トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

15号の置き土産

2011-09-30 | 今日は真面目に

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  台風15号の風は近年になかった強さだった。フイールドも多少なりとも被害を被ったと思っていたのだが、今日ようやく一部を見る事が出来た。なにせ移動能力を欠く身では、まだ車両から平坦地のみの100メートル程度しか入り込んでいないのだ。

 三日月池は斜面の真竹が折れて蔽い被さっている。これでは水面は開かないし、周回も出来ない。周回路の部分だけを切り取っても、倒れた根元からの処理は難しい。足場の悪い急傾斜だから、ここは会友に任せるしかない。

 胸高直径30cmを越える杉も根こそぎ倒れていた。もともと基盤層が粘土や砂利で形成されている地域なので保持力は無い。ここも処理が必要だが、チェーンソーを抱えての移動や作業は行いたくても、まだ「厳禁」の身体状況で、ここも指をくわえて見ているだけである。

 フイールドの導入部で、この有様だから、風倒木の散乱していた区域は思っただけでもゾッとする。昨年までにようやく危険箇所を排除したのだが新たに生まれているだろう。安全に作業可能になるまでは春までかかるかも…。


シロマダラかなあ?

2011-09-30 | 小父のお隣さん

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 何年も前に越冬中の3匹を見たのを最後に、お目にかかれなかった「斑模様」に遭遇した。蛇の尾部と思ったが正しいのかどうか。胴体前部は食べられている。斑模様で何時も連想するのは推理小説「斑の紐」である。「紐よ、紐。斑の紐よ!」という犠牲者の台詞だけを未だに記憶しているのだ。

 シロマダラだったら良いのだが、頭部がないのがなんとも残念である。


*苦悶四季 2

2011-09-29 | 大震災

      今日の生昨日の悪夢明日の糧

      悲しみを血潮に閉じて今日も生く

      絶望の背中に希望の紙一重

      手を置いた鼓動に聞こゆ応援歌


導水路

2011-09-29 | 水辺環境の保全

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 電力会社の巡視車両が泥にはまってしまった部分に、水が溢れないように導水路を掘り直した。車のためと言うより歩行者もぬかるんでしまうのだ。特に小生などは社会的弱者であるからして、バリアフリーやユニバーサルデザインを心がけておかねばならない。

 車の中に、受傷日に使用したスコップが作業小屋に帰せないままになっているのを幸いに、水路を掘り下げてみた。移動する必要がない体勢なので、思っていたより楽に出来たのである。掘って土を盛るまでは立ったままだし、歩を進めると時はスコップが杖代わりなので、遜色ない仕事ぶりだった。

 盛り上げた土は両側から踏み固めて堤代わりである。これで当座は安心である。今日の万歩計は2300歩余、これで患足の足の裏がジンジンしてきたから、この程度の量が限界なのだろう、今は。


*苦悶四季 1

2011-09-28 | 大震災

         浪の刻過ぎて慟哭つづく酷

         人は去る釜は破れて山河のみ

         忘れたい記憶の中に命あり

         さいなまれ悪夢と言えど腹に置く


初物

2011-09-28 | 何よりの楽しみ

Photo_3  熟して落下が始まった国光は、この台風で全て落果してしまった。リンゴの木も実がないとさっぱりしたものだ。

 カキは幸いにも被害がなかった。一部は色付いてきたからもぎ取って初物をいただいた。カキは好物なのである。

 苗を購入した時、品種は「次郎柿」とのことだったが、着果するようになってから未だに疑っている。それは着色すると直ぐに軟化してしまうからだ。

 店頭に並んだ次郎柿は着色しても硬さを保っている。この相違が疑いの理由である。と言っても、軟らかくズブズブになった果実も大好物であるから不満はないのだが、取り遅れると容易に落果してしまうのが悔しい。

 薬剤散布をしていないから、タオルでゴシゴシ拭いてかぶりつく、これは至福の一瞬である。リンゴや梨もそうだが、皮をむくと食べる楽しさが半減する。花火や焚き木の放射能を心配する輩の気が知れない。


