にやって来る。
 日本晴れのこの日、山にもいかずホームセンターへ「ハンドジューサー」を買いに行った。前回、果実からジュース、それで羊羹を作る過程でネットで絞り出したが廃棄量が多くもったいなかった。今回は量が無いから絞り取れるのは一滴でも絞りたかったのである。

 ハンドジューサーを使うのは離乳食作り以来の作業で、キッチンは酷い有様になった。自然解凍を待てなくレンジ解凍では微生物の死滅が怖い。結局はシンクに温水を張り密閉袋のまま解凍したのであった。その出来上がり時の廃棄量は約500グラムで果汁ではおおよそ3kgとなる。
 発酵を早めるためにイースト菌を加えた。本当のところは「ワイン酵母」を加えたかったけれど「何でも揃いそうなあの店」まで行く時間が惜しい。若いころは400円程のそれを都内まで新幹線で行ったのに。

 夕食前までに搾汁を済ませ貯蔵瓶に酵母と共に投入する。夕食を済ます間に発酵が始まり深夜の時点で二層に分かれていた。
 下部の液体は清明で色は無かったのが不思議だった。「酵母も自分たちで環境設定をしているはず」と迷ったのだが二層に別れた中身を攪拌する。そしたら濁りが出てしまったが結果的には澱として沈殿するだろうと納得させた。後は糖分測定を続け糖分が無くなれば酢酸菌を感染させねばならない。
 そのために清酒1合ほど購入し小鉢で感染させるか、どうしょうか…。まだ時間はあるが清酒を購入して内側が白い器に入れて日陰になる縁台に出した。室内より感染の割合が高くなると読んだのだが、勿論根拠などない。

 翌日、24時間経過して溶液の糖度は半減した6%だった。こんなに急速に糖度が下がるとは思ってもいなかったから少々驚きもしたのだが、小生が操作できる範疇では無い。

連結水路の拡幅

2019-03-29 | 水辺環境の保全
 泥水池2と3を繋ぐ水路の拡幅を行う。出水時には溢れてしまう事が年に1~2回ほどある。越流させれば構造自体の流失につながるし、拡幅すると漏水孔だらけのエリアへ寄ってしまいかねない。越流しては困る事になる南側は度々浚渫土を盛り高くしてきたが、逆に北側は水位と同じ程度の陸地が残ってジュクジュクと威之志士様の掘り返す場所になってしまった。

 業を煮やしてと言うべきか、拡幅して隠れた漏水孔に「ビンゴ!」と言う事にもなりかねない所業なのだが拡幅し流れを良くしたうえで堤を高くし乾燥させるとの思惑に負けた。
 狭い水路にしていた理由は「漏水個所を避けた」事と「流速を早めた場所が欲しい」の2点だったけれど、毎分数リットルの流水では流速を早くするほどの効果も薄かった。てな事で腰を上げた。

 護岸丸太の陸地側を掘り取り丸太を敷設した時に半分は水に浸かるよう地ならしをし胴突きで固める。これで少しは漏水孔へのつながりを断ち切っておきたい。ここに処理できないほどの漏水部が無ければとうに池にしていた地面なのだ。

 もともとがジュクジュクした場所であって掘り取るのも容易だった結果、半日作業で見た目もしっかりと出来上がった。見た目は「完成形」の目標ではないものの「機能は姿にも表れる」との信仰がある小生であるからして、そこはしっかりと設えるのが心がける点でもある。
 そこまで手を加えれば、後々は半放任状態にする。植生のバランスをとっていくくらいの管理だ。ここを頼りに生きている生物にとって乳母日傘は迷惑至極なだけであろう。

 作業前  ➡   護岸丸太を移設  ➡   新堤を形成し完成


泥水地の補修

2019-03-28 | 水辺環境の保全
 泥水池の構造を形作る地表部は周年威之志士様の掘り起こし被害に遭う。被害を減らすには豚コレラが侵入すれば一丁上がりと考えていたが、S先生との冗談話の中でそれでも生き残る個体が出てくるだろうし、そうなると免疫を持つ事になって振出しになりかねないと言われた。猿知恵だったか豚痴話しであったわい。
 それでめげる小生ではなくBプランを考えた。警察・自衛隊に由る実弾射撃演習を兼ねゲリラ戦闘訓練の対象にするのである。これは真っ当な税金の使い道だろうし隊員の士気も能力も上がると言うものである。

