守田です(20170803 09:30)
みなさま。8月1日に無事にドイツより帰国しました。
7月14日から19日間のドイツ訪問の旅、とても実り多きものとなりました。
この旅に向けてたくさんの方からカンパをいただき、支えていただけました。航空券自腹支払いでのキャンプ参加でしたが、おかげさまで必要経費を賄うことができました。カンパをいただいたみなさま、本当にどうもありがとうございました。
8月5日に京都市元田中のすみれやで午後7時より今回の旅に関する報告会を行います。ぜひお越し下さい。
Facebookのイベントページをご紹介しておきます。
ドイツ反核サマーキャンプ報告会
報告会に向けて今回の旅の概要を振り返っておきます。
日本を発ったのは7月14日、同日夜にライプチヒハレ空港に着き、近くのホテルで一泊しました。
翌日15日にデーベルンのキャンプ地に到着。車でピックアップしてもらい、以降、23日までをここで過ごしました。
反核サマーキャンプを主催してくれたのはニュークリア・ヘリテージ・ネットワークという組織です。
参加した人々がやって来た国は、ドイツ、イギリス、フランス、オーストリア、オーストラリア、ラトビア、スウェーデン、ロシア、ウクライナ、トルコ、アメリカ、インド、日本と13ヶ国でした。キャンプは17日午前中にスタートし、連日、それぞれの国の様子が伝えられるとともに、大きなテーマとしてウラニウム鉱山のことが取り上げられました。中でもデーベルンに近い旧東ドイツのソ連の核兵器のためのウラン鉱山について詳しく扱われ、現地見学ツアーも行なわれました。
キャンプの様子が地元紙に載ったのでご紹介します。ただしなぜか「反核の活動家たちがハンストを決行」と間違ったタイトルがついてしまっているのですが。
僕自身も初日に日本からの報告を行いました。英語で発言原稿を作ってもっていきましたが、友人の平賀緑さんにかなり丁寧な添削と手入れをしていただきました。日本語の元原稿もお渡ししていましたが、僕が力不足で英訳しきれていない部分まで補って下さっていて、僕の力を越えた素晴しいものに仕上がり、参加者から賞賛の言葉をいただけました。
その後のキャンプでは毎日、本当にたくさんのことを学びました。またいろいろな方と交流できました。はじめて個人的に知り合いになった国の方もたくさんいます。
今後、これらの方たちと連携を深めて行こうと思います。とくに11月にパリで行なわれる反核世界社会フォーラムにも、キャンプの場でできた派遣チームの一員として一緒に参加しようと思っています。
さてキャンプは23日に終了しました。僕はこの日、午前中にキャンプ地のデーベルンを発ち、後は、ドイツ在住の桂木忍さんがコーディネートしてくださったドイツ各地を訪問する旅にでました。
訪れたのはビーレフェルト、ブラウンシュヴァイク、ベルリンで、それぞれに2日、3日、3日の滞在でした。
ビーレフェルトは僕の初めてのドイツ・ベラルーシ・トルコ訪問の旅で親しくなったIPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部副代表のアンゲリカ・クラウセンさんと、トルコ人医師のアルパー・オクテムさん夫妻の家に泊めていただき、2日間、ゆったりと過ごさせていただきました。
その後、ブラウンシュヴァイクに移動しましたが、その時点ですでに僕のブラウンシュヴァイク訪問が地元新聞に掲載されていました。
ブラウンシュヴァイク訪問を紹介してくれた記事
ここで使われている写真は2014年秋にポーランドの国際会議に招かれた時のもの。僕の向かって右隣にいるのがアンゲリカ・クラウセンさんです。
その他、ここにはポーランドで行動を共にしていた多くの方が写っており、僕にとっても感慨深い写真です。こんな写真で紹介されるとは夢にも思っておらず、とても嬉しかったです。
ポーランドの写真の拡大版と、京都の伏見での集会で撮っていただいて以降、プロフィールで活用させていただいている写真も載せていただいていたのでご紹介します。
http://www.unser38.de/denkte/politisches/toshiya-morita-bei-einem-vortrag-in-japan-m40212,21162.html
ブラウンシュヴァイクでは、放射性廃棄物処分場のアッセ2の見学に連れて行ってもらいました。
