灯り消す窓の名月さびしけり
名月を三つも見たり串団子
まるまると煩悩のような月を見る
猪餓鬼のヌタって喰らう新穂なり
猪荒らす憂い嘆きの余地もなし
灯り消す窓の名月さびしけり
名月を三つも見たり串団子
まるまると煩悩のような月を見る
猪餓鬼のヌタって喰らう新穂なり
猪荒らす憂い嘆きの余地もなし
急に涼しくなったが、暑い時期に森の中にいたハグロトンボは見かけなくなった。セミの声もツバメの姿も既に無い。
今日はイトトンボを複数見かけたのだが、この時期のイトトンボは記憶に無いので意外だった。トンボたちにしてみれば、当たりまえのサイクルなのかどうか知る良しも無いけれど、春の頃に見るイトトンボより小型だ。
同種か異種かは不明だけれど、はかなげと言うべきか弱弱しいというべきか、その飛翔の姿は「秋」の寂しさに合う。アカトンボは記憶に連なる感傷を引き出すが、一義的には「陽」のイメージである。今日のイトトンボは「もののあわれ」そのものだった。
陽を受けたアカトンボは躍動感そのものだが、斜め陽を受けていたイトトンボは動きからして「息絶え絶え」だ。春の頃のイトトンボも、スイスイと飛翔しないが印象は全く別なのが不思議だ。
胸腹をながれる汗をかんじつつ木陰で荒き息つぐ残暑
土堀りをおえて途につく上り坂息は絶え絶えへたりこみたし
ズボンさえ絞れる汗をだした身は底無しなほど麦茶を飲めり
にょろにょろと喉を落ちゆく温き水末期ならずも甘露法悦
帰省の帰路、久しぶりに兄の所に立ち寄ったら、大正末期の故郷の写真(コピー)を渡された。現在は、と言うと、新幹線の駅舎に変わり、田も一面住宅になってしまった。
駅は大正12年に開業したが、関東大震災の年に祖父母が新築した実家らしき家が見えるから、誤認の可能性はあるにしろ懐かしい一枚である。生家は既に建て替えられている。
魚野川の堤防も大きくはなく、度々氾濫して水田を浸したと言う郷土史の記述が浮かぶ。撮影地点はおそらく「西国霊場巡り」を模した、三十何番だったか忘れたが、見晴らしの良い「あの場所」であろうことは推定できた。
田んぼの中に「フッコ」と呼んだ大きな二つの沼が見えるのも懐かしい。ウナギを獲り、三尺もある大鯉を狙った思い出深い場所なのだ。夏はオオヨシキリが飛来して営巣した、さえずりを聞くのも楽しい場所だった。しかし耕地整理で埋め立てられ、今は跡形も無い。
明治維新の中越戦争の頃、ここも戦場の一角だった。「あの場所」への途中にまだ十代の会津藩士や薩長の若い戦死者の招魂所があるが、この中に現皇室の祖母の縁に繋がる若者もいて、婚礼の頃は近く感じたものだ。でも、ここは寺の墓所より恐ろしい場所だったのだ。
秋雨前線の南下で、当地もようやく雨期に突入確実となった。南下の前日は36度台だったのに、今日は一転して21度程度、15度も下がった。
夏の盛りに、隠れていた竹の切り株に刈払機の刃が当たり、その反動(キックバック)で桜の苗木を根元から切断してしまった。ままある事だけど…。
この桜は、会友のM氏が記念樹として植栽した物で、そのままにしては置けないから、秋に補植の心算で時期をうかがっていた場所である。
名月は見なかったが、夜半からの降雨で、まだ数日は雨模様の予報が出たから、晴れ間を盗んで補植を終えた。同じ品種は入手できなかったけれど、早くから花を見れる菅桜、でなく寒桜を植えた。
雨は止んでいたものの、黒い空で雷の音がする晴れ間だったが、植えつける間は幸いにも濡れずに済んだ。これでようやくホッとしたが、刈払機が導入されて以後「幼樹の切断と、蔓草に覆われて枯れ死させてしまう事態が増えた」のが業界紙に載っていた。
業界人ではないが、頷ける一行だった。幼樹の切断を避けるために根元まで刈り払うことをしない。結局、蔓草に覆われて生育不良・枯れ死となる。この防止のために手鎌の作業というアナログそのものの仕事は機械化されても切捨てできない大切な作業であり技能だが、その手間を骨惜しみしたくなるのが常だ。
除竹より防蚊にいそし竹の藪
うるさくもわが顔したう藪蚊ども
面前で距離保ち飛ぶ藪蚊連れ
払っても払っても群る藪蚊かな
スプレーも落ちず煙に逃げぬ蚊よ
溜池周辺で普通に目に付くのが、このカエルだ。当初はツチガエルとばかり思っていたのだが、どうやらヌマガエルらしい。棚田周辺にも生息している。
田んぼだと、少年時代の体験からアカガエル、トノサマガエル、イボガエルなどが普通だった。当地に来てからは、というより故郷を出てからトノサマガエルにはお目にかかっていない。あれほど一般的だったカエルが、今は絶滅危惧種らしい。
稲作の形態も変わって、田の管理方法も昭和の時代とは大きく異なっているから生息環境が整わなくなったのが大きな要因だという解説を聞いたことがある。数年前から大流行が心配されていた「ツボカビ病」は、今の所は感染地域ではないようなのでホッとしている。
ヌマガエルも地味なカエルではあるが、体表の文様はなかなか美しい。特に口の周り、後ろ足の縞模様などは侘び寂びの風情を感じるほどだ。
あの洋菓子店の店頭に立っている人形と同じような愛嬌を感じるのは私だけだろうか。
ナラ枯れの山はアズキの葉をまとい錦に遠く装う故郷
七年を経ても震災山肌は土色見せて秋雨にぬれる
幼子の生還したる崩壊地アワダチソウの斜面は揺れる
猛暑日となりし埼玉名月の空も汗だく無月となりし
中秋の無月となりぬ埼玉の昼は熱風夜は雨足
車窓から見たナラ枯れの被害は予想以上だった。一年前を思い出しても格段の差がある。原因となる生物は、昔から存在していたにもかかわらず、近年になって急速に拡大したのは「高齢木」が増えたことなどが指摘されている。
木の種類の性質上、北国に顕著だが中国・近畿地方、愛知県などの被害も目立ってきた。当地ではまだ発生は聞いていないが、感染が広がれば松枯れ以上の被害が里山に出るのだろう。