『みずうみ』 いしいしんじ
3章からなる物語。
それぞれが別の物語であり、それぞれが、「みずうみ」を通して繋がっている。
いや、繋がっている「気」がする。
ああ、本当に、なんという本だったろう。
1章と2章は、特に強烈?鮮烈?忘れろと言われても、たぶん、忘れることはできない。
穏やかな気持ちで3分の2ぐらいを読み、その後、気持ち悪くなるような感覚を覚える瞬間がある。
その後、「なんなんだ、これは!」と、頭の中で叫びながらも、読むことをやめられない。
最後の3分の1は、まるで、何かに追われるようにして、一気に駆け抜ける。
良い表現ではないのだけれど、気がふれるって、狂うって、こんな感じなのかなーって、
その、最後の追われている時に、何度も思った。
終わりも、突然だ。
「さあ、次のページ!」と、勢いよくページをめくったら、そこに、何も書かれていない。
・・・・・・・・・・あ、終わったんだ。どっと、疲れる。
特に、2章は、あまりに緊張しすぎて、読み終わった後、ぐったりしてしまった。
今も、口の中から、異物を吐き出したくなる衝動にかられる。
3章は、それまでの章とは、雰囲気が違う物語。
途中、何度も眠くなったのは、読むのが辛かったからなのか、それとも、主人公達と共に、
洞窟の中をボートで進んでいるからなのか・・・わからない。
水。白い人。眠気。鯉。バザー・・・・・。
前の章と繋がる言葉に誘われて、ようやく、最後まで読むことができる。
最後まで読んで、本を閉じてしまってから、ようやく、3章もまた、すごい物語だったなあと
いう思いが、どこからともなく込み上げてくる。コポリ、コポリ。
今回、何より驚いたのは、いしいワールドに、はじめて、具体的な地名が出てきたこと。
主人公が、日本に暮していることが、ニューヨークに暮していることがわかる。
それが、何を意味するのか?どこが、喪失と再生の物語だったのか?
正直、何一つわからない。
わかるのは、何故か、無償に、また読みたいという思いにトリツカレテいる、ということだけ。
この本を読みながら、いしいさんの感覚の中に、ズブズブと入って、沈んでいく自分がいる。
溺れているはずのに、苦しくないのだ。快感にも似た・・・何か。
未来も過去もなく、喪失も再生もなく、ただただ、すべての物事が、ぐちゃぐちゃに
混ざり合って、響き合って、キラキラと輝いている世界。
もしかしたら、私たちの意識のずっと奥のところは、そんな風なのかもしれない。
(だから、気がふれたら、こんな感じだろうかと思ったのかな?)
究極の「いしいワールド」。これは、個人的な意見ですが・・・
はじめての方は、別の作品から、入ることをおススメします。
もちろん、勇気のある方は、別です。
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ずっと、読んでみたいと思っているのです。
でも、いしいさんの本は、予約しないと決めていて(なんででしょうね?・笑)
いまだに、出会えないでいます。
でも、読んでいない本が少なくなってきたので、
そろそろ、予約しないと駄目かもしれませんね。
「みずうみ」。
私の中では、「ポーの話」が、とても強烈で、
今でも、その衝撃を覚えているのですが、
これは、それを超えている気がします。
「いしいさーん!どこいっちゃうのー!」
って、読みながら、突っ込みたくなりました(笑)
いしいさんの本って、ホントに不思議ですよね。
なんだか、文章も内容も、ひっちゃかめっちゃか
(他に、良い表現が思い浮かばないんデス)
なのに、渦を巻くようにして、心の奥に下りてくるんです。
再読したくなるのは、その、独特の魅力のせいなんでしょうね。
去年、ようやく「いしいワールド」に足を踏み入れ、
4冊くらい順番に読んでいきました。
プラネタリウムのふたごは、かなり好きで、
読み終わったとたんに、また最初から読みたい衝動に
かられたのを覚えています。
どうしてだかわかりませんが、それからはいしいワールドから
はなれているので、読んでみようかな、そろそろ、と
いう気持ちになってきました。