富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

何とかもぎとった銅メダルとせいぜい銅メダルの違い

2008年08月23日 | サッカー

アメリカも出てないのに・・・っていうけど400mリレーが必死でもぎ取った銅メダルは
痛快で爽快やったね。バトンリレーって思いっきり早ければええってもんでもないらしい
・・・けど、ジャマイカの驚異的な世界新をさしおいて、「銅メダル」に脚光浴びせるのも
なんともナショナリズムの匂いぷんぷんっていう感じがするけども
とにかくすかっとさせてくれた。


一方で言うまいと思えど、「野球日本代表」には正直失望した。
世界の中での実力は柔道と同じように、程度の低いマスコミによって
作り上げられていた気さえしてくる。戦いはどれもおされ続けていた。
彼らをマスコミは「星野JAPAN」と呼ぶ、そして本人たちもまた
それを否定しない・・・「長嶋JAPAN」とはやし立てている頃から
ものすごく違和感があった。長嶋のものでも星野が戦うものでもないのに・・・
「監督」という存在が、そのチームの冠になってしまうほどの比重に対しての違和感が
強く感じられた。いまだに「オーエヌ」をもてはやし、
イチローさえも昔ながらの「オーエヌ」時代と比較しようとする
古びた幻想を感じる。

・・・少なくとも「プロ野球」はプロであって今回の結果に
同情の余地はない。彼らは野球で高額な報酬を得るプロで
ファンの期待にこたえてこそ、真価を問われる
チームはファンの期待にこたえるために結束し
決して「監督」の「旗」のもとに集まるものではない
監督もまた選手と同じ側にあってプロとしての責を問われる立場でもあるのだ。
残念なことに、野球ファンのためにという視点が欠けて見えたし
気概も、戦略も全くなかったように見えた。

さらに、プレイするのは選手たちで、チームをコーディネイトしても
勝利や敗戦の実感を味わうのはあくまでも選手であって、それぞれの個性と
プライドが前に立つものである。戦う前から
「Hoshino」だけが表に出ていて、彼がえらんだという
「Morino」や「G.GSato」の顔など僕は見たこともなかった。
サッカーの代表もまた、我々の知る選手が代表なのかというと
名前すら聞き始めのマニアックな人選があったりする・・・

結果論といえばそれまでやけど、
そのチーム全体のニックネームを「ナデシコJapan」と公募して結束した
女子代表は局面の冷静さとファイティングスピリットで4強を勝ち取り
ソフトボールの場合は「日本代表」を飾らずに、ひたすら目的意識を明確に
それぞれのモチベーションで能力をそれぞれに発揮して
チームとして結実していた


「星野Japan」と命名されたチームが
なにをモチベーションにしていたのだろう
星野がいうから金メダルの為に戦ったのだろうか、星野が旗印なのか
それぞれの目標とプロ意識、球界を代表する責任・・・
監督ってナンなのかな・・・


「黒澤明」の映画、とりわけ「世界のクロサワ」となってしまうまでの
彼の映画は完璧だ。それぞれの俳優にかなったシナリオは、どこも欠落していない
その頃の彼の映画作りはそれを織りなす俳優たちの個性を引き出して
その個性にかなった台詞が見事だったし、演技も同じように思えた。
端役でさえも彼や彼女でなければならないほどの完成されたものだった。
彼が演出したのは、俳優とシナリオとカメラワークと裏方と
一体となって見事だった。彼だけの仕業ではないことを
彼自身がわかっていたからだ。


が、後年「クロサワ」となって、彼の映画は質が変わり
あろう事か「クロサワ」ばかりをクローズアップして
俳優たちも彼の機嫌にあわせているように見え、
その後の作品に僕自身は満足できない

監督とはナンだろう・・・それほど前に出るものだろうか
自分の友達だけを信じるようなコーチの人選をしていいほどの
適当なわがままが通り、彼自身一発勝負の「日本シリーズ」で
一度も勝ちを経験していない勝負弱さを同居させながらも
誰よりまず「表」に出るほど大きな存在なのだろうか、彼が戦略的とも思えない
そして、彼が選択していい範囲はどこまでなんだろう。


今回「銅メダル」にさえ届かない現実って言うのは
「星野JAPAN」と呼ばれ、そのまま甘受してきて、
今度の結果は、彼の失敗であって
彼の失望でしかないように見える。
いかにも男気でいさぎよく
「すべて俺の責任」といってはばからないけど・・・
星野にとってショックやったかも知れないけれど
それは、世界の現状に無知やったせいで、そんな個人的なことよりも
代表は野球を代表したのであって、彼の私物でもない
なんと言われても、国技にも近い「野球」への失望もあわせて感じたファンが多いことも彼は忘れてはならない


明らかに今回の結果はサッカーと同じで、次世代の
「野球の未来」に暗雲を招いてしまったのだから
野球には、もう五輪で再戦する機会すらない最後のチャンスだったはずで
「精神論」みたいな古めかしい旗だけで出て行くテーマでもなかったのだ。


同じ意味の「岡田JAPAN」という呼び名にはものすごいアレルギーを感じる
彼はカリスマでも指導者の資質もない
とりあえず、彼を監督にという余裕がこの国のフットボール界にはない
先ほどの親善試合に出てきた「代表」は中身も
メンバーも国を代表して戦う戦力も能力においても欠けているものが多い
我々はドイツから立ち直っていないどころかもっと失っている。
のにかかわらず「岡田」でいいはずがない


こうした雰囲気はこの国の独特の社会性が作り上げたものであることは
世界のどの国にもない風習であることから証明できる
監督がゲームを支配したりはしない・・・選手たちそれぞれの個性がぶつかり
気迫で格闘するのがスポーツなのだし・・・
あくまでも選手それぞれの顔や個性が前面に出なければならない
アルゼンチンを引っ張っているのはあくまでもメッシであり、リケルメなのだから


彼が今後も「大きな顔」しないでくれればいい
「星野阪神」の頃から僕の中には違和感があった。タイガースの基礎は
野村が監督の時代に培われ、星野の時に優勝しただけで
星野が優勝したのではない。タイガースが勝ったのだ


その本質は大きい・・・「野球」によって都合良く作り上げられた
縦割り社会の悪しき風習がいつの間にか
世の中にそぐわないのに、野球の戦略に無知だとしても
スター選手の監督ばかりをもてはやしている。
「野球」だけがベースボールとかい離して、個性を封じ込まれた
日本代表の個々の選手たちは、どこか窮屈で
韓国にもキューバの選手たちのムキだしの個性に太刀打ちできなかったと感じられてならない。
日本ではスター選手以外に監督になれそうもない・・・
その上彼らが野球界を牛耳っている・・・
彼らは、星野を含めて現役時代に好きにさせてもらっていたということを忘れて
チームをどうのこうの言い過ぎる・・・
彼らに育成や戦略的な才能があるとはとても見えなかった。
コーディネイトすることはプレイヤーとは違った才能だ
無名のコーチが監督できる土壌こそ「プロ野球」の再生につながるだろう


球児も矢野も新井まで奪われて、こんな結果だと言うことのタイガースファンの
失望は大きい
「サッカー」もまた、いつまで「岡田」を使うのか・・・W杯に出られないのなら
取り返しがつかない・・・
彼がこの国のフットボールの未来を見ることが出来てるなんて
とても思えない


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