下草刈り

2011-09-28 | 今日は真面目に

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 家でリハビリ三昧では面白くないから、現場主義で行うことにした。まあ、片手杖でなんとか移動可能になったから言える事だ…。

 初日は、平坦部をも見回って急な運動量増大だったせいか、足裏がジンジンと熱くなってきたので昼には帰宅。眠くも無かったが昼寝をやってみたら、目覚めたのが午後4時だった。やはり極端な運動量増で疲労はあったようだ。夜の睡眠に差し支えるかと懸念していたけれど、いつも通りだったから、やはり身体には負担だったのだろう。

 それに学んで、2日目は約2時間の平坦地の坪刈りとした。20本ほどの幼樹に絡まって覆っているクズやヤブカラシ、ママコノシリヌグイ、カナムグラ等をを取り除いた。地面は竹の廃材で覆われているから足を置く場所にはことのほか気を使った。不用意に左足を下ろすと膝関節が逆に曲がりそうになる事があり、これは大変痛いのだ。

 どっちにしても太腿の周囲は左右差2cmは十分にあるから、筋力低下は致し方ない。使うことで回復を促すことになるが、単なる運動よりはさっぱりする。覆われて見えなかった樹形が顕わになって、見た目もさっぱりした。木々はもっと開放感があったろう。

 春に植えたエノキは裸根で到着し、梅雨明けまで芽出しが無かったのだが、寝込んでいる間に一本を除いて復活していた。一山越えた地区の小学校でオオムラサキの放蝶をしているから、何時かこのフイールドにオオムラサキが飛翔するのを楽しみにしているのだ。オオムラサキならぬオオボラフキが跋扈する可能性も多々ではあるけれど…。


*里を眺めて

2011-09-27 | 感じるままの回り道

          稲原に足跡おして夕の風

          風小僧稲穂の海を徒競走

          蝶を受け揺れるコスモス稲の波

          コスモスのまた咲きそろう土手の道

          出し昆布しゃぶって凌ぐ猛暑かな


本能とは言え

2011-09-27 | 小父のお隣さん

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 丸坊主になった庭の山椒が再萌芽してきた。そう思った翌日には体長30mmほどのアゲハの幼虫が現れ、枝から枝へと移動しながら一日ほどで食い尽くしてしまった。「また丸坊主か」と思いつつ2日3日経ったところにアゲハチョウが現れて産卵行動をしているではないか…。「馬鹿な蝶だ」と思っていたら、午後になって再度の産卵行動だ。

 ようやく全体重を加えられる患足を引きずりながら寄って見ると多くの卵を見出すことが出来た。こんなに産卵して「また飢え死にかよ!」と思ったものの警告する術はないし、蝶は蝶の世界の見方や考え方があるのだろう。でも「それにしても」である。

 食草として植栽した山椒だから丸坊主にされた恨みつらみは毛頭ないが、産卵樹となって、結果として多くの幼虫を餓死させている点は心痛むものがある。蛹にまでたどり着いた個体は確認できていないのだ。繁殖の機会を与えているのか、奪ってしまったのか判らなくなってくる。ハムレットの有名な台詞の気分である。

 それにしても母蝶は蜘蛛の巣をものともせず芽の近くを選んで卵を産み付けていく。たいしたものだ。


*虫の声 2

2011-09-26 | 小父のお隣さん

       丑三つ聞くカンタンと古里へ飛ぶ

       ソロで聞くアオマツムシはまだ前座

       スズムシは今日も消されて庭の隅

       ヒグラシや月は消え行く明けの空

       虫の音は消えてヒグラシ空白む


杖だってTPO!

