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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



ジョジョが「オヤジだよ」と紹介した男は気さくで大らかな感じのオッサンだった。
しかし今考えてみると、このオッサンこそがトランプ詐欺団の首謀者だったんじゃないかと思われる。
なぜなら、このオッサンの一言一句を中心にジョジョをはじめ一味のメンバーが忠実に動いていたからだった。

忠実に動いていたと言っても、それはヤクザの親分の言いつけを守る子分というよりも、演出家の指示に従って予定された演技をこなす役者たちとの関係に似ていた。
オヤジは浅利慶太(劇団四季の創立者であり、石原都知事の友達で有名な個性濃い有名人)と似ていなくもなかったのだ。
そう、まさにこの家の中は一つの舞台。
私というカモを騙すために準備された舞台装置だったのだ。

だがこの時の私は未だ、この家の中でやがて繰り広げられるであろう「詐欺の舞台」というよりも「吉本新喜劇の舞台」と呼べそうな奇々怪々な世界が展開されることに、ほとんど気付いていなかった。
気付くはずがない。
私はジョジョの言うことを、まだまだ話し半分とは言いながら信じていたのだ。

「どちらからいらっしゃいました」

とジョジョのオヤジさんはソファーに腰掛けながら親しげに話しかけてきた。

「日本からです」
「日本?東京ですか」
「いいえ。大阪です」
「お仕事でこちらへ」
「ええ、まあ」

本当は遊びなのであったが、私は「仕事ですか、遊びですか」と訊かれると、ここバンコクでは曖昧に答えることが習慣になっているのだった。
というのも、有名観光地であろうが、繁華街であろうが、飲み屋であろうが、「旅行者」と「居住者」との扱いが、バンコクでは異なることに気付いていたからだ。
それはどちらで答えれば良い、というような問題ではない。
時と場合によって「旅行者」のほうが有利であることがあり、また「居住者」であるほうが有利であることもある。

コツは「イチゲンさん」を装った方が良い場合は旅行者を名乗り、ここバンコクに自分を保護してくれている、たとえば「会社」や「学校」といった社会要素が存在しているのだ、とほのめかしたりしたほうが良い場合は居住者を装うのだ。

たとえば、買い物をする場合は居住者を装う方が得策だ。
居住者だということを暗に示すことにより、異常に高値で売りつけられたり、まがい物を攫まされたりする心配が少なくなるし、ちゃんとした店ではリピーターと見込んで旅行者より丁寧な扱いをされる場合が多い。
一方、屋台やナイトバザールで店主と会話ゲームを楽しみたいと思った場合は、旅行者であることを主張した方が面白いことが多い。
これは居住者の場合と反対で、現地の事情をなにも知らない者との扱いを受け、相手がふっかけてくるところや、お土産物として大量に売りつけようとしているところなどをゲーム感覚で楽しめることに加え、フーゾク関係の呼び込みなんかとあれやこれや値段の交渉を試みたうえ「高いよ」と言って断るまでの、冷やかしとしての楽しさを味わうこともできるのだ。

私は以前、観光ナイトバザールで名高い「パッポン」で暇つぶしに屋台を冷やかして歩いているうちに、習ったばかりのタイ語を使いたくなり、思わず、
「高いよ。もっと安くして。」
とタイ語で言ったところ、
「あなたタイ語できる。ダメね」
と相手にされなくなった経験がある。
ともかく観光地では観光客であることを主張しなければ楽しめないということを経験した貴重な体験であった。

以上、余談。

ジョジョのオヤジさんとの会話の中で、あえて曖昧に答えたのは妙な雰囲気が漂っていたことと、昨日、ジョジョにも「私はこれから学校へ行くところだ」と説明していたことにもよる。
「学校へ行く格好をしてる者」が短期の旅行者である確率は、低い。

しかし、ジョジョは私を観光客のカモと踏んで招いているわけだから、油断は大敵だった。
でも私は油断していた。

「あら、いらっしゃい」
と、新たに奥から現れて登場人物に加わったのは、さらなる油断の原因になりそうな、結構美人の20代後半と思える女性だった。

つづく

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