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今日の筆洗

2019年05月23日 | Weblog

一日に働くのは四時間ほどだが、家族ともども食べていくには困らない。自然の恵みをとりすぎないから、環境の悪化に苦しめられることも少ない。おかげで、安定した暮らしが続く▼働き方改革に成功し、地球環境問題にも力を入れるどこかの国のようだが、わが国のことである。ただし、縄文時代の話だ。考古学者岡村道雄さんの『縄文探検隊の記録』などに教わった▼現代のわれわれは、そんな暮らしを実現したご先祖様たちを、ささやかながらも誇る資格があるということだろうか。国立科学博物館のチームが今月、現代の日本人は縄文人が持っていたDNAの約10%を受け継いでいるとする研究の結果を明らかにした▼現代日本人は主に、縄文時代の狩猟採集民と弥生時代以降の渡来人のDNAを受け継いでいると考えられてきた。この分野の技術の著しい発展もあり、縄文人のDNAまでも高い精度で解析することに成功し、現代人との共通性が分かった▼自然と共生し、穏やかで平和な暮らしを実現していたと近年、再評価されている縄文人である。実際には貧富の差や争い事もあったとする研究もあるようで、寿命も現代の人に比べれば、はるかに短い▼とはいえ、戦争の記憶が薄れ、環境問題も積み重なるばかりの昨今である。一万年もの長きにわたり縄文時代を持続させてきたご先祖の知恵をあおぎたくもなる。

 
 

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今日の筆洗

2019年05月22日 | Weblog

ゴジラはなぜ日本にばかりやってくるのか。日本製のゴジラ映画に限れば、ゴジラはたいてい日本にやって来る。南太平洋の海底から何度も何度も日本を目指してやって来る▼「ゴジラは、やって来るのではない。帰ってくる」。そうお書きになった、文芸評論家の加藤典洋さんが亡くなった。七十一歳。『敗戦後論』などの著作で戦後日本の在り方を問い直し続けた▼その論によれば、ゴジラとは第二次世界大戦の戦争の死者たちの体現物である。それが天国に行けぬまま「亡霊」となって日本に帰って来る。「この世界に漂い、さまよっている。機会があれば、自分のもといた場所に帰ってくる」(『さようなら、ゴジラたち』)▼ゴジラ=戦争の死者論は、日本がアジアでの戦争加害と向き合うためには、まず日本の戦没者を弔うべきだと書いた『敗戦後論』にもつながる。戦後、国立の追悼施設を創設し、戦争の死者を弔うべきだったのに問題をうやむやにした結果、戦争の死者を否定していいのか肯定していいのか分からない不気味な存在にしてしまっていないか▼戦争の先兵にして犠牲者。日本の戦争の死者の両義性を理解せずしてアジアの戦争犠牲者への真の謝罪はできない。その考えは今も刺激的である▼イデオロギーにとらわれず左右両派に対して厳しく咆哮(ほうこう)した人でもある。信用できるゴジラが海へ去って行く。

 
 

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今日の筆洗

2019年05月21日 | Weblog

作詞家の阿久悠さんが「誰が歌謡曲を殺したか」というエッセーを書いている。考えてみれば、その年を代表する曲を思い出せぬ時代になって久しい。全盛期を知る阿久さんには歌謡曲は「殺された」ように映っていたのか▼「聴き歌」がなくなったことを阿久さんは歌謡曲を殺した犯人の一人と考えていたようだ。「聴き歌」とは自分で歌って楽しむ「歌い歌」とは違い、もっぱら歌を聴き、歌い手の技、芸を楽しむ歌のことだそうだ。カラオケの普及もあって歌いやすい曲ばかりを求められる時代となり、プロ歌手の圧倒的表現力やプロ作家の革新的創作力は軽んじられ、結果、歌謡曲は衰えていったという▼阿久さんの説に「聴き歌」の歌手が思い浮かぶ。紫綬褒章に選ばれた石川さゆりさんである。卓越した歌唱力、表現力、訴求力。今では数少なくなった「聴き歌」の歌い手の功績が評価された▼代表曲「天城越え」(一九八六年)。作詞の吉岡治さんと作曲の弦哲也さんらが「カラオケで素人が絶対に歌えず、石川さゆりにしか歌えない歌」を目標に制作したという逸話がある▼無論、素人でも歌えなくはないが、<誰かに盗(と)られるくらいなら あなたを殺していいですか>という穏やかならぬ情念の世界は石川さんにしか表現できまい▼歌謡曲の衰退は寂しいが、良き「聴き歌」とその歌い手は忘れ去られることはない。

 
 

