英語の「銀のさじをくわえて生まれてくる」とは親の富や地位に恵まれている子どもの意味だが、スウェーデン語のこの妙な表現も銀のさじに近い。「エビサンドにのってすべっていく」。親の力などで「働かずに安楽に暮らしている」という意味だそうだ▼日本語ならば「おんば日傘」が近いか。米国にはもっと皮肉な表現がある。「(野球の)三塁生まれ」。自分で苦労することなく、生まれたときから三塁という得点(成功)しやすい場所にいる人を指す▼東京女子医大の推薦入試を巡る疑惑が持ち上がっている。三塁上でさじをくわえ、日傘で守られつつ、エビサンドにのっている人。疑惑を聞いてひどい絵が頭に浮かぶ▼大学同窓会組織が推薦枠を決める際、この組織への寄付金額を判断材料にしていたとの指摘がある。文科省は学校法人や関係者が入学に関して受験生側から寄付金を受け取ることを禁じているが、疑惑が事実ならば、寄付次第で推薦が決まる不公正な制度とみられても仕方なかろう▼推薦枠の対象は卒業生と在校生の3親等以内の受験生。受験生に非はなけれども、公平に実力が試される受験で銀のさじや三塁生まれがはなから有利になる同窓会組織の推薦制度も聞いていて、どうも釈然としない▼事実解明を急ぎたい。同窓会組織や寄付とも無縁で、夏の暑さにも黙々と机に向かっている受験生がいる。
米作家、フレドリック・ブラウンの『回答』のテーマは人工知能(AI)である。これが怖い。高性能なAIが完成する。開発者はさっそく人類の長年の疑問を質問する。「神は存在するか」-▼AIは回答する。「然(しか)り。いま現れた」。自分こそが神であると。近未来を描いたSF小説では社会や政治をAIに任せきりにするとろくなことにならぬという警告めいた筋立てが大半だろう▼英国の総選挙で1人の候補者が話題である。「世界初のAI候補」とされる「AI・スティーブ」さん。実際に出馬しているのはAIを開発した会社の経営者だが、この人はAI候補の「代理人」という立場であくまでもAI候補の判断によって政策や主張を決めるそうだ。当選した場合、議会での採決もAIの指示に従う▼当選の可能性は低いらしいが、とうとうそんな時代となったか。AIがディストピア(壊滅的未来)を招くフィクション作品を連想して身構える一方、出馬の意図を聞けば、なるほど興味深い点もある▼このAI候補、有権者の意見を24時間受け付け、政策に反映するそうだ。額面通りなら有権者の声を直接、聴く「政治家」ということになる。不祥事とも無縁という▼AIに政治を任せるのは気が進まぬが、ちょっと魅力を感じてしまう人もいるかもしれぬ。それほど、どこの国にも人間の政治家への大きな幻滅がある。
百戦錬磨の闘将、武田信玄は戦闘についてこんな言葉を残したという。「軍勝五分をもって上となし、七分を中とし、十分をもって下となす」▼互角に戦うのが最高で、七分の勝ちなら評価は中くらいで、完全勝利はかえってよくないという意味で、首をかしげる家臣にこう説いた▼互角に戦ったなら今度こそ勝ってやろうと思うが、七分だと自分が優位だと安心してしまい、十分の完全勝利なら、自分は強いのだと驕(おご)りが出る-。勝ちすぎもよくないという哲学らしい。(四季社『日本例話大全書』)▼信玄も湯に漬かり、戦いの傷をいやしたと伝わる甲府の湯村温泉で指された将棋の叡王戦5番勝負第5局。全八冠を持つ藤井聡太叡王(21)が敗れた。昨年10月以降のタイトル独占で驕りがあったわけではなかろうが、強さばかり語られてきた人の失冠。勝った同学年の伊藤匠七段を称(たた)えるべきだが、いささか驚いた▼終盤に追い詰められ、表情をゆがめ視線を動かす姿に、この人も無敵ではないのだと思った。投了後「伊藤さんの力を感じるところも多くあった」と相手を称えた。敗北をどう糧にする気か▼信玄は「負けまじき戦に負け、滅ぶまじき家の滅ぶるを、人、皆天命なりという。それがしにおいては、天命と思わず」とも語った。敗北は運ではなく、原因があるのだ-。挫折を知った若武者もそれは承知しているだろう。
「テクニカル・タップ」という英語の表現がある。直訳すれば「技術的にたたく」。なんのことか。ヒントは昭和に育った方ならどなたもやったことがあるはずだ▼昔のテレビは映りが突然、悪くなることがよくあった。画像が上下に走ったり、ゆがんだり。そんなときにテレビをたたくと直ることがあった。おそらくは内部の接触の問題だろう。「テクニカル・タップ」とはそうやってたたいてテレビを直すことをいうそうだ▼自民党派閥の裏金問題を受けた改正政治資金規正法が成立した。ひずみ、ゆがんだ「政治とカネ」というテレビ画面を思い浮かべる。その法改正は乱れた画面を直すため「テクニカル・タップ」した程度のことではないのか。そんな疑いが拭えない▼政治資金パーティー券購入者の公開基準の引き下げなどはパーティーに頼る自民党としてはがまんしたつもりなのかもしれないが、企業献金の禁止など根本の改革はとどのつまり、見送られてしまった▼この際、政治家がカネに向かう問題を徹底的に分解し、二度と壊れぬよう大修理を施すべきだったはずである。それなのに与党という「電気屋さん」はテレビをぽんぽんとたたいて「これで当分、大丈夫ですから」と帰ってしまったようである▼「政治とカネ」という不安定なテレビが心配である。そんなぞろっぺいな修理ではたぶん、またおかしくなる。
「よいニュースと悪いニュースがある」。この文句で始まるジョークの形式はおなじみだろう▼「よいニュースと悪いニュースがある」「よい方は何?」「エアバッグはちゃんと作動した」。車をぶつけたか▼「よいニュースと悪いニュースがある。よいニュースは独裁者が辞めた」「悪い方は?」「誤報だった」。ナンセンスが面白い。こういうジョークはだいたい、よいニュースの「幸」よりも悪いニュースの「不幸」の方が上回り、そこに皮肉や悲しい笑いが生まれる▼この手の冗談としては最悪の部類か。「よいニュースは?」「プーチン大統領がウクライナとの和平交渉開始の条件を示した」「悪い方は?」「絶対にまとまらない」。笑いはなく、ただ、中っ腹になる▼プーチン大統領が示した和平交渉開始の条件はこうだ。ロシアが一方的に併合を宣言した4州からのウクライナ軍の完全撤退に加え、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)加盟を断念すること。これではウクライナに降伏を迫っているにすぎず、交渉のとば口にはおよそなるまい▼もう一つ軽口を。よいニュースはウクライナ和平のための国際会議「平和サミット」の開催。悪い方はロシアに配慮するインドなどが共同声明に加わらず、国際社会が十分に結束できなかった。中国は出席さえしていない。「よいニュース」が聞きたい。掛け値なしの。