隣り沢からの送水に頼っていたのに4/20に突然の断水で「排砂バルブを数日間、開放したままで自然通水を達成する」と考える前に強制通水をエンジンポンプの助けを借り試みたものの「注水出来ているのに排砂バルブから水は出て来ない」と言うなんとも不可解な事象は変わらず「数日間開放状態」を3回おこなったものの通水出来なかった。勿論、その実施前にエンジンポンプを運び強制通水を試みていたのだった。さすがに試行錯誤十日目ともなると「送水不可能」が意識化される。一方、この断水期間中に都合60mmと40mmの降雨があって断水はしていたけれど池の底のひび割れる事態までは進行しなかったのは幸いだったと今になれば思えるのである。
須田紋太君の出番を経て連休中に文書を作成し担当課に「工事お願い」するしかないと腹を括ってみたものの、即決になる訳も無いだろうし管の補修か取替え工事ともなれば年度内で始末がつく訳も無く、水域の生物や生態系の消失は覚悟しなければならない土壇場になってもいたのである。でも連休前半は好天に恵まれ、いずれ干上がってしまうトンボ池の葦抜きをしていた折りに閃いたのであった。「そうだ、まだ逆洗洗浄という試みが出来るではないか!」。プールや循環風呂の濾過槽の洗浄に使う手法なのだが第一管内のトラブルにこの方法を試みる事にしたのだった。まあ、最後の悪あがき、執着地獄、水域ストーカーのなれの果て、であっても「やってみて諦めよう…」五月晴れのみどりの日にトライしたのだ。
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まずは第一管と第二管の接続を外し第一管管末にエンジンポンプからのホースを挿入してアイドリング状態から圧注水開始である。これに先立ち取水升内の管末にエルボの片方に30cmほどの管を差し込み水の出口が上向きになるようにセットしておいた。これで水が排出されて来れば水面の盛り上がりで目視確認できる。
濁り水が出て来た ➡
注水圧を上げるたびに盛り上がりも大きくなる
アイドリング状態の圧力から出水出口の状態を確認しつつ3回ほどの出力アップを含め1時間の圧注で浮遊物の無い澄んだ水になった。実は未明に夢を見ていて、この作業中に褌やボロ布が排出されてきたのである。潜在心理的には人為的に送水管 内に異物混入されたと疑っていたのかもしれない。しかし濁り水と共に排出されていたのは細かい腐食材の細片だった。ほぼ笠型フイルターの穴を通り抜けるサイズだったので、これらが管内で詰まり断水したと考えるのが妥当だろうが、一方では度重ねたポンプ注水で水は入っていくのに管端からは出て来ない、という謎は不明のままだった。小一時間の通水を止め、今度は取水升内の管端から圧注水をする。
第一管管末から水が出た ➡
第一管と第二管の接続後、排砂バルブからもほとばしる
つい先ほどまでホースで圧注していた管端から排水されている。この時点で漸く「断水解消」の希望が見えてきたのであった。早速、外していた管同士を接続して排砂バルブを確認しに歩いて下る。排砂バルブはあらかじめ開放しておいたのであって、河原に降りないうちに排水音が聞こえたので「断水解消」は確信となったのである。崖下の止水弁を開放し一方、排砂弁をゆっくりと閉じていく。急速に閉じるとウオーターハンマー現象で圧注しているホースにトラブルが起きかねないからだ。この後、隣り沢にS先生と入域しているはずのSさんに吐水口で通水確認を頼んだらほどなく「濁り水が勢いよく出ています」と電話があった。これで二週間にもわたった断水は解消したのである。ポンプに戻り出力アップを行い更に15分ほど強制通水を継続し管内の砂泥を排出して漸く終了した。

写真、笠型フイルターの上にあるL型のパイプは逆洗圧注時に取水升内の管端に接続した水面方向に排水させるためのパイプである。これで排水状態の目視が容易になったのだ。写真の強制通水が完了した後はエルボ上端の赤テープの処で接続を外し、短くなった管端を水面に向けてセットしておいた。これで取水升内に砂泥が堆積しても送水管口まで達する時間を稼げることに繋がるだろう。今回の顛末、全くの予想外の断水だったから当初は「打つ手なし」とも思ったのであるが執着地獄が祝着至極に至った事は何とも喜ばしいみどりの日であったわい。お祝いに今期初のアイスを貪ろうと思ったが忘れて帰宅してしまった。短期記憶の覚えは目出度くないわい。さてちなみに直後の吐水量は22ℓ/分であって一晩経過すれば24ℓは出るはずだ。ともかく目出度い目出度い腰痛い。
翌日、いの一番に吐水量を確認したら毎分26リットルと測定できた。バケツに残った水も測定に入れれば27リットルあっただろうがこの量でも昨夏以前の最大吐水量を越えているのだ。その理由は水没している事による高低差(落差)二割ほどの増加であろう。この水位で取水升内の浚渫に苦労する羽目になったけれど月一程度だから我慢するしかない。何よりも送水量最優先である。かくして自転車操業・水商売でお尻に火が着き泥を浴び続ける日々が続く事はお約束となったのであった。喜び半分溜息半分の心持であって、20kgのエンジンポンプを抱え河原を行き来しなければならないのは水が出る間、抱えて歩ける間は続くのである。これ、高齢者には辛くなってきた行為でもあって、かくして姥捨て山での前世の報いは続くのであった・・・。