処分場といっても塩を採掘した鉱山あとに低レベル放射性廃棄物をドラム缶状のものに入れて無計画に投げ入れていた場で1978年に住民訴訟の力で使用が中止されたものの、その後、大量の地下水の流入が分かり大問題になった場です。ドイツ政府が危険性を認識し、すべての廃棄物の取り出しを決定したものの、取り出し方法の詳細や搬出先などが決まらず、調査と保全、および取り出しの研究と準備が進められているところです。
この処分場見学の後に、この場を監視してきた地域の市民の方達の集会にも参加し、激しいやりとりなども聞かせていただいたのちに、日本の現状の報告に立ちました。みなさんの気持ちにフィットする発言になるかどうか分からずに「えーい」という気持ちで発言しましたが、大きな拍手で迎えていただけました。そのときの新聞記事もご紹介します。
ブラウンシュヴァイクでは、アッセ2の反省を生かしたとされる放射性廃棄物処分場が新たに作られています。鉄の鉱山跡地を利用するコンラート坑で、こちらの見学もさせていただきました。
なおこのブラウンシュヴァイクの旅を受け入れて下さったのはパウル・コーチさんとボード・ワルターさんでした。教会関係の仲間であるお二人で旅程をくんでくださり、教会関係の施設に3日間泊めてくださるなど、すいぶんと手厚いおもてなしをしていただけました。
通訳で参加して下さったフラウケさんも、アッセ2の見学時に長い時間にわたる同時通訳をしてくださるなど、大変な活躍で支えてくださいました。心からのお礼を表しておきたいです。
その後、ベルリンに移動し、ドイツ放射線防護協会に参加し、『放射線テレックス』を発行されてきたトーマスさん、アネッテさんご夫妻のところにお世話になりました。ここではとてもゆっくり過ごさせていただきましたが、アネッテさんにベルリンの街を案内していただき、とくにアネッテさん自身が立ち上げに関わられたベルリン市におけるナチの活動を捉え返した「恐怖の地政学」という場に連れて行ってもらえました。
このときのお話だけでなく、ドイツの旅で出会った多くの方から、一方でのアメリカ軍、イギリス軍の空襲による深刻な被害の話も聴き、他方でのナチ時代の捉え返しについてのさまざまな取組みを聞きました。デーベルンの街でもナチの傷跡をめぐるツアーにも参加しました。
一方でドイツでは、それでも2015年のシリアからの難民の流入によって生じた危機以降、ネオナチの台頭などが起こっているのです。この現代のリアルな問題にも触れてくることができました。
こうやって短く振り返っても1つ1つが長い記事や論文を書くに値することであり、それを5日の報告会でわずか1時間半でどれだけ伝えられるか分かりませんが、みなさんと核心部分を共有するために、たくさん撮って来た写真をどんどんお見せしてお話したいと思っています。
なお日本に帰国したときに、ドイツからさらに新聞への僕の投稿が記事になったとの知らせを受けました。放射能被曝に関する見解を求められて書いたもので、これもまたフラウケさんが翻訳してくださいました。
掲載記事をご紹介します。
この記事は有料で途中までしか読めないので、送っていただいたコピーと、日本語の元原稿全文を掲載してアップしたFacebookの記事もご紹介します。こちらもご覧下さい。
それでは可能なみなさま。5日午後7時から京都市元田中のすみれやでお待ちしています!
いつも丁寧にありがとうございます。1411を含めて訂正させていただきました。
まだ前の方の号で訂正できてないものがありますが、順次、作業を行っていきます。
よろしくお願いします。
本記事(1412)に誤記入と思われる部分がありましたので、コメントを投稿させていただきました。
・「7月14日の19日間」
→「7月14日から19日間」
・「お渡して」
→「お渡しして」
・「国際石」
→「国際医師」
また、ややわかりにくい部分がありましたので、次のように変更されてはどうでしょうか?
・「13国でした。」
→「13ヵ国に及びました。」「13を数えます。」「13ヵ国。」
・「ナチ時代の捉え返へのさまざまな取組み」
→「ナチ時代への捉え返しについてのさまざまな取組み」「ナチ時代を捉え返すことに向けたさまざまな取組み」
「明日に向けて(1411)ドイツの人々によるナチス時代の捉え返しをいかに学ぶのか(ドイツからの報告13)」の改訂部分にも、
・「支持者によう」
→「支持者による」