作家のねじめ正一さんが子どものとき、家にはまだテレビがなかったそうだ。団塊の世代の子ども時代には特別なことではないだろう▼父親に泣いてせがんだが、買ってくれない。仕方なく自分で製造することにした。古い茶ダンスの戸をはずし、おばあちゃんに白いカーテンを付けてもらい、ボール紙を丸く切り抜いたチャンネルを貼る。そしてこう言い聞かせる。「これはテレビだ! これはテレビだ! これはテレビだ!」▼「これはドラクエだ! これはドラクエだ! これはドラクエだ!」。そう自分に言い聞かせる子どもがいるかもしれぬ。発売された人気のゲームソフト「ドラゴンクエスト11 過ぎ去りし時を求めて」。発売初日に家電店で行列ができたそうだが、この手の話題で気になるのは手に入れられぬ子のことか▼プレイステーション4向けが九千六百九十八円、3DS向けが六千四百五十八円か。これでゲーム機本体も含めれば…と余計な心配をする▼子どもの「みんな持っている」と親の「ウチはウチ、ヨソはヨソ」。いつの時代もこの攻防戦か。短波国際放送が聴ける「スカイセンサー」がかなわなかった身だが、子どもに味方はせぬ。親には買わぬ理由もあれば事情もある▼大人になればきっと分かる。それにねじめさんの話といい、手に入らなかった物の記憶はなんだか濃い。慰めにはならないか。
打ち上げ花火の三尺玉は直径約九十センチ。約六百メートルの高さまで上がり、大輪は九百メートルにまで広がるという▼井上ひさしさんの『京伝店の煙草(たばこ)入れ』に、現在でも大物の三尺玉の打ち上げに挑む江戸の「鍵屋」の職人が登場する。「暗い夜を真っ昼間にしてみせる。それが出来たら死んでもいい」▼職人の三尺玉には暗い世間をあっと言わせ、楽しませたいという願いや職人の意地が詰まっていたが、この「飛翔(ひしょう)体」の中身は身勝手な野望と、脅して交渉を有利にしたいという曲がった計算でぎっしりである。隅田川の花火大会の前夜というのも何となく気分の悪い、北朝鮮が発射した弾道ミサイルである。平和あっての花火である▼米国防総省は大陸間弾道ミサイル(ICBM)と断定した。四日に続いて今年十一回目の発射。花火の掛け声といえば、「玉屋ーっ」だが、世界は「弾やーっ」「またやーっ」と嘆くしかないのか▼約四十五分間と前回よりも長く飛んでいる。高角度のロフテッド軌道ではなく通常高度で発射した場合、米国中西部、東部に届く射程一万キロ超に達した可能性がある。いよいよ弾の届く銃を突きつけられる米国も黙ってはいまい。緊張が一層高まる▼<玉屋が取り持つ縁かいな>。端唄の文句じゃないけれど、花火見物で深まる恋路があってもミサイル脅迫に将来も未来もないことに、あの国はなぜ気づかぬ。
Vladimir Karpov - Maria Tzaptashvilli, WDSF PD Latin World Championship 2013, semifinal - rumba
「公」という字にも、「私」という字にも、「厶」がある。この「厶」は何か。『漢字源』によると、三方から取り囲み隠すさま、腕で抱え込むさまを表すそうだ▼収穫物である「禾(のぎ)」を分けて、自分のだけを抱え込むのが「私」で、隠され抱え込まれたものを「八」のように左右に開くのが「公」。それが公私の字の由来だという▼…であるならば、この方々は本当に「公」務員と呼べるのかどうか。南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報をめぐって浮かび上がったのは、そういう疑問である▼現地の危険な状況を生々しく報告した「日報」を公開するよう国民から求められると、日報は「私的」な文書で公文書ではないからと公開せずに、「廃棄した」とうその説明をした。問題が露(あら)わになると、「廃棄した」という説明に合わせるため、残っていたデータも削除した▼きのう結果が発表された特別防衛監察で明らかにされたのは、防衛省の隠蔽(いんぺい)体質であったのに、責任を取って大臣を辞任した稲田朋美氏は、会見で「隠蔽という事実はありませんでした」と言ってのけたのだから、めまいがする▼公の検証に資すべき文書を私文書だと言って隠し、不都合な文書は消し去る。同じ構図は森友学園と加計学園の疑惑でも見て取れる。そういうことをやってのける人々にとって、守るべき「公」とは何なのだろうか。
<かなしみでんしゃ はっしゃします かなしみはみな ごじょうしゃください>-。堀江菜穂子さんの「かなしみでんしゃ」(『いきていてこそ』サンマーク出版)。悲しみ電車は人々の背負った、やるせない心だけを乗せてどこかへと運んでいってくれるのだという▼<かなしみでんしゃのいくさきは とおいとおい きたのうみ(中略)はしのうえからおろされた かなしみたちは うみにとけ でんしゃはからで しゃこにもどる かなしみでんしゃ きょうもまんいん>▼長い、長い<かなしみでんしゃ>のガタンゴトンが聞こえる。相模原市の障害者施設で入所していた十九人が殺害された事件から一年となった▼わが子らを突然奪われた家族にとってこの一年は季節の花を見、鳥の声を聞いては在りし日の姿を追いかけ、そして立ちすくむ日々であっただろう。いつまでも続く悲しみ。あの<でんしゃ>は運び切れるだろうか▼「障害者は生きていてもしかたがない」「いなくなればいい」。ナイフを握らせた思い上がった考え。鎮魂とともになすべきは、その考えを拒絶する決意である▼冒頭の堀江さんは二十二歳。脳性まひを患い、寝たきりで、話せない<どんなにつらいげんじつでも はりついていきる>(「いきていてこそ」)。曲がった「いなくなればいい」に向かって、間違っているよと、詩でささやく。