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今日の筆洗

2018年03月31日 | Weblog

 さて、問題です。「リンゴ村から」(三橋美智也)、「リンゴ追分」(美空ひばり)、「お月さん今晩は」(藤島桓夫)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)…。いずれも流行歌の題名ですが、その共通点は?▼古い流行歌ファンなら、すぐにピンとくるだろう。どの曲も「上京」がテーマである。都会へのあこがれ、故郷との別れ。東京への人口流入が加速した高度成長期にはこうした上京ソングが量産され、ヒットした▼北島三郎さんの「函館の女(ひと)」(一九六五年)も上京ソングだったそうだ。<はるばる来たぜ函館>の歌い出しは当初<はるばる来たぜ東京>だったと聞く▼進学や就職に伴う上京のシーズンである。高校を中退した北島さんは東京へ出たいと両親を説得し、何とか許してもらえたそうだ。「実家は貧乏だったが、おやじがベージュのレインコートと、なぜかチョコレート色の革靴を買ってくれた」▼桜の下、アパートに横付けになった引っ越しトラックを散歩途中に見かけた。荷物が少ないので学生さんか。この引っ越しにも新生活への期待と親元を離れる寂しさが詰まっているのだろう。親にもらった、その人にとっての「ベージュのレインコートとチョコレート色の革靴」も積まれているか▼<やればやれそな東京暮らし 嫁ももらっておふくろ孝行>-。同じサブちゃんでも「帰ろかな」を口ずさむ。


今日の筆洗

2018年03月30日 | Weblog

 たとえば、地下鉄のストで大混乱が予想される時。あるいは水害の被災地が復興に立ち上がる時。英国では、よくこんな言葉が語られる。「ダンケルク精神を発揮しよう」▼一九四〇年五月、ナチス・ドイツの侵攻で連合軍は仏北部ダンケルクに追い詰められた。絶体絶命の三十数万をどう救うか。英政府の試算では救出しうるのは数万▼そこで力を発揮したのが漁船や遊覧船など民間の船。船乗りたちは自発的にダンケルクに向かい救出作戦に加わった。昨年公開の映画『ダンケルク』やきょう公開される『ウィンストン・チャーチル』が描く第二次大戦の一幕だ▼それは華々しい勝利の場面ではない。負けを最低限に抑え、次に備えるための「撤退戦」である。英国にはワーテルローの戦いなど歴史的戦勝が数々あるが、今でも人々が好んで口にするのが「撤退戦の精神」というところが、おもしろい▼考えてみれば、わが国は撤退戦が苦手だ。第二次大戦は無論のこと、今日においても、国の財政は大赤字で社会は少子高齢化という追い詰められた局面なのに、核燃サイクル事業など巨大事業からの撤退一つすらできぬ▼英首相チャーチルはダンケルクの戦いの一年後、国会で誇らしげに語った。「わが国民はかなりユニークである。状況がいかに悪いか、どこまでひどくなるか喜んで聞きたがるのだ」。さて、わが国民は…。


今日の筆洗

2018年03月29日 | Weblog

 「現代における最悪の病は、誰からも求められず、見捨てられているという感情だ」と言ったのは、マザー・テレサだ。この現代の病を、音楽の力で癒やそうとした人がいる。先日、七十八歳で逝った南米ベネズエラのホセ・アントニオ・アブレウさんだ▼ベネズエラでは、多くの子どもたちが貧しい地区で暮らし、誰からも期待されず、自らも何の希望も持てぬまま、非行に走っていた。そんな子どもたちのために彼はオーケストラをつくったのだ▼無料で誰でも学べる「エル・システマ」という音楽教育の仕組みを国中に広め、とにかく子どもに楽器を持たせ、合奏させた▼下手でもいい。ちょっと弾けるようになった子が、できない子を教える。音楽が響き出せば、たとえ拙くとも、子どもたちはそこに自分が必要とされる場所を見いだす。そういう試みだ▼そうして生まれた音は世界を驚かせた。心の底から音楽を楽しみ、生きがいを見いだした子どもらが奏でる新鮮な調べは、超一流の音楽家たちをも魅了し、そのオケ「シモン・ボリバル交響楽団は、欧米で最も切符が取りにくいオケの一つとなった▼二十世紀を代表する名指揮者フルトベングラーは「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」と語ったそうだが、アブレウさんは、人と人とを音楽でつなぐことで、感動の調べを世界に響かせたのだ。

 

シモンボリバル・ユース・オーケストラ ノリノリのアンコール!



