1957年、岸信介首相は初の外遊としてビルマ(現ミャンマー)やタイなどを訪れた▼ビルマでは戦時中の旧日本軍の行いをわびたと伝わる。日本の首相として初めて東南アジアを訪れたのは、対米外交のためでもあったと本人が回顧録で明かしている▼諸国の信頼を得て地位を築き「アジアの中心は日本」と米国に思わせてこそ日本の立場は強くなると考えたそう。国論を二分してまで、日米関係を平等に近いものにすると日米安全保障条約を改定した人だが、初外遊もその地ならしだったらしい▼石破茂首相の初の外遊はラオスでの東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議となった。刺激の強そうな持論のアジア版北大西洋条約機構(NATO)創設は提言しないという。今月の衆院選の洗礼を経ないと本格外交はできぬだろうから、まずは顔見せか▼岸氏と比すれば、在日米軍の特権的地位を定め、不平等と指摘される日米地位協定の改定を掲げるあたり姿勢は重なって見える。氏の孫の安倍晋三元首相と距離ができ、先の自民党総裁選以降に深まった旧安倍派との溝が政権の火種なのが皮肉と思える▼岸氏は最初の外遊後すぐに訪米。アイゼンハワー大統領とゴルフで人間関係を築くが、石破氏がゴルフ好きとはあまり聞かない。何を介してであれ、米大統領との関係構築の努力ができるかも選挙の結果次第である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます