明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1753)シアトルで平和への思いをみんなで温めました!(核の終わりを探る旅–7)

2019年11月07日 06時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20191107 06:00 ニューメキシコ時間) 

核の終わりを探る旅の報告の7回目です。

シアトルの禎子像を訪れて

昨日、シアトルからニューメキシコ州アルバカーキに移動しましたが、もう一回、シアトルでのことをご報告します。
2日夜にパスコからシアトルに移った私たち。3日のマーシャルの方たちとの交流に続いて4日にまずはシアトルの禎子蔵に向かいました。
禎子さんは広島原爆に2歳で被ばくし1955年に12歳で白血病で亡くなった女の子です。その痛みをシェアしようとシアトルの方が建ててくださいました。

ここにもロングヒストリーがあるのですが、それもまた後日に。
ともあれこの像を訪れ、広島から持参した折り鶴を像にかけることを一つのミッションとして参加している渡部久仁子さんがここでビデオレターを作りました。写真をご覧ください。

渡部久仁子さんがシアトル禎子像に折り鶴を献納
https://www.youtube.com/watch?v=FrHVAIa3kZk&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1qfwJYG-SRHl4Vog5oGrcKCqkN27-ucmynoJQ05X3IBiQbxRByIvmD_ig


この像が建っていることにも象徴されるように、ハンフォードを同じ州の中に抱えるシアトルは平和運動の力が強い。

アメリカ軍の原子力潜水艦の近くにあることにも影響されているそうです。そんな中で禎子さんや被爆者の痛みを分かち合おうとするムーブメントがあることに嬉しい気がしました。
 

 禎子像の前で 竹峰さん撮影

ワシントン大学の学生たちはキラキラした目で迎えてくれた

その後にすぐ近くのワシントン大学に向かいました。竹峰さんの旧知のハリー・バーカーさんが迎えてくれました。
彼女はマーシャル諸島に深く関わられている方でワシントン大学内にあるバークミュージアムの仕事もされている。大学でも教えていてとても多忙な方です。
その方が授業で私たちのスピーチの場を作ってくれました。シアトル生まれのマーシャリーの学生のマライカさんも参加してくれました。

ここでも私たち5人が発言しました。僕も前夜と同じ内容ですが、広島と東京の間から生まれた息子として平和のために活動し続けるつもりだ。そんな気持ちでpeace flagを持ち歩いていると話しました。
印象的だったのは学生たちがみんなキラキラした目で発言を聞いてくれていたことです。ここでも広島・長崎の痛みを一生懸命シェアしてくれている。

 

バークミュージアム 守田撮影

博物館と植民地主義と暴力

その後、ハリーさんがミュージアムを案内してくださいました。
感動したのはミュージアムの入り口に「植民地主義の暴力の遺産」と書かれたパネルがあり、しばしばミュージアムがそこに加担してきたことを述べていること。
博物館は大きな力を持っていて、しばしばその地の貴重なもの、勝手に公開していはいけないものを暴力で集めてきました。今、返還の流れが強まっていますが、それをきちんと掲げている。

さらに非公開の貯蔵物も見せてくれました。マーシャル諸島の貴重な編み物なども見せてくれました。ちなみに今もマーシャルの方達はamimonoと語るそうです。
返還を検討したものの、現地の方から「むしろ博物館にあった方が末長く保存してもらえるから持っていて欲しい」と言われたものもあるとか。
面白いのは子孫である人だけが触っていいことになっていることです。なのでここではマーシャル人であるマライカさんだけが編み物に触れました。ゆっくりと古の人に語りかけるように。

 

ハリー・バーカーさん 秘蔵のものを色々と見せてくれました

マーシャルの方たちに再度のプレゼン

さてこの夜は再度、マーシャルの方たちが集まってくれた場でお話できました。

マーシャルの方たちにおばあさんの被ばくを伝える渡部久仁子さん

さらに翌日には午前中に再度、ワシントン大学を訪れてハリーさんらと歓談し、午後に今度はシアトルの平和運動を担っている方たちとの交流の場も持ちました。
毎年8月6日に灯籠流しをしていると言う日系人の女性にも会いました。広島に親戚がいたもののその多くが原爆で亡くなってしまったのだそうです。

シアトルの平和運動の方たちと。日系人の女性は灯籠流しを毎年行っていることを紹介

この場にマーシャルの方たちも参加してくださり、交流の場が終わってから一緒に食事をしようと言うことに。それで訪れたのは焼肉レストランでした。韓国のお店です。マーシャルの方たちはお米を炊いたご飯を食べるので韓国料理は好きらしい。
この場でもとにかくみんなで写真を撮りまくりました!これらを一挙にご紹介します。

マーシャリーのみなさんと焼く肉で楽しみました!

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旅を続けます。
今日は再度、原爆製造の町、ロスアラモスを訪れます! 

*** 

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