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今日の筆洗

2021年08月31日 | Weblog
八月三十一日をめぐる思い出はどなたにもあるだろう。地域にもよるが、夏休み最後の日である。よみがえってくるのは楽しい思い出よりも、終わっていない宿題に右往左往した苦い記憶の方か▼作家の向田邦子さん。小学三年の夏休みの最後の日、家族旅行からの帰りの車中で九九を覚える宿題を済ませていないことを思い出して、泣いた。車の中で父親が教えてくれる九九を泣きじゃくりながら、覚えたそうだ▼作家の安岡章太郎さんの思い出は小学五年。三十一日の夜、やっていない宿題を母親に見つかった。徹夜で片付けたそうだが、でたらめな数字や問題とは関連のない文句を思いつくままに書き連ねて提出した。なぜか先生に叱られなかったそうだ▼やるべきことをやっていない。もう間に合わないかも。子ども時分はこの世の終わりのような気分にもなったが、今、振り返れば、笑い話にもなる▼宿題の件ばかりではない。行きたくない学校や会いたくない同級生のことを思い煩い、憂うつになっている子どもが心配である▼子どもが浮かぬ顔をしていれば声を掛け、話を聞いてやりたい。子どもには深刻な問題も大人が聞けば、何か解決の糸口が見つかることもあるだろう。真剣に耳を傾ける大人の姿に子どもの心も少しは落ち着くかもしれない。話をしよう。われわれ大人は八月三十一日に泣いたOBとOGである。

 


今日の筆洗

2021年08月30日 | Weblog
「ジャミラ」と聞いて身を乗り出してくるのは六十前後の方だろう。「ウルトラマン」に退治された怪獣である。半世紀以上も昔のジャミラの悲しげな声が今でも耳に残っているという方もいるだろう▼怪獣ではあるが元は人間。宇宙飛行士だったジャミラは事故で水のない星に着陸。過酷な環境に耐えているうちに怪獣となり、やがて地球を襲う。自分を救助することなく見捨てた人間への復讐(ふくしゅう)のためである▼俳優の二瓶正也さんが亡くなった。八十歳。「ウルトラマン」の科学特捜隊のイデ隊員役の印象が残っている。イデ隊員はとりわけジャミラに同情し、攻撃をためらっていたっけ▼ジャミラは科学の進歩という美名の下に捨てられた犠牲者ではないのか。その死に際してもイデ隊員はジャミラを生みだし、殺した人間側を冷ややかに見ていた▼二瓶さん演ずるイデ隊員は明るく心やさしかった。屈強とはいえない。失敗も目立ち、ベッドから落ちて目のまわりにあざをつくるような隊員でもあった。それでいて怪獣側の事情にも理解を示し、怪獣は退治すればいいという一方的な正義に対し、時に疑問を投げかけていた▼あのころの子どもは自分と同じようにドジで悩みもあるイデ隊員を身近に感じていたのだろう。そしていくつになってもイデ隊員を忘れない。なんだか、古くからの友達が遠くに行ってしまった気がする。

 


今日の筆洗

2021年08月29日 | Weblog
 魔法の国に行ったドロシーは自分の家に帰りたくなる。よい魔女が帰り方を教えてくれる。米映画「オズの魔法使(まほうつかい)」(一九三九年)である▼靴のかかとを三回ならし、こう唱える。「おウチほど良い場所はない、おウチほど良い場所…」。「虹の彼方(かなた)に」あるという悩みも心配もない場所へ行きたがったドロシーだが、自分の家こそがその場所であった▼ドロシーの唱えた呪文は英語では「THERE IS NO PLACE LIKE HOME」。旅行から帰ったときに日本人もほっとしてよく使う、あの言葉と雰囲気は同じだろう。「やっぱり、家が一番」▼そう言えるのはやはり幸せなことだ。気の重くなる話である。全国の児童相談所が昨年度に対応した児童虐待の件数は二十万五千二十九件。二十万件を超えるのは一九九〇年度の統計開始以来初めてという▼二十万件の子どもの泣き声。身体的虐待や子どもの前で親が家族に暴力をふるう面前DV(ドメスティックバイオレンス)などの犠牲になっている子どもにとっておウチは良い場所でも一番でもなく、危険で恐ろしい場所になっている。安全でくつろげる居場所がない。小さな胸にある苦しみの大きさと悲しみの深さを思う。ましてや、コロナ禍のステイホームの時代である▼取り組みを急ごう。すべての子どもに「おウチほど良い場所はない」と言ってほしい。There's No Place Like Home - The Wizard of Oz (8/8) Movie CLIP (1939) HD

