人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

セルゲイ・エイゼンシュタイン監督「ストライキ」、「戦艦ポチョムキン」を観る~全編に流れるショスタコーヴィチの交響曲第5番、第10番 / 「ショスタコ」 「タコ八」という言い方について考える

2019年01月16日 07時25分35秒 | 日記

16日(水)。わが家に来てから今日で1566日目を迎え、米政府機関の一部閉鎖が続く問題で、トランプ米大統領は14日、政府機関をまず短期間再開したうえで予算を交渉するという与党・共和党のグラム上院議員の提案を拒否したことを明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプ大統領は 民主党だけでなく 共和党の意見を聞く耳も持たないようだな

     

         

 

昨日、夕食に千葉県勝浦市在住の友人S君が送ってくれたカレイを煮つけ、アサリの味噌汁を作り、買ってきたタラコも用意しました タラコはインスタ映えするように3本出しましたが、健康のため1本しか食べませんでした

 

     

 

         

 

昨日、高田馬場の早稲田松竹でエイゼンシュタイン監督「ストライキ」と「戦艦ポチョムキン」の2本立てを観ました

「ストライキ」はエイゼンシュタイン監督・脚本による1925年ソ連映画(白黒・86分)です

1900年代初め、帝政ロシア治下の ある大きな鉄工場の労働者たちは苛酷な労働条件と低賃金に不満を抱いていた   彼らはロシア社会民主労働党(後の共産党)の組織を中心にストライキの準備を進めていた。不穏な動きを察知した経営者側は警察と軍隊に連絡し対策を協議した スパイが選ばれ、変装して労働者の中へ潜入していく 労働者たちはトイレや河の中、あるいはピクニックを装い討議を続けた。ある日、一人の労働者が道具箱を開けると高価な検尺器が盗まれていた 彼は職工長に報告したが、逆に泥棒の汚名を着せられた。彼は悩み、仲間に「自分は泥棒ではない」と遺書を書き工場内で首を吊る 真相を知った労働者たちの怒りは爆発し”ストライキ”が訴えられる。機械は止まり、工具は投げ出され、集会がもたれた ストライキの第1日目が明けた。闘争の勝利には誰もが楽観的だった。彼らは森で討議し、1日8時間労働、30パーセントの賃上げ等を決議したが、その時から資本家の反撃が始まった 騎馬警官隊が労働者たちを取り囲み、追い散らした。労働者たちは賃金が入らないために飢えが迫り、夫婦のいがみ合いが起こり、家財を売って生計を立てる家庭が出てきた。さらにスパイに見つかり捕らえられて買収される労働者も出てきた 労働者たちがストライキの継続を決めた時、指導者に逮捕状が出された。保安警察はルンペン・プロリタリアートのボス=地下の王様と手を結び、労働者街に放火させた 消防隊のホースは挑発に激高する労働者たちに向けられ、彼らを追い散らし、指導者を打ちのめして逮捕した 弾圧は始まった。騎兵隊が出動し群衆と対峙し、馬の脚の間に迷い込んだ幼児を救おうとした母親が銃の台尻で打ち倒されたことが衝突の口火となった。労働者街に残されたのは廃墟と死体の山だった。逃げ惑う群衆へ軍隊の一斉射撃が始まった。スクリーンに「諸君!この暴虐を忘れるな」の文字が浮かぶ

 

     

 

この作品は労働者と資本家の衝突をテーマに、ストライキが自然発生的な抗議行動から組織的な闘争へと発展するプロセスを描いた作品で、エイゼンシュテインの長編第1作に当たります 主要な登場人物を除き素人の労働者を登場させドキュメンタリーのような映像表現を展開しています

早稲田松竹のホームページに掲載された「セルゲイ・エイゼンゼンテイン特集」の作品解説によると、この映画ではドミトリー・ショスタコーヴィチの作品が使われているようなのですが、私にはたったの1曲も分かりませんでした 少なくとも比較的頻繁にコンサートで演奏される曲(交響曲であれ別の作品であれ)は使われていないように思います

 

         

 

「戦艦ポチョムキン」はエイゼンシュテイン監督・脚本による1925年ソ連映画(白黒・66分)です

 1905年6月、軍隊の度重なる敗北に伴い ロシア国内には労働者ゼネスト、農民の暴動、従属民族の反乱が相次ぎ、革命の機運がようやく軍隊の内部にまで高まってきた 戦艦ポチョムキンは労働者のゼネストが行われているオデッサの港からほど遠くないところに停泊していた。6月14日の朝、甲板の一隅に吊るされた牛肉の表面に蛆が群がっていたことから、水兵たちの怒りは爆発した そこに現れた先任士官ギリヤロフスキーにより水兵たちは追い散らされ、食卓には腐肉のスープが出された。しかし、誰一人それを手に取ることはなかった 緊急集合のラッパが鳴り渡り、甲板に整列した全員に向かい艦長ゴリコフは、スープに満足した者は前に出ろと命じ、出ない者は帆桁に引っ張り上げるように命じた。水兵たちは動揺した その時、水兵の一人マトウシェンコは水兵たちに砲塔の下に集まるよう呼びかけ、多くの水兵は従った。ギリヤロフスキーは衛兵に艦首に残った数名の水兵を撃つように命令した。間髪を入れずに指導者ワクリンチュクが「兄弟たち、誰を撃つつもりか!」と叫んだ その言葉に、衛兵たちの銃は下ろされた。ギリヤロフスキー再度命令したが、撃つ気のない衛兵を見てその手から銃を取り上げ水兵たちを撃とうとした。水兵たちは一斉に立ち上がり、軍医や艦長は海に投げ込まれた。しかし、ワクリンチュクもギリヤロフスキーの銃に倒れた このポチョムキンでの暴動のニュースはすぐ町中に広がり、多くの大衆の心を大きく揺さぶった。それから間もなくポチョムキンには黒海艦隊が鎮圧に来るという情報が入った 降伏か抗戦かを巡って激しい討論の末、ポチョムキンは抗戦することに決まった 夜になり、艦隊は姿を見せた。マトウシェンコの命令で、ポチョムキンのマストには「われらに合流せよ」の信号が上げられた。艦隊は射程距離内に入った。戦いか、死か、緊張した一瞬が流れた そして次の瞬間、ポチョムキンの水兵たちが聞いたのは、津波のように押し寄せてくる「同志!」という言葉だった

