富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

私の国の安全神話

2011年04月16日 | 震災

この国を少しの間離れて、この国の方を振り返ると見えてる景色が違っている。
未曾有の国難が大津波として東北や関東の沿岸を襲って
一瞬のうちに家族も家も生活も思い出もすべて、今までの人生ごと
呑み込んで、ぐしゃぐしゃにして蹂躙していった。
残ったものは、気力を振り絞りながらも惨状を前にして、途方に暮れている。
何もないように見える未来は、必死になって探す瓦礫の中に埋もれてはいない。
我々の気持ちを覆うものは、こうした被災者の気持ちに同期していて重たい。

一方海外のメディアは、そうした惨状を心から哀れむと同時に
原発のもたらす地球規模の危機に対して、とりわけ技術立国を標榜してきた
日本という国そのものに疑念を持ち、厳しく注視してやまない。

我々は、原発を中心にした半径20キロやの30キロやのを表す同心円で描かれた
危険地域を何度も見せられて、その円から外れて住むことを不謹慎にも安心の材料としてきた。
考えてみれば水素爆発を繰り返して、めちゃめちゃ壊れた建屋と噴煙をあげながら崩れて思える
原発の事故が、それでも「レベル5」までは行かないという保安院という見たこともない官僚の言葉や
しきりにテレビに登場する「専門家」などという連中の話を鵜呑みにしようとしてきた・・・・
悲惨な映像を目の当たりして疑う思いもどこかにありながらも、「最悪」といわれるのが怖くて信じたかった。
けれども一ケ月たって保安院や原子力安全委員会は、今頃「レベル7」に評価を覆したのだ。
それは、今日に至って深刻さを増したという意味ではない、この事故の内容の評価そのものを
過小評価していたことを、ようやく認めたというお粗末な反省にたってのコメントであり
海外では、汚染水を海に流してしまう以前に、認識されていた事実である。

私たちのありようは、いつも「事なかれ」という思想に支配されている。
「何事もなく・・・」という挨拶は、何もないことこそが第一義であり、責任という「責任」は
自分がとらないで済ませることを責任と考える思いが、どこかにあり
多少真実を曲げても、一員としての立場を守り、迷惑をかけないことが組織に対しての責任だと考える向きがある。
それは子供の頃から植え付けられてきた一つの思いであり
そのために信頼すると言うより信頼したいとついつい思い、安心したいという一心が
時は不条理な理屈や、怪しげな説明までも信じたい思いで人を信じようとする心につながる
もっと言えば、「だまされている」ことの方が、安心できるとさえ思えてくるのだ。
個人としての自立を思う前に、みんなに良く思われたいとおもい、
誰かと比べてみたり、自分がどう思われ、自分の立ち位置ばかりを気にして
自分を作ることの2番目にしてきている。個人の意見や考えは組織や世間の一般論のあとに
位置づけされても見える。たまに個人的見解を述べると押さえつけられて「生意気」な
独りよがりにされるのが常でもある・・・あの人は変わってはると・・・・
変わっているからこそいいという当たり前の論理が通らない

海外では、「Hiroshima,Nagasaki and  Fukushima」と並列して表記もされている。
危機の管理をするときに、たとえ深刻であっても本当に欲しいのは正確な情報とその対処である
ところが、この国から発する情報は常にパニックを恐れて少なく処理されて思える
震災や大津波の直後にパニックにならずに秩序を保ったこの国の人のありようは
確かに賞賛されもしたのだが、一方では操作されて、小さく見積もられた情報に
惑わされているのかもしれない。
海外のメディアでは、事態の深刻さから地震直後にすでに現地に入って観測する
ドイツ気象庁の汚染データとその予報を流し続けている。
一方で我々が知っている地図は風向きが変わろうが地形に変化があろうが
相変わらず、地図上に機械的に描かれた30キロの同心円の危険性を報じていて、そのことを信じてやまない。
ところが、実際は、単にまん丸の円を描いた地図をどこの国も取り上げてもいないのが事実である。
アメリカは、とうにそうした汚染物質の広がりの誤差や危険度を知った上で
原発危機の直後から避難の範囲は50マイル(およそ80キロ)と設定した。それをパニックを恐れてか
しきりに政府は過度な反応として無視をしてきた。
ようやく、今頃になって、同心円以外の村や町までに「避難区域」を設定して広げている。
まんまるの円で描く範囲では意味のないことを認めざるをえなくなったせいである。
これは、下記に示す
ドイツの気象庁の発表している汚染の分布のシミュレーション図にも合致している。
※あくまでもシミュレーションなので、実際の分布とは違っているものだと思うけど
信じたくなくても、最悪のシナリオを見つめて
予報や予測をするのならば、こうした情報に基づいて分析され発表されるべきなのである。