 


今日の筆洗

2021年08月28日 | Weblog

なぜ、テロはなくならないのか。アフガニスタンで活動した医師の中村哲さんが、参考人として招かれた国会で発言している。「土壌、根っこの背景からなくしていかないと、ただ、たたけ、たたけというげんこつだけではテロはなくならない」。食えず、人々が追い詰められた状況でテロは起きてきた。なくすためには、「貧困の退治」であると▼一昨年、命を落とすまで、医療や衛生環境の整備などを通じて、長い間、地道にその「根っこ」に向きあった人の貴重な実感であろう。多数の死者を出す爆破テロが首都カブールで起きた。未解決な「土壌」の問題もあるのか、別の要因か。中村さんの言葉が聞きたくなる▼犠牲者には、市民も含まれている。国外を目指す多くの人々が集まった空港付近を狙う卑劣な犯行だった。犯行声明を出した過激派組織「イスラム国」系勢力はタリバンの敵であるらしい。米軍撤退による権力の空白を突き、混乱する国にいっそうの恐怖をもたらした。許しがたい▼米国では撤退の是非や時期などをめぐり、政権に批判が出ている。長年たたいていながら大きなテロが起きた。その動揺もあるかもしれない▼バイデン大統領は報復の意向を示した。米中枢同時テロの報復攻撃が始まり二十年。その出口でまた報復の指示だ▼テロのない国へと向かっているのか。アフガニスタンの道のりである。


今日の筆洗

2021年08月27日 | Weblog
北欧の国のプロサッカーリーグでの出来事であった。試合中にゴールの柱を力ずくで内側に動かし、失点を防ごうとしていたゴールキーパーのニュースを以前、ネットで見たことがある。主審に見つかり、元に戻されたため、決まったはずのシュートが、外れてしまう事態にはならなかったようだ▼英語辞書にもある「ゴールポストを動かす」とはひそかにルールや条件を変える不正な行いに使う表現である。比喩を地で行くアンフェアなプレーに、眉をひそめるファンもいたらしい▼命にかかわる新型コロナウイルスとの戦いに並べるのは適切でないかもしれないが、ゴールが動いたようだ。集団免疫を獲得するため、人口比で70%が、ワクチン接種の目標と、かつては言われていたはずである。見事に達成したはずの国で感染がまた拡大している▼途中で何かが変わったことを示しているだろう。感染力の強いデルタ株のまん延により、集団免疫は遠く、90%近く必要だという見方もあるそうだ▼ワクチンは「ゲームチェンジャー」とも言われたが、デルタ株もまたルールを変えたようである。接種率のいっそうの向上という難しい課題と三回目の接種に取り組み始めた国もある▼重症化や死亡などを防ぐワクチンの効果は依然大きいという。ゴールもはっきりとはしない困難な戦いだが、見えている目標を目指すしかないようだ。

 