2011-09-26 | 感じるままの回り道

Tpo  松葉杖でフイールドに出かけ、当惑してしまったのは「操作性が悪い」と言う事だった。不整地だし地表の植物も操作の妨げになること甚だしい。主因は、脇に入る上部が操作性を悪くしている。平坦地なら安定性に寄与している部分なのだが…。

 結局、室内用に1本、フイールド用に1本、杖を購入した。フイールド用は「トレッキングストック」で先端に沈み込み防止のバスケットが付いている。付属のバスケットは小さめなので、新たに径の大きい物を購入し差し替える。これを使用しながら草刈りを行ったが、まあまあだった。

 室内用とした1本は、一般に屋外にも使用しているありふれた杖だが、屋外で使用できても、店舗に入ると目立たないから使用しない事にしたのだ。人が集まるところは松葉杖が、たとえ一本でも目に付き易い。そのほうが安全だろうと思われたからである。なにせ動きが緩慢で不安定だから自己防御には限界がある。「危ない人物」をアピールしていたほうが安心だ。

 場面に応じ3種類の杖を使うが、けっして「お洒落」でTPOを使い分けた訳ではない。本音は「トホホ」なのだから。

 


**秋彼岸

2011-09-25 | 感じるままの回り道

 未熟の実怪我して眺むリンゴさえ色つき触れず落ちる今日かな

 出し昆布含みて眺むあかつきは光陰なればあれよと変わる

 こうこうと名月受けた窓際も今はあかつき変わらぬ朝日

 訃報知る窓辺に見えるニガウリを何故に揺らすや夕刻の風

 半世紀わらべの時代ありありと浮かべば我も今際の淵か


一本足でも人助け

2011-09-25 | 今日は真面目に

Photo_4  左脚を引きずりながら植栽樹の坪刈りを行っていた横で、送電線の保安巡視に来た車がぬかるみにはまってしまった。

 何時もだと通過できる箇所なのだが、先日の台風による降雨が溝から溢れ泥地にした結果、こうなってしまったという訳である。

 前輪も後輪も埋まってしまい空転するばかりだったから、見に寄ったら、タイヤのパターンは線状溝でグリップ力は無い。周囲の朽ち竹をタイヤの下に差し込んでも喰いこまなかった。万事窮す、だ。

 頼まれた訳ではないが、ロープは有ると言うので車を繋いで救援した。まあ、移動能力を大幅に欠いている小生が車両の救援をするなんて思いもしなかったけれど、自供をすれば「アクセルを踏んだだけ…」だ。

 小生の移動能力も作業能力も大幅に減退しているから、駐車地点から至近の平坦地しか活動範囲に出来ない。今回、作業車両にとっては、それが幸いした。「人間万事塞翁が馬」を実感する。

 


散歩の道すがら

2011-09-24 | 小父のお隣さん

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 刈り払いが不足して茫々になった草地にはバッタ類がいたるところに姿を見せている。アカトンボも飛んでいるのだが、薮原を掻き分けて行くと集まってくるのが楽しい。土手や川原の草刈りをすると初夏はツバメ、夏以降はトンボが群れてくるが、餌になる昆虫は多く生息しているのだ。

 しかし芋虫などはいただけない。良く見れは色艶やかの肌をしているのだが、色彩センスの問題ではないのである。山芋の葉を食べていた芋虫は尻に剣があるから、おおよその見当はつくけど知りたくも無いのが本音である。

 でも、見れば見るほど健康体の体色だった。無理も無い、精のつくヤマイモの葉が常食なのだから・・・。

 エゴノキには実が鈴なりで、ヤマガラが沢山飛来して実を銜えて運び去っていく。動かずに見ていれば距離3m程度の枝にも飛来して実を採っていく。至近で複数の個体を見物できるのは、この時期だけであるが、カラフルでキビキビした小鳥の動作は見惚れてしまうばかりだ。


**一怖他災  温故痴新編

2011-09-24 | 大震災

 夜もすがら松の榾木をたき明かし藁ぐつうたむ冬は来にけり  熊谷直好

     世もすがら松の焚き木を投げ返し慰めも無し冬は来にけり

     世もすがら避難の人を追いたててその手で打たむ冬は来にけり

     世もすがら花火の玉を突き返す励ましも無し冬は来にけり

     世もすがら産地の品を突き返す復興も無し冬は来にけり