私は会場に点在するレゴのオブジェを眺めなら、あることを思い出していた。
大学生活も終わりを迎える頃、卒業製作の映画とは別に(私は宮川一夫先生と森田富士郎先生を尊敬する大芸大生(※)だった)簡単なミュージカル作品の製作を計画しいていた。
これは往年のMGMのミュージカルに刺激されたり、当時大いに気に入っていたコッポラ監督の「One from the heart」に刺激されて、
「是非自分もユニークな映像を作りたい」
という欲求に駆られたのがきっかけだった。
この映像はレゴブロックで街並みを作り上げて、その中でドラマを展開させるというものだった。
誰が考えても学生が製作するにはかなり無理のある内容だった。
しかしアイデアだけは今もってしても面白いと思ったのだが、よくよく考えてみれば、ミニチュアセットとは言えレゴで街並みを作るのは並大抵のことではない。
今のように映像の合成をするのも素人の設備では簡単ではなかった。
それにブロックのセットを設置する場所は大学内のどこかに勝手に作ってしまえばいいものとしても、それだけのレゴを買い求めることが財政的に不可能なのであった。
当時私は学業のかたわら街のおもちゃ屋さんでアルバイトをしていた。
当時はトイザらスもなく、街のおもちゃ屋さんの役割は小さくなかった。
私の勤めていた店ではバンダイのキャラクターものはもちろんのこと、タカラのリカちゃん、トミーのプラレール、エポック社の魚雷戦ゲームなど定番のものをはじめ、やのまんのジグソーパズル、田宮のプラモ、任天堂の手品やトランプ(当時この会社が世界企業になるなんて夢にも思わなかった)、ルールがちっともわからなかったバックギャモンなどの大人向け玩具(成人向けではない)も販売していた。
この中に、大人も子供も楽しめるものとしてレゴブロックも取り扱っていた。
地域のおもちゃ屋にしてはかなりの種類のレゴを扱っていたのでお客も多かったが、私自身もレゴについての知識がかなり豊かになったものだ。
とりわけレゴについて得た大きな知識は、その仕入れの価格の掛け率がメチャ悪いことであった。
玩具というのはリスクの大変高い製品で、売れないとなるとちっとも売れない。
アイデアの粋をかき集め、あらゆる技術を結集して作り上げた、超高度な知的玩具であったとしても、気に入られなければちっとも売れない。
まるでギャンブルのようなプロダクトなのだ。
したがって、トイザらスなどが出現するまでは、だいたいの玩具は定価で販売されていたのだ。
それはリスクを回避するためのメーカーと販売店の知恵なのであった。
返品や売れないというリスクの小さいレゴでさえ、その範疇から外れることはなかった。
いや、むしろレゴはその競合製品が「ダイヤブロック」しかないことからも、強気で商売をしていたといっていいだろう。
なんとレゴの掛け率は定価の8割なのであった。
このように、ただでさえ高価なレゴを素人学生の映画セットに使えるわけもなく、私は無謀な計画を諦めたのだった。
ところが今眼前に広がるこの光景は、私が計画した撮影セットとは違っているものの、なんとなく建築物を表現するという点では非常に似通ったものであり、ある種の感慨に私の心は捕らわれていたのだった。
つづく
※大芸大とは「偉大なる芸術大学」という意味ではなく「塚本学園大阪芸術大学」の略。なお塚本学園は暗に「塚本が食えん」という意味でもない。
大学生活も終わりを迎える頃、卒業製作の映画とは別に(私は宮川一夫先生と森田富士郎先生を尊敬する大芸大生(※)だった)簡単なミュージカル作品の製作を計画しいていた。
これは往年のMGMのミュージカルに刺激されたり、当時大いに気に入っていたコッポラ監督の「One from the heart」に刺激されて、
「是非自分もユニークな映像を作りたい」
という欲求に駆られたのがきっかけだった。
この映像はレゴブロックで街並みを作り上げて、その中でドラマを展開させるというものだった。
誰が考えても学生が製作するにはかなり無理のある内容だった。
しかしアイデアだけは今もってしても面白いと思ったのだが、よくよく考えてみれば、ミニチュアセットとは言えレゴで街並みを作るのは並大抵のことではない。
今のように映像の合成をするのも素人の設備では簡単ではなかった。
それにブロックのセットを設置する場所は大学内のどこかに勝手に作ってしまえばいいものとしても、それだけのレゴを買い求めることが財政的に不可能なのであった。
当時私は学業のかたわら街のおもちゃ屋さんでアルバイトをしていた。
当時はトイザらスもなく、街のおもちゃ屋さんの役割は小さくなかった。
私の勤めていた店ではバンダイのキャラクターものはもちろんのこと、タカラのリカちゃん、トミーのプラレール、エポック社の魚雷戦ゲームなど定番のものをはじめ、やのまんのジグソーパズル、田宮のプラモ、任天堂の手品やトランプ(当時この会社が世界企業になるなんて夢にも思わなかった)、ルールがちっともわからなかったバックギャモンなどの大人向け玩具(成人向けではない)も販売していた。
この中に、大人も子供も楽しめるものとしてレゴブロックも取り扱っていた。
地域のおもちゃ屋にしてはかなりの種類のレゴを扱っていたのでお客も多かったが、私自身もレゴについての知識がかなり豊かになったものだ。
とりわけレゴについて得た大きな知識は、その仕入れの価格の掛け率がメチャ悪いことであった。
玩具というのはリスクの大変高い製品で、売れないとなるとちっとも売れない。
アイデアの粋をかき集め、あらゆる技術を結集して作り上げた、超高度な知的玩具であったとしても、気に入られなければちっとも売れない。
まるでギャンブルのようなプロダクトなのだ。
したがって、トイザらスなどが出現するまでは、だいたいの玩具は定価で販売されていたのだ。
それはリスクを回避するためのメーカーと販売店の知恵なのであった。
返品や売れないというリスクの小さいレゴでさえ、その範疇から外れることはなかった。
いや、むしろレゴはその競合製品が「ダイヤブロック」しかないことからも、強気で商売をしていたといっていいだろう。
なんとレゴの掛け率は定価の8割なのであった。
このように、ただでさえ高価なレゴを素人学生の映画セットに使えるわけもなく、私は無謀な計画を諦めたのだった。
ところが今眼前に広がるこの光景は、私が計画した撮影セットとは違っているものの、なんとなく建築物を表現するという点では非常に似通ったものであり、ある種の感慨に私の心は捕らわれていたのだった。
つづく
※大芸大とは「偉大なる芸術大学」という意味ではなく「塚本学園大阪芸術大学」の略。なお塚本学園は暗に「塚本が食えん」という意味でもない。