明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(749)福島原発事故の真の収束のために私たちは何をすべきか 中

2013年10月07日 23時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131007 23:00)

前回の講演文字起こしの続きです。

福島原発事故の真の収束のために私たちは何をすべきか 中
2、今必要なのは避難訓練!

この危機に対してどうやって対処したらいいのか。東京や関東、東北の方とお話しすると、みなさん、4号機や原発サイトが危ないという意識はある程度はあるのですが、お手上げ状態なんですね。そういうことが起こったらどうするかといっても自分が現場にいって止めることはできない。
だからそういう事態になったら、みんなが滅んでしまうのだから、そんなことを考えても仕方がないという風になりがちです。それは間違いです!
僕がずっと主張しているのは、関東、東北は広域の避難訓練をぜひともやるべきだということです。絶対にやるべきです。西日本はどうなのかというと、ここでも原発事故に備えた避難訓練はぜひともやるべきです。
日本中に原発があります。今、すべてが止まっていますが、危険な燃料がプールなどに入っています。原発がすべて廃炉になり、燃料が安全なところに安置されるまで、危機は続くのです。

実は僕は今、兵庫県篠山市の原子力災害対策検討委員会に入って、避難計画を作っている最中です。だけどリアルに避難計画を作ろうとすると、少しでも被曝を減らして犠牲者を少なくするしかなくて、全員が逃げるのはとても無理なのです。
例えば京都府の舞鶴市はもうお手上げ状態になっています。なぜなら舞鶴市は一気に逃げるためには600台のバスが悲痛用で、それなら10時間半で避難が必要とされる13万人が移動できると試算されています。
その場合、600台のバスをどこから持ってくるかが問題になります。それで舞鶴市が京都のヤサカ観光バスに問い合わせたそうです。するとヤサカ観光バスは74台のバスを持っているけれども、常時70台ぐらいは使われているので、緊急に集められるのは4台ぐらいしかないという。
さらに他のバス会社が重大な発言をしました。「協力したいが、運転手に『放射線の高い所に行け』とは言えない」。これは実に重要な問題です。危険な時に誰が迎えに行くのか。

この点は篠山市でも悩んでいます。重篤な病を持った方、障がいを持った方がおられて、すぐに逃げ出すことができません。その方たちを守る絶対的な必要性があります。それだけではなくて、小さいお子さんや妊婦さんなどもすぐには逃げにくい。だからこうした逃げにくい人をいち早く逃げ出す体制を作る必要があります。
しかしそうなると、反対に最後には誰が残るのかが問題になる。その人は自力ではすぐに逃げられるけれども、自ら被曝の可能性をおかしながら、人を助けなくてはいけない。
篠山市の職員の方には「自分がそれを担います」という方が多くおられるのですが、それでも僕はその方たち、とくに若い方たちに業務命令としてその役割を担えと言えるのか、大変、悩んでしまいます。すごく深刻です。

こうした仕事は火事現場で活躍している消防士の方たちなどが現に常に担っています。それに準じることができるかもしれませんが、そこで思い悩んでしまうのは、政府の被曝基準が非常に甘いので、人を助けるために被曝した人の保証がどれだけなされるのか大きな不安があるということです。
というか、実際に福島原発事故で、たくさんの公務員の方が、業務中に被曝されながら、健康調査すら受けていない場合が大変多くあるのではないでしょうか。
いやそれだけではなくて、今、行われている福島第一原発のサイトでの事故収束作業もまったく同じです。多くの方が被曝しながら働いています。その健康補償はちゃんとされるのでしょうか。大きな疑問があり、監視が必要です。

しかしこうしたいざというときのための計画は、各原発の周りで立てておかなければならないのです。原発が稼働していなくたって大災害になる可能性があるからです。悩ましい計画をみんなで作っていかざるをえません。
そうした計画を住民参加で作り、少しでも避難を円滑にすすめるための教育は訓練を行うことが、今、日本中に問われているのです。


3、広がる健康被害

さらにもう一つ、重要な問題があります。健康被害の問題です。福島の方の中には、安倍さんの嘘のうち、「今現在も、未来においても、健康被害はまったくない」と言ったことが一番許せないと言われる方もいます。
なぜかというと、現在まで、原発事故で亡くなられた人は、推定で1300人以上いるのです。これは原発関連死という概念で数えられたものです。
もともと復興庁が「震災関連死」という概念を出しています。震災関連死というのは、津波や地震で亡くなった方ではなく、その時は助かったのだけれど、それ以降に、避難などをしている最中に亡くなられた方のことを指します。
その震災関連死を、今、原発のことで一番頑張って良い記事を書き続けている東京新聞が、原発災害に当てはめて、「原発関連死」という概念のもとにカウントを行いました。

福島の方たちは、津波の被害で避難しなければならなかった方よりも、原発事故のせいで避難しなければならなくなった方の方が多いのです。原発事故がなければ逃げなくてもよかった方です。
その方たちが避難の途中で亡くなったことが「原発関連死」とされているわけですが、これが今年の3月の調査で910人と数えられています。
ただし400人以上の震災関連死の出ている南相馬市などが、原発関連死のもとでの推計をしていません。その部分が未カウントなのですが、市の職員の方に聞くと、ほとんどが「原発関連死」にあたるということで、それをプラスすると1300人以上という数になるのです。

つまり低く見積もっても、東京電力は1300人以上をこの事故で殺したのです。浪江町という原発の近くの町の議会が安倍さんの発言に抗議声明を出しました。浪江町で原発関連死で亡くなった方は271人です。
僕はこの方たちは、高濃度の放射能を被って、その害でも命を縮めていると思います。もちろん避難のストレスそのもののとても大きかったでしょう。人間の死は複合的な要因によってもたらされます。東京新聞は死因まで特定していません。しかし原発関連死ということで1300人以上が亡くなっているという事実が明確にあるのですね。
なのに東京電力は誰一人つかまっていません。訴追はされたけれど無罪になってしまいました。1300人殺したけれども無罪になるというそういう状態がまかり通っているのです。