今日の筆洗

2018年03月28日 | Weblog

 男がワインの試飲で、製造年とブドウ園まで当てると申し出た。外れたら二軒の家を渡す。その代わり、当たれば「娘さんと結婚を」。小さな村のワインだったので当たりっこないと主人は受けて立ち、書斎から秘蔵のワインを持ってくる。英作家ロアルド・ダールの短編『味』の一場面▼男は口に含み目を閉じ集中する。「わかったぞ」。製造年とブドウ園を告げる。的中していた。そのときメイドが書斎に忘れてあったと眼鏡を持ってくる。その男のもの。事前に書斎に忍びこみ、ワインのラベルを読んでいたことがばれてしまう▼うまく演じたつもりが、自分では気づかぬ落とし穴があった。その小説のことを思い出させたのは昨日の「森友学園」への国有地売却をめぐる証人喚問である▼真相解明にはほど遠かった。証人の佐川前国税庁長官は訴追のおそれを理由に決裁文書改ざんの経緯を明かさぬ。ただ一点、不自然なほど強調したのは首相や夫人の土地売却への関与はないということである▼うまくかわした、おつもりかもしれぬ。しかし、核心を避けながら「責任は自分に」と誰かを守ろうとする姿を国民はどう見たであろう。その証言自体にこの問題に潜む「忖度(そんたく)」の二文字があらためて浮かばなかったか▼どこかに、「国民のための」という眼鏡を置き忘れなかったか。仕事熱心なお方に見えた。その分、悲しい。


今日の筆洗

2018年03月27日 | Weblog

 その行進で、歌手・女優のジェニファー・ハドソンがボブ・ディランの「時代は変わる」を歌っていた。若い世代が古い時代を変えていく。<今は負けている人もやがて勝利をつかむだろう。時代は変わっていくのだから>。そんな歌だった▼全米各地での銃規制を求める大規模行進。主催したのはフロリダ州の高校の生徒である。その高校では二月に銃乱射事件によって十七人が亡くなっている▼首都ワシントンでの行進には約八十万人(主催者発表)が集まった。仲間を銃に奪われた高校生たちの声は歴史的な規模の集会へと姿を変えた。おそれいる▼生徒の一人がこんな演説をしていた。「カルメンはピアノの練習で、文句をいうことがもうできない」「ヘレナは放課後に、友だちとぶらつくことがもうできない」-。命を奪われた級友の名と、それぞれの「もうできないこと」。あの悲劇さえなければ、今もできた、悲しみと怒りのリストである▼時代を変えることはできるか。暗殺、乱射。相次ぐ銃の事件にもびくともしなかった米国の歯車を若者が今、少しでも動かそうともがいている。大人たちが手を貸そうとしている。それが、「八十万人」の意味であろう▼あの女性歌手も母親を銃の凶行によって奪われている。身近にいた人を銃で亡くした悲しみの力が一つに集まろうとしている。「時代は変わる」を祈りたい。


今日の筆洗

2018年03月26日 | Weblog

 歌人の穂村弘さんが桜の花が咲きそうになると「変に焦る」と書いていらっしゃる。焦る理由は「いつ、桜を見たらいいのか分からない」▼どうせ見るのなら「最高の桜」を見たい。いつがいいだろう。迷っているうちにどんどん時間が過ぎてしまい、「その結果、ちゃんと桜を見ないうちに春が終わってしまう」▼分かる気がする。せっかく出かけていったのに満開を外れ、三分咲き、あるいは散り際だったとなると損をしたようでちょっと悔しい▼ことしの桜はとりわけ、「いつ」が難しかったか。あっという間、満開へと近づいていった気がする。各地とも、例年より開花の時期がかなり早かったようだ。しかも冬の寒さが厳しかったせいか、桜前線の訪れをまだまだと油断していたようなところがあったかもしれぬ▼<油断して花に成たる桜かな>。江戸中期の俳人、三浦樗良(ちょら)。こっちの油断は桜の方。つぼみのまま、ふんばっていたのだが、ちょっと気を抜いてしまったら、花が咲いてしまったという句だが、今年の桜にも、そんな印象がある▼さて、いつ桜を見るべきかでお悩みの方には穂村さんのよいアドバイスがある。「見に行けばいいのだ。いつでもいい。どこでもいい」。三分でも、散り際でも、それぞれの良さがある。見に行けば、その時が、最高の「今」なのだと。このあたり生きていくコツにも通じるか。