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今日の筆洗

2021年03月31日 | Weblog
「医者の不養生」「坊主の不信心」「算術者の不身代」「論語読みの論語知らず」−▼人々には立派なことを言っている専門家が自分の生活においては実行が伴っていない。そんなたとえや格言は数多い。言っていることとやっていることの落差が一種の笑いを伴い、人の口によく上るようになったのかもしれぬ▼令和の時代にその手のたとえの大ケッサクが生まれたと皮肉の一つも言いたくなるではないか。ただし笑いはない。悲しくなる。「厚労省の大宴会」である。厚生労働省の職員二十三人が銀座の居酒屋で夜遅くまで会食をしていたそうだ▼新型コロナウイルスの感染対策を担っているお役所である。国民には感染拡大を防ぐため、大人数の会食を控えて、飲食店の営業は午後九時までなどと口酸っぱく言いながら、自分たちは大宴会とはあまりにも情けないではないか▼介護保険を担当する老健局の職員だそうだ。コロナ対策とは直接関係のない局かもしれぬが、コロナ禍での仕事上のストレスは高かろう。憂さを晴らしたくなる気分は分からぬでもないが、その宴会は同じがまんを強いている国民への手ひどい裏切り行為である。同じ省内で日夜コロナ対策に頭を痛める同僚をもないがしろにしている▼一人ぐらいは止める人はいなかったのか。仲間の送別会だったと聞く。送別すべきはその思い上がった心だろうに。

 


今日の筆洗

2021年03月30日 | Weblog
 江戸末期の浮世絵師、歌川国芳の作品に「正札附(しょうふだつき)現金男」と銘打ったシリーズがある。歌舞伎や講談でおなじみの幡随院(ばんずいいん)長兵衛や野晒(のざらし)悟助が描かれているが、はて「正札附現金男」とは▼「現金男」と今、聞けば、お金で態度を変えるお調子者が浮かぶが、おそらく、「掛け値なし」のシャレだろう。「正札附」とは掛け値のない適正な価格を表示する札で、本物の男だての人物という意味になる。<現金、正札附、掛け値なし>で繁盛した越後屋の新商法とも関係があるか▼四月からは分かりやすい「正札」となる。商品やサービスの価格表示。四月一日以降、税込みの価格を示すことが義務づけられるそうだ▼本体価格千円、消費税が百円の商品ならこれまでは「千円プラス税」という表示が認められていたが、一日からは「千百円」と総額を示さなければならない▼値段が上がったように見え、商いに影響が出ると心配する声は分かるが、消費者としては実際に支払う金額をきちんと示してもらった方が分かりやすい。本体価格と混同し、支払った後でレシートを不信の目で見返すようなことも減るだろう▼少々ややこしいが、本体価格も合わせて表示できるそうだ。本体価格は大きく、総額は小さく表示されることもあるか。注意が必要で、幡随院長兵衛のせりふを借りれば、購入前に「おわけえのお待ちなせえやし」である。

 


今日の筆洗

2021年03月29日 | Weblog

 男は自宅の庭でバラの花を摘んでいた。エジプトからやって来た美しい女性に贈るため、バラを用意しようと思いついたのだ。その時にバラのとげが男の指に刺さった。小さな、小さな傷。ところが、傷はみるみるひどくなり、それがもとで男は命を落とす▼「バラに殺された詩人」。詩人リルケの死にまつわる伝説である。あくまで伝説であり、リルケが亡くなったのは白血病によるものだそうだ▼上空からの写真とエジプトという地名にリルケの死を思い出したが、刺さっているのは小さなとげどころではない。エジプトのスエズ運河で巨大コンテナ船が座礁し、運河の往来を妨げている。運河にとげが刺さっている▼原因は視界不良か人的ミスか。いずれにせよ、深刻なのはその影響である。止めてしまっているのはアジアとヨーロッパを最短距離でつなぐ海上輸送の要衝。わずか一隻の座礁によって、周辺では二百隻とも聞く船舶が足止めされ、運航再開を待っている▼復旧作業は難航している。船に浮力を与えるため、浚渫(しゅんせつ)し、タグボートで動かしたいが、なにせ相手は全長四百メートル、約二十万トン。浜に打ち上げられた巨大なクジラのようなもので、海へ帰すのは容易ではなかろう▼世界の経済に刺さったとげ。海上輸送の滞りによって原油高の兆しなど影響は既に出始めている。そのとげを早く抜き去る知恵はないものか。