さらに健康被害はすごく出てきています。この点についても政府はなかなか認めようとしませんけれども、今、起こってきているのは福島の子どもたちの甲状腺のがんです。どれぐらい起こっているのかと言うと、19万3千人を診察して、43人の子どもがほぼがんだろうということになっています。
ところがその検査のあり方をよく見てみると、1次検査をやって危ない子どもをあぶりだして、二次検査で確定していくのですね。ところが二次検査はまだ半分しかやっていないのです。19万3千人のうちの43人ではなくて、19万3千人の半分のうちの43人なのですね。だから単純に考えれば倍になります。
ただしヨウ素がより流れた地域の子どもが後回しにされたりしていて、倍以上になる可能性もあるのですが、この19万3千人のうち、大雑把に考えても80人以上の子どもたちが甲状腺がんになっているのではないかと思われます。
この病気の大人の発症率は子どもの10倍ぐらいありますから、そうすると福島には今、わかるだけでも800人以上の大人たちの甲状腺がんが発症している可能性がある。しかも子どもの検診とてまだ半分ぐらいです。子どもたちも大人ももっとたくさん、患者、犠牲者が出てくる可能性があります。

この甲状腺がんの発症の国際水準は100万人に1人であると言われています。今、福島で起こっていることは100万人に400人以上の数です。にもかかわらず政府はこれは原発のせはないと言い放っています。
しかしもしそうだとしてもこの400人とは何なのか。ほかの深刻な要因があることになります。だからいずれにせよ福島の子どもたちに深刻なことが起こっているのは間違いないのです。
僕自身はやはりこれは原発の放射能のせいだと思います。さらにそれだけではなくて、今の日本の子どもたちは、チェルノブイリの原発事故のときの子どもたちに比べて、大変な量の化学物質の暴露を受けているので、その複合的な要因で病が激発しているのではないかとも思えますが、とにもかくにも、福島の子どもたちの甲状腺がんがどんどん出ていることはもう事実としてあるのです。

最近、話を聞いた東本願寺のお坊さんが二本松で経営している幼稚園の卒園児でも、1人、甲状腺の手術をすでにした子がいると言っていました。
僕の京都の友人で40歳台の女性がいるのですが、彼女の宮城県の高校時代の友達にたまたま電話したら、甲状腺全摘出手術をした直後だったそうです。そういうことがどんどんおこっているのです。

さらに放射能の害は何かしら癌にしかならないような言い方がされていますが、これまでの調査で他のいろいろな病気を引き起こすことも分かっています。
とくにベラルーシーのゴメリ大学でバンダジェフスキーという医学博士が、チェルノブイリ原発事故の犠牲者の遺体解剖をたくさん行ったところ、恐ろしいことに心臓をはじめとしたあらゆる臓器にセシウムが入っていたそうです。
心臓に入ったセシウムは心不全を引き起こします。それで亡くなっている方が多い。僕は東北・関東にいろいろな形で関わっていますが、取材をしていると本当に、突然死の情報が入ってくることが多い。福島だけではないのですよ。

ぞわっとしたリアリティを感じたことをお話しすると、僕は三陸海岸にもボランティアに行っています。そこのある町のお寺さんで放射能の話をさせていただきました。放射線測定をすると汚染がしっかりと確認されてしまうところです。
そのとき前日に和尚さんと打ち合わせをしたのですが、和尚さんが「放射線の害はがんに現れるのですか」と聞かれるのです。それで僕が心不全による突然死の話などをすると、和尚さんがため息をつかれて「それでですか。最近、突然死のお葬式ばかり出すのです」とおっしゃったのです。

こういう話はいくらでもあげられます。あるとき川内村にいた方にお会いしたのですが、その方の知人が、最近、一週間に5回もお葬式に出られたというのです。
それで南相馬の方にお会いした時に、そのことを話したら「さすがにそんなことはない」と言われました。「それではどれぐらい?」と尋ねると、その方も初めて、今年になって出られた葬儀の数を調べてみた。そうしたら12日に1回の割合で出ていたことが分かりました。
みなさん、考えてみてください。これまで12日に1回の割合でお葬式に出たことがあったでしょうか。
あるいは僕が話をしている仙台の方は「うちの両親の悩みは、最近、喪服をしまう暇がないことだ」と言われました。

これらの一つ一つの死について、僕もすべてが放射能のせいだとは思っていません。それこそ避難のストレスによって体を悪くされた方もいるでしょう。あるいは放射能以外の重金属の化学物質の影響もあるのではと思えます。
しかしそうした状態の中で放射能も降ってきていて、それらの複合的な要因で体を悪くされてしまったのではないでしょうか。

続く


 

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明日に向けて(748)福島原発事故の真の収束のために私たちは何をすべきか 上

2013年10月04日 11時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131003 11:30)

下京福祉事務所職員組合のお招きで、お昼にお話をしてきました。「福島原発はその後どうなっているのか」を聞きたいという要請でした。
昼休みで、みなさんご飯を食べながらの場だったので、最初に、楽しく食べたいご飯のときに、しんどい話をすることになるので申し訳ないとお断りを入れて話し始めました。以下、話の内容の文字起こしをお送りします。


「福島原発事故の真の収束のために私たちは何をすべきか」上
1、瀕死の状態にある福島原発と向き合おう!
守田敏也 2013年10月3日 京都市下京区役所にて 

まず群馬大学の早川先生の放射能汚染マップをご紹介します。これで大きく見て欲しいのは、放射能の汚染は福島県に限らないということです。東北、関東の非常に多くの地域で濃度の高い放射能が降っているのです。
ではどの辺まで汚染が来ているのかというと、長野県を東西に二つに割ったラインから愛知県に降りてくるぐらいまで、高い汚染が認められます。京都はどうなのかというと、うっすらとした汚染はありますけれども、東日本と比べると雲泥の差です。
チェルノブイリ原発事故では、1000キロ、2000キロ離れた所でも高濃度の汚染がありました。その感覚から言うと、京都で福島原発からの距離が600キロぐらいですから、西日本は奇跡的に汚染を免れたといえます。
それだけにこの西日本のきれいなポテンシャルを使って、いかに東日本を支えていくのかということがとても重要な問題だと思います。

