17日(木)。わが家に来てから今日で1567日目を迎え、英議会下院は15日夜、欧州連合(EU)と合意したEU離脱案を採決し 230票差の圧倒的な反対多数で否決した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
野党の労働党から内閣不信任案が提出されたので メイ首相は一層メイ走しそうだ
昨日、夕食に「豚こまポークケチャップ」と「インゲンの胡麻和え」を作りました 「豚こま~」は簡単で美味しいです
5月1日(水・祝)午後2時からトッパンホールで開かれる葵トリオ(ミュンヘン国際音楽コンクール「ピアノ・トリオ部門」優勝)のチケットを取りました 葵トリオはヴァイオリン=小川響子、チェロ=伊東裕、ピアノ=秋元孝介の3人から成るユニットです プログラムは①ベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70‐1」、②マルティヌー「ピアノ三重奏曲第3番」、③メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番ハ短調作品66」です 葵トリオの演奏を聴くのは昨年12月14日以来 2度目ですが、今回はメンデルスゾーンに期待します
昨日、神楽坂のギンレイホールで「運命は踊る」と「判決、ふたつの希望」の2本立てを観ました
「運命は踊る」はサミュエル・マオズ監督による2017年イスラエル・ドイツ・フランス・スイス合作映画(113分)です
テルアビブのアパートに暮らすミハエルとダフナ夫婦のもとに息子ヨナタンが戦死したという報せが入る 悲しみにくれる中、同姓同名の兵士の死の誤報だったことが分かる 安堵するダフナとは対照的にミハエルは怒りをぶちまけ息子を呼び戻すよう要求する 一方、ヨナタンは仲間の兵士たちとラクダや車が通る検問所で、やや間延びした時間を過ごしている。ある日、若者たち4人を乗せた車がやってくる。いつも通り検問に当たった彼らだが、車のドアから転げ落ちた缶ビールを手榴弾と勘違いしたヨナタンは若者たちに発砲してしまう 上層部の判断で事件は無かったことにされる。父親によって国に呼び戻されるヨナタンが乗る車の前に、急に鹿が飛び出してきたため運転手は急ハンドルを切った。その先は急な崖だった
原題は「FOXTROT」という踊りです。映画の前半で老人たちが踊るシーンがあり、中盤では検問所でヨナタンが踊るシーンがあり、終盤ではミハエルとダフナが踊るシーンがあります 「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ」とステップを踏むと元の場所に戻ってくる つまり、この映画は FOXTROT のごとく、どうあがいても同じところに戻ってくる親子3人の運命を描いています 最後のシーンを観て、やっぱりヨナタンは「誤報」のままでは終わらない運命にあったんだな、と思いました
この映画では、検問所で見張りを続けるヨナタンが、双眼鏡で多くの鳥の群れが飛び交うのを見るシーンで、マーラーの「交響曲第5番」の第4楽章「アダージェット」が流れていました ルキノ・ヴィスコンティ監督「ヴェニスに死す」(1971年)でこの曲が全編を通してテーマ音楽のように流れていたのはあまりにも有名です
この曲で忘れられないことがあります 1980年代のことだったと思います。愛すべきエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928-2002)がNHKホールでN響を指揮してマーラーの「交響曲第5番」を演奏した時のことです 第4楽章に入ると、どこからともなく一羽の蝶々が舞い込んできて、ステージ右サイドのコントラバス奏者の頭上から左の方向へ、チェロ、第2ヴァイオリン、そして第1ヴァイオリンの”上空”を横切るように舞っていき、第4楽章が終わるとほぼ同じくらいに客席のどこかに消えていったのです 楽員たちも演奏の合間に上空を舞う蝶々の行方を目で追っていました。蝶々は あたかもこの曲を知っていて オケとの蝶々発止のやり取りを楽しんでいるかのように舞っていました 不思議な体験でしたが、どうやら指揮に専念していたスヴェトラーノフだけが蝶々の存在に気が付かなかったようです
「判決、ふたつの希望」はジアド・ドゥエイリ監督による2017年レバノン・フランス合作映画(113分)です
レバノンの首都ベイルートで、パレエスチナ難民で住宅修繕工事の現場監督ヤーセルは、キリスト教徒で部屋の住人トニーと工事を巡って争いになる トニーの発した侮辱的な言動で傷ついたヤーセルはトニーを殴って怪我を負わせる その後もお互いの言動がエスカレートし、ついには法廷闘争にまで発展する。両者の弁護士が論戦を繰り広げる中、メディアが大々的に取り上げたことから事態は国全土を揺るがす騒乱へと発展していく
この映画を観て 真っ先に感じたのは、特に中東地域に生まれた人々は、民族、宗教、政治など複雑で繊細な問題を抱えながら生きていかなければならない運命にある、ということです 原題はTHE INSULT(侮辱)ですが、この映画は、ちょっとした侮辱的な言葉でも、民族や宗教が違えばとんでもない方向にいってしまうことを教えてくれます。映画で描かれている”事件”は世界のあちこちで現実に起こっているのだと思うと同時に、悲劇の歴史は教訓にならないのか、と もどかしさを感じます
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