今日の筆洗

2021年03月28日 | Weblog
 夕暮れどきに近所の野球少年が家の前でバットの素振りをしている。なかなか鋭い音を出している。こういう野球少年も最近ではなかなか見かけない。見ていて、なんだか、懐かしい気分になる▼顔見知りの小学高学年である。夏場にスワローズの帽子をかぶっているのでツバメ党なのだろう。「今年のヤクルトはどうかな」と声を掛ける。イガグリ頭の少年は素振りをやめ、こちらを向く。「五位ですね」と言う▼へえと思う。なかなか冷静なのだ。この年ごろのファンならひいき球団の予想順位を聞かれたら「絶対優勝」と言うものだろうと思っていた。自分がその年のころはそうだった。誰かがお気に入りのチームをくさせば、本気で腹を立てたものだ▼「でも田口が入って、投手陣はそろってきたじゃないの」。こちらの世辞にも少年はなびかない。「まだまだです」「優勝はずっと先です」。五位だと譲らない▼連れていた犬が先を急ぎたがったので詳しい分析を聞きそびれたが、夕闇の中の三分間の会話が楽しかった。野球に大人も子どももない。ペナントの行方について年齢も地位も関係なく、語り合える共通の「言語」。それがファンにとっての野球である▼二〇二一年のプロ野球が開幕した。なお観客制限があり、延長戦もなしとは不自由だが、今年もプロ野球はある。スワローズは少年の見立て通りか、連敗した。

 


今日の筆洗

2021年03月27日 | Weblog

 生命感に乏しい砂漠がきれいに思えるのはなぜか。王子が語る。<砂漠が美しいのは…そのどこかにひとつの井戸が隠されているからだよ>。『星の王子さま』(サンテグジュペリ)の知られた場面だ。聞いた「ぼく」は気付く。美しさをつくっているのは見えないものだと▼地球規模のコロナ禍でよくない話に事欠かない昨今の世界でも、人々が以前と変わらずに幸せを感じる国はあるという。国連関係機関が、例年この時期に発表する世界の幸福度ランキングが、先日明らかになった。コロナ流行下で、見えにくい幸福感を探る調査となったようだ▼いくつかの項目を巡り各国民が感じる幸福度をまとめるが、一位は今回もフィンランドになった。北欧の他国などを従え四年連続だ。欧米メディアによると、流行が比較的小さく抑えられ、ひどい医療崩壊も避けられた。公的機関への信頼や国民同士の寛容さも大きく、高かった数値を維持したようだ▼わが国は、順位を少し上げての五十六位であった。先進国の中では、見劣りする順位のままである▼手法や調べる項目などに疑問も指摘されてきた調査である。とはいえ、これほど安定した首位の国の井戸に、学ぶべき幸福の秘密は、ありそうだ▼最近は、外から聞こえる登校の子どもの笑い声に、幸福を感じるような気がする。日常がどれほど戻ったかを表す指標があるといい。


今日の筆洗

2021年03月26日 | Weblog
 有頂天でもいいはずなのに、横綱昇進を伝えられた力士の顔はだいたい硬く、厳しい。「選ばれてあることの恍惚(こうこつ)と不安と二つ我(われ)にあり」。太宰治が好んだベルレーヌの詩の一節を、伝達式のニュースに思い出したことがある。選ばれて就いた時から、最高の名誉と一緒に、深い憂いを引き受けなければならない。あれは、そんな地位ゆえの顔なのであろう▼下位に戻ってやり直せないのが横綱だ。余力があっても、結果が出なければ引退である。けがを治す時間もさほど与えられない。歓喜の時は限られ、重圧は大きい▼横綱鶴竜が引退した。選ばれた者だけが味わう不安から解放された人のものだろう。ほっとしたような顔をみせていた▼場所前、一度は現役続行を望んでいる。もう一場所だけ休ませてもらえれば、という自信があったにちがいない。胸の中に悔いもあろうが、不在の期間は長く、「引退勧告」もありそうな状況であった▼モンゴルで相撲の経験はなく、体格も大きくなかったという。なのにやってきた。努力と熱意の人である。性格がにじんだやさしい表情、技だけでなく力勝負もできた厳しい相撲は魅力だった。下位でもいい。まだまだ見ていたかったが、かなわないのがこの地位である▼満開になったとたん強風にさらされる。余力や悔いを残して散る無念を栄養分に、綱の権威は保たれていくものらしい。

 