 吐与太話はこれくらいにしておかないと「要介護」の御札がつきそうだから本筋に戻そう。ようやく畦と堤の補修が一段落して残りの部分は泥水地の平坦部である。この地下には大きな漏水孔が存在して湛水出来ずやむなく草地にしてあるけれど、エコトーンとしての機能は持っている。
 ここは乾燥し難いため猪が掘り返す結果で凸凹になってくるのだが、それを浚渫泥土で平らかにした。以前、採り播きし育てたノアザミは全て掘り尽くされ消えてしまったからノアザミの群落は断念した。
 この凸凹は鍬で削れば容易なのだけれどノアザミに代わるフジバカマの群落育成中で、せっかく芽生えたものを削り取りたくはない。さて長柄のジョレンは泥浚いには有力だけれど、広範囲に泥を置いていく作業にはちと不向きで柄が長いだけに取り回しし難い。
 まあ、一長一短は表裏一体なんだとこの歳で想うようではあかん泥・・・。

         開始   ➡     補修終わり

キジョランの定植と播種

2019-03-27 | 蝶の食草園
 播種して3年目のポット苗3本を食草園に定植した。S先生の感想を聞いて今回は常緑樹の根元である。常緑樹の方が日射に由る傷みが少ないだろうし落葉樹だけよりも環境が増える。
 定植ついでにミツバの株を昨秋に埋め立てた排水路跡に数株移植する。ミツバは周囲に多くあるけれど食草園内にまとまって欲しいし、何よりも昨秋埋め立てた部分は裸地のままだ。とりあえずミツバを移植しておけば先日に移植したホトトギスと同様、食草の種類と量が増え幼虫の姿を見出し易いだろう。

 キジョランの苗蔓は6本養成してあったが半分は同じ活動をしている兄へ譲渡し、先般拾い集めた種子はバットにキッチンペーパーを重ね湿らせ、その上で発芽を待った。経験的にキジョランが発芽するまでには一か月とか二か月を要し「もう駄目か・・・」と思う頃に芽が見える事が多かった。
 湿った床で発芽管理すれば容易と思っての試みなのだったけれど土よりも乾燥しやすくて危ない印象になってきた。要するに適湿状態を保つのが面倒なだけなのだが、遂に種まき用土でポットに播種となった。
          
                ➡    根元に定植

3月定例会

2019-03-27 | 月例会
2019/03/16(土)9:30~13:00

会員 9名
活動 林内整備・年度末総会
 
 西の段の林床を片づける。年度内3回目になるか、ようやく林床がすっきりした。入り歩くための整備では無く下草刈りのストレスにならないための整備である。倒木や落下枝、はてまた切り倒した竹などは刈り払い時のストレスになる。
 と言っても大概は小生が作業しているから「やっていなけりゃ分からない」面もあるだろう。とにもかくにも今期の林床刈り払い作業3回ほどの予定だが楽になりそう。

 年度末総会は出席9名で、高齢化に伴い会員数の減少は歴然として作業能力も右肩下がりである。まあ、粛々と行うだけだけれど、普段、出てきている会友を見ていると生活や健康に大きく寄与しているのが見てとれる。これは「姥捨て山デイサービスセンター自主ケア」アクティビティみたいなもんか・・・。

               


 

ヒキガエルの卵塊は孵化した

2019-03-26 | 小父のお隣さん
 一帯水系に産卵されたヒキガエルの卵、既に孵化が始まっていた。上の池は水深を下げられたせいもあり濁りが無かったためよく観察できる。
 まだ泳ぎ回る状態ではないけれど、孵化した個体は包まれていたゼラチン質の上で動かずにいる。
 既に孵化してゼラチン質は見えなくなってしまったニホンアカガエルのオタマジャクシは散開し、これも水底で動こうとはしない。動いても動かなくても小生にはどうでも良いのだけれど変態し陸に上がってくれるまでは泥浚いなどの水中環境を変動させる作業は出来なくなった。
 まあ、これもどうでも良い。他にやらねばならない事は目白押しなのだ。この「目白押し」、目を白黒させる事と思いたい繁忙期に入る。

こけら版「花を看、還た花を看る」 5 森の星

2019-03-26 | 旅行記
 被地植物ではないだろうがロゼット状の植物で何となく可憐な雰囲気の植物だった。林床を埋め尽くすほどではなかったものの、ここかしこに花を見られ、極めてありふれた植物である。和名は「ツマドリソウ」と言うのだとかで、現地では「森の星」で通っていた。まさしくその雰囲気アリアリで、オオイヌノフグリやママコノシリヌグイ、はてまたヘクソカズラなんて命名より好感が持てる。