今の原発の状態ですが、この間、東京五輪招致の発言で、安倍首相が、「原発は完全にコントロールされている」とか「汚染水は完全にブロックされている」という発言をしました。まったく嘘ですね。
あの発言に対して福島の方がなんと言ったのかというと、「ああいう発言が自分たちを一番傷つける。原発がコントロールできていないから、汚染水がブロックできていないから、福島の人は苦しんでいるからだ」ということでした。「それを考えると許し難い」と。

では状態はどうなっているのかというと、福島原発は今、瀕死の状態です。プラントとして完結していないのです。人間でいえば、病院の中で重篤な状態で、いっぱい管がつけられている状態です。スパゲッティ症候群です。そのためどれかの管が外れてしまうともうどうなるかわからない状態なのです。
しかも1号機、2号機、3号機は燃料が溶け落ちてしまって、放射線がものすごく高くて、とても近づくことができないのです。これは決定的な問題です。近づくことができないということは中で何が起こっているのか、はっきりわからないということなのです。
人間が近づけないならロボットを見にいかせればいいではないかと思う方もおられるかもしれませんが、何度もやっているのです。放射線はそのロボットの容易に壊します。あまりにも放射線が高いので、ロボットも途中で止まってしまうのです。
だからドロドロに溶けて落ちていった燃料がどの辺にあって、どんどん入れている水がどれぐらいあたっているのか、もう何もかもわからない状態なのですね。

4号機は上のほうに大量の燃料棒があります。ほかの原子炉にもあるのですが、ここに一番たくさん入っています。燃料棒というのはプールに入っていて、この水が抜けてしまうと、冷やすことができなくなります。
そうすると溶けだして、ものすごくたくさんの放射能を出してしまいます。もしこの時点で水を補給できなければ、もう福島原発サイトから撤退しなければならなくなります。その場にいれば、すぐに死んでしまいます。
そうなるとどうなるのか。ほかの原子炉の手当てもできなくなるのです。つまり福島のサイトでは一つうまくいかなくなると全部だめになるのです。5号機や6号機もだめになる。
さらに最悪なことにもう一つ共用プールというのが地上にあって、そこには1万本以上の燃料棒が入っているのです。これらが全部だめになるとどうなるのか。軽く見積もっても東日本壊滅です。そういう危機が私たちの目の前にまだあるのですね。

2011年末に出された毎日新聞の記事をお見せします。ここには「最悪170キロ圏が移住」と書いてあります。実は2011年3月に、日本政府が、4号機が倒れるのではないかということで、そのことにどういうことが必要なのか、シミュレーションしていたのですね。
当時、菅首相の記者会見で、出てきた菅さんがしばらく何もしゃべらなかったことがあるのを覚えていらっしゃるでしょうか。涙目でしばらく立ち尽くしていました。あれはこのときなのですよ。4号機が倒れる可能性があった。
そのときに内閣で試算したのは、最悪170キロ圏強制移住です。東京を含む250キロ圏が、希望者を含めた避難区域です。この場合、強制移住しなければならない人の数が3000万人だそうです。
それで自衛隊に作戦をたてよとの命令が出ていました。のちに統合幕僚幹部が漏らしているのですが、これを聞いて、自衛隊の側は絶望したそうです。自衛隊がいっぺんに動かせるのは数千人程度。それはそうでしょうね。3000万人なんてまったくのお手上げ状態です。

重要なことはこの危機がまだ去っていないことです。それが最も重大なことです。あそこはプラントとして完結してないのです。完結しているとは、何かがあったときに耐えうる体系が確保されていることです。
ところが完結していてすら、地震であれだけやられてしまったのです。そして今も応急手当てを繰り返している状態です。ですから一番恐ろしいのは大地震です。前回の地震に対する大きな余震ですね。
これまでも震度5強ぐらいのものはたくさん起こっています。何度も揺さぶられています。そこに大きな余震として震度6とか7のものとかが来る可能性があります。そのとき福島原発が耐えうる保証はまったくありません。まったくないのです。
そのような地震が来るときはほかの原発サイトも壊れる可能性があります。福島第二原発や女川原発がです。もともと私たちは長くこうした危機の前に立たされてきたのですが、福島原発はかなり壊れているので、危険性ははるかに高いです。今、日本が、いや世界が重大な危機の前に立っているということを知って欲しいのです。

最近、福島の方の話を聞いたら、その方の知り合いの方も、原発サイトにいかれているそうなのですが、朝、「今日も地球を守ってくっから」といって原発に向かうそうです。そういう形で仕事をしているのが現状です。
だから安倍さんの発言はただの嘘ではすまないのです。ああいう発言が危機を深めるのです。なぜ危機を深めるのかというと、今、私たちがしなければならないことは、福島原発が抱えている危機に対して、きちんと向き合うことだからです。
みなさん。今年の3月にあったことを覚えていますか。ねずみが配電盤をショートさせて、すべてのクーリングシステムがダウンしてしまいました。あのときに電気配線の基礎を知っているかたたちは、「なんでいまだにそんな配線をしているのか」といって怒りました。
配線をするときは、ショートして電気がいかなくなることがありうることを前提にする。だから重要な施設には一つ一つに独立で配線するのが常識なのです。ところがすべての原子炉のクーリングシステムを一つの配線でつないでいたから、一か所、ネズミがショートさせただけで、全部が止まってしまったのです。電気配線における非常識です。

ところが現場を責められないのです。なぜかというと、大変な高線量なので、普通の常識で考えられるような仕事ができないのです。だからその点だけ責めると現場はかわいそうなのですよ。
このときは僕も青くなりました。僕は次の危機は大地震によってもたらされると思っていました。ところがネズミでもそういう危機が来てしまうのかということで、本当に恐ろしくなりました。それが私たちの前に、今、あることなのです。

