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今日の筆洗

2020年05月31日 | Weblog

「風が吹く時、ゆりかご揺れる 枝が折れる時、ゆりかご落ちる 赤ちゃん、ゆりかご、もろともに−」英国の伝承童謡、マザーグースの一編である▼その不気味な文句をつい連想する米国ミネアポリスの暴動をめぐるトランプ大統領のツイッターである。「looting(略奪)が始まる時、shooting(銃撃)が始まる」▼暴動の発端は白人警官が拘束した黒人男性を死に至らしめた事件である。映像がある。地面に転がされた男性の首を警官が膝を使って約八分間、押さえ込む。「息ができない」という訴えは聞き入れられない。男性は搬送先の病院で亡くなった。映像から伝わる悲しみ、怒り、無力感は暴動という形で、爆発した▼「略奪が始まる時」という大統領のツイートに対し「暴力を美化している」と運営するツイッター社は注意喚起のコメントを加えた。不適切と判断した理由はその言葉の歴史と背景に関係がある▼一九六七年にマイアミのある白人警官が黒人への対処方法について述べた言葉と伝わる。その意味はもし黒人が略奪すれば、われわれは容赦なく撃つ。冷酷な脅しであり、暴力を認める言葉である▼事件を悼み、差別を戒め、社会を癒やすべき大統領が暗い歴史を持つ暴力の言葉を使った。木の上で差別という風に大きく揺れる米国というゆりかごを心配する。大統領自ら、揺らしている。米国で白人警官が黒人男性の首押さえ死亡 差別への抗議活動が過激化

 


今日の筆洗

2020年05月30日 | Weblog
 永六輔さんはかつて「計量法粉砕コンサート」なるイベントを開催している。国際標準の単位を優先し、わが国古来の尺貫法を禁じていた制度に反対する運動の一環だった。法律違反を承知で鯨尺などを会場で配った。「文化を守るための武器」だと言った▼日本人の身体にも基づいている尺貫法が消えてしまえば、職人が困るだけではなく、付随する文化も断絶し、失われてしまうという危機感を持っていたようだ。永さんの運動は共感を呼んでいる▼話を思い出したのは、国際標準という言葉を最近、よく聞いたからだ。学校の九月入学制をめぐる議論である。検討してきた与党は慎重論に傾いているという。本年度、来年度に実施するには社会、経済の負担や混乱が、大きいとみているようだ▼国際標準に合わせる必要はあるという話はまだ生きているのだろうか。近代以降ではあるが、根付いている春入学が変わることに一抹の不安を感じている身には、少し気になる▼留学しやすさなど九月にする利点は大きいのだろう。一方で外国を向いて教育することにならないか、人材が出て行くばかりにならないかなど、少数意見のようでもあるが、疑問が浮かんでくる▼外国の出来事が即座に国境を超えて影響する世界の負のほうの面をみたばかりでもある。身の丈に合ったものをやめるのは少なくとも慎重に、と思えてならない。

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今日の筆洗

2020年05月29日 | Weblog
 「すべては五分五分」が作家の池波正太郎さんの人生観であったという。召集され、海軍に行っている。生きて帰れる確率は、よくて五分五分と覚悟を決めていた。戦後、文学賞に何度も落選して挫折しなかったのは、すべては五分五分と意識していたからと随筆に記している▼残された生を意識することが身内に優しく接することにも、つながった。そんな趣旨のことも書いている。死を強く意識し、死線をくぐり抜けてきた経験は、残りの生の意味、使命の意識を、見つめ直す契機になることは、あるだろう▼何割なのかは知らないが、生存は絶望の域にもあったと報じられている。京都アニメーションの放火殺人事件から約十カ月が過ぎて逮捕された青葉真司容疑者である。ニュースの写真や映像からは、負ったやけどの重さ、生死の境を越えてきたということが感じられた▼治療した医療関係者の尽力は、たいへんなものであったようだ。「生かすことが被害者や遺族のためになる」という医師の言葉が報じられている▼その声が青葉容疑者に少しでも響いていることを望みたい。死線から救われたことの意味を考えるなら、遺族に向き合ってほしい。なぜこのような犯行に及んだのかなどをすべて語らなければならない▼もはや取り戻せないものばかりであるが、使命を感じるとすれば、それをおいてほかにはないだろう。

 


今日の筆洗

2020年05月28日 | Weblog
 米国出身の日本文学者、ドナルド・キーンさんは日本人からたびたび同じ質問を受けたそうだ。「あなたは俳句を理解できますか」▼俳句に精通するキーンさんだが、二種類の回答を用意していた。一つは「無理ですね。日本で生まれていなければ、俳句を理解できるはずはありません」。こう答えると聞いた人はうれしそうに「そうでしょうね」と相づちを打つそうだ▼もう一つの答えは「もちろんです。俳句なんてそれほど理解しにくいものではありません」。この答えだと「興ざめた顔をして、話題を変える」という。外国人には理解できない。それが日本人にはうれしいらしい▼国際社会で日本の新型コロナ対策の評判が上がっているそうだ。日本は、外国人には「理解できない方法」によってコロナ対策に成功したのではないか。そう持ち上げられて満足そうに相づちを打つ日本人の顔がつい浮かぶ▼検査体制は不十分。強制力を伴う都市封鎖もできないのに感染者数を抑制できたのが、奇妙に見えるらしい。独自のやり方が評価されていると聞けば悪い気はしない。「不思議」と言われることも日本人の心をくすぐるが、調子には乗るまい▼検査体制、医療体制が対応しきれなかった事実に変わりはない。ましてや、その褒め言葉に日本人はコロナに強いのかもと過信すれば、次の闘いで苦戦するのは何の不思議もない。