 ママコノシリヌグイやヘクソカズラは許容できるとしてもオオイヌノフグリを命名した学者は誰なのだろう。普通は花後の状態より開花している状態こそ注目できる植物と思うけれど、命名権者の深層はうかがい知れないものがある。

 撮影して整理もしないままに1年が過ぎようとしている今となっては記憶も朧になりメモを見ても役に立たなくなった。さてどれがツマドリソウなのか見当もつかず下に掲げた植物も「被疑者」に見えてしまった。最終的には文頭の写真が正しいのだったが日本にも自生していたとは知らなかった。
 若いみぎり、高山植物を追って山行していた小生であるけれど記憶が全くないのである。そろそろマダラが始まった徴候か。
 これは脳内の神経索に開花した星に由るのだとかと記憶している。「脳の星」や「皮膚の星」なんてものになるとロマンチックとは程遠い。まあ「ロウカチック」と言うべき現象であろうか…。

                         

ツバメ飛来した

2019-03-25 | 小父のお隣さん
 桜が咲く頃になるとツバメを発見するのが楽しみである。日中はフイールドが多いから市街地のツバメとは種類が違うものの季節の到来を実感できる。
 25日、自宅からフイールドに向かう車中でツバメの飛翔を見た。つがいではなさそうで離れた位置で飛ぶ方向も異なっていた。もう何週間かすれば泥水地に巣材の土を採りに来るツバメも現れる。近くの集落の田圃の耕転は巣材の土が欲しくなる頃より遅いし乾田での耕転では巣材もとり難いだろう。

 ツバメがやってきたがジョウビタキはまだ帰らない。何時頃から見えなくなるのか気になってくるがジョウビタキが見えなくなる頃にはトンボの初陣が始まる。
 そういえばトンボの保護地になっている池ではすでにベッコウトンボが発生したと新聞記事にあった。

親蔓は近くにあるはず…

2019-03-25 | 感じるままの回り道
 この日も沈泥池の水際でキジョランの種子を見つけた。今年は目にする数が多く既に14個ほどを集めた。たまたま湿った場所に落ち浮揚てきなくて定着してしまった種だろうが、羽毛が濡れなかった種子は止まるはずもない。この種子の飛行は本当に軽やかなのである。種子を外した羽毛部は室内では漂い続ける埃みたいになる。

 この着地した種子を見たのは10数年も前に尾根を越えた沢で棚田の再生を行っている時で、この時も水辺であった。上昇気流が弱くても浮遊し漂う力はある種子だから遠くから飛んできた可能性が無い訳でもないけれど、まとまって落ちている事から「きっと近くに親蔓はあるはず」なのであろう。発見したいが、そのためには山域を彷徨しなければならず、足元の作業が気になってなかなか彷徨は出来にくい。

 今回採集した種子の半分は自宅で採り播き、残りは同様な保全活動をしている兄へ3年生の苗とともに送った。どちらもアサギマダラの隠れファンなのであるが、まあ、隠れファンが隠しプレゼントを用意する構図か、いいえ好事家…。しかしながら当のスターは気まぐれで、それでも今期は蛹を見せた。
 「ただ蛹」と言う莫れ、本当に魅せる蛹だったのだ。

                          

泥水池1のオーバーフローの修復

2019-03-24 | 水辺環境の保全
 この一年、と言うより昨秋から今春にかけて破壊されてしまった泥水池1と2をつなぐ落ち込み部を補修する事にした。放って置けば畦の崩壊、ひいては湛水出来なくなる元になる。ここは泥水池1からはトンボ池への分水が行われて、いわばトンボ池の命の綱、生命線でもあるから水位を保つのは他の2、3、4より格段に重要なのであって、それはトンボ池への分水を優先し、余った水量を泥水池2~4が受けていく格好である故だ。
 
 流路の両脇に護岸を兼ねた丸太を敷設し、流路の床となる部分は沈木床として洗掘を防止する。らくさが20cm程度でも出水時の浸食は無視できないのだ。泥水池1のオーバーフロー部はトンボ池への集水升との配分で微妙なバランスが必要だ。ここは丸太の堰で調整し水が落ちる部分はコンクリート片を敷き詰めて流路の床にした。