安倍さんはそういうことを全く無視して、現実を見ようとしていません。何なのでしょうね。第二次世界大戦に突入した時の日本政府ととてもよく似ていると思います。
強いという意味ではないですよ。みなさん、ご存知ですか。NHKスペシャルで放映されたことがあるのですけれども、第二次世界大戦に突入した時に、日本政府の天皇の前で行う御前会議に出ていた大臣たちの中で、アメリカに勝てると思っていた人は一人もいなかったのそうです。
一人もいなかったのですよ。ところがアメリカは日本に中国から撤退しろという要求を突き付けました。すでに日本兵が20万人死んでいました。だからここでアメリカの要求を飲むと国民に何を言われるか分からないと思ったのです。
それで陸軍は海軍に無理だと言って欲しかった。海軍は陸軍に言って欲しかったのです。そうやって誰もが責任をなすりつけあっている間に、誰も、勝てると思ってはいない戦争に突入していったのです。それが日本の姿でした。
そのことが何ら罰せられていないし、責任をとらされていないのです。それで日本国民だって300万人死んだし、日中戦争を合わせると、アジアで数千万人を日本軍が殺したわけです。そういう歴史がただされていなくて、安倍さんも現実の危機をまったく見てない。

それで7年後のオリンピックなんて、僕はできるわけがないと思います。なぜか。汚染がどんどん進んでいるわけです。汚染水だってどんどん漏れてしまって、昨日も、今日も、また新しく漏れたという話が出ています。
ちなみに東京電力は今、政府に対して決定的に有利な立場になってしまったのです。東京電力は自分を守ることについてはとても頭がいいですよ。だから安倍さんが発言をした翌日には記者会見をして、「いやいや、コントロールなんてできていませんから」と発言しました。
その後に、実はあのタンクも漏れていた、あそこも漏れていたという情報をどんどん出しているのです。なぜかというと、今、東電がいくら漏れているといっても、政府がかばわざるを得ない立場に立っているからです。

安倍さんの発言を政府としては守っていかざるをえないとなっている。東京オリンピックを獲得するために、世界に公言してしまったからです。
だから東電はここぞとばかりに、実はここも漏れていると言い出しています。しかし実際はどうなのかというと、汚染水漏れは、昨日、今日、分かったことではないのです。構造的に2011年のあの事態から止まってないのです。
ではどれぐらい漏れているのかというと、1日あたり、政府の試算で300トン、東電の試算で400トンです。400トンですよ!それだけの地下水が、建屋にたまっている高濃度の汚染水と触れてから海に流れているのです。だからコントロールされているなどという事態ではまったくありません。

何よりもみなさんに、こうした大変な危機が今、私たちの前にあり、それと向いあわなくてはいけないのだということを知って欲しいのです。

 

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明日に向けて(747)福島の声をもっといろんな人たちに知って欲しい!(真行寺佐々木住職談)下

2013年10月02日 08時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131002 08:00)

福島県二本松市の真行寺佐々木住職の発言の後半をお送りします。
なお佐々木さんの発言の最後の方に「悲願」という言葉が出てきますが、これは佐々木さんの前に話された長田さんの講演内容を受けたものです。長田さんはそこで「悲願」について述べられましたが、これは仏教、とくに真宗のみなさんにとってとても大切な言葉です。
真宗大谷派のホームページを開いてみると、悲願について「仏・菩薩が衆生の苦しみを救うために誓われた願のことで、特に阿弥陀仏の本願をさす言葉」という説明が出てきます。これを頭の隅に置きつつ、まずは発言後半をお読みください。
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/word/word60.html

*****

福島の声をもっともっといろんな人たちに聞いて欲しいし知って欲しい(下)
佐々木道範

二本松というところに僕は住んでいますが、原発から50キロぐらい離れています。そこに浪江町というところの人たちが二千と何百人か避難されてきています。二本松市には浪江町の役場もあります。
二本松の人はあまりよく言わないのです。避難してきた人のことを。「だってあいつらお金をもらってるんだべ。日中パチンコやって、夜は酒を飲んで」というような偏見がありました。実は僕もそう思っていた。だってパチンコ屋にいったらいっぱい車があるから。補償金もらって、いい暮らしをしているんだなって。

でも僕の後輩がエアコンの工事で、浪江の人のアパートに行ったときに、エアコンの工事だから家の中に入っていきます。そうしたら昼間っからお父さんが飲んだくれている。寝たきりのおばあちゃんがいて中学生ぐらいの娘さんがおばあちゃんの世話をしていて。それで2階にいったら、高校生ぐらいの女の子が、夏ですよ、こたつに入ったまま、ずっとテレビを観ている。
「エアコンの工事をさせてください。失礼します」と言っても何の反応もなくて。ずっと、エアコンの工事が終わるまでテレビを観ている女の子がいて。それで工事が終わって帰ろうとしたら、お母さんの遺影があって。津波で亡くなったのですよね、お母さんは。
その工事をやった後輩が「浪江の人たちは金もらっていい暮らしをしてるって思ってたけれど、ぜんぜん、幸せそうに見えなかった」と言いました。
お金じゃないんですよね。僕たちが放射能によって奪われたものは。なんていうのかな。福島の人たちの生きざまだったり、誇りだったり。大切なものをね、この放射能によって奪われてしまったのです。僕はどうにか取り戻したいと思うけど。