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今日の筆洗

2019年05月20日 | Weblog

 <恥(はずか)しさ医者に鰹(かつお)の値が知れる>。初ガツオの季節である。江戸時代、高い値にも見えと意地とで買い求められた初ガツオを詠んだ古川柳には面白いものが多い▼医者にカツオの値段を聞かれて答えるとそんな安物を買うからあたるんだと叱られた。そんな句だろう。高価といえど、カツオは傷みやすいので昼すぎると値を下げて売られていたそうである。<昼までの勝負と歩く初鰹>。こっちは値切られる前にと必死になるカツオ売りの気分だろう▼食べられる物が大量に廃棄される食品ロスの削減に向けて、ようやく値を下げる気になってくれたか。コンビニ大手のセブン-イレブン・ジャパンとローソン。消費期限の近づいた弁当やおにぎりを実質的に値引きして販売する方針を明らかにした▼値下げ額が実質5%と少々渋い気がしないでもないが、捨てられていた食品が値下げによって、少しでも人の胃袋にきちんと収まるようになればありがたい▼もっとも問題はコンビニより家庭内の食品ロスの方らしい。家庭で廃棄される食品は食品ロス全体の約四割。さて、これをどうするか▼<初鰹となりへ片身なすりつけ>。高いので片身はお隣さんに無理に買ってもらったという句。なすりつけるわけにはいかぬが、作りすぎた場合にはご近所に分けて食べていただくというかつての習慣が懐かしい。対策のヒントになるまいか。

 
 

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今日の筆洗

2019年05月18日 | Weblog

作家の藤沢周平さんに故郷山形の海にふれた随筆がある。海沿いのホテルで夜、眠れずに、海鳴りをしばらく聞いた。心に浮かんできたのは単純な懐旧の情ではない。<若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような悔恨をともなって甦(よみがえ)る…>▼海の声と形容されることもある波音や海鳴りは、美しい思い出だけでなく、過去への悔いもかきたてようか。今ならば、長い間、海そのものを人類が傷つけてきた悔恨の思いを浮かべる方も増えているだろう▼マリアナ海溝の一万メートルよりさらに深くで、プラスチックのごみが見つかった。鮮やかな色の微細なプラスチックの有害物質が世界の海に漂っているというニュースが届く。微生物よりも「廃プラ」のほうが多い海が、あるという。もう限界だという海の声である▼声に応える一歩だろう、廃プラの輸出などを規制するバーゼル条約の改正が決まった。中国が輸入禁止を決め、世界の海へさらに流出する恐れがあった。大量に発生させてきた日本も国内での処理など対応を迫られることになる▼プラスチックがなければ朝から何も始まらないほど、世の中の依存度は高い。関連産業は経済に大きな地位を占めている。廃棄物を減らし代替品を開発し使う。海を救うのは言うほど簡単でないだろう▼生活や社会を見直す大きな変革が伴うだろうが、その悲鳴を真剣に聞きたい。

 
 

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2019年05月17日 | Weblog

 ひどく寒い日、ヤマアラシたちが、凍え死にしないようにと体と体を寄せた。ところが、互いの針が痛い。あわてて離れると寒さにふるえ、また寄り添っては痛みを与え合う▼哲学者ショーペンハウアーが唱え、「ヤマアラシのジレンマ」として知られるようになった一種の寓話(ぐうわ)である。ちょうどいい距離を見つけるために、傷つけ合わなければならない悲しい性(さが)は、近寄ろうとして、時に大好きな人を傷つけてしまう人の世の比喩でもあるだろう▼その一頭はだれを傷つけることも、傷つくこともなく冒険を終えたか。先日、名古屋市の東山動物園のカナダヤマアラシが、近くの夜道に現れた。雄のムックで得意の木登りの能力を生かし、壁に立て掛けていた木を伝って抜け出したらしい▼数万本の針状の毛を背中に持ち、興奮すると逆立てるという。幸運だったのは見つけた五十代の男性が動物好きだったことだろう。むやみに触らず、車にはねられないよう五百メートルほどゆっくり付き添い、行く手を遮るようにして、電話ボックスに誘導したそうである▼一時的に休止になっていた展示が昨日再開された。本来温厚な性質の動物であるそうだ。昼のひと時、仲間と熟睡中だった▼傷つかず、傷つけずの男性の対応を、園の人が「神がかった」行動と言い、感謝していた。眠った顔を見ながら距離感が大切だと学んだような気がした。

 
 

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今日の筆洗

2019年05月16日 | Weblog

 少女が十二歳の時、父親は家を出ていった。寂しい生活にも夢があった。ダンサーになる。幼い時からレッスンを受けてきた▼ある日、大きな町へ出て、ダンスで生きると決意する。悲劇は出発の前夜に起きる。少女の乗った車が列車に衝突し、大切な脚に大けがを負う。ダンサーの夢をあきらめた▼長い入院生活。一つの楽しみに出会った。ラジオから流れる音楽。自分もそれに合わせて歌う。上手に歌える。今度は歌を目指そう。やがて少女は米国を代表する歌手、そして女優になる。「ケ・セラ・セラ」「センチメンタル・ジャーニー」などのドリス・デイさんが亡くなった。九十七歳。陽気さと秘めたる意志の強さ。一九五〇年代の米国の理想の女性像でもあった▼子どもの時、母親にこう聞いた。私、大きくなったら美人になるかしら、お金持ちになるかしら。代表曲の「ケ・セラ・セラ」はそんな歌である▼母親の答えが「ケ・セラ・セラ」(なるようになるわよ)。歌は続く。そして今、自分の子どもに同じことを聞かれる。私の答えも「ケ・セラ・セラ」▼未来は分からない。だから心配したってしかたがない。そう教えてくれる。その明るい歌声が困難にある人の心をどんなに軽くしたことか。歌に励まされるのはきっとその人も、いくつもの悲しみや試練を「ケ・セラ・セラ」で乗り越えてきたからなのだろう。

