トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

*中秋

2010-09-30 | 感じるままの回り道

        灯り消す窓の名月さびしけり

        名月を三つも見たり串団子

        まるまると煩悩のような月を見る

        猪餓鬼のヌタって喰らう新穂なり

        猪荒らす憂い嘆きの余地もなし


カップケーキ

2010-09-30 | 小父のお隣さん

Photo  見れば見るほどカップケーキにそっくりなキノコだった。昨年も同じ場所で直径20cmにもなった同種を採集した。

 その時はNPOの指導員に渡してしまったから、今年は成体になったら切断して中身を見てみたい。近くにも1個体顔を覗かせている。明日は雨の予報だから、人為的被害は被らないとおもうけど、林道脇だから気がつく人もいるかもしれない。

 昨年は刈り払いしなかったから、人目には触れなくて済んだが今回は難しい。大きくなればなお難しい。


*九号台風

2010-09-29 | 感じるままの回り道

Photo_2待ちわびし雨は大風伴いて草なぎ伏すも息吹く原よ

雨風の吹きぬく一日過ぎたれば森も透けたり稜線の雲

干からびた溜池雨水湛えても来夏のヤゴは絶えておらざり

ホーシ鳴く時雨れは過ぎて秋雲は白く輝き我の頭上に


国光のジャム

2010-09-29 | 何よりの楽しみ

Photo_2  庭の国光が熟して、半分は落下し蟻の餌になっている。大好きなリンゴではあるが観賞用に近い。

 雨降りが続き退屈してきたから雨の中、残りをもぎ取りジャムにすることにした。皮を剥いて芯を取り、スライスした後に圧力鍋で熱解したら、とてもクリーミーの仕上がりとなった。

 レモン果汁を60ccほど、砂糖は少な目のリンゴに対して3割ほどの3カッップで、食味は薄甘の酸味の強いさっぱりとしたリンゴジャムに仕上がった。出来上がりは1リットルの貯蔵瓶1本分だ。

 昼食に試食しようとしたのだがパンが無い。ヨーグルトにはもったいないからパンを購入するまでお預けになった。


*猛暑に冷やす肝

2010-09-28 | 小父のお隣さん

Photo_2飛行機かくぐもる音に見上げれば大蜂群れて空中停止

ひるひなか盗人足で距離をおく大蜂の巣知りたる我は

逃げた身を近づけさせて覗き見る拳も通る大蜂の穴

休みなく水を運ぶや大蜂の巣も暑かろう子等も渇くか


今はもう秋、誰もいない森

2010-09-28 | 小父のお隣さん

Photo_3  急に涼しくなったが、暑い時期に森の中にいたハグロトンボは見かけなくなった。セミの声もツバメの姿も既に無い。

 今日はイトトンボを複数見かけたのだが、この時期のイトトンボは記憶に無いので意外だった。トンボたちにしてみれば、当たりまえのサイクルなのかどうか知る良しも無いけれど、春の頃に見るイトトンボより小型だ。

 同種か異種かは不明だけれど、はかなげと言うべきか弱弱しいというべきか、その飛翔の姿は「秋」の寂しさに合う。アカトンボは記憶に連なる感傷を引き出すが、一義的には「陽」のイメージである。今日のイトトンボは「もののあわれ」そのものだった。

 陽を受けたアカトンボは躍動感そのものだが、斜め陽を受けていたイトトンボは動きからして「息絶え絶え」だ。春の頃のイトトンボも、スイスイと飛翔しないが印象は全く別なのが不思議だ。


*眩しい若さ

2010-09-27 | 花の下に長居

Photo   おとめごはカメラ後ろ手吾亦紅

   吾亦紅名にさそわれて人だかり

   名月は煩悩のような満ちた月

   処暑なればシュシュ外したる乙女かな


ナラメイガフシ

2010-09-27 | 小父のお隣さん

Photo_10  コナラの若木にナラメイガフシを見つけた。昨年、初めてお目にかかったのだが、その時は茶色になって、虫が脱出した後だった。

 今回は色合いも若々しく、丁度耳掃除をするタンポのような大きさだ。触れてみると羽毛と間違うような軟らかさ。

 遊歩道脇の幼樹に着いたのだが、気がつく人は殆ど居ない。

 虫が作る瘤も多様だが、ノイバラマルタマフシと、このナラメイガフシはお気に入りだ。


*渇水の身

2010-09-26 | 今日は真面目に

 胸腹をながれる汗をかんじつつ木陰で荒き息つぐ残暑

 土堀りをおえて途につく上り坂息は絶え絶えへたりこみたし

 ズボンさえ絞れる汗をだした身は底無しなほど麦茶を飲めり

 にょろにょろと喉を落ちゆく温き水末期ならずも甘露法悦


珍しの木

2010-09-26 | 感じるままの回り道

Photo_2  帰省した折、見慣れない木が庭木にあった。ツノハシバミかなあ、と思い寄ってみたのだが違った。初めて見る実だった。

 カエデの果実にそっくりだが、やや大きく産毛も生えていて重い感じがする。他人の庭だから撮影だけした。

 近くに住む姉に訊ねてみたら「メグスリノキ」だった。この木の実物は初めてだし、果実がこんな形ということも知らなかった。

 何のことは無い、カエデ類カエデ科だった。葉からは想像も出来ない違いだ。この木は園芸店には出回るようになったが、野生の状態では見たことは当然ない。園芸種に近い樹種とばかり思っていた木である。