今日の筆洗

2021年08月26日 | Weblog
 とっくの昔に閉めたと聞いた故郷のレコード店のことを思い出している。一九七八年。時代はパンクに移り、ストーンズは古いと同級生は笑った▼「ロックン・ローリング・ストーンズ」。店で手にしたLPは古い曲を寄せ集めた編集盤でジャケットもあか抜けない。同級生は止めたが買った。確か千六百円。中学生は廉価盤に飛びついた。それがストーンズへの入り口だった▼つまらぬ話を書いた。ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが亡くなった。八十歳。あの時の中学生が還暦近いのだからストーンズだって年を取る。いつかはこんな日がと覚悟もしていたが、少年期から鳴り響いていた音楽が突然、消えた心地になる▼アクの強いメンバーの中で寡黙な職人のような人だった。汗だくのプレーとは無縁。退屈そうな顔で淡々とリズムを刻む。それでいて醸し出される独特なうねり。結成約六十年、主導権争いの絶えぬバンドの中で温厚な人柄と音楽性がメンバーをつなぎとめていた▼ミック・ジャガーを殴ったという意外な話がある。解散論が出た際のミックの言葉が許せなかった。「チャーリーは関係ない。彼はオレのドラマーにすぎない」。仲間ではなく使用人のような言われ方に手が出た。バンドにこだわった人なのだろう▼要を失ったストーンズ。苔(こけ)むさず、「転石」を続けられるか心配である。

 


今日の筆洗

2021年08月25日 | Weblog

東京パラリンピックが開幕した。オリンピックにあってパラリンピックにはないもの。選手へのブーイングもそのひとつではないか。障がいのある選手のドジや失敗を誰もからかったりはしない▼大変な困難の中でがんばっているのだから。そんな思いが「あたたかい目」になるのか。ブーイングや文句を口にする人はまずいない▼前回、六四年の東京パラリンピック開催を巡って「障がい者を見せ物にする気か」という批判が出たそうだ。これもある種の「あたたかい目」だろう。だが、その考え方が間違いだったことは、現在の障がい者スポーツの隆盛を見れば分かる▼ある選手が語っていた。「自分のことは新聞の社会面ではなく、運動面で書いてほしい」。美談の人ではなく競技者として扱って。同情も「あたたかい目」もいらない。そう考える選手がいる▼なるほど、「あたたかい目」はやさしいが、障がい者を特別視する目になっていないか。裏を返せば、障がいのないことが大前提となってしまっている社会の弁解じみた、やさしさなのかもしれぬ▼バリアフリー化が進まない現状がある。気まぐれな「あたたかい目」よりも、意識すべきは同じ人間という一点であろう。誰もが同じように不自由なく暮らせる。そういうあたりまえの社会が求められていることをパラリンピックを機に考えたい。さて、ゲームが始まる。


今日の筆洗

2021年08月24日 | Weblog

アイスクリームに食パン、ビールに牛鍋。いずれも日本における発祥の地は横浜である。一八五九年の開港以来、港・ヨコハマは異国文化の流入拠点であり、そこからさまざまなものが全国へと広がった▼横浜発祥のものの多さを自慢する横浜市民なれどカジノだけは「横浜発祥」とはしたくなかったか。横浜市長選。カジノを含む統合型リゾートの誘致に反対する野党系の山中竹春さんがカジノ推進派の現職を破って当選した▼これで横浜に日本初のカジノが来ることはなさそうだが、この地が別のものの「発祥地」となるかもしれない。いうまでもなく、「菅首相離れ」である▼首相が全面支援した自民党所属の小此木八郎さんは山中さんにまるで歯が立たなかった。首相のお膝元、横浜で知名度もある小此木さんが惨敗した事実を見れば、総選挙を控える自民党議員が動揺するのは当然のことだろう。効果を上げぬコロナ対策で不人気の菅さんが首相(自民党総裁)のままでは総選挙は戦えないと考えたくもなる▼一時は菅さんの無投票再選さえささやかれていた九月の自民党総裁選だが、この市長選の結果で潮目は完全に変わった▼<街の灯(あか)りがとてもきれいね>のご当地ソング「ブルー・ライト・ヨコハマ」。菅政権には美しいロマンチックなブルーではなく、危険を知らせる「レッド・ライト・ヨコハマ」がともっている。