 
 

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2019年05月15日 | Weblog

 <虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹(ぼたん)かな>与謝蕪村。牡丹の季節である。<閻王(えんおう)の口や牡丹を吐(はか)んとす>。これも蕪村。蕪村の牡丹の句には虹やら閻魔大王の口やら鮮やかな美しさに加え、独特な存在感や不思議な凄(すご)みのようなものを感じる▼一人の女優の死去に蕪村の牡丹の大輪がふと浮かぶ。京マチ子さんが亡くなった。九十五歳。その演技は美しいばかりではなく、蕪村の牡丹のような味わいある色を輝かせた▼当時としては大柄な体格とエキゾチックな顔立ち。戦前の女優とは趣が明らかに異なる風貌と奔放な印象は戦後間もない日本によく似合っていた。そして人々は京マチ子に新しい時代を見たのかもしれぬ▼出演した「羅生門」がベネチア映画祭金獅子賞、「雨月物語」がベネチア映画祭銀獅子賞に輝く。その女優の世界での評価が敗戦に自信を失っていた日本人をどれほど勇気づけたことだろう▼その演技は時に華やかにしてしなやか。時に人の心に潜む闇まで醸し出し、軽妙なコメディーにまで対応できた。さまざまな色を巧みに見せた花である▼「羅生門」の人妻役はすでに決まっていたある女優を押しのけて、どうしても自分にと求めて手に入れた役という伝説がある。真偽不明ながら、その話に女優の熱と凄みを思う。日本の戦後に長く咲き続けた大輪豊麗の花が今散った。<牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片>

 
 

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2019年05月14日 | Weblog

奉公先のお金をなくし、橋から身を投げようとしていた女がいた。これを見かけた小間物屋の次郎兵衛さん。五両の金を与えて思いとどまらせる▼女はお礼をしたいと後で思ったが、名も町所も聞いていなかったことに気がつく。あの旦那にもう一度会わせてほしい。そう信心し、その三年後…。落語「佃(つくだ)祭」である▼あの噺(はなし)に似ていると思った人もいるか。那覇空港駅で財布をなくし、困っていた男子高校生に男性が声を掛け、飛行機代の六万円を差し出したという話題である。高校生はやはり名前を聞きそびれていた▼江戸時代とは違い、さすが高度情報化社会である。地元紙の報道などで恩人の身元が分かった。埼玉県の医師猪野屋(いのや)博さんとおっしゃる▼「この人は親切の国から親切を広めに来た人だよ」。落語によくある言い回しが浮かぶ。自分ならと考える。赤の他人に大金を差し出すことはおろか、声を掛けることにも自信がない▼落語では三年後、渡し船に乗ろうとした次郎兵衛さんを女がたまたま見かけ引き留める。次郎兵衛さんにはこれが幸いする。船は事故で沈没し、救った女に救われる結果に。まさかそんなことは起こるまいが、同僚から「だまされたんだよ」と言われていた猪野屋さん。自分を捜してくれた高校生の正直さに救われたということだろう。それにその高校生、やがて飛びきり親切な大人になる。

 
 

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今日の筆洗

2019年05月13日 | Weblog

 一九六六(昭和四十一)年六月のビートルズ初来日公演に合わせ、ある商品がよく売れたという伝説めいた話を耳にする。ピンとくる人は当時をよく知る世代だろう。ひょっとしたら実際に挑戦した人かもしれぬ。答えは練り歯磨きである▼練り歯磨きなどの会社が製品の空き箱を送ると無料招待チケットを進呈するという懸賞キャンペーンを行った。<ビートルズをみよう!ホンモノにしびれよう!>。当時の新聞広告である。入場券は高額な上、手に入りにくい。どうしても見たいファンは練り歯磨きをせっせと購入し、応募したらしい▼見たい人にとっては練り歯磨きを何本買ってでも見たいものだろう。そういうファン心理を利用する不届き者もいる。ダフ屋行為である。チケットを大量に手に入れ、欲しがる人の足元を見て、高値で転売し、利益を得る▼東京五輪のチケットの抽選申し込みが始まっている。初日は公式販売サイトにアクセスが集中し、つながりにくくなるなど混乱したらしい▼事前のID登録などは何やら煩わしく、ネットでしか申し込みができないのは不便という声も出ているが、いずれも転売を防ぐための措置と我慢するしかなかろう。せっかくの五輪をあこぎな荒稼ぎの場には断じてしたくない▼抽選申し込みは二十八日まで。別に先着順でもない。のんびり構えて申し込んだほうが良さそうである。

 
 

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