「今回は予算を節約したいんです」
と出発前、私はガイドのTさんに頼んでいた。
お金を節約し、旅に出かけられる回数を増やそうと画策していたのだった。
で、Tさんがアレンジしてくれたヤンゴンの宿は、驚くなかれ1泊US10ドルの超安宿なのであった。
これまで私が宿泊した一番安い宿は、かつてタイのバンコクでの定宿にしていたゲストハウスで、そこは日本円にして1泊1800円。
バンコクで発行されているバンコク週報という日本語新聞のホームページの広告で見つけたのだった。
Nというそのゲストハウスは安いといっても立地はリッチであった。
というのも、歩いて10分ほどの距離に香港のペニンシュラ、シンガポールのラッフルズと並ぶ超高級ホテル「ジ・オリエンタル」があり、ご近所にフランス大使館もあるニューロードと呼ばれる地域にあったからだ。
とはいえ、さすがに1泊1800円の宿。
ホテルそのものは清潔でスタッフも愛想は良かったのだが、部屋には窓がなく(正しくは窓はあるが、鉄格子の入った50センチ四方のその窓の向こう側は隣のビルの壁だった)、バスタブもないシャワーとトイレだけの独房のような部屋なのであった。
それと比べると、ここヤンゴンの1泊US10ドルの宿は似たり寄ったりであったが、ニューロードという高級地域に立地したゲストハウスNと比べると、かなり騒々しいホテルなのであった。
前回も述べたように、この宿はヤンゴン(というよりもミャンマー)で最も高層のビルディング「サクラタワー」のすぐ近くにあり、周囲は繁華街。
日本で言えば新宿のような所なのであった。
その路地にはJICAの駐車場があったり電気屋があったり、正体不明の喫茶店のようなものがあったりして、想像を絶する賑やかさなのだった。
ホテルのスタッフは陽気で親切で、こんな安もんホテルにもちゃんとボーイがいることに驚いたのだが、そこは安宿。
エレベーターはもちろんない。
私は3階の部屋を割り当てられたのだったが、狭い階段を登って行くのにはかなり難渋した。
通路も狭く、バックパッカー達の洗濯物があちこちに干されていた。
部屋はバンコクの宿よりも狭かったが、幸いなことに大きな窓があり、シャワーもあり、エアコンも付いていた。
残念ながら冷蔵庫はなかったが、あってもあまり役には立たなかっただろう。
私はこれまでヤンゴンでは中級レベルのホテルに宿泊し、その快適さを享受したいたのであったが、この安宿に泊まって、初めてヤンゴン市内で停電というものを経験したのだった。
夜中、エアコンのスイッチを入れて本を読んでいたら突然真っ暗になった。
当然エアコンも止まった。
30秒ほど経過したら再び電灯は灯ったが、エアコンは安全装置が働いてなかなか動かない。
そのうち部屋がムシムシと暑くなってきて、扇風機を回そうとしたらコンセントが1つしかなく、扇風機を回そうとすれば電灯を引っこ抜かなければならないことがわかった。
暑いのを我慢して明るい部屋にするのか、部屋を暗くして少しは涼しくするか悩みどころである。
そうこうしているうちにエアコンが復旧して動き始める。
で、涼しくなったころまたまた停電が起こって、同じことの繰り返し。
これが夜明けまで続くのである。
で、そういう停電と暑さとの格闘に疲れ眠くなってくると、今度は大きな窓から朝早く仕事の準備を始める街のざわめきが入ってきて、喧しくて眠れなくなるのだった。
悪くないホテルだったのだが、朝を迎えた私はまるで長時間の飛行でヘトヘトになって空港に降り立った深夜便の乗客のように体力を消耗していたのだった。
つづく
と出発前、私はガイドのTさんに頼んでいた。
お金を節約し、旅に出かけられる回数を増やそうと画策していたのだった。
で、Tさんがアレンジしてくれたヤンゴンの宿は、驚くなかれ1泊US10ドルの超安宿なのであった。
これまで私が宿泊した一番安い宿は、かつてタイのバンコクでの定宿にしていたゲストハウスで、そこは日本円にして1泊1800円。
バンコクで発行されているバンコク週報という日本語新聞のホームページの広告で見つけたのだった。
Nというそのゲストハウスは安いといっても立地はリッチであった。
というのも、歩いて10分ほどの距離に香港のペニンシュラ、シンガポールのラッフルズと並ぶ超高級ホテル「ジ・オリエンタル」があり、ご近所にフランス大使館もあるニューロードと呼ばれる地域にあったからだ。
とはいえ、さすがに1泊1800円の宿。
ホテルそのものは清潔でスタッフも愛想は良かったのだが、部屋には窓がなく(正しくは窓はあるが、鉄格子の入った50センチ四方のその窓の向こう側は隣のビルの壁だった)、バスタブもないシャワーとトイレだけの独房のような部屋なのであった。
それと比べると、ここヤンゴンの1泊US10ドルの宿は似たり寄ったりであったが、ニューロードという高級地域に立地したゲストハウスNと比べると、かなり騒々しいホテルなのであった。
前回も述べたように、この宿はヤンゴン(というよりもミャンマー)で最も高層のビルディング「サクラタワー」のすぐ近くにあり、周囲は繁華街。
日本で言えば新宿のような所なのであった。
その路地にはJICAの駐車場があったり電気屋があったり、正体不明の喫茶店のようなものがあったりして、想像を絶する賑やかさなのだった。
ホテルのスタッフは陽気で親切で、こんな安もんホテルにもちゃんとボーイがいることに驚いたのだが、そこは安宿。
エレベーターはもちろんない。
私は3階の部屋を割り当てられたのだったが、狭い階段を登って行くのにはかなり難渋した。
通路も狭く、バックパッカー達の洗濯物があちこちに干されていた。
部屋はバンコクの宿よりも狭かったが、幸いなことに大きな窓があり、シャワーもあり、エアコンも付いていた。
残念ながら冷蔵庫はなかったが、あってもあまり役には立たなかっただろう。
私はこれまでヤンゴンでは中級レベルのホテルに宿泊し、その快適さを享受したいたのであったが、この安宿に泊まって、初めてヤンゴン市内で停電というものを経験したのだった。
夜中、エアコンのスイッチを入れて本を読んでいたら突然真っ暗になった。
当然エアコンも止まった。
30秒ほど経過したら再び電灯は灯ったが、エアコンは安全装置が働いてなかなか動かない。
そのうち部屋がムシムシと暑くなってきて、扇風機を回そうとしたらコンセントが1つしかなく、扇風機を回そうとすれば電灯を引っこ抜かなければならないことがわかった。
暑いのを我慢して明るい部屋にするのか、部屋を暗くして少しは涼しくするか悩みどころである。
そうこうしているうちにエアコンが復旧して動き始める。
で、涼しくなったころまたまた停電が起こって、同じことの繰り返し。
これが夜明けまで続くのである。
で、そういう停電と暑さとの格闘に疲れ眠くなってくると、今度は大きな窓から朝早く仕事の準備を始める街のざわめきが入ってきて、喧しくて眠れなくなるのだった。
悪くないホテルだったのだが、朝を迎えた私はまるで長時間の飛行でヘトヘトになって空港に降り立った深夜便の乗客のように体力を消耗していたのだった。
つづく