人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

吉田秀和「音楽展望」に思う

2011年02月22日 20時48分11秒 | 日記
先週土曜日(2月19日)の朝日新聞文化面に吉田秀和氏の「音楽展望」が載った。タイトルは「ああ相撲!勝ち負け、すべてではない」。最近の大相撲の八百長事件に触発されて書かれたものと思う。コラムは最初から最後まで相撲の話に終始している。どこに「音楽の展望」があるのか?

吉田秀和といえば、音楽に止まらず美術を含めて芸術全般について評論活動を展開してきた大御所である。かつて往年の大ピアニスト:ホロビッツの来日公演のとき、日本の音楽評論家たちが当たり障りのない批評を書いていた中で、彼は「ひび割れた骨董品」という言葉を使い、やんわりと、いや、明確に技術の衰えを指摘したものだ。

彼の音楽評論の中で今でも忘れられない表現がある。それは今から20年ほど前にカラヤンがベルリン・フィルを指揮して録音したモーツアルトのディベルティメント第15番K287のアダージョを評して「脂ののったビーフステーキのような」演奏だ、と書いたのだ(表記は正確ではないかもしれない)。この文章を読んだ時「まさにピッタリの表現だ!」「あっさりした演奏ではないし、分厚いステーキのような重みのあるこってりした演奏だ」と思った。抽象的な事柄を身近な事象に置き換えて表現することができる、さすがは吉田秀和!!と思ったものだ。

「音楽展望」は長年にわたり定期的に(月に1回?)朝日新聞に連載されてきたが、何年か前にドイツ人の奥様を亡くされてから急激に執筆意欲が減退しペースが落ちたと聞いていた。最近では、不定期に、忘れた頃に掲載される程度になってしまった。

さて「ああ相撲!」の音楽展望に戻る。以前から彼は「音楽展望」のタイトルとは無関係のことを取り上げてきたことが少なくない。太っ腹な朝日は「コラムの名称がどうであれ、内容は吉田秀和氏にいっさいお任せして書きたいことを自由に書いてもらおう」という方針にいつかの時点で転換したのではないか。しかもかなり早い時点で。新聞社としてはそれでよいのかもしれないが、読者としては「音楽展望」に何を求めたらよいのか?正直に言わせてもらうと、われわれ読者は「音楽展望」のタイトルで書くからには音楽を取り上げてほしい。その中で、「ビーフステーキのような」という分かり易い言葉で批評してほしいと思う。

しかし吉田秀和氏も今年で98歳!そのように望むのは無理なことなのかな・・・さみしい気がする。





コメント (1)
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