 ここまで設えれば畦に浚渫泥土を盛りつけるだけでかたが付く。この作業、長柄のジョレンが活躍してくれて大変楽になった。ほとんど立ち位置を動かず広範囲を浚える。

         破壊された流路部と堤    ➡     修復復旧終わり

ヤマルリソウ咲いていた

2019-03-23 | 小父のお隣さん
 水源地への林道斜面にヤマルリソウの群落がある。通りすがりに覗いたら満開だった。小生としてはヤマルリソウはヤマルリソウだけど勿忘草をついつい連想してしまう。「忘れな草」を歌ったのは倍賞千恵子だったか森山良子だったか「忘れるさ」なのだけれど、植物や動物を糸口に遠い記憶が蘇える事は有るもので、こういう事が回想療法につながるのだろう。

 この群落の背丈は低いのだが尾根二つ隔てた林内のヤマルリソウは20㎝ほどの高さがある。どちらも日照条件は同じようなのだが遺伝子が多少は異なるのかどうか分かるはずも無し。

                         

久しぶりの取水地作業

2019-03-23 | 水辺環境の保全
 順調だったと言えば順調だった隣沢からの送水。昨年末から送水管内の排砂作業をやっておらず、吐水口での流出量は16ℓ/分になっていた。最大吐水量のほぼ半分なのでエンジンポンプを積載して隣沢の車で入れるところまで入る。後は抱えて河床を上がる。

 作業前 ➡     送水中 ➡     強制排砂終了
 取水升取水管口まで砂泥は溜まっておらず、この事が順調に送水できていた要因であるけれど、取水升のフイルターは半分ほど砂泥で覆われて入り切れない水が流出してしまっていた。まずこの部分を清掃し取水升内部の堆積した砂泥を笊で掻きとった。
 径20㎝の笊で10数杯を浚って、送水管管内にエンジンポンプからのホースを送り込み送水開始。圧力を高めれば早く終わる計算だけれど、内部抵抗が高まるとホースが抜けてしまう。ここは微妙なスロットル加減が必要だ。

 おおよそ40分の圧注も最後の10分程はややエンジンの回転数を上げて圧力を高める。管内流量を変動させることで残っている砂泥を動かす目論見である。この間に流路の清掃と流れを整えた。流れが滞っていたり広がって流速が落ちると河床内部に伏流していく水量が多くなるだろう。

 40分の強制排砂作業を終え管末吐水口の流量を測定したら26ℓ/分あった。一応は最大吐水量を達成したのでポンプは収納した。排出された水は薄茶に濁っている。この色は砂泥の色でなく管内で増殖した茶色の微生物の様で浮遊して流れてくる。そのため濁っていたのだが今まではこのようなことは無かった。恐らく長期間ポンプを使用しないで通水させていたために発生したのだと思われる。
 今回の作業で久しぶりに行った水源地だが、河床が低くならないように「谷止工」に着手せねばと改めて思った現場だった。

少しだけ里親気分…

2019-03-22 | 小父のお隣さん
 ここ数年、春先の定例行事になっている短期里親。今期は自分の楽しみで少しばかりだが里親を引き受けた。
 保護活動を続けている知人のところでは猪の被害を防ぐため太陽光発電での電気柵も設置しているものの、全てを囲いないし保護した卵塊の密度を高くするのはリスクも高く水槽で放生まで育てるにしても飼育密度は低い方が共食いのリスクを減らせる。

 でな事で放生直前までの里親であるが「賄付き」だから水槽の用意と給餌だけの管理だ。前回まではコンテナを水槽代わりに使ってみたが、今回は浅く広口の鉢を使用し底土に荒木田土を入れてみた。水だけの水槽より少しは環境に近くなったと自分では勝手に信じている。
 まあ、これも爺我自賛であるけれど、この年齢になると誰も褒めてなどくれないから自賛でもヨイショは欠かせない。全ては健やかな老後のためでもある…。

 さて水槽に落ち着かせて一晩、朝の御機嫌伺で疑念が湧いた。酸素供給にはこの形が良いだろうが縁が垂直でないと逃亡しやすいか…と。孵化までにはまだ日数があるから安い洗濯たらいかセメントをこねる箱でも調達しよう。
 どちらにしても「お世話」というのは手がかかる。それでも世話を焼かれるよりなんぼかましだろう。