南相馬市に原町別院(注 真宗の寺院)があります。そこの門徒さんが7人自殺されました。70、80のお年寄り、おじいちゃんたちです。南相馬市は子どもが6割ぐらい避難しています。お母さんたちも一緒です。おじいちゃん、おばあちゃんたちは元気がない。作付もできない。
福島は自然が豊かなところでね、本当に自然とともに生きていた人たちがたくさんいたのですけれどね。そういう生き方を放射能が奪ってしまって。おじいちゃんたち、おばあちゃんたちが自殺しているという事実もなかなかニュースにならないしね。
農薬を飲んじゃうんだって。発作的にね。昨日、お茶を飲みに寺に来ていたのに、次の日に農薬を飲んで死んでたってね。
南相馬の別院で頑張っているご夫婦がいるんですよ。もう2年半ですよ。なんていうのかな。背負っているというか。苦しみや悲しみを聞き続けているのですよね。そのおじいちゃん、おばあちゃんたちがつぶれないかなって、おれ、心配でね。月に何回かコーヒーを飲みにいくんですけど。

そういう人たちと、僕は出会い続けたいなと思います。僕は、胸が痛いけど、でもこの胸の痛みが、本当に生きるということなのかなと最近は思ったり。無関心に、自分の都合の悪いことを知らずに生きていくことよりも、悲しみや苦しみと出会って、胸が痛くなりながら生きている方が、僕は本当に生きているような気がします。

二日前に岩手の真宗会館でお話しさせてもらいました。そこに旗がかかっていて、「いのち皆、生きらるべし」って書いてありました。「これをスローガンにやってきたんだ」と真宗会館の館長さんが言っていましたが、いい言葉だなと思いました。キリスト教のリルケという方の詩の言葉だそうですけれども。
でも「大経(注-大無量寿経)の『皆当往生-今まさに往生すべし』という言葉じゃないかな」とその館長さんがおっしゃっていて。福島のみんなにも伝えないなと思って、旗を一つもらってきました。

浄土真宗って、成仏ということよりも往生を大事にする教えだと思うのです。本当に生きるという。僕ら一人一人がね、本当に生きるってどういうことなのかなって、考えなくてはいけないのではないかなと思うし、震災があって、僕の価値観や、僕を根底からひっくり返したなあ、ひっくり返されたなと思います。
一番、震災で感じたのは、さっきもいったけど、国が人間を見捨てるのだなということと、だから僕が自分で感じて、考えて、自分で行動する、歩みだす、それが大切なことなのだなあって、この震災で教えてもらいました。
本来は、当たり前のことだと思うのです。人として人間として、生きていく上で、自分で考えて歩みだしていくということはね。でもそういう生き方を僕はしてこなかった。やはりいろいろなものに流されて、無関心に生きてきたのですよね。
でもだからこそ、人間が人間と出会っていける、1人が1人と出会っていける場を作っていきたいと思うし、出会いを大切にしていきたいと思います。

震災後、NPOで活動していますが、何が正しいか自分でもよく分からないんです。子どもたちを守るためにということで、子どもたちの口に入るものの放射線の測定とか、子どもたちの内部被曝の検査とか、あとは除染、暇さえあれば除染をしています。子どもたちを保養につれていったりとか。考えられることはみんなやろうと思ってやっていますが、それが正しいのか間違っているのか、ぜんぜん分からない。
僕が除染することで、福島から避難する人が減るんだと。「だからお前は子どもたちを殺しているんだ」ということをね、何度も言われました。なんとなく言っていることは分からないでもないですが、でもそこに生きている人たちがいるんです。そこに生きている人たちがいる以上、僕は一生、除染するんだろうな。

僕もみんな避難して、福島がきれいになってから戻ってきたらいいと思うけれど、なかなかそうはならなくて、もちろんそこに生きている人たちがいます。その人たちに僕は何ができるのか。子どもたちに少しでも被曝して欲しくない。僕もしたくないですよね。被曝なんか。
被曝していい人間なんていないですよね。でも僕が被曝しなかったら、誰かが被曝するし。よくは分からないけれど、僕ができることは僕がやろうと思うし。

今の原発もそうです。6割から7割の作業員は福島の人たちです。僕の知り合いも、未だに原発に行っています。朝、「地球を守ってくっから」つって。たまらないですよね、それは。
なんで被災した福島の人たちが、被曝し続けて、原発を止めようとしているのか。でもその人たちがいなかったら大変なことになってしまうし。そこもみんなに知ってほしい。福島の人たちが、今も被曝し続けているお蔭で、原発が何とか保っているということをね。事実をきちんと知って欲しいと痛切に感じています。

最後に、原発事故で分かったことがあります。それは間に合わないんだということです。僕も暇さえあれば除染をしているけれど、僕が死んだって放射能なんかなくならない。僕がどんだけ除染しても、福島は広いんですよね。中途半端で死んでいくんだって、それだけは分かっています。
でも少しでも福島をきれいにして、次の世代にバトンタッチしたいのですよね。僕が生きてる間に福島がきれいになるはずなんかないことも分かっています。でも、僕はやり続けます。それしか考えつかないんですよね。どういうふうにして生きたらいいか、僕にも分からない。でも少しでもきれいにして次の世代に福島を残して生ききりたいなあって思ってます。

さっき長田さんが「悲願」っていったけど、僕が間に合わないって思い知らされたところに本願があったんですよね。「がんばれ」って、「歩め」って、「行け」って、阿弥陀さんが迎えにくるから、中途半端で死んでもいんだ。「倒れたところに迎えに来っからいけ」って。「歩め」って。「頑張れ」って。言ってくれている。願いがね。ありました。
だから本当に悲願だなって思います。悲しみのそこのところに願いがあったのですよね。本当にありがたいですね。

僕は終わりなき歩みを、出会った人たちと生きたいと思います。本当はこんなことをしたくはないんだけどね、家族と楽しく生きたいんだけど。今の福島には、なかなか、やらなくてはいけないことがあって。
でも子どもたちはね、きっと命を大切に、生き生きと、生きてくれると思うのですよね。なんでお父ちゃんが除染しているのかって、今は分からなくても、なんでお母さんが毎週、県外に遊びに連れていくのか。夏休みになったら遠くに連れていくのか。子どもたちも大人になったら感じると思います。
だから福島の子どもたちは、命を大切に、生き生きと、生きてくれるだろうなと思っています。