 

     

 

この映画の製作は1925年で無声ですが、モスフィルムにより1950年に発声版が作られ、さらに1976年に完全復刻版が製作されています

この映画では、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番 作品47」と「交響曲第10番 作品93」が有効に使われています 映画の冒頭では第5番の第1楽章「モデラート」の悲劇的なパトスに満ちたテーマが鳴り響きます 中盤では第2楽章「アレグレット」のスケルツォが行進曲のように流れます 艦長側と労働者側が対峙する場面では第10番の第2楽章「アレグロ」のスケルツォが両者を煽り立てます 有名なオデッサ階段の場面で、銃で撃たれた母親の手から赤ん坊を乗せた乳母車が階段を下っていくシーンでは第5番の第3楽章「ラルゴ」終盤の緊迫感に満ちた音楽が画面を支配します そして、映画の最終場面では第5番の第4楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」のフィナーレのティンパニの連打が労働者の勝利を歌い上げます

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906‐1975)の「交響曲第5番作品47」は、1937年4月18日から7月20日までの3か月の間に集中的に作曲され、同年11月21日のソヴィエト革命20周年記念日にエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより初演されました 一般的には、共産党による批判に応え得ないと判断して初演を中止した交響曲第4番に対し、第5番は「社会主義リアリズムの偉大な成果」「民衆に分かりやすい音楽」として受け入れられ、作曲家の名誉を回復した作品として評価されました

一方、「交響曲第10番作品93」は1953年12月17日、レニングラードでムラヴィンスキーの指揮で初演されました 重要なのは、この年の3月5日、「諸民族の偉大な統領」と神格化されていたスターリンが死去したという歴史的事実です ショスタコーヴィチが1945年に作曲した「交響曲第9番」は、1948年に共産党「ジダーノフ批判」の第1対象となり、スターリンの死を経て 前作から8年ぶりに作曲したのが第10番だったのです その意味では、共産党をはじめ誰からも制約を受けないで自由に作曲した交響曲と言えるかも知れません

映画の話に戻りますが、この映画には エイゼンシュテイン自身が神父役で出演しています 死んだふりをして、目を開けてまた閉じたりして、なかなかお茶目な面があるんだな、と ちょっと楽しくなりました

 

         

 

ショスタコーヴィチついでに、いわゆる「ショスタコ」「タコ八」という言い方・書き方について考えてみたいと思います

昨年のあるコンサートの休憩時間でのことです。3人の若者が立ち話をしているのをそれとなく聞いていたら、「ショスタコの7番がさあ・・・」とか、「タコ八は〇〇の指揮が一番だね」という言葉が聞こえてきました これを翻訳すれば、前者が「ショスタコーヴィチの交響曲第7番作品60”レニングラード”がさあ」で、後者が「ショスタコーヴィチの交響曲第8番作品65の演奏は〇〇の指揮が一番だね」ということです ご本人たちは、いかにも”クラシック通”のように得意げに話していましたが、個人的にはあまり感心しませんでした   タコ八って、タコの八っつあんじゃないんですから

当ブログをご愛読下さっている読者の皆さまはお分かりになると思いますが、toraブログでは「ショスタコ」とか「タコ八」とか書いたことは一度もありません 他の作曲家の作品でも、例えばベートーヴェンの「交響曲第7番イ長調作品92」を「ベト7」と書いたり、ブラームスの「交響曲第1番ハ短調作品68」を「ブラ1」とか書いたりしたこともありません もちろん「話し言葉」と「書き言葉」とでは多少言い方や書き方に違いはあると思います。一例を挙げれば、書く場合はいちいち「ショスタコーヴィチ」と書くより「ショスタコ」の方が簡単で、読む人には意味が通じると思うから、というようなことです

なぜ私が「タコ八」と書かずに ショスタコーヴィチ「交響曲第8番作品65」と正確に書くかと言えば、オーケストラの楽団員が上下黒の正装で演奏するのが「作曲者に対する敬意の表れ」であるのと同じ理由によります 私は基本的にひと様のブログは見ない主義なので、どなたがどのように書かれておられるのか知りませんが、いわゆる”クラシック通”は省略形で書いているケースが多いのでしょうか? 私はクラシック通でも何でもない ただのクラシック音楽好き に過ぎないので、これからも作曲者に敬意を表して正確に書いていくつもりです

 

     

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