とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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さらば、JB!

2006年12月27日 20時59分26秒 | 音楽・演劇・演芸
15年ほど前になる。
当時習いはじめた英会話スクールで知りあった仲間数人とオーストラリア人の講師二人と一緒に授業が終ってから飲みに出かけた。
場所は大阪梅田、お初天神商店街。
天狗という大衆居酒屋でビールや焼酎、日本酒などを浴びるように飲みながら夕食をとり「さあ、カラオケや」と2次会に向かった先が、阪急東通り商店街奥にあった「タイムトリップ」というカラオケボックスだった。

総勢10人ぐらいの大所帯だったので、みんなで入れるカラオケボックスはそこぐらいしか空いていなかったように記憶する。

持ち歌の少ない私は、ここでアリスの「チャンピオン」を熱唱した。
チャンピオンは私の十八番。
この歌で外したことがないので、いつも歌わされる時はこの歌を歌うことにしている。
歌いやすいこともあるし、アリスの歌は気張って歌うとそれなりに聞えるようなので私にとっては気楽でもあるのだ。

歌った歌は大受けし、オーストラリア人の二人の講師も興奮した。

で、なぜかそこで彼らが私を呼んだ名前が、
「ジェームズ・ブラウン」。

アリスの歌を歌ってJBというのもなんだか変だが、もしかすると私はシャウトしていたのかもわからない。
以来、レッスン中の私の名前は「ジェームズ」となり、やがて飲みに行っても「ジェームズ」で、新しく入ってきた仲間は私の本名を知ることなく「ジェームズ」で覚えるようになってしまった。
時が経つと共に、私自身も「ジェームズ」という名前が気に入って、自ら使用するようになった。

外国人にとって私の本名を覚えるのは難しいらしいのだが、「ジェームズって呼んでいいよ」と言うと、簡単なのでそれが固定された名前になった。

ところで、ほんとかどうか知らないが噂によると、アリスとジェームズ・ブラウンは関係なくもない間柄だという。
アリスを結成する以前、まだ売れていなかった谷村新司やそのスタッフはジェームズ・ブラウンを招いて大阪でライブを開催するイベントを企画した。
すでに大物だったJBは、なんとその企画を承諾し、大阪のフェスティバルホールでライブを開催。
今だったら入手困難なプラチナチケットとなるところだが、なにが悪かったのかまったく売れず、ライブ当日集まった客はわずか50人程度。
後にアリスを大ヒットさせたメンバーは莫大な借金を抱えたという。

そんなこんなで、アリスの歌をカラオケで歌い「JB」の称号を貰った私は、今も通っている別の英会話スクールでも「じぇいむず」(ひらがなになりました)を使っている。
もちろん、このブログの管理者名も「じぇいむず」だ。

そのジェームズ・ブラウンが亡くなった。
享年73歳。

さらばJB。
いろんな伝説をありがとう。


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1 コメント

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Unknown (飲食店の集客向上ブログ)
2006-12-28 19:35:16
JB残念です
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