最後に、やはり僕たち大人が歩み出さないといけないと思います。未来への責任を、きちんと大人たちが背負って歩み出すことが大切だと思います。
未来への責任を背負わないで、今を生きたら、また人間は(過ちを)繰り返すと思います。原発が無くなったとしても、原発ではない原発のような何かを作り出していくのではないかなと思います。
日本に原発が54基もできたのは、きちんと未来への責任を、大人たちが背負わなかったからだと思います。だから僕たちにできるのは、未来への責任を背負って、今、歩み出すことなのだと思います。

たくさん歩み出している人たちがいます。あきらめて立ち止まっている人たちもいるけれど、少しずつですが、歩みだすことで、福島の人たちが元気になったらいいなと思うし、この放射能の問題は時間がかかると思うので、どうか福島のことを忘れないで、事実を知ってください。どうもありがとうござました。

*****

いかがでしょうか。真宗の門徒でもない僕が解説をするのはおこがましいですが、僕の感想を含めて、少し補足をしてみたいと思います。
先に悲願について「仏・菩薩が衆生の苦しみを救うために誓われた願のことで、特に阿弥陀仏の本願をさす言葉」という真宗大谷派の解説を紹介しましたが、その阿弥陀仏=阿弥陀如来は、如来になる前、法蔵菩薩のときに、すべての人を救いたいという強い願いを持たれたのでした。
ちなみに「如来」とは悟りを開いた人のこと、「菩薩」とは悟りに向けて修行している人のことですが、大乗仏教では、すでに悟りを開けるのに、人々と苦楽を共にし、ともに悟りに至ろうとしている人のこともさしています。人々=衆生とともに、大きな乗り物で悟りにいたらんとするので「大乗仏教」であるわけです。
こうした道を歩むことを菩薩道といいます。あるとき、茨城県取手市から保養キャンプで京都に来ていたママさんを京都の南禅寺にお連れし、如来像を一緒に拝観しながらこの菩薩道のことをお話ししたら、「守田さん。分かりました。私は菩薩だったんだ。いやあ、今日はそれが分かって超嬉しい」と言われたことがありました。
何とも言えない不思議で豊かな感性と霊感を持っている方でしたが、妙に納得させられてしまった一幕でした・・・。

それはともあれ、すべての人を救いたいという願いを発せられた法蔵菩薩は、自らその力を得て、(という解釈でいいのか不安ですが)阿弥陀仏になられました。本願を成就されたのです。そしてすべての人が、臨終に際して「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、西方浄土へと迎えに来て下さることになったのです。
この法蔵菩薩のお話が説かれたのが、佐々木住職の発言の中に出てくる「大無量寿経」です。佐々木さんは「大経」という略称を使われています。これに対して阿弥陀仏がおられる「極楽浄土」について説かれたのが「阿弥陀経」、この浄土へとお迎えに来て下さる話を説いたのが「観無量寿経」です。
例えば10円玉に彫られている宇治の平等院は、阿弥陀経に出てくる極楽浄土をイメージして建てられています。観無量寿経の内容は、その鳳凰堂の阿弥陀如来像の周りに絵巻として描かれています。

こうしたことを前提に、長田さんも佐々木さんも、「今、自分がやっていることは中途半端で終わる。道半ばで自分は倒れる。きっと生きているうちに自分の思いがかなうことなどない」「でもそれでいいのだ。そこに阿弥陀如来が来て下さるのだ。だからたとえ志半ばで倒れようとも、自分は進むのだ」と語られたのだと僕は思いました。
僕は淡い信心しか持っていませんが、そうした宗教者としての長田さん、佐々木さんの信念に胸を打たれるものがありました。
福島の現実は、苦しみと悲しみに満ち溢れている。しかしその中に、自分が生きる意味がある。だから自分はこの苦しみの中を生きていく。倒れるまで生きていく。前に向かって生きていく・・・そう語られていたのだと感じ、共感しました。

解釈が間違っていたらごめんなさいですが、だから佐々木さんの言葉は、苦悩の吐露でありつつ、同時にほとばしるような宗教的信念の発露であったのではないかと僕には思えました。それで佐々木さんには「僕も分からないことだらけですが、一緒に頑張りましょう」と伝えてきました。
この信念、苦しみの中を息抜き、その先に光を観ようとする思いを、みなさんにシェアしていただけたらと僕は思います。・・・すみません。言語化しないと(上)で書きながら僕の思いを書いてしまいました。邪魔になってしまったら申し訳ないです。いろいろな受け止め方が可能であるに違いないのでみなさんそれぞれで受け止めていただけたらと思います。

最後に、福島の今を語ってくださった佐々木さんに感謝したいと思います。また長田さんはじめ、素晴らしい会を催してくださった真宗大谷派のみなさまにも心から感謝を捧げます。どうもありがとうございました。

 

 

 

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明日に向けて(746)福島の声をもっといろんな人たちに知って欲しい!(真行寺佐々木住職談)上

2013年10月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131001 23:30)

9月27日東京、28日加古川、29日京都と連続で講演し、またまたたくさんの人たちと出会いました。あまりに多くのことがあり、記録や記事化がまったく追いつかないことが歯がゆいです。
ともあれ各地で出迎えてくださったみなさん、講演を聴きにかけつけてくださったみなさんに、心から感謝をささげたいと思います。

さて今日は、京都で行われた真宗大谷派の原発問題の企画に参加し、長田浩昭さん(京都教区法傳寺住職)の「原発と国家」という講演と、佐々木道範さん(福島県二本松市真行寺住職)のお話を聞いてきました。
どちらも聞きごたえのある内容だったのですが、とくに福島の今を語った佐々木さんの話しは、胸の中にぐいぐいと入ってきて、思わず涙をこぼさずにはいられないものでした。大変、共感したので、帰りにあいさつし、ブログへの掲載の許可をいただいてきました。

