富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

代表の観戦記:Vs モンテネグロ

2007年06月03日 | サッカー

久々に代表の試合を見た。

案の定、稲本の出し「オシム」で、
テレビはベンチの稲本を
映し出していた。

だいたい、どうでもええ解説を、
あの「タケダ」やら「ジョー」が
いっかどの見識をしゃべっている事だけで
ちゃんちゃんらおかしかった。
彼らの音声はテレビ観戦するには、
耐えられないノイズでしかない。
態勢をくずして苦し紛れに
ふかしたシュートが枠をはずれる
それを、かつて何度も自分たちがゴール前で
外し続けたことを弁解するように
二人が「すばらしい」とほめる

ドイツのワールドカップで辛酸をなめた
我々のサッカー観は
彼ら二人には通じてはいないようだった。
「枠をはずれても、シュートで終わる」みたいな
念仏をとなえるのも、はずれたシュートほめることも
僕らはとっくにあきてます。

さて、代表の試合は、始まりの15分を除けば
代わり映えのしない同じリズムの展開と
戦術論にばかり縛られて、ポジショニングにこだわる
選手達に一体感を感じとれることもなく
誰もを自分を表現することも、
その意志を伝えることもなかった。
それは、かつてドイツで見た「ナカタ」のいたJapanから
ただ、ナカタがいなくなっただけでしかナカッタ
(※我ながら、しょーもないけど)

「展開」とは戦術に依存しすぎず、
詰まるところは、個人の「アイデア」であり
フットボールの本質は、
結局「ゲーム」という楽しさなのであって
日本語の「試合」というような苦難ではない。

「ケンゴー」ですら、サッカーで表現するというよりも
与えられたものを「こなす」ことに
一生懸命のように見えた。
戦術をこなすのではなく、
個々人の違った個性と技術を集積し
ゴールをこじ開ける「アイデア」を感じたかった・・・

楽しさを満喫するためには、技術と戦術眼と
体力と「オシム」の場合は「走力」を求めている

走力とは、瞬時にターンオーバー出来る
意志のある「走り」であり、守備の背面に攻撃への
意志を求めている
ナカタ的呪縛の解けた「イナモト」と「シュンスケ」は
どうなんやろ?

いかにも皮肉な物言いの「オシム」だが、
彼が世界にはびこる「パワーサッカー」に対して
作り上げようとするアジアンサッカーは、
アジア人的特性を利用しようとしてるようには見えものの
その道は、まだ遠くに思える。

オシムに「個人プレー」に走る
連中がいると揶揄された「プレイ」とは、
アジア的体躯では、「ヨーロッパ」流の
パワーサッカーは出来ないと観念した「オシム」にとって
苦し紛れのロングゲインのパスや
力ないロングシュートが、
「チャンピオンズリーグ」のまねごと
に見えたということなんだろう。
「アイデア」と意志に満ちたパスに活路を見いだす
それが、アジアンサッカーのエッセンスだと
断言するように・・・・・

それについては、賛同する
6月5日のコロンビア戦に
「Inamoto」を出すのなら、
彼のいう「代表」のゲームをもう一度見たい

 


 


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