チェルノブイリとは、違うという説明がなされるけども、ここに至っては、にわかにもう信じがたいコメントに聞こえる。
原発の冷却は依然として継続し続けなればならないし、閉じ込めるという段階にも至ってはいない。
一ヶ月を過ぎてなお事態は進行中で改善されることよりはるかに大きな問題が新しく生じてくる現実は
終息の日をこの時点で予測すらさせてもくれていない。
「東京電力」などという一つの会社にゆだねていいほどの危機ではない。
保安院などという組織にいるものの無力が露呈し、彼らは東電の話を聞くより以外の能力を持ち合わせていないことがわかった。
現場で必死の思いで作業を続ける人の努力を伝えることもできていないし、たぶん彼らの安全は
日々大きな危険にさらされていて、事故の責任を一手に押しつけられて過酷な状況は改善されてはいないだろう。
海外のメディア無意味なコメントを言うシンボルとして「なんとか審議官」をとりあげており
その意味で今の日本という国の現実を推し量っている。
海を汚染した事実は地球規模において、非常におおきな危機をもたらした。
もしも他の国がそのような行動に至ったら我々は第三者としてどう反応しただろうか
海の生物は回遊し、汚染物質をより遠くに広げてしまうだろう。同心円どころの規模ではない。

私たちの国は、わずか17年の間に未曾有の震災を二度も経験するほどの危険な区域である
にもかかわらず「オール電化」を標榜してきて、便利をむさぼり必要以上の電気に依存し
無数の原発を沿岸に建設し続けてきた。大小を含めて事故を何度も経験しているのにも関わらず・・・・
広島や長崎とビキニ環礁で3度も被爆してきた事実もありながら、いつの間にか
人類がコントロールできない放射能という絶対の危機に鈍感になってきている。
政治という名の利権を呑み込んで、目をつぶって原発を促進してきた経緯がそこにある
いくつもの反対運動も「便利」や「都合」や「補助金」にかき消され、人類的な危険に耳をふさがれてきた。
原発立地の危険性の度合いは、建設地がもっとも電力をむさぼる大都市を離れて作られている
ということの不条理に正直に現れている

今頃になって、言うのももどかしい。
現政権を批判する自民党も、第三者のようにもっともらしいが、これほどの危機も今回の津波のエリアに
建設された原発は長きにわたって停滞した自民党政権下にもたらされた政策によっている。
官僚は、机上の論理に終始し、何事もないことをこそ第一義に考えていて
実際の危機に無能だと思い知ったし、政府ばかりでなく政治そのものが幼稚であることを実感した。
政治家という人の誰一人として、人間として何かをしなければならないという視点も持ってもいない。

その上でなお、私たちは「安全神話」を信じてきた。信じたいという思いのせいで・・・
給料から税金を天引きされるように、できれば余計なことを何も考えずに何も考えようとせずに
「かしこい」人たちが考えたことを二重にも三重にも安全が担保されているものだと
安心したくて疑念には蓋をしてきた。その大きなツケを支払わされるような現実が国の信用も
信頼も損ねて、津波以上にこの国全体を窮地に追い込んでいる。
海外の現実は想像以上に厳しい、食品どころか工業製品まで車までも
輸入された日本製の商品にガイガーカウンターをあてて、放射線量を量っているのだ。

大津波によってさらわれたものは、かけがえのない命の他にも大きい
自分たちのことを自分たちで考えなければ立て直せないだろう。地震や津波の被害を受けた
被災者ばかりでなく、日本という国そのものが災難の中にある。
あきらめない気持ちは何よりも大切だ。立て直すのは自分たち自身の手でやらなければならないからだ。
そのうえで、失った信用を取り戻すのには
復興にかける時間の数倍がいる。作り上げられた机上の「安全神話」に頼らず
人の言う「安心」に寄りかからず、疲弊した公の力ばかりをあてにせず、
こうした危機の中にあって、何が真実かを自らが見いだし
真実を見つめる目を鍛えて
安心もまた自分が築き上げるという視点を作り上げるという気概がなければ
失われたものを取り戻せない。


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2 コメント

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お帰りなさい (K)
2011-04-16 18:19:29
日本ではますます深刻な状況が続いています。一時遠く離れて楽しい時間を過ごされたことと思います。土産話楽しみにしてますよ
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土産話は (tom)
2011-04-17 00:43:44
ぎょうさんありすぎて
ぼちぼち小出しに出して行こか
って思うております
観光じゃなかったけれど
オーストラリアを満喫し
友達とすばらしい時間を過ごしてきましたよ
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