大正末期のふるさと

2010-09-25 | 今はうたかた

Photo_3  帰省の帰路、久しぶりに兄の所に立ち寄ったら、大正末期の故郷の写真(コピー)を渡された。現在は、と言うと、新幹線の駅舎に変わり、田も一面住宅になってしまった。

 駅は大正12年に開業したが、関東大震災の年に祖父母が新築した実家らしき家が見えるから、誤認の可能性はあるにしろ懐かしい一枚である。生家は既に建て替えられている。

 魚野川の堤防も大きくはなく、度々氾濫して水田を浸したと言う郷土史の記述が浮かぶ。撮影地点はおそらく「西国霊場巡り」を模した、三十何番だったか忘れたが、見晴らしの良い「あの場所」であろうことは推定できた。

 田んぼの中に「フッコ」と呼んだ大きな二つの沼が見えるのも懐かしい。ウナギを獲り、三尺もある大鯉を狙った思い出深い場所なのだ。夏はオオヨシキリが飛来して営巣した、さえずりを聞くのも楽しい場所だった。しかし耕地整理で埋め立てられ、今は跡形も無い。

 明治維新の中越戦争の頃、ここも戦場の一角だった。「あの場所」への途中にまだ十代の会津藩士や薩長の若い戦死者の招魂所があるが、この中に現皇室の祖母の縁に繋がる若者もいて、婚礼の頃は近く感じたものだ。でも、ここは寺の墓所より恐ろしい場所だったのだ。


補植をする

2010-09-25 | 今日は真面目に

Photo  秋雨前線の南下で、当地もようやく雨期に突入確実となった。南下の前日は36度台だったのに、今日は一転して21度程度、15度も下がった。

 夏の盛りに、隠れていた竹の切り株に刈払機の刃が当たり、その反動(キックバック)で桜の苗木を根元から切断してしまった。ままある事だけど…。

 この桜は、会友のM氏が記念樹として植栽した物で、そのままにしては置けないから、秋に補植の心算で時期をうかがっていた場所である。

 名月は見なかったが、夜半からの降雨で、まだ数日は雨模様の予報が出たから、晴れ間を盗んで補植を終えた。同じ品種は入手できなかったけれど、早くから花を見れる菅桜、でなく寒桜を植えた。

 雨は止んでいたものの、黒い空で雷の音がする晴れ間だったが、植えつける間は幸いにも濡れずに済んだ。これでようやくホッとしたが、刈払機が導入されて以後「幼樹の切断と、蔓草に覆われて枯れ死させてしまう事態が増えた」のが業界紙に載っていた。

 業界人ではないが、頷ける一行だった。幼樹の切断を避けるために根元まで刈り払うことをしない。結局、蔓草に覆われて生育不良・枯れ死となる。この防止のために手鎌の作業というアナログそのものの仕事は機械化されても切捨てできない大切な作業であり技能だが、その手間を骨惜しみしたくなるのが常だ。


*猛蚊襲来

2010-09-24 | 小人閑居して憮然

         除竹より防蚊にいそし竹の藪

         うるさくもわが顔したう藪蚊ども

         面前で距離保ち飛ぶ藪蚊連れ

         払っても払っても群る藪蚊かな

         スプレーも落ちず煙に逃げぬ蚊よ


ヌマガエル

2010-09-24 | 小父のお隣さん

Photo_6  Photo_7

 溜池周辺で普通に目に付くのが、このカエルだ。当初はツチガエルとばかり思っていたのだが、どうやらヌマガエルらしい。棚田周辺にも生息している。

 田んぼだと、少年時代の体験からアカガエル、トノサマガエル、イボガエルなどが普通だった。当地に来てからは、というより故郷を出てからトノサマガエルにはお目にかかっていない。あれほど一般的だったカエルが、今は絶滅危惧種らしい。

 稲作の形態も変わって、田の管理方法も昭和の時代とは大きく異なっているから生息環境が整わなくなったのが大きな要因だという解説を聞いたことがある。数年前から大流行が心配されていた「ツボカビ病」は、今の所は感染地域ではないようなのでホッとしている。

 ヌマガエルも地味なカエルではあるが、体表の文様はなかなか美しい。特に口の周り、後ろ足の縞模様などは侘び寂びの風情を感じるほどだ。

 あの洋菓子店の店頭に立っている人形と同じような愛嬌を感じるのは私だけだろうか。


*トンネルを抜ければ

2010-09-23 | 旅行記

 ナラ枯れの山はアズキの葉をまとい錦に遠く装う故郷

 七年を経ても震災山肌は土色見せて秋雨にぬれる

 幼子の生還したる崩壊地アワダチソウの斜面は揺れる

 猛暑日となりし埼玉名月の空も汗だく無月となりし

 中秋の無月となりぬ埼玉の昼は熱風夜は雨足

 車窓から見たナラ枯れの被害は予想以上だった。一年前を思い出しても格段の差がある。原因となる生物は、昔から存在していたにもかかわらず、近年になって急速に拡大したのは「高齢木」が増えたことなどが指摘されている。

 木の種類の性質上、北国に顕著だが中国・近畿地方、愛知県などの被害も目立ってきた。当地ではまだ発生は聞いていないが、感染が広がれば松枯れ以上の被害が里山に出るのだろう。