今日の筆洗

2021年03月25日 | Weblog

 作家井上靖さんは金沢の旧制四高で柔道に打ち込んだ。日常的な楽しみを捨てて、ひたすら道を究めようとする若者らが集った世界を自伝的小説の『北の海』でえがいている▼<練習量がすべてを決定する柔道というのを、僕たちは造ろうとしている>と登場人物は言う。そんな世界に、自身の柔道人生を重ねていたようだ。五輪金メダリスト古賀稔彦さんである。井上さんへの共感の言葉が、兄元博さんの著書『古賀稔彦が翔(と)んだ日』の中にある▼天才肌の印象もあるが、日々の練習は、時に「狂気すら」感じるほどだったと兄は書き留めている。ひたすら道を究めようとしてきた人であろう。早すぎる五十三歳での訃報が昨日届いた▼ソウル五輪で惨敗している。周囲に頭を下げる両親の姿を映像で見た。通りすがりの人に次こそはと声をかけられた。一人で勝負しているのではないと思ったそうだ▼国際舞台では優勝以外求められず、美しい勝ち方でなければ不満も出る。体格の不利をはね返してこその声もあがる。日本柔道界のそんな重い期待を引き受けてきた。けがを乗り越えたバルセロナ五輪の金など、忘れられない場面は多い。引退後も指導者として、柔道界に尽くしてきた▼著書で得意の背負い投げの要点を解説している。一度仕掛けたら絶対に戻るな。短くとも、まっすぐに駆け抜けてきた柔道人生であっただろう。


今日の筆洗

2021年03月23日 | Weblog

 先週末の強い雨風にサクラの花が心配になる。月曜の早朝、近くの公園に確かめにいく。ソメイヨシノは風にも負けなかったようだ▼残念。こちらはずいぶんと散っている。濃いピンクの花びらが散り重なっている。少々早咲きのサクラなのでしかたがないか。満開は見逃したが、地に落ちてなお鮮やかなピンクが美しい▼品種名は「陽光」。別に「非戦のサクラ」とも呼ばれる。愛媛県東温市の元教員、高岡正明さんという方が私財をなげうち、およそ三十年かけて、生み出した新品種のサクラである▼戦争中の教員時代、教え子たちを戦地に送り出し、死なせてしまった。その後悔から、教え子を鎮魂するサクラを作りたいと考えた。映画監督、高橋玄さんの「陽光桜」(集英社ビジネス書)に詳しい▼極寒の地、炎熱の地で亡くなった教え子がいるのでどんな気候でも花を咲かせるサクラにしたい。害虫にも強くなければ。人工交配を繰り返した。濃いピンク色にこだわったのは平和のシンボルとして海外でも愛される色にしたかったからだそうだ。一九八一年に品種登録され、全国に広がった。今では身近なサクラとなった▼「この美しい桜の姿を見ているだけで、人類は争いなどする気もなくなるわい」。高岡さんはそうおっしゃっていたそうだ。花見はしにくい時節なれど「争い」を忘れさせるピンクの力を信じている。


今日の筆洗

2021年03月22日 | Weblog

「プール取材」と聞いてどこぞのスイミングプールへいそいそと向かう報道記者はいない。代表取材のことで、取材会場が狭い場合、数人の代表者が会場に入り、その様子を各社に伝える。よくあることだ▼「プールスプレー」。こちらは初めて聞けば、戸惑う。この場合のスプレーとは外交会談の場などで代表取材団に許される会談冒頭の写真撮影のこと。語源は知らぬが、ストロボの放列をそう見立てたか。日本では「頭撮り」と言う▼「頭撮り」は数分で追い出されるのが普通だが、約一時間に及んだとはその会談がいかに尋常でなかったかがうかがえる。米アンカレジでの米中の外交トップによる会談である▼対立を強める両国双方が人目も気にせず、非難の応酬を演じた。カメラの前で自国の主張を見せたかったか。意地の張り合いもあっただろうが、「プールスプレー」で剣呑(けんのん)な香りのするスプレーをかけられた気になるのはこちらである。二大国の関係はここまで悪化している▼会談後、率直な話し合いができたと双方が語ったことは唯一の救いで、今後もよく話し合うしかない▼スプレーで思い出すシャレがある。「SPRAY AND PRAY」。スプレーして祈れ。軍隊用語か、とにかく銃を乱射しろ、当たるかもしれないという意味。とにかく数多くの話し合いを。相手の胸に届くかもしれぬではないか。