とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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Mr.インクレディブル

2004年12月20日 22時13分24秒 | 映画評論
とりがら映画評

古い話になるが、今から二十年昔に公開された「スターウォーズ ジェダイの逆襲」の見せ場はスピーダーバイクのチェイスシーンだった。
森の中を高速で駆け抜けるバイクの迫力は、それまでどの映画にもなかった斬新なものだった。
この森の中の撮影は、ステディカムという特殊な衝撃緩衝装置に載せたカメラを人が担ぎ、森の中を歩いて撮影した画像に、おもちゃのバイクを合成したものだった。
それから歳月が流れ、今やその程度の映像であればコンピュータを駆使すれば中学生でも作れるようになった。

映画が誕生した頃も、そして現在も、名作映画に備わる不変の条件がある。
それは「見せ方」が巧みで、作り手の「語り」が旨いということだ。

Mr.インクレディブルはそういう見せ方が旨く語りがしっかりしている映画だった。
ピクサー社のアニメーションは見る者の心の琴線に触れる作品作りが実に巧みだといえる。このあたりが下品なギャグで心から笑うことの出来ないドリームワークスの作品とは明らかに異なっているところだ。
今回の映画はこれまでのお子様路線から離れていて、それだけピクサーにとっては冒険だったかも知れない。しかしエンタテイメントの中に、ちょこっとホロリとさせるところが、いつもの通り心憎いのだ。
後半のアクションシーンでMr.の長男ダッシュがその名のごとく猛烈なスピードでジャングルを走り回るシーンはかつてのスターウォーズの一シーンを彷彿させるものだったが、見せ方が格段に向上していて、しかも見ていて笑っているうちに感動さえ感じるものだったのだ。
この感動がピクサー作品が持つ一連の暖かさ、人気の秘密だと思う。
トイストーリー2でカウガールがなぜ捨てられたのかということを歌で語るシーン、モンスターズインクで怪獣サリーが少女ブーと別れるシーン、ファインディングニモで父マリーンが怒鳴り散らして追いやってしまったドリーを探すシーン。
どれもこれも忘れることのできない名場面ばかりだ。

こういうシーンは中学生や単なるパソコンマニアでは作ることの出来ないものだ。
映像製作がついついテクノロジーに頼り過ぎになる今日、「Mr.インクレディブル」はCGでも人の心に暖かいものを注げるのだ、ということをまたもや証明してくれた、ということができよう。