佐々木さんは、福島県二本松のお寺で幼稚園もされている方です。TEAM二本松という測定所も開設されています。その奮闘の姿が、映画監督鎌仲ひとみさんが撮られた『内部被ばくを生き抜く』の中でも紹介されています。
http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/

子どもたちを守るために、必死になって除染を繰り返す・・・しかしそんな姿に共感とともに「除染ではなく避難すべきだ」という強い声も返ってきているそうです。
僕はそんな佐々木さんの話をぜひ一度、じかにお聞きしたいと駆けつけたのですが、何というのでしょう。佐々木さんの語り方があまりに切なく、しかし奥底に強い何かが流れているのを感じて、とにもかくにも胸を締め付けられてしまいました。
文字起こしで伝えられないことを最初に書いておくと、佐々木さん、何度も話の中で深くため息をつかれるのです。ふーっ、ふーっと。そして「僕にも何が正しいか分からないのですよね。でも」と語りつづけられる。そしてまたふーっと息とつく。
それを繰り返しながら、とつとつと語りつづけられるのです。文字通り、絞り出すようにしながら、それでいて、淡々と、淡々と語りつづけられるのです。

佐々木さんが語っているのは、福島の今の苦しみと悲しみです。しかしそのもう一方で、佐々木さんは、その苦しみと悲しみに寄り添う、ご自身の生きる意味を確かめながら話されているようにも思えました。
その語りは、嘆きの吐露のようでありながら、他方で、力強い、信仰の告白であるようにも思えました。その切なさと、しかしその底で強い何かをつかみ取ろうともがいているように見えるその姿が、僕の胸を締め付け、深く揺り動かしました。
ここには今の私たちがみんなでシェアすべきかけがえのないものがあると僕は思っています。ただそれが何であるかを文字化することはせず、みなさんの受け取りに委ねようと思います。どうかぜひ佐々木住職の声に耳を傾けられてください。
なお講演タイトルは「27年後のチェルノブイリを訪れて」でしたが、発言中の言葉の中からより内容にフィットしたものを僕がセレクトしました。長いので2回に分けます。

*****

福島の声をもっともっといろんな人たちに聞いて欲しいし知って欲しい
佐々木道範

福島県の真行寺の住職をしています佐々木です。

震災後はNPO立ち上げて、子どもたちを放射能から守る活動をしています。日々やっている除染の映像とチェルノブイリの写真を観てもらいました。事故後27年目のウクライナに行ってきましたが、チェルノブイリ事故はまだ終わってないというのが僕の率直な感想です。
いろいろなところを視察させていただきました。幼稚園や学校や病院や市場。あと住めない村から避難している人たちに会ってきました。僕はちょっと光が見えたなあと思いました。
その場所で未来をイメージしながら必死に生きているウクライナの人がいたのが僕にとっては光でした。やはりウクライナから学ぶことが多いと思って、行ってきました。

僕が行ったときにちょうど、内部被曝の検査をやっていました。医療従事者の検査をしていましたが、27年目でも内部被曝している方たちがいるのです。高い方だと体の中に3000ベクレルの放射性物質が入っている看護師さんがいました。
もちろんゼロの方もいましたが、どういう食生活をしているのかというと、森のものキノコやベリー類などを食べている人は内部被曝を今でもしているようでした。
子どもたちの学校給食は汚染地帯の外からのもので作っているのですが、こんな言い方は良くないかもしれませんけれど、貧しい国なのですよね。日本から比べるとずいぶん貧しい国で、首都はベンツとかが走っているのですが、そこからチェルノブイリにいくと馬車が走っています。

市場に行ったときは、ちょうど牛乳に基準値以上のものが出て、出荷停止になっていました。捨てなくてはいけなそうです。
福島では牛に牧草は食べさせられません。高い金を出して飼料を食べさせています。そのため牛乳からは今のところ放射能は出ていません。チェルノブイリではそんなことはできないので、牧草地にいって食べさせる。
牧草地の中に汚染されているところもあって、いまだに牛乳から放射能が出ます。森のものからも出るのですね。森は除染をしないですから。
福島もそうです。春先になるとテレビにテロップが流れます。「山菜は食べないで下さい。食べたい方は測ってください。近所の方にわけないでください」とテレビで流れます。

チェルノブイリにいって福島よりいいなと思ったのは、きちんと子どもたちを守る法律ができているということです。子どもたちの保養、放射能汚染されていない地域に一定期間、子どもたちを連れていく事業が、きちんと国の事業として行われています。
ベラルーシは当初は年に3回、ウクライナは2回。国がきちんとやってくれています。一か月ぐらい保養している子どももいるようです。僕が行った幼稚園の子どもたち、どれぐらい行っているのですかと聞いたら、5割ぐらいかなと言っていました。27年たっても保養を続けなくてはいけない現実がそこにありました。


ウクライナの報告も大事なのですが、やはり福島のことを話させていただきたいと思います。2年と6カ月が経ちましたけども、僕にはやはり、復興しているとは思えません。
少し前にオリンピック開催が決まりましたが、福島の人たちは複雑な思いで聞いていたのではないかと思います。
僕も総理大臣の発言に対しては腹が立って仕方がない。「コントロールされています」「完全にブロックしています」という発言ですね。実際にはコントロールできなくて、ブロックされてないから、福島の人々は苦しんでいるのです。
僕の知り合いの南相馬の漁師さんも試験操業が9月からできるということで張り切っていたのに、汚染水のお蔭でできませんでした。そういう福島の現実を前に「ブロックしています」と言ってしまえる総理大臣が、僕はちょっと分からないです。
「コントロールされている」「ブロックしています」というのは、福島の人からしたら許せない言葉だったと思います。

福島のことについは時間が経つにつれて悪いニュースが流れてくるというかね。汚染水のことでもそうですし、子どもたちの甲状腺がんのこともそうです。なかなか福島の人たちは元気が出ないですよね。なかなか前に歩みだせないというか。
自殺も増えています。関連死というものもあります。震災後、何人の方が亡くなられたのかを国がカウントしていますが、福島では直接死んだ人の数よりも関連死の方が増えてしまっています。比べられることではないかもしれませんけれども、宮城や岩手の人の何倍も福島の人は関連死しているのですよね。どうしたものかと思う。

子どもたちの健康被害ですが、甲状腺がんも含めていろいろあります。
先月、うちの幼稚園の運動会があったのです。次の日に新聞に載ったのですが、市内各地の幼稚園、保育園も運動会をされましたが、うち以外はみんな体育館でした。
うちの幼稚園は、借りたグラウンドを除染して、子どもたちが裸足で走れるような環境を作ったので、外で運動会をすることができましたが、他のところは、まだ体育館で運動会です。

甲状腺がん、さきほども示されましたが44人です。100万人に1人の病気が福島では44人です。福島の18歳未満の子どもたちは36万人です。1人も出ないような数です。しかし44人の子どもたちががんになっています。うちの幼稚園の卒園児も1人、がんになっています。

子どもたちもそうですが、お母さんたちが苦しんでいます。自分の子どもを被曝させてしまった、病気にさせてしまったということで、お母さんたちが自分を責めている状況が続いています。
大震災がおきて、水も電気もガスも止まってしまって、僕たちも毎日、水をくみに並んだんですよね。ポリタンクを持って、給水ポイントというものがあって、そこに毎日使う水をくみに並んでいました。しかしそこには、僕たちは知らなかったけれど、放射能が降っていた。
あとミルクもおむつも、当時、なかったのですよね。だからどこどこの駐車場でミルク売ります、どこどこの駐車場でおむつ替えますとなると、お母さんたちは赤ちゃんをおんぶして何時間でも並んでいたのです。そこには放射能が降っていた。なんで僕たちに教えなかったのかなって思いますけども。
お母さんたちは自分を責めちゃうんですね。「なんで水をくみにいったんだべ。なんで赤ちゃんをおんぶしておむつを替えにいったんだべ」ってね。お母さんたちが悪いはずがないのに、お母さんたちが自分を責めてしまっている状況になっているのです。

映像では僕は楽しそうに除染をしていますが、別に楽しいわけではないですよね。でも楽しくやらないとどうにもやりきれないです。どうにかして福島の人たちを笑わせたい。どうやったらみんなが笑うのか、僕はよく分からないけれども、僕は笑わなくてはいけないなと思っています。
明るいニュースが出てこない福島ですけれど、前に向いて歩んでいくしかない。事実を知って欲しいのですよね。テレビでは流れない。新聞でも流れない。
甲状腺がんのニュースなんか、朝日新聞の夕刊にしか載らなかった。本来なら、凄いニュースだと僕は思うけれども。100万人に1人の病気が福島でこんなに出ているということは。でも朝日新聞の夕刊にしか載らなかった。テレビでも放送されないし。
福島では流れますけれど、県外では流れない。だから福島の事実を知って欲しいし、聞いて欲しいんです。そんなに明るいことばっかりではないのです。

何日か前に酪農家のおじいちゃんが僕のところに訪ねてきました。80ぐらいのおじいちゃんですけれども、新聞の切り抜きを大量に抱えてね。農水省にも行ったし、県にも行ったし、行政にも行ったけれども、誰も相手にしてくれないって。商工会議所にいったら、真教寺さんに行ってみろと言われて、おじいちゃんが来ました。
おじいちゃん何をしてえんだと言ったら、「震災前と同じ暮らしがしてえだけなんだ、だから原発止めてくれ。野菜作ってべこと一緒に暮らしてえんだ。だから原発止めてくれ」って。

娘さんは飯舘村に嫁いだのだけど、今は人が住めない村です。それでおじいちゃんのところに避難してきています。おじいちゃんもどうしていいか分からないですよね。
それで二時間ぐらい僕としゃべっていましたけれど、最後に「愚痴ってごめんな。ありがとう」と言って帰って行きました。
「僕も何ができるか分からないけれども、おじいちゃんの話を聞いたことは忘れないから。僕が何ができるか考えるわ」と言って、おじいちゃんと別れましたけれども、なんかね。
聞いてくれる場所がないんですよね。みんないろいろ抱えているんだけれども、それを吐き出す場所もないし、聞いてくれる場所もないんです。だから僕は福島の声をもっともっといろんな人たちに聞いて欲しいし知って欲しい。
この真宗大谷派が小さき声をね、苦しみの声を、悲しみの声を聞く場であって欲しいなと僕は思っています。

原発、放射能の問題で、国は人間を見捨てたんだなあと思いました。福島の子どもたちのことよりも、何か別のものを選んだのですよね。
いろいろな社会問題、ハンセン病や水俣や沖縄の問題などもそうだと思います。この国は人間を見捨てていっています。だから僕はこの教団だけは人間を見捨てない教団であって欲しいと思います。

ハンセン病の療養所でもね、うちの幼稚園の保養の受け入れをしてくれたり、福島の人が元ハンセン病の患者さんたちと出会っていく、素敵な場ができているし。人が出会っていくことでしか分からないものってあると思うのですよね。新聞やテレビやニュースでは分からないね。
僕の生き方もそうだったのですよね。イラクの子どもたちが死んでも、僕は痛くもかゆくもなかったのです。どっか遠くの国の子どもたちが何十人殺されても、僕は痛くもかゆくもなかった。でも震災後は痛いんですよ。

僕は子どもが5人いるのですけどね。一番下が幼稚園に入って運動会に出たのです。1か月ぐらい前から運動会の練習で走り回っていました。そうしたらね、毎晩夜に息子が泣くんです。筋肉痛で。幼稚園児ですよ。毎日、筋肉痛になって泣いている。
それは僕も悪いと思う。外にも出さなかったし。放射能の問題でね。幼稚園児がきちんと育ってないです。そういう姿を見るとね、胸が痛いですし、酪農家のおじいちゃんから話を聞いた時も胸が痛いし。

続く

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